幻想夏曲集:入道雲の見たもの
ぼくは入道雲が好きだ。
朝からかんかん照りなのに涼しく見える青い山から白くて細い昼間の月へ音もなく腕を伸ばしていく。まるでシャーシャー鳴く蝉にはやし立てられてるみたいに。
それが夕方になるとどっちも力が抜けたようになって、赤く染まってやわらかく流れる。ゼンマイがほどけてしまったみたいな鳴き声。
蚊取り線香のにおいもいいね。
箱を開けてざらざらする線香の真ん中の太鼓の模様みたいなところを両側からつまんで、少しずらしながら注意深く引っ張る。
ああいう形ってハノイの塔に似てる。
ずっと遠いどこかで、たくさんの円盤をせっせせっせと隣に移してるお坊さんがいるんだって。
全部移し終わるとこの世界は崩壊しちゃうんだって。
なんだかドキドキしない?
川の流れにぷかぷか浮いて空を眺めると去年もこんなことしたなって思う。その前もその前の前もって、言葉だと面倒だけど、頭をスイカみたいに冷やしているとさあっと見えてくる。
ぼくが生まれる前に誰かが見てたのをぼくが代表して見てる。お父さんかな、おじいちゃんかな。
この川で溺れて死んだ子がいる。
ダメだよそんなこと考えちゃ。
冷たい水の塊が背中に流れてきて、髪の毛のような水草がぼくをおどす。
お盆におばあちゃんの家に行くとふだん会わない親戚がいっぱいいる。
朝顔の柄の浴衣を着た、びっくりするくらい目の黒い無口なお姉さんがいる。
いっしょに遊んでほしいような、照れくさいような気がしていたらいつの間にかいなくなってる。
お墓参りに行ったら、手を合わせて横目で見た墓誌になんとか童女って書いてあるのが目に入ってドキってした。
あの広い家のどこかに着たくて着れなかった浴衣がしまってあるんだろう。
ぼくは花火大会の花火と駄菓子屋さんで売ってる花火と同じ名前なのは変だなって思う。
だって、花火大会は終わっても夜店が並んでてきらきらしてるし、広がって消えた光が目の奥にずっと残っている。
線香花火やロケット花火やねずみ花火は終わった途端に、暗闇がぼくらをわっと包む。
バケツにつまづいたりする。
心細いからかえって大きい声を出したりする。
うん。だから夏っておしまいの気分でいっぱいなんだ。
舌が赤くなるかき氷が入っていたガラス容器もこうしてみんな終わっていくんだって教えてくれる。
ハノイの塔についてはあまり説明的にならないように簡略化しています。興味のある方はネットにもいろんなページがあるのでググってみてください。
例えば64枚の円盤からなるハノイの塔を移動させるのに1枚につき1秒しか要しないとしても、1844京6744兆回の手順が必要なので5845億年掛かるそうです。