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砂の庭

作者: 高村

   一

 

 テニスコート脇では木々が風に煽られて、五月中旬の瑞々しい枝葉を右へ左へとなびかせていた。木々の向こうからは、農学部に隣接する地震研究所の研究棟が顔をのぞかせ、春の日差しの中、どこまでも陰鬱な表情で薄緑色の砂入り人工芝コートを見下ろしている。

 僕はベンチに腰を下ろして、タオルで汗をぬぐい、スポーツドリンクを口に含んだ。負けているときのスポーツドリンクには、妙に粘っこい甘さがある。

 戦局は極めて厳しい。ファイナルセットに入ってから松戸先輩のプレイはさらにしつこく、粘っこくなり、苛立ちを抑えきれない自分のミスが増えていた。六ゲーム先取の三セットマッチ、セットカウント1―1、ゲームカウント2―5。あと一ゲームでも取られれば負けという状況に、僕は半ば絶望的な気分で五月の陽だまりの中にいた。

 コートの反対側でベンチに座っていた松戸先輩が腰を上げるのを見て、僕もラケットを手にとり立ち上がった。口の中にはスポーツドリンクの甘さがまだ粘り気をもって残っている。


 テニスとは孤独なスポーツだ。縦二十三.七七メートル、横八.二三メートルのコートを、大学硬式テニスだと長いときは三時間以上、独りで駆け巡らなくてはいけない。

 僕がテニスを始めたのは小学校二年生の時で、その時は家の近くのテニススクールに通っていた。お遊び程度だったが、純粋に球を追い、打つのが好きだった。その後たまたま入った地元の公立中学校で硬式テニス部が盛んで、親に塾に通わされながらもほぼ毎日、部活に打ち込んだ。小学校から本格的なテニスクールに通っている子たちには勝てなかったが、初心者も多い部内では打てる方であったし、個人戦もある程度の戦績は残せた。高校でも、テニス部という選択肢しか考えられなかった僕は、部活説明会で真っ先に硬式テニスのブースへと向かった。勉強もしながら、テニスのことは常に頭のどこかにあった。そして…

 テニスが楽しくなくなったのは、いつごろからだろう。


 黄緑色のテニスボールがふわりと浮く。甘い。チャンスボール。

 僕は前に詰め寄って細かいステップをふみ、フォアハンドの構えでそのボールが地面に弾むのを待ち構える。少し汗ばんだ右手でラケットを軽く握り直し、左手を面に軽く添える。左肩を入れて右腕を引く。

 ボールが弾み、ぱっと左手を面から離した。その瞬間、びくりと発作的な力みが右腕をおそい、腕とラケットを制御不能にした。ボールはネットに勢いよく突き刺さる。

 松戸先輩が勝利の雄叫びを上げる。僕は敗北した。


 試合後、松戸先輩はやや上気した顔で僕のフォアハンドがときたま「壊れたようにかたい」ことや、それはフットワークの練習が足りないから云々とアドバイスを垂れたが、僕は日差しの中で能天気そうに揺れる樹木の一つをにらみつけながらそれらをすべて聞き流した。東京大学運動会庭球部に入部してから約一か月、三戦目にして三度目の敗北だ。


 五十人をも擁する東大庭球部では厳格なランク制が適用され、各々に部内順位であるランクが与えられる。ランクの上位六人のみにレギュラーという名誉ある称号が与えられ、団体戦で選手として出場する資格を与えられる。ランクは「セレクション」と呼ばれる申し込み制の部内戦によって、上位の者を倒した場合、割り込みの形でその順位を勝ち取ることができる。基本的に上位の者は、申し込まれたセレクションは断れない。一年生は入部直後ランク十位以下のものであればだれにでもセレクションを申し込むことが可能だが、負けると最下位ランクから始めなくてはいけなくなる。

 僕は四月の初めにだれよりも早く松戸先輩にセレクションを申し込んだ。松戸先輩は四年生だったが上級生の中ではランク下位の方で、自分としては無難な先輩に挑んだつもりだった。しかし結果は、自分の敗北だった。妙に軽く浮いているものの、叩ききれるほど浅くはない打球、粘っこいプレイ、相手がミスをした時の威嚇のような大声。おまけに焦りとともにフォアハンドの発作も頻発しだして、プレイが乱れた。

 次に対戦したのは同学年の山上だった。自分同様、先輩に申し込んで敗北し、少し遅れて最下位ランクとなった山上は僕にセレクションを申し込み、僕は彼に2―6、4―6のスコアで敗北した。サーブはゆるゆるとした頼りないもののくせして、バックハンドが異様に強かった。これが僕の二度目の敗北だった。

 そして、今日、僕は初勝利を得るはずだった。フォアハンドも力みの出ないように何回も丁寧に手出し練習をし、松戸先輩の浮き球対策として打ち込み練習もした。

 しかし、僕は敗北したのだ。


 初めに襲うのは怒りと悔しさだ。荷物を引き上げるためにベンチへ戻ると、三分の一ほど中身の残ったスポーツドリンクの二リットルペットボトルがやけに憎らしく思われ、内容物をコート脇の排水溝にぶちまけると空の容器をめちゃくちゃに踏みつけた。続けざまに、だいぶ前から、あれは高校二年生のころだったか、その頃から使ってきたラケットを何度も何度も排水溝のコンクリートに打ちつけた。カーボンの砕け散る音があたりに響いた。くそやろう、くそやろう、くそやろう…

 ラケットを打ちつける間、僕の腕は実にしなやかで、冷静で、的確だった。

 コートの向こう側で松戸先輩が不安げにこちらを見るのが目の端に見えたが、構うことはない。気が付くと右手にはラケットの残骸、ペンキも剥がれカーボン素材のボディが無様にへし折れた物体、が握りしめられていた。

 次にやってくるのは、虚しさだ。壊れたラケットを片手に持ったまま立ちすくむ自分はどこまでも惨めで、情けない生き物に思えた。入部したときに描いていた未来とは、あまりに違う。

 五月の陽気な日差しは相変わらず穏やかにコートを照らし、排水溝からは甘ったるい匂いが立ち上っている。

 




   二


 僕が山田太郎と初めて出会ったのは六月の霧雨の降る日だった。

 庭球部の義務練習は基本的に平日が三回、休日は両日とも行われ、平日は大学の授業と被らないように毎日ある朝練、昼練、夜練のうち一週間の合計練習回数が三回になるよう、希望を提出する。その上で、各練習面が一面につき四人になるよう調整され、練習日程が組まれる。これによって一面四人という最も効率的な人数配分で練習が行えるうえに、授業出席にも支障をきたすことがない。四面あるコートにはランク順で四人ずつ振り分けられ、三時間の練習が行われる。それ以外の時間は、空きコートとして自由に使えることになっている。とはいえ、結局授業をさぼって空きコートに来る者が少なからずいるため、コート脇の部室にはだいたい部員が誰かは常駐していることになる。

 しかし、その日の夕方は雨で練習が中止になり、残った人は麻雀でも打ちにいったのか、僕がついたときには部室には誰もいなかった。僕はたまたまその日、渋谷のテニスショップで新しいラケットを買い、グリップを巻きに部室に立ち寄っただけだった。壊したラケットと同モデルの替えはあったが、この際いっそと思ってニューモデルのものを買った。

 朝からずっと降り続ける弱い霧雨は、オムニコートの砂を土色に変えていた。コート脇に建つ部室棟の階段を登り、普段は先輩が使っていて座れない座り心地の良い椅子に深々と沈み込み、ゆっくりとグリップテープを巻き始めた。

 オレンジと黒を基調にしたラケットが湿気を帯びた空気の中で光沢を放ち、白色のグリップテープが処女のような純白さをもって映えた。

 自分のラケットに魅せられながらグリップを巻き終えると、コートの入り口から「すみません」と大きな声がした。 

 階下に降りてみると、自分と同年代であろう青年が霧雨の中、傘もささずにたたずんでいた。身長は平均的な僕より少し高く、アヒル唇とぎょろりとした目が特徴的だった。

「あの、新入生で入部を考えている者ですが、少し打ってもらえませんか」少し身構えているような口調で、青年は聞いてきた。

「同学年だから敬語じゃなくていいよ」僕は慌てて言った。「名前は?」

「青年はすこしほっとしたように、「山田太郎って言うけん、君は?」と言った。僕は直感的に彼の名前が気に入った。

「中村博、よろしく」


 山田太郎は九州の進学校から上京したらしく、現在はインカレテニスサークル、すなわち他大学生と合同で運営されているテニスサークルに所属していた。曰く、「他大の女の子はかわいいけん、でもやっぱり俺らの年は部活に強いのが多くてから、様子を見に来たんや」とのことだった。事実、僕たちの代は十八人という異例の人数で、二人がすでにレギュラー候補になっている。

 僕と山田太郎はテニスウェアに着替えると、まだ軽い霧雨の降るコートに出た。砂入り人工芝のいいところは、サーフェスが水を吸うため多少の雨でも使えるところだ。買ったばかりのラケットを雨の日に使うのは後ろめたい気がしたが、妖艶な気配さえするこのラケットを早く使いたい気持ちもあった。

「それじゃあショートラリーからで」アップもままならぬうちに山田太郎はラケットを掴んで湿ったコートの中へ踏み入った。左利きだった。


 山田太郎は上手かった。特に左手のフォアハンドから放たれる強烈なトップスピンショットは濡れたコート上でも力強く跳ね、獰猛な小動物のように噛みついてきた。僕はとりあえず返すのに精一杯だった。

 しばらく打った後、山田太郎が休憩をしようと呼びかけ、二人で飲み物を片手に雨でぬれたベンチに腰掛けた。脇に置いたラケットが霧雨で濡れて、研ぎ澄まされた日本刀のような美しさを放っていた。

「おまえなかなかやるな。さすがにサークルのやつらとは返球率が違うけん」そう言いながらも、山田太郎の目つきはお前には負けないけどな、と言うような強い自信の色を帯びていた。

 しかし実際にその日の僕の調子は良い方だった。フォアハンドの発作のような力みもあまり起きなかった。サウスポーの山田のフォアが基本的に自分の得意なバックハンドに集まるからかもしれなかったし、純粋に新しいラケットに舞い上がっていたためかもしれな。

なかった。

 その後僕は山田太郎がなぜ今日来たのかという話から、好きな女性のタイプの話まで聞かされることになった。山田太郎はコート脇でよく戯れている小鳥たちよりよく喋った。

「ラケットに名前つけるといいけん」彼はこうも言った。「こいつは花子って言うんや」

「どうして花子?」

「俺が太郎だからに決まっとるやろ」

 僕は新しく買った自分のラケットを見つめた。ブラックの艶やかな光沢にオレンジが散りばめられたそれは上品な淑女に見えた。

「小夜子だな」と僕は言った。山田太郎は納得したようにうなずいた。

 山田太郎は、女性は都心の女子高育ちの清楚なお嬢様に限ると論じて聞かなかった。また、この霧雨の中来た理由は、この雨の中で庭球部員が一人もいなければ所詮それまでの部活だと考えて部活には入らないつもりだったとも言った。僕は平然と、今日は一人でサーブを練習しに来たのだと彼に伝えた。


 数日後に山田太郎は正式に入部した。入部後、僕と山田太郎はより仲良くなり、川島という同期を含めた三人で行動を共にすることが多くなっていった。






   三


 七月も上旬に入り、ようやく初夏らしい日差しが顔を見せ始めたある日、僕と川島は本郷通りのインドカレー屋「ピサール」で少し早い昼食をとろうとしていた。

 川島は僕と練習日程が被ることが多く、入部当初から仲のいい部員の一人だ。優しそうな目とまばらに見える若白髪のせいで見た目より老けて見える彼は、内面も大人びていていっしょにいる人を落ち着かせることに長けていた。まるで、品のある庭園の樹木のようだと僕はいつも思っていた。 

 僕たちは店に入ると、いつも暇そうにテレビを眺めているインド人の店長に挨拶し、ひんやりと冷たい革のソファ椅子に腰を下ろした。店には僕たち二人しか客はいなかった。

「学生セット? 中辛? マンゴーラッシー?」店長が比較的流暢な日本語で確認をしてくる。僕らが頷くと、店長は厨房に向けてヒンディー語で指示してから、再びテレビに戻った。

「博のフォアハンドは、まだ治らないの」川島が話を切り出した。質問ではなく優しい確認のような一文だった。

「そうだね。むしろ最近悪化しているかもしれない」店長が腰を上げてサラダとマンゴーラッシーを運んできた。僕らは、どうも、と言った。「高校一年まではなにもなかったから本当に不思議だよ」

 時たま現れるくらいだった発作は部内戦で敗戦を重ねるごとに頻発に起こりだし、とうとう練習中ずっとまともに球を当てられない日が出てくるほどだった。最近はしょうがなくバックハンドでできるだけ回り込んでいたが、もちろん威力、精度、守備範囲全てが下がり僕はかなり落ち込んでいた。今日も練習後、さっさと学食へ向かおうとした自分を川島が誘ってくれなければ、きっと暗い穴の底にいるような陰鬱とした気持ちでこの初夏の昼間を過ごしていただろう。

「具体的にはどういう感覚なんだい?」

「ラケットを引く瞬間に右腕全体が石みたいにこわばって、制御が利かなくなる。自分の手じゃないかのように」

 発作が来るような、あの嫌な感覚を思い出しながら、僕は右手でマドラーをゆっくり回してマンゴーラッシーをかき混ぜた。マンゴーのまぶしい黄色を乳白色の靄が包みこむ。

「今までできていたことができなくなるのはつらいね」川島の声は真の同情に満ちていた。

 川島は中学からテニスを始めていて、実力は僕と同じくらいだ。だから、もとから運動神経が良くてセンスのある山田太郎などと比べて、僕の話をよっぽど分かってくれる。

「最近よく思うんだけど」川島が思案顔で切り出した「太郎みたいにテニスを楽しんでいる人はそれだけできっと部活に居続ける意味があるけれど、」

 僕は自分の考えていることを見破られたかのような気がしながら続きの言葉を待った。最も、その先に川島が言わんとしていることは地平線上に広がる黒々とした雷雲のように克明に見えている気もした。

「もしテニスが楽しくなくなったら、部活にいる意味ってなんだろうね。思いあがるつもりはないけれど、仮にも日本の最高学府に在籍している自分たちが、実りもなく楽しくもない部活に大学生活四年間を捧げるなんて愚の骨頂じゃないか、って」

 川島はちらりと僕を見て少し慌てたように「あくまでふと頭をよぎったことだけどね」と付け加えた。

僕はしばらく黙り込んだ。タイミングがいいのか悪いのか、その間に店長が「学生セットー」と歌うように言って、僕らの前に出来立てのナンとカレーを載せたトレーを置いた。バターとスパイスの香りが僕たちの間の沈黙を満たした。

「川島が言うことはその通りだと思うし、俺も最近同じことをよく考える」僕はナンを一片ちぎるとともに沈黙を破った。「川島は、テニス楽しい?」

「楽しく…はないかな。向いてもないし」言った後で、川島は頭を振って水に手を伸ばした。「いや、多分俺はそんなことを言える立場にすら立ってないんだ。そういうことは、きっと、やれることはやりつくしたっていう人が言っていい言葉なんだ」

「そうかもしれないね」僕は氷が解けて薄くなったマンゴーラッシーの残りを飲み干した。味がなくてまずかった。「でもやりつくした後じゃ、もう遅い」

「何にしたってそうじゃない?」

「そうだ、だから普通は成功する確率の高いものに投資するんだ。例えば理系の川島だったらプログラミングとかシステム開発の研究であるかもしれないし、法学部の俺だったら司法試験に向けて勉強すべきなのかもしれない。体育会に入っていれば就職が有利なんて実質的じゃないし、仮に本当でもそんな理由で部活を続けるのは違うよな?」

 気づくとイライラしながらナンを細かくちぎっていた。向かいの席では川島が困ったように同じナンを何度もカレーに突っ込んでは引き上げ、また突っ込んでいた。

 「たしかに俺も、小さい頃から地質学に興味があって、部活に入るときは色々悩んだよ」川島はようやくナンにかじりつきながら言った。「最終的に部活を選んだのは、意地みたいなものだったかもしれない。でも、それはともかく、博の場合はとりあえずフォアハンドの悩みさえ解決すれば、またテニスが楽しくなって万事問題ないわけだろう?」

 僕は、治りっこない、という言葉を危うく言うところだったが、水を流し込んで押しとどめた。もちろん川島はそれを察したように優しそうな眉を引き上げ、まあとりあえずは様子を見てみようよ、と言った。

「今度太郎と俺とで練習しようぜ、な?」

 僕は、少しためらいながらも渋々と頷き、ナンの最後の一片を口に放り込み、暇そうにしている店長に向かってナンのお代わりを二つ頼んだ。テレビから顔を上げた店長は「二人とも夏なのに顔が暗いヨ」と言って、厨房に注文を伝えにいった。





   四


 八月も中旬に差し掛かり、真昼の太陽は猛威を振るって農学部コートをじりじりと焼かんばかりの勢いだった。実際、砂入り人工芝の砂は焼け石のように熱せられ、靴の裏を通してその暑さが伝わってくるような気さえした。

 夏合宿を乗り越え、土産に筋肉痛と真っ黒に焦げた日焼け肌を持って帰ってきていた僕と山田太郎、川島の三人は、合宿後の休暇二日目にコートに集合していた。四面あるコートにはまばらにしか人はいなかった。

「俺は最初ベンチで休むけん、しばらく二人で練習しといて」山田太郎が眠そうな目をこすりながらベンチに腰掛けて言ったため、仕方なしに僕と川島でアップを始めることにした。

 軽いショートラリーからボレーボレー、ロングラリーとアップを進めたが、五分動いただけで汗がじっとりとウエアを湿らせる。ステップを踏む足も重い。コート内で反響する蝉時雨がやかましく鼓膜を叩く。

 サーブの練習を始めるころになってようやく、山田太郎は腰を上げて肩回りをぐるぐると回し始めた。そしておもむろにかごからボールを取り出すと、汗だくで不器用なサーブを打つ僕らの傍らで、軽々と僕らの何倍もの威力のサーブを打ち始めた。

 山田太郎は最近になってようやくまともにセレクションを申し込むようになり、急激にランクを上昇させていた。その理由の一つに、圧倒的なサーブの威力とスピードがあった。左利きであることも彼のサーブをやっかいなものにしていた。

 僕と川島はしばらく山田太郎の動きに見惚れていた。上手い人の動きはたいていそうなのだが、どこか優雅な肉食動物を思わせる節がある。合理的で一ミリのぶれもない彼らの動きは、まさに豹や虎の、捕食のための跳躍にどこか似ている。

 山田太郎のサーブは、ほとんど適当にすら見える構えから、まっすぐでぶれないトスアップ、きれいなトロフィーポーズと教科書どおり直角に曲げられた腕と手首、足の溜め、と流れるように進行し、それらから一気に放出されるエネルギーは自然かつ無駄のない腕のしなりに集約され、そして最後に物理エネルギーとしてボールとラケットが触れる一点に集められる…。

「ぽけっとしてないでお前らも打たんか」ふと振り向いてどこか不機嫌そうに山田太郎が言った。


 練習は極めて充実して進んだ。山田太郎は教えるのがとても上手かった。

「とにかく脱力してラケットヘッドを落とす必要があるけん、あとは腰で回せ」手で球出しをしながら山田太郎は僕に言った。「肩をもっと入れて」

「ああ」と僕は葉を食いしばりながら答えた。右腕がいつものように発作をはじめ、どうにもこうにもならなくなっていたのだ。打つ瞬間に狂ったように引き付けを起こす。もどかしい。そしてそのもどかしさがまた腕を硬くする。ついに、「もう無理だ。十二年間やってきたのに何も成長なんかしちゃいない」

 ラケットを思わず振り上げ、すんでのところで思いとどまった。小夜子と名付けたラケットは大人びた様子で、まるで僕を見つめ返すように、涼しげに八月の陽光を照り返していた。顔を上げるとコートの向こうでボールを集めている川島が心配そうにこちらを見ていた。

「かわいいラケットやろ」

 僕は小夜子をそっとかごに立てかけた。

「昔は今より打てたんか、フォア」山田太郎の顔には怒りも、心配も、蔑みもなかった。僕はそれに救われた。

 僕はうなずいた。「上手い下手は置いておいて、少なくともこの発作みたいな力みはなかった」

「いつからや」

「高校二年の時だった。高校で初めてレギュラーになれて、弱小校だったんだけど、団体戦に出て負けた」山田太郎の顔を見られず、右の手の平を見つめながら話した。「その日は本当に緊張しちゃったんだ。顧問の先生にも怒られて、その日はめちゃくちゃ泣いた。その次の日の練習から、いきなりフォアの当たりが掠れ始めたんだ。当たりがどんどん悪くなっていって、ある日気づくと、発作みたいに腕の硬直が起きるようになった。それからずっと、」

「ずっと思い通りに打てないのか」

 僕は頷いた。いつの間にか川島が隣にやってきて僕のじっとりと汗ばんだ肩に手を置いていた。

「イップスやな」山田太郎が表情を変えずに言った。

「イ…へ?」

「イップス。ゴルフ野球テニス等の競技で見られる症状や。筋肉の勝手な萎縮や硬直で簡単な送球が乱れるようになる、今まで打てていたパットが打てなくなる、球出しができなくなる、フォアハンドが打てなくなる。まるで他人の腕になったかのような違和感、制御が利かなくなる、それらが共通する症状や」

自分の症状そのものだ。一般的な症状なら治す方法があるに違いない、と希望の光が見えた気がした。

「どうすれば治るの?」

「きちんとした治し方は見つかっていないし、治らんことも多い」山田太郎はぶっきらぼうに言った。

 八月の陽光が、ふっと途絶えた気がした。川島がなにやら僕に語りかけていたが、それは木々から降る蝉時雨のように意味のないようなもののように思われた。コート外で不機嫌そうにそびえ立つ、地震研究所の棟だけが、妙な現実感を持って僕の目に映っていた。




 


   五


 農学部コートは残暑の中、異様な熱気に包まれていた。三面にわたって展開されている試合のうち一方では青色のユニフォームを着た総勢五十人ほどの東大庭球部員が並び、叫び、連呼しており、その反対側では赤色のユニフォームを着た敵チームが同様に盛り上がっている。

 リーグ戦は毎年九月に行われる六校による総当たりの団体戦で、日々の活動がこの五連戦のためにあると言っても過言でない。関東に存在するほぼ全ての体育会庭球部が所属する「関東大学テニスリーグ」には一部から七部までが存在し、一部から六部が強さの順に六校ずつ、それより下部の大学が七部に振り分けられる。毎年各リーグ戦の結果によって上位二校が上部との入れ替え戦、下位二校が下部との入れ替え戦に挑み、勝利すれば昇格、敗北すれば降格となり、リーグの再編成が行われる。東大庭球部は現在四部に所属し、二年連続で上入れ替えに進出しているものの、昇格を果たせていない。

 団体戦に出場するのは原則六名で、ダブルス三本シングルス六本の合計九試合で行われる。一年生にして破格の実力を持つ二人のスーパールーキー以外の一年生は、当然ながら、ボーラーと審判の雑務に就く。


 ファーストサーブがネットに引っかかる。僕は熱せられた砂を蹴ってボールを拾いに行き、全力でネットのポール脇に戻り、直立不動の姿勢をとった。首筋に当たる日差しがじりじりと痛い。隣のコートでは山田太郎が片足重心で立っているのが見えて舌打ちしそうになる。そのさらに奥では審判に入っている川島が汗をぬぐうのが見えた。

 リーグ戦も第四戦に突入しいよいよ山場となっていた。今日の試合に勝利すれば、上入れ替え戦に行くことは確実だ。僕自身はここまでのところ、つらさは感じるものの、チームの勝利という半ば宗教じみたモチベーションを維持して妄信的に雑務に取り組んでいた。ふと、先日山田太郎と川島と三人で学食にて話していたことを思いだした。


「正直、だるいけん」

 目をぎょろつかせながら切り出したのは山田太郎だった。授業の合間にたまたま暇になったので学食でアイスクリームを食べながら話していた。

「リーグ戦?」川島がテーブルに垂れたアイスクリームをティッシュでふき取りながら聞く。

「せや」カップの中身を乱暴にくり抜きながら山田太郎は言った。「正直テニスって個人競技やし、そら部活やから応援するけど、気持ちは入らんよな」

「まあたしかに、普段自由にコートを使わしてもらっている分の支払い、という感じはあるかな」川島が優しそうに頭を傾けた。「博はどう思う?」

 僕は食べていたチョコアイスから顔を上げた。少し味のくどいアイスだった。「やるからには全力で応援するよ。妄信するさ、チームの団結みたいなのを」

 川島は笑い、山田太郎は鼻を鳴らした。

「おまえ、部活辞めるかもしれん言うとるけど、正直おまえが一番部活っぽい考え方出来とると思うわ」山田太郎が尊敬するでも、馬鹿にするでもなく言った。アイスクリームの最後の一すくいを口に運ぶと、カップを潰して近くのごみ箱に投げ入れた。「おまえどうして最初部活に入ったん?」

「春の浮かれた気持ちでテニスが楽しく感じてしまったのと、やるなら部活だろっていうええかっこしい精神が働いたんだろうな」僕は物憂げにカップの底に溜まった黒茶色の液体をかき混ぜた。「言ってしまえばなんとなくだから、自分が部活人間とは思えないし、フォアが戻らない限り本当にいつでも辞めかねないと思う」

「別に最初の入部理由がなんとなくでも、途中で気合い入れて再入部イン・ユア・ハートすれば同じことやろ」ぎょろりとした目がまじまじとこちらを見た。その瞳の黒さが映えた。「チームのためとか嘘でも妄信できる人間が最終的には強いと俺は思うけん」

「たしかにそうだね」川島が同意した。そして冗談めいて、「太郎はテニスが好きで、博は結局部活人間。実は俺が一番早く部活を辞めるかもしれないな」

「そしたら俺も辞めるわ」僕と山田太郎の真面目な声が重なり、一拍おいて、僕らは思わず一斉に笑った。


 アウト。相手校側からの声援、叫び声、自陣からのうめき声と飛び交う檄。我に返って駆け出し、ボールを拾うと「ボールいきます」と叫んで選手に投げた。同学年の彼は疲労の見える動作で受け取り、ラケットで球をついた。

 結局、自分がボーラーに入った試合は惜敗し、4対4と最後の試合次第となった。ボーラーから引き上げた僕を含め、全員が最後の試合のコートに集まると、山田太郎が連続でボーラーに入っていた。おそらく、態度が悪かったため先輩にもう一回入るように言われたのだろう。僕と目が合うと苦い顔をして目をぎょろつかせた。僕は構わずに川島の横を見つけると、声の出る限り応援をした。その試合は長く、陽はやがて傾き、声は枯れていった。それでも僕は馬鹿のように声を出して応援を続けた。斜陽に照らされる二人のプレイヤーの姿は、美しく、野生の獣のように華麗で、同じ人間だとは思えなかった。コート脇では、夏に取り残された蝉たちが最期の鳴き声を奏でていた。






   六


 部室には約五十名の男子部員と十数名の女子部員がぎゅうぎゅうになって集まっており、四年生の引退式に備えていた。空いた窓からは涼しい秋風が吹きこみ、少し肌寒いくらいの気温だった。

 リーグ戦は第四戦を辛勝し、九月下旬の上入れ替え戦に進出したものの、またしても上部校との試合に敗れ三年連続の四部残留が決定した。

 引退式は四年生が一人一人話すだけのもので、よっぽどその後のリーグ戦打ち上げ飲み会を楽しみにしている人の方が多かった。けれど、僕自身は四年間部活をやり切った人たちがどのようなことを言うのか興味があった。

 話は、セレクションを累計三回申し込み、先月ようやく勝つことができた松戸先輩から始まった。この先輩は最後まで四年生の中で一番下のランクを持っていた。

「俺は運動神経がなかったけれど、その分、他のところで補おうとした」松戸先輩の声は最初から震えていて、途中でこらえきれず涙が溢れた。「でもやっぱり足りなかったんだよなあ…く、悔しいなあ…」

 一年生の中には互いに見合ってひそかに笑うものもいたが、僕は笑えなかった。山田太郎も、僕の隣で例の無表情な顔で話を聞いていた。最近、彼が真剣に考え事をしているときにこの表情になるのだということに、僕は気付いた。

 次の先輩は長所を磨くのも大事だが、弱点から逃げ続けたことが今一番悔やんでいると言った。その次の先輩は、辞めることも勇気のいる一つの決断であり、選択肢だと言った。さらにその次の先輩は、もうトレーニングをしなくていいと思うと嬉しいと感慨深そうに述べた。

 一人一人の話を聞きながら僕は少し不思議に思った。先輩たちは思いのほかテニスをずっと好きでいたわけではないようだし、むしろ苦しみながら続けていた人が大半のようだった。そして今、彼らには彼らにしか見えない景色を見ながら語っているのだろうと思った。


 最近、僕は山田太郎に言われてバックハンドの回り込みを多用した、バックハンド主体の試合の組み立てを練習していた。それと同時にフォアハンドの練習もこっそり続けていたが、力みは消えることがなかった。しかし少しずつ、セレクションの勝利数は増えていた。十五戦四勝十一敗。圧倒的に負け越しながらも、試合数では同学年の誰にも負けていない。誇れる数字なのかさえわからないが、今の僕は拠り所となる確かな数字を求めていた。その誇りがなければやっていけない気がしていた。


 引退式から数日後、僕は本郷の外周を走っていた。週二回の消化制メニュー、一回二周八キロメートル。十月の日暮れともあり、肌寒い外気が火照った身体に心地よい。地面の銀杏の葉を踏みしめながら静かに息づく街を走る。

 僕は走るのが好きだ。長距離走の速さなら、部内でも指折りに入る。しかし、走るだけではテニスは勝てない。多くの部員が試合での持久力をつけるために走る中、僕はただ楽しむためだけに走っていた。正直、自分にとってはこの時間を球出し練習に費やした方がためになるかもしれないけれど、足が地面をたたく心地よいリズムと、幻想的な街の明かりを眺めながら走るのはいい気分転換になる。


 本郷通りを左に折れ、小道に入ったところでふと先日のリーグ戦打ち上げを思い出した。未成年なうえにお酒があまり好きでない僕は隅っこでどんちゃん騒ぎを眺めていたが、ふと、酔っぱらった四年生の一人に絡まれてカラオケ用のマイクを渡された。

「ほら、中村、俺はレギュラーになります、って言え」先輩の目の焦点は定まらず呂律も回っていなかった。僕のフォアをよく見てくれて、多くのアドバイスをくれた先輩だった。

 僕は嫌々ながらマイクを受け取り、小さな声でマイクに言った。

「僕はレギュラーになります」

「声が小せえ」先輩は怒鳴った。「おまえは、誰よりもセレクションをこなしている、フォアハンドも努力している、だから俺は俺の代わりにお前にレギュラーになってほしいんだ」

 僕はただ早く終わらせたくて、すっと息をすってマイクにはっきりと言った。

「僕はレギュラーになります」

 部屋の大半の部員が振り向き、まばらで儀礼的な拍手が沸き起こった。微妙な空気を見て、川島が「一発芸やりまーす」と大声で言って立ち上がり、間髪入れず両手を広げ、「子宮!」と叫び、すぐに手の平をそのままぶらぶらと振り「排卵!」と叫んだ。酔っぱらった部員たちは大方僕の方から意識をそらし、笑いながら川島をはやし立てた。残された僕は、マイクをそっと机の上に戻して先輩が自分にかける言葉を笑顔で受け流すことに集中した。


 思い出して、走りのペースが乱れた。奥歯に力が入り、無駄に足の回転が加速する。喉の奥がかっと熱くなった。

 あの先輩も悪気があってやったわけではなかった。四年生の中では弱かった先輩は、それでも常にレギュラーを目指して部活に励み、それを美徳としていた。レギュラーになる可能性が一パーセントでもあるのならそれに賭けるべきだ、と飲み会の度によく言っていた。

 しかし僕にはどうしてもその妄信だけはできなかった。そもそも、あの絶望的なフォアハンドの発作がある限り、フォアハンドをまともに打つことすらままならないのだ。フォアがまともに打てない限り、テニスで上位を狙うことは難しい。

 少しペースを緩めると息が少し楽になった。すっかり暗くなった道のりは何かを語るわけでもなくただただ僕の眼前に広がるだけだった。もう少し走れば、下り坂が見えるはずだ。






   

   七


 東大農学部コートではすでに陽も落ち、骨に染み付くような寒さがウィンドブレイカーの裾や襟首から忍び込もうとしていた。時刻は五時を過ぎたばかりだが十一月の夜は気が早く、辺りはすでに暗闇が支配し、ナイター用の照明が冷え冷えとコートの砂を照らしていた。

 僕と山田太郎と川島は練習後にトレーニングのダッシュメニューを消化し、体が冷えないうちにダウンのストレッチをしているところだった。練習後のコートはまだ打つ人々で賑わっており、僕らはそれを横目にコート脇に腰を下ろした。

 念入りに足の付け根や太ももを伸ばしながら、たわいのない話をしていたが、突然、その日妙に無口だった山田太郎が口を開いた。

「実はさ」と例の無表情で語り始める山田太郎に、僕と川島は話を止めて顔を向けた。「俺、この間大森と飯行ったんよ。それで、今度横浜に遊びに行く約束も取り付けてきたんよ」

 大森さんは、三名しかいない一年生女子部員の一人で、色白の笑顔が可愛らしい、おとなしめの女の子だった。他の女の子二人が早々と一年生男子のレギュラーと付き合い始めた一方で、大森さんは彼氏を作らないことによって男子部員の間で憧れの的となっていた。そのため、川島も僕も山田太郎の言葉に驚き、彼の功績を褒めたたえた。しかし、山田太郎の顔はなぜか険しくなっていく一方だった。

「どうしたんだよ」見かねた川島が山田太郎を小突いた。「素直に嬉しそうにしろよ」

「確信持って言えんのよね」例の無表情がまた彼の顔を支配した。「大森って言ってしまえば残りもんやけん、例えばこれがほかの私立大学で、女子がいっぱいおって、それでもその中から大森のこと好きになったかって聞かれたら確信が持てん。結局自分の打算やないかって気がするんよ」

「考えすぎだろ」川島が手の砂を払いながら軽い調子でいなした。「好きならその感情を信じて突き進めばいいじゃん」

「そうだよ、報われない恋よりよっぽどいい」僕は自分の右手を眺めた。右手は無実そうな表情で見つめ返してくる。

「俺、男子校出身やけん、そういうことわからんわ」釈然としない様子で山田太郎は言った。「でも結局、その仮定も自分の感情に正当な裏付けがほしいっていう自己肯定欲求の現れやないかとも思う」

「ごちゃごちゃ言ってないでどうやったら大森さんをものにできるかを考えなよ」川島が面白がるように言った。

「それは常に考えとる。しっかりアプローチ決めて、スマッシュ打ち込んだる」

「恋愛もテニスも、ポテンシャルがなければ投資した時間と労力に見合った報酬が返ってこないっていう点では、似ているかもしれないな」

 僕ら三人はダウンを終え、いよいよ暗くなっていくコートを眺めながらコート脇のベンチに腰掛けた。少し暗い調子の僕の声に気付いたのか、あるいは純粋に話の内容が気に食わなかったのか、山田太郎が反発した。

「そんなことないやろ。俺だって、他のスポーツできんしテニスも中学からやったから全然上手くなかったけん、せやけどテニスが好きやからその分努力して人並みに上手くなったんや。恋愛は…まあたしかにわからんけど」

 僕と川島は押し黙った。それこそが才能なのだと、きっと川島も同じことを考えているのだろうな、と僕は思った。時間と想いを懸けたからこそ少しずつ壊れていくものもあるということを彼は、いや多くの人はわかっていない。僕の右手が寒さで少しだけ固まってきた気がして左手でさすった。 

「努力は叶う、かあ」川島も少し考え事をするように、そしてすこし苦いコーヒーを飲むようにつぶやいた。吐き出した息が白かった。

「その点、勉強は努力した分帰ってくるからいいよな」少し話を変えるように僕は言った。「時間をかければ、暗記はできる。計算式も何問も練習すれば解けるようになる」

「いや、それこそ俺らが勉強において勝ち組だから言えることちゃうの」山田太郎のぎょろりとした目が薄暗い冷気の中で澄んで見えた。「テニスエリートから見れば、テニスもきっと同じことなんやろ」

 勝ち組、という言葉がやけに僕の中でずしりと響いた。いつの間にか寒さは冬の本格的な鋭い輪郭をまといながら僕らを包み、僕はウィンドブレイカーのジッパーを一番上まで引き上げた。しかし、僕らはなぜかそこに座り続けた。

 僕はこの部活を引退するとき、ほぼ間違いなく負け組として引退するだろう。一方、社会に出たら、勝ち組に割り振られるかもしれない。テニスができなかったことも、フォアハンドが打てなかったことも誰も気にせず、東大卒の肩書きばかり注目されるのだろうか。

 それは果たして、正しいのだろうか。

 部室の二階には、四十人分の名札が、ランク順にきれいにマグネットでホワイトボードに貼られている。入部当時に書いた、やや「中」が大きく「村」の小さい僕の名札は上から数えて三十五番目に、居心地悪そう貼付いている。僕はいつも、その番付をなるべく見ないようにしている。

 

 しばらく黙りこんだ後で、川島がヒーターのある二階に行こうと僕らを誘った。山田太郎は大森さんについて語り足りないらしく快活に応じたが、僕は先にシャワーを浴びると言って一階のシャワー室へ向かった。ノズルを回して暖かいお湯が身体に注がれると、身体の芯から解凍されていくような気分になった。湯気のこもるシャワー室の中で何かが溶け出して、僕は自分でもよくわからずに泣いた。






   八


 冷たい風が指に吹き付け、僕はふっと息を吹きかけた。体内から噴き出た熱で指が硬さをなくし、僕は小夜子を再び握りしめた。身も引き締まるような寒い空気の中でこの名器は日本刀のように凛として存在している。手の平の熱が小夜子の黒い刀身に伝わり身震いをする、そんな想像をして息を整えた。再び相手とコートに向き合う。

 山上はバックハンドの方が安定していて攻撃性があるので、ファーストサーブはあまり威力のないフォアハンド側に寄せ、たまにコースを散らす。その後のラリーはフォアハンドに来たときに比較的発作が起こりにくい薄いグリップのスライス(下回転の打球)で守り、バックハンドで回り込める球が来た場合に叩き込む。基本方針を頭で再確認しながらベースラインに立ち、球をついてサーブモーションに入った。どんよりとした寒空に球を差し出し、ぶん、と一振りすると山上のフォアハンド側へ上手くボールが届いた。威力のないやや浅めのリターンが自分の左手側に返ってきたので、しめたと思い右肩を入れ、鋭くしかし丁寧にクロスへ運び、前に出てボレーで仕留めようと左足を一歩踏み出した。しかし、山上が思いのほか速く球に追いつくのを見てさっと足を戻し、ステップを踏んでカウンターに備えた。体勢と今までの山上のプレイから、クロスに引っ張り強打すると考えられた。予想は当たった。強烈なトップスピンのかかったショットが飛んでくる。しかし、山上の体制は崩れていて、疲れも来ているのか戻りもステップも甘かった。ここでいくしかないと判断した僕は、しっかりと右肩を顎に寄せて強打の構えを見せ、直前になってすっと右腕を振り下ろす。逆回転のかかった球はふわりとネット上を越え、山上にとってコートの対角線上、最も離れたネット前に優しく落ちた。「バックハンドの強打を主軸にするのなら緩急をつけんと」と山田太郎に言われてからこっそりと練習してきたドロップショットだった。

 山上は全力で球を追ったが、球威をふわりと止められた球には追いつけなかった。僕はふっと安堵の息をついて山上に背を向けた。次の瞬間、背後で石にひびが入るような嫌な音がした。どこかで聞いたことのある音だった。

 振り返ると、山上が肩で息をしながら呆然と自分のラケットを見ながら立っていた。音とその様子から、山上がラケットを叩きつけ、ラケットにひびが入ったことがすぐに分かった。山上はコート脇に準備してあった予備のラケットをゆっくりと取りに行った。

 その後の試合はやったようでやらなかったことといっしょのようなものだった。自分の行為に動揺した山上は動きも活力もなくなり、ポイント後に吠えることも少なくなった。セカンドセットはあっという間に僕が取り、6―4、6―2のスコアで僕は勝利した。

 試合後ネットを挟んで握手した後も山上は口数が少なく、どこかうつろな目をしていた。僕は山上に同情した。テニスをする者ならばラケットを傷つけることに罪悪感を全く持たない者はいないだろうし、公式試合ではペナルティーをとられることもある。五月にラケットを折ってしまったことを反省して、また山田太郎に勧められて名前をつけた自分のラケットに惚れ込んで以来、ラケットを叩きつけたり放り投げたりすることはきっぱりなくなっていたが、それでも発作にいらついたときはふとラケットに当たってしまおうとする自分がいて、自制しなければいけなくなる。

 自分にとって久しぶりの勝利とはいえ、どこか胸のすかない思いでベンチに座りテニスシューズの紐をほどき始めた。二十四戦八勝十六敗。少しずつ勝利は増えている。ランクも、代替わりから五つ上がった。十二年間テニスをしてきたというプライドを捨て、フォアを割り切り、バック主体のテニスにすることで、ハンデは大きいものの、吹っ切れてプレイすることができていた。

 しかしこのやり方には限度があった。発作の起こりにくいフォアハンドのスライスは面の繊細な感覚が大切なショットで、自分には限界がある。そしてパワーテニスが主流の現代の大学テニスにおいて、自由の利きやすいフォアで強打できないことは、大きなディスアドバンテージだった。

 胸のすかない理由はもう一つあった。それは、敗北した山上の気持ちが痛いほどわかることだった。よくスポーツは友情を育むだとか、勝敗関係なく称えあう姿がスポーツマンシップだなどと言うが(勿論それらがないとは言い切れないものの)現実はもっと泥臭くて、汚くて、きれいごとでは収まらないのが勝負だ。とりわけ部内のランクを決定するセレクションは、練習面のメンバー、部内での立ち位置など様々な現実に絡んでくるため、負けても爽やかに受け流すことなど不可能に等しい。特に山上は、僕のたった三つ上のランクという低順位に位置しながらも、人一倍努力をし、試合では声を張り上げて自らを鼓舞するタイプの選手だ。もちろん自分の努力がそれに勝ったからこその結果ではあったが、ラケットにひびを入れてしまってからの乱心としたプレイは見ているのが辛かった。テニスはやはり、少なくとも自分たちのレベルにおいては、楽しみより苦しみを多く与えるスポーツのように思えた。

 ベンチに座ってぼんやりとしていると、コート脇でセレクションを見ていた部員たちが何人か寄ってきて僕に祝福の言葉を述べた。僕は彼らと笑顔で話しながらも、表情が引きつっているのが自分でもわかってしまった。だから、他の部員たちが去ってから川島が自分に向かって歩いてくるのを見ると、妙にほっとした気持ちになった。

「お疲れさま」川島はいつも通りの優しそうな表情で言った。「途中からやりにくそうだったけど、しっかり自分のペースを維持してたね」

 僕は笑顔を落として、疲れを隠さず頷いた。一年生のランクが、山上、川島、僕の順番で並んでいたことを思い出し、山上の上に割り込みということは川島のランクも抜いたのか、ということに気づいた。しかし、僕も川島もそこには触れなかった。

「コンビニ行こうぜ」と川島が手をこすり合わせながら言った。

 急に周りの寒さと、自分の空腹に気づいた気がして、僕はちょっと待ってと言って慌てて財布と上着を取りに行った。



   九


 大学が冬休みに入ると、庭球部もクリスマスから一月の初週まで、一年で最も長い長期オフに入り、地方から来ている部員は大方この期間に帰省する。山田太郎も、久しぶりにうまいラーメンが食えると、年を越さないうちに早々と九州の実家へ帰って行った。都内に実家がある自分としては、同学年の半分ほどが部室から消えていくのは寂しくもあったが、テニスコートをいつもより自由に使えるということでもあったので、ありがたくフォア中心の練習をするために部室に通っていた。同じく実家が都内の川島がなぜか部室にあまり姿を見せなかったため、山上や他の同期と練習することが多くなったが、それはそれでいい気分転換となった。

 正月前後だけは練習もせずにゆっくりと休もうと思っていたものの、年末が来て、過ぎ去り、正月がのんびりと目の前を通りすぎ、三が日も二日目となったあたりですでに身体がうずうずとしだし、結局その日の午後には部室に向かっていた。

 しばらく室内にいたせいで、外気の鋭い冷たさが身に染みたが、太陽の光が澄んだ空気を通って自分の肌を暖める感覚に言いようもない悦びを感じた。部室に着くと、がらんとしたコートに陽光が降り注ぎ、コートの砂の一粒、一粒が引き締まってきらきらとした輝きを放っているように見えた。

 さすがに誰か部室にいるかと踏んで誰にも連絡せずに来てみたものの、予想外に部室には誰もおらず、仕方なしに一人で着替えてゆっくりとコートでアップを始めた。慎重にストレッチをすると、少しこわばっていた骨や関節がぽきぽきと柔らかい音を立ててほぐれていった。陽光も手伝って体温は少しずつ上昇していき、長袖のアップウェアを着たままボールかごの入ったカートを出し、サーブ練習を始めた。

 五分くらい打ち、アップウェアを脱げるくらいに身体が温まったところで、ちわーという声が入り口からして、野口先輩のひょろりとした姿が現れた。僕を見ると少し驚いた様子で「おまえだけ?」と聞き、僕がはい、と答えると「じゃあ少し相手して」と言って部室へ入っていった。

 野口先輩は二年生にして、部内ランク5番のレギュラーだ。高身長から放たれるサーブは球威球種ともに部内一、それに合わせ左利きのフォアは暴力的な威力を誇る。その荒々しいプレイと意外にも繊細なラケット面の感覚を活かした小技は、東大庭球部内では珍しいスタイルであるものの、僕自身はこっそりと好きでいた。団体戦などの応援も、好んで野口先輩のところに入っていた。

 僕は慌ててボールを拾い、ボールかごとカートをしまって、野口先輩を待った。鼓動が早くなり、手が汗ばんでいるのが自分でもわかった。

 野口先輩はさほど時間もかけず部室から着替えて出てきて、靴紐を結ぶと軽くアップをし、「ショートラリーからお願い」とそっけなく言った。

 上がすでに半袖の先輩は、細めの腕が外気に寒そうだったが、いざ動くと柔らかくしなり、球を正確にはじき飛ばした。野口先輩はひょろりとしていて筋肉のついている方には見えないが、体の使い方に無駄がなくどこか狩猟動物の動きを思わせた。例えば、クロヒョウのような。

 ショートラリーが終わりロングラリーになると、僕は野口先輩の動きに見惚れている場合ではなくなり、球を返すことに必死になって集中した。自分より強い人と打つと、相手の球威が強く、おのずと自分の返球の球威も上がるため、あたかも自分が上手くなったように感じるものだが、僕の場合は発作を抑え込むのに必死で球威の上昇を楽しむ余裕はなかった。

 フォアでスライス返球が可能な球はスライスで返し、深くて難しいものは発作を承知で、とりあえず面に当てることに集中する。バックで回り込める球は回り込む。

 レギュラーと初めてラリーをしているという事実が僕を緊張させ、何度もフォアの返球があらぬ方向に飛んでいくことがあったが、野口先輩は気にしていないかのようにさっさと次の球を出した。先輩も自分に合わせて球威を抑え、打ちやすい球を打ってくれているのがわかった。それでもその威力とスピードはケタ違いだった。

 ボレー、ストローク、スマッシュが一通り終わったところで、「一旦休憩」と先輩が言った。僕はすこしほっとした気持ちでベンチに座った。

 野口先輩が自動販売機からスポーツドリンクを二つ買ってきて、一つを僕の横に置いた。慌てて感謝の言葉を述べると、野口先輩は顔をそむけたまま「おう」と言ってベンチに腰かけた。

 僕はキャップを開けてスポーツドリンクを一口飲んだ。冷たい液体が身体に流れ込んで、気持ちよかった。

「フォアが硬直してるね」突然野口さんが切り出した。

「そうなんです」と僕はどもりそうになりながら答えた。「高校二年の時に突然なって、それ以来」

「その前から苦手だった?」

「得意ではありませんでした。ただ、その時よりさらに悪化してできたこともできなくなっている状況です」

「なるほどね」と野口さんは目も合わせず言った。そして、「多分、腕がとても緊張した状態のフォアを何度も強く脳に焼き付けてしまったことで、イップスが発生しているんだろうな。さらにそれを気にするあまり腕以外の部分に意識がいかなくなって、フットワークや体の使い方が雑になってより腕でだけで打つようになって、悪循環が起きている」

 僕は驚いて顔を上げた。その言葉を知っているのが意外だった。

「イップスはたいてい、精神的な問題とされて、だからこそ治療が難しいと言われているけど、焼き付けた印象を少しづつ塗り替えて行って、技術的なきっかけを見つければ治しようはあるかもしれないぜ」

 最後の一文だけ野口さんはこっちを見てくれて言った。目は真剣そのものだった。僕は「ありがとうございます」を言うので精一杯だった。

 その後、野口先輩と再びロングラリーをし、球出しでフォアハンドの練習もした。発作は相変わらず訪れたが、野口先輩の言葉で少し気持ちが楽になったことと、野口先輩の指摘する技術的な面に集中することで心の取り乱しが少なくなったことで、少しだけラケットを振る右腕が自由になった気がした。しばらく交互に打って疲れてくると、「サーブ練でもして上がるか」と先輩が言った。いつの間にか一月の陽はかなり傾いており、コートにも影が広がっていた。僕は同意し、ボールかごを取りに行きながら、脱いでいたアップウェアに腕を通した。

 夕陽の照らすコートを暗闇が少しずつ侵食していく中、僕と野口先輩はひたすらサーブを打った。ひょろりとした先輩の影法師はさらにひょろりと長く伸び、しかし、その本体が為す動きはどうしようもないほど暴力的で美しかった。

 

                                                                                   

   十


「…十三、十四、十五、…」

 僕はコートの向こう側から出される単調な球出しをひたすら打ち返していた。十球中八球ほどは、打つ直前に腕がピクリと硬直してコントロールを失くす。しかし集中するのは自分の身体の動きと、腕が自然に動いた残りの二球だ。苛立ちは自然と湧いてくるが、うっとうしい蚊のように、あるいはトレーニングの翌日の筋肉痛のように耐えて無視しなければいけない。足、肩、腕、足、肩、腕…。十球のうち力が抜けていた時の感覚を頭に焼き付けて、次はそれが三球になるようにその感覚を脳内で再生する。足、肩、腕、足、肩、腕…。

 自分の分の球を打ち終わり、ふと他のコートへ視線をやると、ふたつ隣のコートでは、四年生の引退後さらにランクを上げている山田太郎が準レギュラーの先輩たちと練習していた。笑いながら強烈なフォアハンドをこともなげに打つ彼を見て、僕は激しい妬みの感情を禁じえなかった。コートは入り口から奥に行くにつれて練習面のランクが下がっていく。僕の立っている一番奥のコートには冷たい風が吹き下ろしていた。地震研究所の研究棟が風の通り道を作っているのだ。曇天のせいで正午を二時間ほど過ぎても気温が上がる気配はない。ふと心配そうな川島の視線を感じて、僕は慌てて視線を自分のコートに戻し、残りの三人が打つ間球拾いに回った。

 練習は夕方に終わった。練習後、一時間ほどのダッシュトレーニングを終えるとすでに辺りは暗くなっていた。指や耳の先がつんと痛み、コートの片付けをする間ネックウォーマーを口のところまで引き上げた。

 僕がコート脇の扉の南京錠を閉めていると、川島が暗闇の中からやってきた。

「お疲れ」本当にいたわっていることが伝わるその言い方が僕は好きだった。「今日晩飯いっしょに食わない?太郎を含めた三人で」

「名案だね」僕は冬になってから鍵のかかりにくくなった南京錠と悪戦苦闘しながら答えた。ふと見上げると地震研究所の研究棟が暗闇の中で見下ろすように立っていて、なぜか少し憎らしかった。「場所は?」

「いつも通り、ピサール」インドカレー屋の名前を言って、川島が少しにやりとするのが暗闇でもわかった。ぼくもなぜかつられて笑ってしまった。人の良い、しかしどこかおかしいインド人店長を思い出してしまったからかもしれない。南京錠のかちり、という音を確認してから、僕らは着替えに部室へ向かった。


 いつも通りの店とは言え、夜のピサールは初めてだった。入ると、店長が少し驚いた顔をしながらも僕らにいつものソファ席をすすめ、おしぼりを取りに行った。外気で冷えていた僕らの身体には、暖かい店内がありがたかった。

「夜、学生セットない。だいじょうぶ?」

 山田太郎は幾分不満そうだったが、僕と川島はメニューをめくり、今日は少しお金を使ってもいいだろうとお互いを納得させてから、昼にはないチーズナンセットを頼んだ。山田太郎も同じものにした。

 僕たちは店長が運んできたお冷を飲みながら何を話すともなく座っていた。ナンを焼く甘い匂いが漂ってきた。

「そういえば、大森に告白したけど、ふられたけん」山田太郎が唐突に口火を切った。

 僕と川島は唐突な告白に慌てて顔を上げた。度々遊びに行っているという話を聞くのみだったので、てっきりこのまま付き合うのではないかと思っていたのだ。

「どういう感じだったの」川島が聞いた。

「先週、バレンタインの数日前かな、水族館にデートしに行って、その帰りやった。俺とは仲良くしたいけど、好かれるのが苦手だから付き合えんって言っとったけん、ほんとに女子はよくわからん」

 言いながら、まるでそれが全てを忘れさせてくれるお酒かのようにお冷をぐびぐびと飲み干した。暇そうにテレビを見ていた店長が律儀に水のお代わりを注ぎに来た。

「たしかによくわからないな」僕も同情した。内心では、大森さんなりの山田太郎への気遣いだったのだろうと思いつつ、口には出さなかった。「つらい時期だね」

「いや、もういいけん」彼は虚空をぎょろりと見つめながら独り言のように言った。「俺はテニスに集中する。来年にはレギュラーとって、団体戦に出る」

 店長がチーズナンセットの皿を三枚運んできて、会話が途切れた。皿には熱々のナンが山盛りに乗せられていて、香辛料のふんだんに入ったカレーボウルが添えられていた。ナンからは溢れんばかりのチーズが溶け出していた。

「スペシャルで大盛ね」店長が、店内にはほかにお客さんがいないにも関わらず小声で言い、下手なウインクをした。僕らは口々に感謝を述べ、チーズナンをカレーに浸して口に運んでいった。濃厚なチーズとスパイスの利いたカレーが混ざり合い身体を芯から温めていく。食べながら僕らはとてもお腹が空いていたということに気づいた。山田太郎も機嫌の悪さを忘れたかのようにしばらくナンを口に運ぶ作業に集中した。

 ナンをすべて食べ終わり、食後のチャイティーを飲み始めてからようやく僕らは会話を再開した。

「川島は、なにか今日話したいことがあるのかと思っていたんだけど、違う?」僕は満足そうにお腹をさする川島に、同じようにお腹をさすりながら聞いた。眠気が手を差し出しながらすぐそこまで来ているのを感じた。

 川島は少しためらう様子を見せた。「いや、テニスのことを話そうかと思ったんだけど…楽しく食事ができたから俺は満足だよ」

「空気読まなくてええから」山田太郎がぶっきらぼうに言った。

「そうか」川島が少し笑った。「いや、最近…ずっとだけど、特に最近、テニスが楽しくなくて。それで自分のテニスについて考えていて…博にセレクション申し込んでいいかな」

 山田太郎が驚いたような、呆れたような声を発した。

「おまえ、セレクションは調子悪い時に申し込むものじゃないやろ。でも、見る分には面白いけん、川島対博は楽しみや」

 僕も驚いていた。眠気が軽く飛んだ。川島とはずっとランクが近いものの今までセレクションを行うことはなかった。しかし、他の自分より下位ランクの部員にセレクションを申し込まれるのは、勝ってもランクは変わらず得がないため嫌なものの、川島に申し込まれるのは不思議と嫌に感じなかった。

「いいよ」と僕は答えた。 


 




   十一


 南風がコート脇の木々を揺らし、雲の切れ目から柔らかい光が漏れ出ていた。地震研究所の研究棟は相変わらずの仏頂面で、春休みで珍しく多いコート脇観戦者の部員たちとともに、僕と川島の試合を見守っていた。

 僕と川島の試合は序盤からお互いサービスゲームを渡さないキープ合戦で、拮抗した試合展開が続いた。川島のテニスは特に目立った武器はないが、これといった弱点もない。だから、僕としてはいかに自分の得意なバックハンドの展開に持っていくかがカギになる。一方で、川島は当然僕の作戦をわかっているため、極力僕のフォアハンド側にボールを集めてくる。お互い憎み合いっこなしの真剣勝負、と半分ふざけて試合前に約束した。お互いが、お互いの苦しみをわかっている。だから、この勝負は手を抜いてはいけなかった。

 ファーストセットはもつれ、5―5で自分のサービスゲームがまわってきた。通常一セットは六ゲームを先取したものが奪うが、5—5となった場合七ゲーム取った方の勝利となり、6―6になった場合は、七ポイント先取のタイブレークに突入する。とりあえず、この自分のサービスゲームは死守しなければいけない。

 サーブを打つ前に対面のコートを確認すると、川島の真剣な視線と自分の視線が一瞬、交わった。僕はうっすらとかいた額の汗を今一度拭い、鈍い光を帯びた小夜子の黒いなめらかなフレームを眺めて心を落ち着かせ、サーブモーションに入った。

 川島、おまえは、どうしてテニスを続けている。続けることは、辛い。きっと僕は純粋にテニスが楽しいと言うことはできないし、おまえもできないに違いない。それなのに、なぜ、このコートに立って、対峙して、勝敗を決しようとしているのだろう…

 このゲームを僕は落としてサービスブレイクを許した。続けて川島のサービスゲームはキープされ、僕はファーストセットを落とした。

 コート脇のベンチに座りながら、僕はぼんやりと同じ問いを繰り返していた。木々のざわめきも、コート脇の観戦者たちも、今日はあまり気にならなかった。山田太郎の声も聞こえた気がしたが、耳の奥まで届くことなくぼやけて消えた。水を口に含むと、その冷たさだけが確実に感じられる。僕と川島はいま二人だけの世界にいた。 

 セカンドセットに入った。僕のサービスゲームで始まる。ボールと、川島の動き、その二点に意識を集中することに決めた。他はすべて色あせて視界からフェイドアウトしていく。カメラが焦点を絞る時の様子に似ていた。

 自分の呼吸が聞こえる。

 川島の額の汗が見える。

 ボールの重みを感じる。


 フォアの力みはとれない。とれなくても良い。スライスで守れ。一歩でも早くバックに回り込め。食らいつけ、突き動かせ。汚くてもいい。

 僕はセカンドセットを6—4で取り、試合をイーブンに引き戻した。試合はファイナルセットにもつれ込んだ。

 

 お互いの疲労が見えるなか、ファイナルセットは両者が守りに徹して相手のミスを待つ泥臭い試合展開になった。僕もバックの強打やドロップショットのようなリスクの高いショットは避け、リスクが低く攻められにくいスライスでひたすらラリーをつなげた。セカンドセットの明瞭な集中力は薄れていたが、体力勝負に持ち込めば自分の方が有利とわかっていた。川島も途中からそれに気づき、僕が一度サービスブレイクをして4—2とした時点で一転して攻めるテニスに切り替えた。川島は見るからに足の動きが悪くなり、サービスの威力が落ちていたので、攻撃に転じるしか手がなかった。僕はそれに対して意地悪くボールをつなぎ、ラリーをながびかせ、川島のミスを待って誘った。フォアハンドはすべてスライスに徹した。

 川島のストレスは目に見えるようにたまっていき、ネット前に浮かんだゆるいチャンスボールをフォアで叩いてネットに突き刺したときはラケットを大きく振り上げた。思わず、僕は小さな声を上げた。それをすれば、ラケットだけじゃなくて色々なものを失うぞ、と言ってやりたかった。すると川島はその声が聞こえたかのようにぴたりととまり、こちらを見た。そして、ゆっくり息を吐くと、くるりと背を向けて歩き出した。

 その後の川島は吹っ切れたように攻めに転じ、防戦一方の僕を追い上げた。4―2、4―3、5―3、5―4、5―5…

 黄緑色のボールが、砂を被った人工芝の上で弾み、ポリエステルのガットに摩擦と推進力を加えられ、再び砂の上を飛んでいく。カーボンのラケットフレームがわずかにしなり、軋む。ガットがたわんでボールを押し戻す。僕の身体も走り、打つ度に骨が軋み、筋肉が硬直してはたわむ。そして川島の身体の軋みやしなりが、一筋の打球となって再び僕のもとへ戻ってくる。

 案外、孤独ではないのかもしれない、と僕は思った。

 試合は、タイブレークまで長引いた末に、僕のフォアで打ったスライスを川島が打ち損じてネットにかけ、終わった。スコアは4―6、6―4、7―6(3)だった。試合開始からちょうど三時間九分が過ぎていた。

 お互い疲労困憊した顔を合わせながら、僕と川島は何も言わずに握手をした。川島は僕の目を見るとただ頷いた。二人で、二人にしか見えない景色を見てきたのだ。

 気が付くと、コート脇の人々や、コートを吹く暖かい風、いつの間にか頂点を過ぎて下降を始めている太陽の光、全てが再び現実となり、目と耳が情報で溢れた。世界は雑多で、やかましく、明るかった。地震研究所の研究棟が落とす暗い影も、今日ばかりは、気にならなかった。






   十二

 

 川島が部活を辞めたのは桜もほとんど散り切った四月の中旬のことだった。

 同期の十八人は誰一人として事前に知らされておらず、アウェーでの全体対抗戦後、初めて来た大学の車道のアスファルトに全部員が円を作って座るなか、主将に促された川島が立ち上がり、口を開いた。その口から淡々と語られた言葉を僕は正確には記憶していない。僕は川島の、少し俯いた、苦しそうな顔を見つめることしかできなかった。謝罪のような言葉の羅列をわずかに耳が拾ったが受け付けなかった。山田太郎の方を見ると、あっけにとられたような顔で川島を見ていた。

 裏切り、という言葉が脳裏を一瞬よぎった。


 主将の言葉とともにミーティングが解散されると、同期の中から全員で飯を食いに行こうという言葉が上がり、僕たちとしては珍しく、全員が合意した。むしろ、川島だけがそんな必要はないと言い張ったが、誰も受け付けなかった。

「おまえが良くても、俺らが良くないんだよ」と誰かが言って、川島は苦しそうに笑い、黙った。そして、ふと、初めて僕や山田太郎と目を合わせると、顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。顔を覆って泣きながら、みんなごめん、ほんとうにごめん、ごめん、ごめん、ごめん、と何回も何回も謝った。山田太郎は仏頂面で黙ったままだったが、僕はつい、「辞めるときはいっしょに辞めるって言ったじゃんか」と言ってしまった。川島の嗚咽はいっそう激しくなり、何を言っているのかさえわからなくなった。


 川島のお別れ会は急遽予約を取り付けた小さな焼肉屋で行われた。二時間の食べ放題コースの間、同期の十八人各々が川島との思い出を語った。川島は部員の一人一人と仲が良かったため、話が途切れることはなかった。川島は、会の間何度も泣いた。普段涙を流さないような部員も、この日ばかりは涙を浮かべた。けれど僕は泣けなかった。焼き肉をたらふく食べ、部員と川島の思い出話に笑い、ふざけたように川島をなじった、けれど、心の中には、わだかまりが残っていた。


 会の後、全員で集合写真を撮り、それぞれが帰路についた。僕と山田太郎は帰る方面が同じだったが、川島は違う。最後に何か言おうかと迷いながら川島を見ていると、川島が突然、「部室に置いた荷物を回収しなきゃいけないからこっちから帰る」と他の部員に告げて僕たちの方にやってきた。他の部員たちは一人一人悲しそうに別れの言葉を述べ、帰っていった。残されたのは僕たち三人だけだった。

 「二人には、ちゃんと話しておかなきゃいけないと思ったんだ」川島が、涙の乾いた顔で言った。いつもの優しく落ち着いた川島に少し戻った気がした。

 「ちゃんと話すも何も、おまえはもう部員やないんやから、俺とは関係なくなるんや」山田太郎がつっけんどんに言った。「今まで楽しかったけん、ありがとう」

 「違うんだ」川島の顔が少し引きつった。「みんなに言うべきなのはわかっていたんだけど、言った後の顔を見たら、辞められなくなる気がして…。反応が怖かったんだ。俺、弱虫で臆病だから、部活辞めたらもう二人とも前みたいに会って、話すことができなくなるって考えると、直接伝えられなくて…本当にごめん」

 僕たちは電車に乗った。

 「いつごろから決めていたの?」僕は静かに聞いた。

 「博とセレクションをする前から、主将には伝えてあった。地質学の研究に興味があるって前から言っていただろ?テニスを辞めてそっちに専念しようと思って。ずいぶん前から考えていたんだ」

 僕は、ぼんやりと聞きながら、なんとなく、心のどこかで、わかっていたような気がした。それでも、僕は川島にいてほしかったのだ。自分の苦しみをわかってくれる人として。苦しみを分かち合える人として。

 「おまえ」山田太郎が虚空の一点を見つめて無表情で言った。「部活辞めて中途半端な勉強したら許さんからな。その道を進むって決めたなら、絶対やり通せ。ノーベル賞くらいとったら、許すけん」 

 「ノーベル賞はわからないけど、ありがとう」川島が笑って言った。

 電車は夜の東京を静かに走り、僕たち三人を運んでいく。 

 「次で、降りなきゃ」川島が言った。夜の窓ガラスに映った外を眺める彼の顔は、意外とさっぱりしているように見えた。その顔が少し笑って、歪んだ。「なんか、今日の俺みたいだな。俺は降りるけど、みんなはこのまま乗って行って俺は置いてきぼりになっちゃうんだ」

 「違う」僕はとっさに言った。「お前は別の車線に乗り換えて、別の場所に行くだけだろう。お互い目的地は違っても、進んでいることに変わりはない」

 窓に映る川島の顔は今度こそ決定的に歪んで、抑えられていた涙が溢れだした。その顔を見て、僕はここ数時間せき止められ、淀んでいたものが、一気にあふれだすのを感じた。窓ガラスに映る川島の顔も、夜の街も、ぼやけていった。山田太郎の肩が震えるのは、かろうじて見えた気がした。川島は僕たちと握手をすると、そのままドアを出て、四月の温かい夜に吸い込まれるように消えていった。


 翌朝、僕は農学部コートに立って春風になびくコート脇の木々を眺めていた。右手は小夜子のグリップを握り、左手はテニスボールの黄緑色のフェルトを優しく撫でていた。

 一晩考えた末に出した答えは、春の靄を突き抜ける一筋の陽光のように明晰で、その光を受けてきらめくコートの砂一粒一粒より確実なものだった。それは、川島が川島の道を選んだのならば、そして彼にしか見られない景色を見に行くのならば、自分はこの場所で、この道で行けるところまで行こうという決意だった。それが、疑いのない、一片の曇りもない僕の意思だった。そしていつか、お互い自分にしか見えないその景色を、相手に教えてやるのだ。これが、自分の選んだ道の末に見えた景色だったと。

 僕は小夜子を握り直し、光り輝く砂の庭に足を踏み出していった。



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