過去
「……すまなかった。私の名は蘭。鈴の姉だ」
「に、西原海斗です」
なるほど。鈴と蘭で鈴蘭か。
鈴に泣き付いて姉の威厳がガタ落ちした蘭は、しばらくすると我に返って唐突に自己紹介をかましてきた。とりあえずは会話が出来るまでには落ち着いてくれた事に安堵しつつこっちも自己紹介する。
さっきまでの高圧的な態度とは打って変わってガラリと変わり手を差し出して来た。だからつい警戒してしまうと蘭は慌てて謝罪する。
「さっきまでの態度は本当にすまない。その、我を忘れてしまっていた。すぐに理解しろとは言わないが今は敵意はない。それだけは理解してくれると嬉しい」
「はぁ……」
「さっきみたいな態度をご主人にとったら本当に嫌いになりますからね!!」
耳を垂れさせて反省の色を露わにしているのにさらに追い打ちをかける。
こうしてみるとどっちが姉でどっちが妹なんだか……。
蘭は顔を振って両頬を何度か叩くともう一度鈴に問いかけた。今度はさっきみたいな威圧は何もなしに。
「気を取り直そう。鈴、このにんげ――――西原海斗に過去を話す覚悟はあるのか?」
「……あります」
すると鈴はハッキリと答えてみせた。
先ほどの会話からみてかなり重い過去なのは間違いないだろう。だから俺も話を聞く為に覚悟を決める。蘭はこっちに向くと俺にも問いかけた。
「お前も、鈴の過去を聞く覚悟はあるんだな」
「ある。俺はどんな過去でも受け止める」
「分かった」
蘭は鈴を見つめると、少しだけ離れて鈴を前に出した。自分の口から話せという事だろう。きっと自分で話さないのは信頼の証にならないから。
じ~っと俺を見つめる鈴に「大丈夫」と短く声を掛けると、鈴は安心した表情になって口を開いた。だけど一番最初から重い話で。
「……私は、訪れる神様を労う館で《無能狐》と蔑まれていました」
「《無能狐》?」
「ざっくり言えば旅館を神様専用にした感じでしょうか。そこで働いていたんです。けど、当初の私は家事全般が不得意だった上に神様としての力も相当低く、周りから蔑まれる対象となっていました」
そう言われて思い出す。
鈴に初めて家事を任せた時の事を。あの時に鈴は狐火の数が強さの云々と言っていた。そして鈴は2,3個しか狐火を出現させられない。という事は鈴はかなり低い部類だったのだろうか。
「『狐火の数が神の威厳を表す』。狐神の中で何よりも有名な言葉です。私の様な小さい狐神は平均して7個当たりの狐火が当たり前なんですけど、私は最大3個までで、更に火力の調整も上手に出来ないので最底辺の威厳を持つ事になるんです」
「なるほど。座学1位の奴が最下位をいじめるみたいな物か」
「神様としての威厳が全くない私は狐神の中でも最底辺にいる事になります。故に周囲から向けられる嘲笑。誹謗中傷。それらを私は長い間受け止めていました」
「っ……!」
ふと奥歯を噛みしめる。何で鈴がそんな事をされなきゃいけない。だって鈴は凄い頑張り屋で、優しくて、生真面目で、勉強熱心で、他にもいい所なんか沢山あるのに。どうして鈴だけが……。
今になって思い出す。
あの時に鈴が差別って言葉に反応したのかこれだったのか。
「ですがある日、私は神界から追い出される……いえ、突き落とされる事になります」
「それがあの日って事か」
「はい」
俺の問いに頷く。
そう言う事だったのか。だからあの時、鈴は雪に埋まっていたのか。だから俺が優しく接してごはんまで食べさせてあげた時、あんなにも嬉しそうに泣いていたのか。
次々と明かされる鈴の過去に俺はひたすら受け入れては耐える。だってそんなのおかしいだろ。何で鈴の仲間は鈴の頑張りを見てやれないんだって心の底から思う。俺と会ってからだって精一杯日々努力していたのに。
鈴は止める事も無く話し続けた。
「神界には人間界との境界線があるんです。森の中だったり橋の下だったりと色々ありますけど……。あの日、私は薪拾いに森へ入って行ったんです。でもその最中で境界線の外まで押し出されてしまって、私はこの世界へ落とされました」
「だからあの時……」
「神界へ戻るのにも私はまだ力が弱くすぐには戻れなかったんです。だからもし神界へ戻るのならお姉ちゃんみたいに誰かが迎えに来てくれるしかなかった」
「で、今に至ると」
いつも笑顔が眩しい鈴にそんな過去があっただなんて思いもしなかった。予想すらも出来ない程の、壮絶な過去。
神界へ戻れない理由もそんな理由だったのか。
鈴が一番最初に残していた謎がたった今繋がった。
――だけど繋がった所で鈴の傷が癒えた訳じゃない。鈴は今も傷ついているはずだ。出来るのなら俺がその傷を癒してあげたい。
「鈴」
「はい?」
「お前さえ良ければ、ずっとここにいてもいいんだぞ」
「えっ……」
でも鈴は困惑していた。過去を聞いて俺が幻滅するとでも思っていたのか。
逆だ。幻滅するどころかもっと一緒にいたいと思えてしまった。鈴の傷を癒してあげたいから。心を休ませてあげたいから。
もちろんこんな事で完全に救われるだなんて思っちゃいない。ただ、鈴が選んでくれるなら、例え俺は無能と呼ばれた少女とでも一緒にいたい。
すると蘭へと視線を送る。
よく分からないけど空様っていうのは偉そうだし、多分絶対服従なんだろう。それに逆らう事がどれだけの罰となるのかは分からない。そうなったら鈴がどうなってしまうのかも分からない。
別れるしかないのだろうか。鈴は本当に救われないまま、神界へ戻るしか道は無いのか。
元々俺は神と人間は一緒にいるべきじゃないと思っていた。だけど今となってみればどうだ。あれだけ一緒にいる事を悩んでいたのに一緒にいたいと願ってしまうなんて。
蘭は指先を顎に当てて深く考える。その姿を鈴は不安そうな視線で見つめていた。
だけど急に分かりやす過ぎる芝居を始めて。
「あ~あ、長旅で疲れ過ぎてしまったな~。これでは目の前に彼女がいても“うっかり”見過ごしてしまうかもしれんなぁ~! 疲れも溜まって来たし残念だが戻るとしようか~!」
「…………!」
その口元には隠しきれないくらいの微笑みが浮かんでいた。やっぱり妹想いの優しいお姉ちゃんなんだ。
鈴は胸の前で手を握ると深々と頭を下げる。
「ありがとう、お姉ちゃん!!」
「なっ。だからうっかりだと言ってるだろ!」
「それでも!」
芝居だと分かっていても鈴はひたすらに頭を下げる。
蘭も蘭で自分の甘さに笑えたのだろうか、ふと苦笑いを浮かべていた。
でも最後に鈴へ忠告する。
「――しかし、神が人間に仕えるのはあってはならない事だ。見つかった場合はどうなるかを覚悟しておけ」
「はい」
「ちなみにだけど、見つかったらどうなるんだ?」
「……分からない。前例がないからな。ただ噂じゃ神としての資格を剥奪し姿を変えると言われている。私達狐神なら狐になるのがせめてもの救いだが、どんな姿になるかは分からない」
予想以上に重たい返答。
神の資格を剥奪し姿を変える……。聞いただけでもゾッとする話しだ。だってもし俺が神様だとしたら資格を剥奪されて何かも分からない姿に変えられるのかも分からないのだから。
鈴はそんな重たい罰があるのも承知で頷く。
「もし見つかってしまった時、私は、どんな罰でも受けれます」
「そうか」
短く答える。蘭も色々考えはあったはずだ。自分の愛する妹がそんなリスクを背負ってまで人間に仕える事を選んだんだから。
と思っていたら蘭は急に俺の手首を掴んで外へ連れて行く。
「西原海斗。お前にも話がある」
「えっ、俺?」
そうして蘭は外へと引きずり出した。
マンションの裏にまで移動して人目が付かなくなると両手で壁ドンして退路を失くす。顔を近づけて睨みつけながらも話し始めた。
「……これは鈴も知らない話だ」
「鈴も知らないって、どういう……?」
「本人も自覚してない。というよりは知らないんだ。自分の真実に」
またもや重たそうな話の予感。俺はゴクンと喉を鳴らすと蘭から放たれた言葉を聞き入れる。鈴も知らない自分自身の真実を――――。
だけどあまりにも衝撃的で。
「鈴は本物の神じゃない。死んだ狐から成り上がった偽の神なんだ」
「偽の神?」
「ああ。鈴の元の姿は現代に生きる狐その物。死んでから魂が自身の想いによって神へと成り上がり、神界へ到達した。力が弱いのも本物の神じゃないからなんだ」
「ちょっ、ちょっと待って! 何で狐の魂が神になるんだ!?」
「霊は想いによって生かされている。それはお前も知ってるだろ」
いきなり過ぎる言葉に脳が理解できなかった。
確かに霊は意思や想いに生かされていると鈴から教わった。だけどそれとこれがどう結びつくんだ。
「だが霊があまりにも強い意思を抱いた時、真意となって自分自身に影響を与えるんだ。この世に存在する大型の霊は大体それが原因で生まれる」
「って事は、鈴も?」
「死後、自分で願ったんだ。このまま成仏するのは嫌だって。その真意が自分の魂の構造を作り変えて神へと成り上がらせた。……前例もない出来事だからどういう仕組かはわからない。だが普通の魂から神へと成り上がった事だけは確かなんだ」
またもや明かされた鈴の過去。さっきの話も十分にインパクトがあった。でもこっちもこっちで中々のインパクトがあってよろけそうになってしまいそうになる。
ふと勝手に口が動く。
「どうやってそれを知ったんだ?」
「鈴が成り上がった直後、雪に埋もれていた。それを私が助けて魂の構造を調べたんだ。それで鈴がどういう存在なのかが分かった。……しかし目覚めた後、鈴は自分の事を覚えてはいなかったんだ。だから狐神だった事もあって私の妹として暮らす事にさせた」
「そんな……」
ひたすらに絶句するしかなかった。
いじめられていた過去だけでも凄かったのにそんな過去があるだなんて。さっきまでの意気込みも完全に消え失せて沈黙する。
そんな俺に蘭は言った。
俺の印象じゃ絶対に言わなさそうな事を。
「だが、私は信じてる。お前が鈴の全てを受け入れてくれる人間だと言う事を」
「……当たり前だ」
「神界じゃ作り笑いしかしなかった鈴が普通に笑ってたんだ。だから信じさせてくれ」