初めまして!
「えっと、名前を教えてもらってもいいか……?」
「はいっ!」
その日。道端で拾った獣少女を一時的に保護した俺は、とりあえず会話を出来るように体をあっためていた。俺の問いに毛布に包まり久しぶりに出したストーブの前に居座る少女は元気な声で答える。
「私の名前は鈴と言います。一応、狐の神様です」
「狐の神様、ねえ」
一応言葉は通じるんだな。
脳裏でそう思いつつ少女――鈴の姿を見た。長く尖ったような耳。柔らかくフワフワしてそうな尻尾。さらには小柄な身体なのに床に付く程長い、稲穂色の美しく真っ直ぐな髪。そして半袖の巫女服。これだけ見て『狐の神様』と言われれば確かにそう見える。
ん?
……今、気になる事を言ったような。
「ん、一応?」
「はい。一応」
どうして“一応神様”なんて曖昧な言葉を選んだのだろう。神なら神であると断言すればいいのだし、それだと妙な誤解を生んでしまうかもしれない。そこがどうしても気になって思わず尋ねようとしたのだが、それよりも早く鈴が喋り出した。
「……詳しい事は聞かないでくれると、ありがたいです」
「あ……ああ」
その言葉に何度か頷く。
何か事情があっての事だというのは十分わかった。それを話したくないって事は、少なくとも嫌な思い出だという事も何となく察せる。
そして次の質問だ。これはさっきからずっと気になり、ずっと知りたかった事。
「次の質問。鈴はどっから来たんだ?」
この世界にケモ耳が生えた人間なんかいない。そんな人がいたらすぐにニュースとかで取り上げられるだろうし、大問題になってしまう。だから彼女がどこから来た何者なのかが知りたい。答えてくれるかも怪しい質問だったけど鈴はなんの惜し気もなく話し始める。
「はい。――シンカイという所からです」
「深海?」
「あ、いえ。深い海ではなく神の世界の方です」
その言葉のイントネーションだけでどういう所かはあらかた分かってしまう。神がたくさん集まってなんやらかんやらやっている世界の事なのだろうか。そんな俺の予想は見事に命中する。
「簡単に言うと、色んな神様が集まる世界ですね。風景とかはちょっとお江戸みたいな感じですけど、暮らしそのものはここと対して変わらないんですよ」
「神様が集まる世界……」
なら、鈴もそこにいたという事だろうか。いったいどういった経緯でこの世界に来て雪の山に埋まっていたのかは分からないけれど。
何はともあれ、この世界に来て俺と出会ったのだけは確かなのだ。
できれば次の質問で最後にしたい所。そう思いつつまた鈴に質問した。
「次。鈴は帰れそうなのか?」
「…………」
すると鈴は何も答えずに軽く俯いた。
これは何やら面倒事になりそうだ、と直感でそう思う。これらの反応から見て、向こうの神界とやらで何かあったのだと見てよさそうだ。それもかなり暗い雰囲気の。
これ以上は答えないと思ったのだけど口を開いた鈴は淡々と語り続けた。
「現状は、帰れそうにないです。私には神界へ行ける力がありませんから」
呟くようにそう答える。鈴の表情は変わらず暗いままで、その背景にはとてつもなく重いものが伸し掛かっているように感じた。身体を包む布を握る手には力が入り、その悔しさが表情に浮かんでいる。
出来れば何とかしてあげたい所だけれど――鈴が言う通り、本当に神様なのだとしたら、それは人である俺に解決出来るものなのだろうか。
「その神界に行けない理由ってのも、聞いていいか」
聞くと鈴の耳は垂れ下がりゆっくり振っていた尻尾も力なく床に触れさせていた。流石に無遠慮だったか、と思ったが鈴はそれにも答える。
「簡単な話です。入場券を失くせば入れなくなる。それと同じでしょうか」
「入場券って……」
つまり鈴は神界に戻る為の力を“失くした”と言いたいのだろうか。アニメとかラノベだと特定の誰かから不意に奪われたーとかいう展開が多そうだけど実際どうなのだろう。
まだまだ気になる事もあるし、知りたい事も山ほどある。だから次の質問を重ねようとしたのだけれど―――。
「っ…………」
その前に鈴の腹が大きく鳴った。
流石に失礼と思ったのだろうか。さらに丸まって音が聞こえないように工夫する。けど、もう既に空腹を伝える音は俺に聞こえてしまっている訳で。
「ちょっと待ってな」
そう言って立ち上がる。向かうはキッチン、手に取るは沢庵。確かごはんは冷蔵庫で冷やしていたものがあった気が。軽く気休め程度ではあるが冷えたごはんを電子レンジで温め、ある程度温かくなった所で鈴の目の前に置いた。
ついでに沢庵をごはんの上に置いて。
「ほいっと。おかずが沢庵しかないのは勘弁してくれ」
ついでにお気に入りのオレンジジュースも提供する。一応酒は飲める歳だけれども、残念ながら一度も酒を嗜んだ事はない。
目の前に出された食べ物に初めて見たかのような反応をする鈴。
何度も俺とごはんに視界を行き来させては何かを喋ろうとして、口をパクパクさせている。
その様子に耐えかねた俺は横に移動して代わりに箸を握っては沢庵乗りのごはんを鈴の口の中にえいやと突っ込んだ。
「えいや」
「むぐっ」
いきなりの事に反応出来なかったようだけれど少し経つと顎を動かして噛み始める。神様に人の食べ物を与えちゃいけません、なんてルールとかないよな、などとひやひやしつつも鈴の反応を待つ。随分と味わいながら噛んでいるようで、そしてなぜか次第に目を丸くしていく。
更には急に俯いて俺に表情を一切見せないようにする。そこから追い打ちと言わんばかりに鈴の頬を涙が伝い、床に落ちて小さなシミを作った。
「えっ、ええっ!?」
やっぱり神様という神々しい存在に人の食べ物を与えるべきではなかったのか――なんて本気で思ってしまう中、ようやく呑み込んだ鈴は口を開いた。
「お――」
「お……!?」
その続きをハラハラしながら待つ。
少しづつ顔を上げ、輝きつつも温もりに満ちた涙目を俺に見せると、その言葉を言った。
「おいしい、です……」
「…………」
正直、こういう時どんな事を言えばいいのか分からなくて迷った。こんな状況初めて陥ったのだし。けど、こうしなければいけないという事は直ぐに分かる。
俺は鈴の頭に手を置いて優しく撫でた。
鈴が子供のような雰囲気を纏っていたというのもあるけど、それ以上に俺の第六感がそうするべきだと悟らせた。
すると鈴の嗚咽はより一層強くなっていき頬を流れる涙の量も増えていく。
きっと色々な事があったのだろう。今この場で俺には話せないけれど、それほどに思いつめられる事が。どんな事なのか、俺には想像しか出来ない。けど小刻みに震える背中がその壮絶さを密かにそう物語っている。
だから俺は、これからどうするかも考えていないのにこう言った。
「……ここに泊まるか?」
そう言うと少しだけ体の震えを止まらせた後、ゆっくりと頷いた。
それからずっと、鈴が泣き止むまで俺は鈴の頭を撫で続けた。文字通り、泣き止むまで。ずっと。ずっと―――――。