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第7回 『ホーキーベカコン』

 入学して一週間目、主要科目の実力テストが実施された。

 放課後、僕はふらふらになって『一流の漫画読み部』の部室に向かった。早く漫画を浴びるほど読んで癒やされたかった。

 部室には咲夜の姿があった。折り目正しい姿勢でソファに腰掛け、なにか本を読んでいる。いつもの通り漫画だろう、と思ってよくよく見てみると、なんと小説だった。谷崎潤一郎、という作者名が見えたのだ。


「塚本くん、いらっしゃい」


 咲夜は本を置いて言う。


「なんだか顔色が悪いわね」


「ああ、うん、実力テストがもうぼろぼろで……」


「新学年でとりあえず生徒の学力を大雑把に把握するためのテストでしょう? 成績には関係しないんだから気に病むこともないでしょうに」


「いや、それはそうなんだけどね」


 我が校は、実は都内有数の進学校である。受験で無理をして、幸運もからんで滑り込んでしまった僕は、さっそく授業のレベルについていけずに苦労していた。身の丈に合った高校を選んでおけばよかったと後悔しきり。


「咲夜も燈子もミュウも1組なんだっけ?」


「そうよ。全員クラスメイト。塚本くんは、ええと、6組だったっけ?」


「はい……」


 我が校のクラス分けは成績順である。僕は8クラスあるうちの下から三番目だ。学年トップクラスの連中と一緒に、放課後を漫画漬けの部活に費やしていたら、この先ひょっとして留年まであり得るのではないか。


「どの教科が苦手なの?」


「どの、って、全部だめだめだったけど……とくに国語かな」


「国語ができない理由が理解できないのだけれど……漢字の書き取りと古文くらいしか不正解する余地がないわよね」


 国語ができるやつってよくこういうこと言うよな……。


「塚本くん、漫画ばかり読んでいてはだめよ」


 うおおおおおおおおお世界中のだれよりもおまえに言われたくねえええええええええ!


「おまえには言われたくないって顔をしているわね」


「そりゃあね!」


「わたしもこう見えても読書家なのよ。文字だけの本も漫画百冊につき一冊くらいの割合で読んでいるわ」


 具体的に年何冊くらいなんだ? と訊こうとしたが、なんだか怖くて質問を呑み込んだ。代わりに正直な心境を吐露する。


「いや、あの、こんなこと言うと馬鹿なのかと思われるかもしれないけど、小説って読むのつらくない? 最近のやつ、ラノベとかはまあ読みやすいんだけど、昔のやつはいくら名作とか言われてても、文章硬いしキャラの考えてることもよくわからないし」


 言っててほんとうに馬鹿みたいだと思ったので言葉の最後の方は細って消え入ってしまった。上目遣いで咲夜の様子をうかがう。


「塚本くん、あなたね、まったくもう……」


 咲夜はあきれたように深いため息をついた。


「……わかるわ」


「わかるのかよ! じゃあ今のあきれた感じの溜めはなんなんだよっ?」


「とくに古典とか海外文学とかはね、心の底から面白いと思っている人なんてほとんどいないでしょうね。大概の人は『読み切った自分がすごい』アピールのために感動ポーズをしているだけよ」


「え、い、いや、うん、まあ」


 言い切ってしまって大丈夫なんですか? あちこちに喧嘩を売ってませんか?


「漫画の方が何万倍も面白いわ。でも大丈夫、だいたいの有名な文学作品は漫画になっているもの。わたしたちは素直に漫画で楽しめばいいのよ」


「だいたいの……? そうかなあ?」


「吉川英治の『宮本武蔵』よりも『バガボンド』の方が面白いでしょう」


「う、うん、まあ」


「南條範夫の『駿河城御前試合』よりも『シグルイ』の方が面白かったし」


「そ、それは……あれってだいぶアレンジされてたし」


「司馬遼太郎の『燃えよ剣』と『竜馬がゆく』よりも『銀魂』の方がはるかに面白いし」


「それはもう全然ちがう!」


「黒岩重吾の『聖徳太子』よりも『ギャグマンガ日和』の方が」


「徹頭徹尾なにもかもちがうッ!」


「こんなふうに文学作品は全部漫画で楽しめるの。現代に生まれたことを感謝したいわ」


「全部ってことはないだろ。海外のとかは全然ないだろうし……あ、あの、『漫画で読破』シリーズじゃなくて、ちゃんと漫画家の個性とかアレンジが入ってるやつだよ? そういうのがあるなら読みたいけどさ」


「じゃあためしに塚本くんが読もうとして挫折した文学作品を挙げてみて。わたしが漫画になっているやつを教えてあげるから」


 なんかすごいこと言い出したぞ?


「……じゃあドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』」


「『BASTARD!!』ね」


「なんでッ?」


「『カラマーゾフの兄弟』では四兄弟のうち私生児のスメルジャコフが父親を殺害するでしょう。同じように『BASTARD!!』では四天王のうち拾った子供であるカル=スが父親であるダーク・シュナイダーを殺害しようとするわ。完全に一致ね」


「四天王は全員殺そうとしますけどッ?」

 他にも色々と言いたいが!


「他に挙げてみて?」


「じゃあスタンダールの『赤と黒』」


「それも『BASTARD!!』ね」


「だからなんでッ?」


「キリスト教が出てくるところとか主人公が恋人がありながら浮気しまくるところとか死刑宣告されるところとか完全に一致ね」


「アンスラサクスに死刑宣告されたのは人類全員だよ、ダーク・シュナイダーだけじゃなくて!」

 他にも色々と言いたいが!


「ほら、他にもどんどん挙げてみて」


 だめだ、神とか悪魔とか血なまぐさい要素とかエロい要素とかが一つでも入ってたらなんでも『BASTARD!!』にされてしまう。ここは慎重に選ばなければ。


「……プルーストの『失われた時を求めて』」


「やっぱり『BASTARD!!』ね」


「執筆期間が長すぎて未完なところとか一部が同人で出版されたところしか一致してねえだろうがッ!」


「わかってるじゃない。さすが我が部の部員ね」


 入部してからはじめて褒められたのがこれとか哀しすぎる。


「そんなわけで、漫画で読めばいいのよ。これも漫画の方がずっと良かったわ」


 そう言って咲夜は手元の本に目をやった。

 谷崎潤一郎の『春琴抄』。


「塚本くんは谷崎潤一郎は読んだことある?」


「……ううん、『痴人の愛』だけは……なんか現代のヒロイン像に通じるものがあるからとか言われて読んだんだけど」


「どうだった?」


「いや全然。ヒロインがとくに可愛いと思えないんで、なんで主人公がはまって破滅してくのかよくわからなかった」


「正直でいいじゃない」と咲夜はくすくす笑った。「『春琴抄』を読めばたぶん塚本くんはだいたい似たようなことを感じるでしょうね。絶世の美女とされている春琴ちゃんもとくに可愛いと思わないし。そもそも登場人物を魅力的に見せる技法なんてものがここ数十年で意識されて開発されたものだからしょうがないわよね。白黒映画に色がついていないと怒ってもしかたないのと同じこと。ただ、色がついていないのは事実だから事実として認めないと」


「……はあ」


「それ以前に『春琴抄』は文章がもう読みづらくてしょうがないし。ただ、内容そのものは抜群に面白いわ。数え切れないほど舞台化・映像化されているのもうなずける。とにかく、アレンジ欲を刺激されまくる小説なのよ。その中でも決定版がこれよ!」


 咲夜は満を持して、といった手つきで三冊の漫画単行本をテーブルに並べた。

『ホーキーベカコン』。


「……このタイトルなに?」


「作中に出てくる鶯の鳴き声よ。特別な餌を与えて丹念に育てた末に引き出せる至上の美声、と説明されているわね。この鶯の育成が作中を通して主人公二人の境遇と重ね合わせられているのだけれど、原作だとわりとさらっと流されているのよね」


 そう言って咲夜は『春琴抄』を漫画三冊に並べて置いた。


「この点に限らず、谷崎潤一郎がさらっと書いた要素をかなり掘り下げたり拡大解釈したり順番を組み替えたりして、最終的にはミステリの読後感にも似たカタルシスがあるわ。でもやっぱりなんといっても春琴ちゃんの可愛さよね! このお話は幼くして失明した箏の名手・鵙屋春琴の生涯を追うのだけれど、この春琴ちゃんがとにかくわがままで性格が悪くて攻撃的で乱暴なので、絶世の美女でないと話を読み進められないのよ。その点、笹倉綾人の描く春琴ちゃんは完璧よ。殴られて罵られて性的絶頂に達してしまう佐助の気持ちが女のわたしでも理解できそうなくらいよ」


「は、はあ……」


 そんなやべーお話なの? いや、『痴人の愛』もだいぶアレでしたけど?


「とくにその美しさが頂点に達するのが第2巻ラスト。手込めにしようと襲ってきたお公家のおっさんを春琴ちゃんが絞め殺して踏みつけるシーンは圧巻よ。あーもう最高! 佐助じゃなくてもこれは美の完成だと言いたくなるわ」


 えええええええそんなにやべー話なの?


「3巻の展開は精神的にものすごくきつくて読むのがつらいのだけれどこの表紙のゴシック和服とでも言うべきデザインがまた最高よね!」


「……う、うん。絵はすごくいいと思う」


「それに、『春琴抄』は漫画という媒体がベストなのよ。舞台も映画もこの物語にはまったく向いていないと思うわ」


「え、なんで?」


「箏が題材だからよ。作中で出てくる音楽がすべて和楽よ? 舞台化や映画化となったら演奏シーンでほんとうに箏の演奏を流さないわけにはいかないでしょう? 美の極致みたいな描写がされている重要シーンばかりなのよ。ところがわたしたち現代人のほとんどは伝統的な箏の演奏の良さなんてさっぱりわからないわけだから、気分が盛り上がらないでしょう」


「え、そ、そう……? そんなに言い切っちゃっていいの……?」


「じゃあためしに聴いてみなさい」


 咲夜はスマホを取り出してYouTubeで『残月』という曲を再生した。


「どう? 正直に言いなさい。教養ぶってわかるふりをしないで、ありのままに感じることを素直に」

 僕はがっくりうなだれた。


「……すみません。……良さはさっぱりわかりません……退屈なだけで……」


「ほらみなさい」と咲夜はスマホをしまった。「その点、『ホーキーベカコン』は漫画だから、読者が受け取るのは視覚情報のみ。聴覚に関しては頭が勝手に『ものすごい感動ものの音楽』を補完再生してくれるわ。これぞ演出の力よね」


 ああ、うん、音楽ものの漫画を読んでていつも感じることだ……。


「そんなわけで現代に生きるわたしたちは『ホーキーベカコン』のおかげで『春琴抄』を最大出力で楽しめるということよ。どう、読みたくなってきたでしょう?」


「うん。絵も好みだし、巻数も少ないから今から読むよ」


 ところが、漫画の方に伸ばした僕の手を、咲夜はぴしゃりと叩いた。


「待ちなさい。『ホーキーベカコン』をちゃんと楽しむためには『春琴抄』とそれから谷崎潤一郎が訳した『グリーブ家のバーバラ』を読んでいる必要があるのよ。なにを最初から楽しようとしているわけ?」


「えええ……」


「漫画ばかり読んでいてはだめよ!」


 ぐうの音も出なかったが、しかし、心底思う。おまえだけには言われたくない!

『ホーキーベカコン』

https://www.amazon.co.jp/dp/B07NYP18VJ/

ここでひとまず一区切りです。

続き思いついたらまた書きます。

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