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第1回 『堕天作戦』

 趣味は? と訊かれて、漫画です、と堂々と答えられる人間になりたかった。

 なんで映画や読書だと立派な趣味っぽく聞こえるのに漫画は胸を張って言うのがためらわれるのかわからない。世の中おかしい。激しく抗議したい。……といっても実際に漫画が趣味だと宣言した経験があるわけでもなく、立派な趣味に見えないというのは他でもない僕自身の偏見だった。

 偏見を意識せず、思う存分漫画について語り合える仲間がほしい。そんな思いを胸に秘めて高校に入った僕は、部活案内冊子を穴が開くほど精読し、欣喜雀躍した。名前に『漫画』が入っている部が二つあったのだ。一つ目は『漫画研究部』。これは紹介記事に明らかに部員の手描きのそこそこうまい女の子の絵がついているので間違いなく漫画を《描く》部だ。読むのが専門の僕には用がない(向こうも僕に用はないだろう)。二つ目は『一流の漫画読み部』。一流という謎の単語が入っているところが気にかかったが、こちらはきっと読み専の集いにちがいない。

 入学式の翌日放課後、僕は意気込んで文化系部室棟に向かった。

『一流の漫画読み部』の部室は一階の端にあった。

 その手前三つのドアにプレートがないどころか黒い布テープでぎっちり目張りされて開かないようにされているところが不安を誘った。『一流の漫画読み部』と見事な草書体で彫られた大きな欅材の看板が僕を出迎え、さらにもやもやを増長させる。

 勇気を出してノックしてみた。


「……どうぞ?」


 中から女の子の声が聞こえた。

 ノブを引いてみる。

 中は想像以上の有様だった。ちょうど教室一つ分ほどの広さで、壁のほとんど全面が本棚に覆われ、色とりどりの背表紙でびっしりと埋め尽くされている。ぱっと見回した感じ、すべて漫画の単行本だ。手近な棚を確認するだけでも『史上最強の弟子ケンイチ』『静かなるドン』『シスター・プリンセスRePure』と見事に統一感がない。……いや、たぶんこれ五十音順に整理されてるんだな。


「どなた?」


 声がして、漫画棚に目を奪われた僕の意識はそちらに引っぱり戻された。

 部屋の中央に、飾り気のない部室棟にはまったく似つかわしくない重厚な皮のソファがふたつ、ガラステーブルを挟んで置かれ、その片側に女子生徒が一人腰掛けていた。

 彼女を一目見ると、今度はまわりを取り囲む何千冊もの漫画のことが頭から吹っ飛んで消えた。言葉がしばらく出てこないくらい印象的な娘だった。シルクみたいなアッシュブロンドに深緑の瞳。匂い立つノーブルな雰囲気と、手にした『週刊漫画ゴラク』とがグロテスクなほど似合っていない。


「……なにかご用?」


「え、あっ、あの」

 僕はあわてふためき、視線を無駄にさまよわせ、それから握りしめていた部活案内冊子を持ち上げて言った。

「これに載ってたから」


「ああ、入部希望?」

 彼女は面白くなさそうに言った。

「この春に新設の部だから新入部員は歓迎しなくもないけれど」


 新設部? それですでにこの蔵書? と僕はもう一度室内を見回し、とんでもないことに遅まきながら気づく。この部室、明らかに広すぎる。廊下側から見たときの扉の並ぶ間隔で推測できる部屋の横幅のゆうに四倍はある。おそらく壁をぶち抜いて四部屋をつなげてあるのだ。だから隣三つのドアがふさがれていたのだ。

 しかも、あらためて彼女の制服の襟を見ると、クラス章が僕と同じ一年生の色だった。

 新入生? それで新設部で、このとんでもない部室?

 疑問でいっぱいになった僕に彼女はさらに言葉を浴びせてくる。


「うちがどういう活動をしているか理解して来たわけ?」


「ええと……漫画を、読む――部活だよね?」


「ただ読むだけではないわ」


 彼女は漫画ゴラクをテーブルに置くと、立ち上がって長い金髪を払い、芝居がかったしぐさで両腕を広げて部屋の全面を埋め尽くす漫画を示した。


「我が部が求めるのは一流! 漫画読みとして一流を目指す者だけよ!」


 廊下の外で感じていたそこはかとない不安が、ひたひたと形をとりつつあるのを僕は感じていた。


「……一流の漫画読みってなに?」


 描く方なら一流も二流も三流もいるだろうけれど、読む方はただ読むだけじゃないのか。


「そんなことも考えずにこれまで漫画を読んできたの?」と彼女は眉を寄せる。「漫画読みには一流から八流まであるの」


 一流よりもっと気になる単語が登場してしまったので僕はおそるおそる訊ねる。


「……八流の漫画読みってどんなの?」


「『俺って漫画は全然読まないんだけど浅野いにおだけは例外だよね』などとうそぶくファッション漫画読みが八流よ」


 なんかいかにもいそうな気はするけど一度も見たことないのが出てきた……。


「じゃあ七流は」


「コロコロと間違ってボンボンを買ってくるお母さんが七流」


「さっきのやつおかんより下なのかよっ?」

 ていうかおかんは漫画読んでなくない?


「それであなたがどの程度の漫画読みかというのが問題なのだけれど」


 そう言って彼女は僕をじっと見つめてくる。どう考えても好意的な視線ではないのに、どきどきしてしまう。

 しかし、この部活、あまりにも面倒くさそうだぞ。他に部員がいるのかどうかわからないけれど、とりあえず目の前のこの女だけで十分に厄介だ。やめておくか。いやしかし、頭の中身としゃべっている内容はさておいて、こんなゴージャスな女の子と同じ部室で毎日の放課後を過ごせるなんて望むべくもない高校生活ではないだろうか?


「ああそう、自己紹介がまだだったわね。わたしは1年1組の渕ヶ森咲夜。この『一流の漫画読み部』の創設者で部長よ。あなたは?」


「あ、1年6組の塚本弘夢です」


 反射的に敬語で答えてしまう。しかし、やっぱり同じ一年生だったのだ。それで創設者? どういうことなんだろう。


「……なんで新入生がいきなり部活作れるの?」


「ああ、それはね、わたしのお父さまがここの理事長だから」


 問答無用の金持ちパワーだった!


「お父さまも漫画好きだし、高校で漫画の魅力を語らう場がほしいって言ったら部屋と蔵書を用意してくださったの。入学と同時にすぐに部活を創れるように」


「……僕の親父も漫画好きだったけど、これはちょっと桁がちがうな……」


 あきれた僕はあらためて周囲の書架を見回す。


「あら、あなたのお父さまも?」


「うん。それで親父の持ってる漫画ばっかり読んでたら、まわりの同年代と趣味が全然合わなくなっちゃって……だから話の合う人が高校で見つけられればなって思ってたんだけど」


 咲夜が獲物を見つけたときの狩人の笑みを浮かべる。


「ふうん? どんなのを読んでいたの?」


「『寄生獣』とか『蒼天航路』とか『もやしもん』とか好きだったかな」


「ああ、講談社ご挨拶系ね」


「……なにそれ」

 ごあいさつけい?


「知らないの? 漫画読みとしては不勉強ね。講談社の週刊漫画誌『モーニング』と、その増刊から派生した系列誌『アフタヌーン』『イブニング』およびそれらの兄弟誌をまとめてこう呼ぶのよ。かつては講談社時刻系と呼ばれていたけれど『good!アフタヌーン』の創刊に伴ってご挨拶系という呼び方で定着したわ。各誌でカラーはちがえど強烈な作家性と幅広い大衆性を両立させる手腕で読み応えのあるヒットを連発し各所の漫画ランキングに頻繁に名を連ねるため漫画読み界ではひとつのカテゴリー名として通用しているのよ」


「知らなかった……漫画読み界? えっと、いつ頃から普及してるの、その用語」


「一昨年わたしが造ったわ」


「おまえかよ! 知らないわけだよ! ていうかそれ普及してないよねっ?」


「好きな漫画を訊かれて講談社ご挨拶系ばかりがずらずら出てくるようでは一流の漫画読みにはなれないわね」


「なんで?」

 いやべつになりたくはないですけれど?


「さっきも言った通りランキングの常連だからよ。『このマンガがすごい!』とか『マンガ大賞』とかだけを参考に読むものを決めている五流の漫画読みだと思われたくないでしょう」


「思われてもべつにいいけど……気にしたこともないし……ランキングきらいなの?」


 咲夜は悔しげに握りこぶしを固めて声を震わせる。


「推していた漫画がランキング入りして一晩でメジャーになってしまったときほど腹立たしい瞬間はないわ……」


「推してたんなら喜べよ……」


「ランキングに影響されて読み始めたと思われるじゃない! 漫画読みとしての格式が下がってしまうわ! この慧眼なわたしひとりがその漫画の良さを理解して応援している――という事実が大切なのよ!」


 事実だったらその漫画は世に出てないんじゃ?


「最近だとショックだった例は『天国大魔境』ね……」


 咲夜は青ざめて額に手をやる。


「メイド女子高生目当てで『それでも町は廻っている』から石黒正数を読み始めた軽薄な読者はどうせ全員脱落するだろうからわたしのような『外天楼』方面の石黒正数が好きな一流の精鋭しか推さないだろうと思っていたのに『このマンガがすごい!』1位って! いったいなんなのよ、ほんとにもうこれだから講談社ご挨拶系は! 絶対にゆるせない! わたしの石黒正数を返して!」


「おまえのじゃないだろ」


 つっこみながら、これはやばい、と僕は思い始めていた。いくら見目麗しかろうが放課後毎回この会話に付き合わされるのは正直つらい。いや、彼女の評価からしてどうやら僕は一流とは見なされないようなので大丈夫か。このまますうっと退出して、明日から部室棟には一切近づかないようにしよう。


「え、ええと、僕にも入部資格はないみたいなんで、それじゃ」


「なにを言っているの? 入部を認めるわよ。明日から毎日来て」


「なんでッ?」


「うちの部員は三人いるけれど、みんな漫画読みとして深すぎて、なにか勧めようとしてもたいがい既読なのよ。薦め欲や知識ひけらかし欲を満たすためには、あなたくらいの半端な漫画読みがいてくれると便利なの。ありがたく入部しなさい」


「その言い方で僕が喜んで入部すると思ってんのっ?」


「しないの……?」


 おい、このタイミングで潤ませた上目遣いと心細そうな口調はずるくないか?


「この部を創ってからずっとずっと長い間、あなたみたいな人を待ってたのに……?」


「設立は昨日だろうが!」


「わかったわよ。ふん。もういいわ」

 切なげな表情をあっさり引っ込めて咲夜は頬をふくらませた。

「考えてみれば、ひとに漫画を薦めたいだけなのだから、入部してもらう必要なんてなかったわね。お父さまの権力を使って、明日から昼休みの放送に『1年6組塚本くんのためのお薦め漫画』コーナーを三十分枠でとってもらって全校放送で」


「入部します! すみませんでした!」

 僕は泣きそうな声で言った。そんな放送されたら僕の穏やかな高校生活は終わる。


「そう? ならいいけれど。入部を認めてあげるわ。感謝しなさい」


 納得いかねえええええええ。でも僕は入部届に署名して咲夜に渡した。


「さて、せっかく新入部員が来たのだし、部活動をしましょうか」と咲夜は言った。「メジャーどころしか読んでなさそうな三流の漫画読みの塚本くんを一流に引き上げるためには、薦める漫画も厳選しなければいけないわね」


 ちょっとかちんときたので僕は言い返す。


「あのさ、僕だってヒット作だけ読んでるわけじゃないよ? マイナーなのも古いのもけっこう読んでる。漫画好きがひとに薦めたくなるような作品ともなれば、僕だって既読の可能性もけっこうあるんじゃないかなあ」


 かなりマニアックなものまでたくさん読んできたプライドがあるのだ。でも咲夜は冷ややかな目つきで僕を見て、それから視線を棚に移した。


「そうね……じゃあ、これかしら」


 棚から何冊かまとめて抜き取ってソファまで戻ってきた。


「山本章一『堕天作戦』。今いちばん熱い連載のひとつよ」


 ……し、知らねえ……。なんだこれ? なにこの『X JAPANのTOSHIがもし自己啓発セミナーから抜け出せず骨までしゃぶられて死んだ場合』みたいなカバー絵? 面白いの? ぜんぜん読む気をそそられないけど?


「これはファンタジー戦争ものという分類になるのかしらね。世界中が人類とか魔族とか何個かの勢力に分かれてずうっと戦っている時代が舞台で、なにをやっても死なない不死者が主人公で、竜と呼ばれているけれど実質的には巨大変身ロボットの生物兵器が出てきたり、肉体改造された超能力者が戦争の道具として権力に酷使されていたり、すべての裏に宇宙とか神とか超越知性みたいな壮大なSF設定があったり――みたいな説明をするとたぶんあなたは色んな類似作品を思い浮かべたでしょうけどそういう連想はだいたい全部外れてるわ」


「外れてんのっ?」

 即座に五つ六つ思い当たったけど?


「そういう目につきやすい要素は『堕天作戦』の売りじゃないの。だって絵が下手だし」


「言い方!」


「見てみなさい」と咲夜はページをぱらぱらめくってみせた。


「うっ……」

 これは、たしかに、その。上手いとは言いがたい。


「こういうところで嘘をついてもしょうがないでしょう。この漫画のほんとうにすごいところはエピソードとせりふの選択センス。第一話は、とある前線司令官の助手の女の子が、上官のエビフライを食べてしまった廉で死刑に処されるのだけれど」


「え、ギャグ漫画なの?」


「真面目な話よ。それで、主人公の不死者も捕まってちょうど色んな殺し方を試されていたところだったので、この助手の女の子もついでにまとめて殺してしまおうということで、二人して気球にくくりつけられて成層圏まで飛ばされるの。この処刑法がまずすごいわよね。普通考えつかないし、その後の展開からしてこの方法しかないのよ。前後編の後編にあたる第二話は30ページずっとこの二人が気球にぶらさがってしゃべってるだけで終わるの」


「……30ページずっと?」


「30ページずっと」


「新連載の第二回で?」


「そう。蛮勇としか言いようがないでしょう。でもほんとうに泣けるのよ。この作者は一流の漫画家特有の、『世間的に見ればおかしいのに自分ではごく普通だと思っていることを平然とやる』タイプ。いわば漫画界の蛭子能収ね」


「漫画界の蛭子能収は蛭子能収だろッ?」


「あと、『堕天作戦』を語る上で外せないのが塩カレーね!」


 なんかまたそこはかとなく不安を呼ぶ単語が出てきたぞ。舌の根っこがきゅうっと痙攣するような。


「塩カレーってなに……?」


「作中で推しまくられている料理よ。あまりにも何度も登場するものだからわたしも実際に作ってみたわ。ベースはビーフカレーで、そこから牛肉とニンジンとタマネギとジャガイモとカレー粉とブイヨンと胡椒とニンニクとショウガと水を抜くと塩カレーになるの」


「それ塩だよ! 100%の!」


「そのまま食べるときついけれど白いご飯に耳かき二杯ほどかけるとすごく美味しい」


「そりゃそうだろうね塩だからね!」


「そんなわけで『堕天作戦』の魅力はわかってくれた?」


 咲夜は単行本を重ねて僕にぐいと差し出してくる。塩むすびの魅力しか語っていなかったような気もするが。


「え……いや、ううん、まあ読んでみるけど……」


「巻数も少ないんだから今夜中に読破しなさい」


       * * *


 翌日の放課後、僕は『堕天作戦』既刊全巻を抱えて部室に顔を出した。


「読んだよ! いやもう全然期待してなかったんだけどめっちゃ面白――」


 言葉を切る。咲夜がソファにうつぶせになってふてくされていたからだ。


「……ど、どうしたの。あの、ほら、言われたとおり『堕天作戦』を」


「それはもういいわ……」


 萎えきった声で咲夜はつぶやいた。


「なにかあったの」


 僕が訊ねると、咲夜は長い金髪を振り乱して身を起こし、目を怒らせてわめいた。


「昨日あれからなにげなく『堕天作戦』のことをネットで調べたのよ! そしたら!」


 彼女は自分のスマホを平手でばんばん叩く

「web漫画総選挙とかいうランキングで3位をとってたのよ! 3位! もうすっかりメジャーの仲間入りじゃない、わたしの! わたしだけの『堕天作戦』が! なんで世間はそっとしておいてくれないのよ、わたしたち一流の漫画読みの間だけでひっそりこっそり愛でていたかったのに、あああああああもううううううう」


 その後三十分間、咲夜はソファの上を転げ回って悶え続けた。難儀なやつである。

 ともかくこうして僕の、一流の漫画読みを目指すわけのわからん高校生活が始まったのであった。

『堕天作戦』

https://www.amazon.co.jp/dp/B018RPXQKU/

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