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九時二〇分

 日田署内に設置されている捜査本部に戻った城戸は、二件の殺害現場に残されていた脅迫状を一人で眺めていた。

 すると、田代がコーヒーをれてくれた。

「城戸警部、何かありましたか?」

 彼が、そう声を掛ける。

「田代警部、これを見て下さい」

 城戸は、そう言って例の脅迫状を見せる。

「この脅迫状が、どうかしましたか?」

「この二枚の脅迫状を見ると、犯人と思われる送り主は、被害者である苗原真理と光島武に、日時と場所を指定して呼び出しています。私は、指定された時刻に注目してほしいんです」

「東京の事件ヤマは一五時、こっちの事件ヤマでは九時二〇分となっていますね」

「何か、違和感を感じませんか?九時二〇分の方です」

 城戸はそう言ったが、田代は、眉間みけんを寄せて考えている。

いて言うならば、二〇分が気になりますよね。丁度か三〇分にした方がいいでしょうに」

「私も、そこに違和感を感じます。東京の事件ヤマから言うと、犯人は、キリの良い、九時丁度だとか九時半に被害者を呼び出すと思うんです。しかし、豊後森機関庫の時だけは違います。九時二十分という、あまりキリの良くない時間に呼び出しているんです」

「つまり、城戸警部が仰いたいのは、東京と豊後森の事件ヤマは、同一犯による犯行でないという事ですか?」

 田代が、城戸に尋ねた。

「いえ、それはないでしょう。犯人が違うにしては、脅迫状の文の構成が似ています。同一犯であるのは間違いないでしょう」

「では、その時刻の指定方法の違いについて、城戸警部はどうお考えなんですか?」

「私が考えるに、この二〇分に何か意味があるのでしょう」

「意味?」

「ええ。具体的にどんな意味があるのかと尋ねられれば、今のところわからないとしか答えられませんが、きっと何か重要な意味があるに違いないんです。九時でも九時半でもなく、九時二〇分にしなければいけない何らかの事情があった。きっとそうでしょう。まあもちろん、事件解決の糸口となるかどうかはわかりませんが──」

 城戸は、そう声を落としながら言った。

「つまり、犯人のアリバイが関係するのでしょうか?光島武の死亡推定時刻も九時二〇分でした」

「まず考えられるのはそれですね──」

「しかし、重要参考人である川谷優子について考えてみると、彼女は、豊後森駅前の宿を九時一〇分に出たことがわかっています。そうなると、九時二〇分の彼女のアリバイは成立しませんから、意味がないことになりますが──?」

「ええ、そこなんです。つまりそれは、逆なのかもしれません」

「逆と言いますと?」

「川谷優子のアリバイが成立しない様に、真犯人が仕組んだものかもしれません。そして、その真犯人にとっては、成立するアリバイなのでしょう」

 すると、隣で聞いていた富永が、話に割り込んできた。

「確かに、川谷優子にも同じ類の告発文が届いています。その点を考えると、川谷優子の線はシロかもしれませんよ」

「それは、君が川谷優子に騙されているのかもしれないぞ。あんな文書なんて、誰でも簡単に作れるんだ。彼女が、真犯人から送られてきた振りをして、芝居を打ったのかもしれないぞ」

 田代は、そう言って富永の推理を一蹴した。

「確かに、田代警部の仰る通りです。今はまだ、彼女の証言が正しいのか、慎重に判断する必要があります」

「では、川谷優子の証言が正しいとします。何者かから、彼女宛に告発文が届いたとして、結局殺害したのはどちらでしょうか?川谷優子、それとも告発文の送り主でしょうか?」

 富永が、質問する。

「それも今のところは判断できませんね。五年前の事件の犯人を知った川谷優子の犯行とも考えられますが、何者かが彼女に罪を着せているだけとも考えられます。それか──」

「それか?」

「あの告発文は、川谷優子に殺害を指示する文書なのかもしれません」

「それは、どういう意味です?」

 田代が、城戸に尋ねる。

「あの告発文の送り主は、苗原真理、光島武に殺意を抱く人間だった。だが、その人物がただ単に二人を殺害してしまうと、警察の捜査によって自然と姿が浮かび上がってくる。そこで、川谷優子を利用する方法を取ったんです」

「つまり、川谷優子に五年前の事件の犯人は、苗原真理と光島武であると告発すれば、彼女が二人に復讐してくれる。真犯人は、そう計算したという事ですか?」

「そうですが、私が考えすぎなのかもしれません。あの告発文は彼女の自作自演で、ただ単に五年前の事件の復讐をしたのかもしれません」

 城戸が、徐々に声を落としながら言った。

「ですが、私は城戸警部の推理に賛成です。そもそも、五年前の事件の犯人が苗原真理と光島武であるという事が間違っていると思います」

 田代は、そう胸を張るようにして言った。

「ええ、仰る通りなんです。苗原真理と光島武の共犯と言うには、彼らの関係が全く見えてきません」

「それに関しては、川谷優子の間違いなのかもしれません。自分の姉を殺したのが、あの二人だと知って、怒りが頂点に達していた。なので、確かめもせずに感情に任せて犯行に至った可能性もあります」

 そう発言したのは、富永である。

「まあ、それも考えられないことはないがね。私は、城戸警部の推理の方が濃厚だと思うよ。苗原真理と光島武に殺意を抱く第三者が居て、そいつが、川谷優子が犯行に至るようにそそのかした」

「その真犯人である第三者は、自分のアリバイが成立して、かつ川谷優子のアリバイが成立しない様にように、殺害時刻を九時二〇分に指定した──」

 城戸は、そう言ってコーヒーを啜った。

「では、九時二〇分のアリバイが成立する人間こそ、川谷優子を使って殺人を計画した人間という事になりますね」

「ええ、その通りです。豊後森駅周辺の地図を貸していただけますか?」

 富永が、捜査本部にある引き出しから、玖珠町の地図を取り出し、城戸の前で広げた。

 城戸は、しばらくそれを眺めていた。

「豊後森駅の周辺には、何軒かの宿泊施設がありますね?」

 彼は、地図を見ながら言う。

「ええ、三軒ほどあります」

「アリバイとして考えられるのは、第一に、九時二〇分になっても宿を出ていない人間。その事が証明できれば、アリバイは成立します」

「では、宿泊客のチェックアウトの時間を調べればいいわけですね?どの宿も小さいですし、宿泊客もそう多くはないでしょうから、直ぐ調べがつくと思いますよ」

 田代は、そう城戸に言って、彼の部下の富永に指示を出した。

「第二のアリバイとして考えられるのは、列車です。機関庫の近くには、豊後森駅がありますから」

 すると、田代は時刻表を持ってきた。

「九時二〇分のアリバイが成立する列車は──」

 彼は、そう言いながらページを繰る。

「ありました。九時三四分に、互いに方向の違う特急ゆふが豊後森駅を同時に発車します」

「確かに、それだと九時二〇分のアリバイは成立しますね」

「博多行きの方はゆふ二号、別府行きはゆふ一号です」

「では、その二つの列車の乗客を洗ってみましょう」

 富永は、実際に豊後森駅周辺の宿泊施設に一つ一つ足を運んで聞き込んだ。

 そして、田代はゆふ一号の、城戸はゆふ二号の乗客を調べ始めた。JRジェイアールに問い合わせ、切符の販売先をわかる範囲で問い合わせた。

 翌日の午後にもなると、三人が調べた中で、九時二〇分のアリバイが成立する人間のリストアップが完了した。

「城戸警部、意外な人物の名前がリストアップされていますよ」

 田代が、そう言ってリストを城戸に渡した。

 彼は、それを確認する。田代の指が差す部分には、苗原伸二という名前があった。

「何故、苗原伸二が──?」

「果たして、偶然ですかね?彼はあの日、ゆふ一号に乗っていたんです」

「他に気になる名前は挙がっていましたか?」

 田代も、富永も、首を横に振る。

「ゆふ二号の方も、気になる名前は一切ありませんでした。つまり、今回の事件の関係者で、豊後森機関庫の九時二〇分のアリバイが成立するのは、苗原伸二ただ一人──」

 城戸は、目を鋭くして言った。

「つまり、城戸警部の仰る、川谷優子に罪を着せようとする、被害者二人に殺意を持つ人間と言うのは、苗原伸二という事ですか?」

 田代が、そう言った。

「私の推理によると、そう言う事にはなりますがね──」

「いや、でもあり得る話ですよ。苗原伸二は、真理に何か殺意を持っていたかもしれません。夫婦関係のもつれなんて、よくある事じゃないですか」

 富永が、そう声を張って言った。

「苗原伸二について、調べてみる必要がありそうですね。はたけば何かほこりがでそうな気がします」

 田代が、城戸に向かって言った。

「私は、一度帰京します。東京の方で、苗原伸二について詳しく調べてみましょう。しばらくしたら、その捜査結果を持って、日田に戻ってこようと思います」

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