重要参考人
城戸達は、日田市の中心部まで戻ってきた。
三隈川の河川敷近くの高台に車を停め、川の近くまで下りてきた。
「ここが、五年前に光島秀子の死体が上がった現場です」
田代が、そう城戸に紹介した。
すると、そこには綺麗な花束が置かれていた。近くで見ると、まだ新しい花である。
「誰かが置いたんでしょうねえ」
富永が、そう呟いた。
「川谷優子でしょう」
そう言ったのは、城戸だった。
「それで、光島秀子の死体が発見されたのは、五年前の三月です。死因は、川の水を大量に飲み込んだことによる溺死。恐らく犯人は、彼女を突き落としたのでしょう」
田代が、言った。
「自殺や事故の線は調べなかったのですか?」
「もちろん調べましたが、彼女を殺害する動機のある人間が浮かんできたんです。城戸警部もご存知の通り、光島武。動機は、妻である光島秀子の保険金狙いです」
「その保険金が掛けられたのは、事件の直前だったんですよね?」
「ええ、そうです。なので我々は、夫の武が殺すことを前提に保険金を掛けたと断定しました」
「しかし、彼には完璧なアリバイがあったわけですね?」
「その件で、やむを得ず釈放する事態となりました。でも、我々は諦めませんでした。彼には共犯者がいて、自分に保険金が転がり込むように殺害を指示することはできるでしょう。そこで、光島武の周辺に居る人間を隈なく捜しましたが、共犯と目される人物はゼロ。そのまま現在に至ります」
「これを読んでいただけますか?」
城戸は、例の脅迫状を渡す。
田代は、静かにそれを読んだ。
「実は、豊後森機関庫で殺害された、光島武も同じようなものを所持していましてね」
今度は、彼が城戸に一枚の紙を渡す。
城戸は、さっと目を通した。
「この脅迫状を読んで、田代警部はどう思われます?苗原真理という女は、本当に光島武の共犯だと思いますか?」
「私は、どうしても信じられませんね。あれだけ光島武の身辺を洗ったんです。でも、この苗原真理という名前は一切上がらなかったんです」
田代は、きっぱりと言った。
「警視庁の方では、五年前の事件の犯人は、光島武と苗原真理の二人だという結論が出ているんですか?」
富永が、少し不機嫌そうに尋ねる。
「結論に至っているわけではありませんが、その意見の方が多数派なのは事実です」
「それで、城戸警部はどうお考えなんです?」
富永が、今度は急かすように質問する。
「正直に言って、わかりません。光島武と苗原真理が、本当に光島秀子殺害の容疑者だとすると、今回の事件は簡単に説明が付きます。しかし、そうなるとどうしても疑問が浮かびます」
「どんな疑問ですか?」
「それは、お二人も感じていらっしゃるとは思いますが、警察の捜査でもわからなかった光島武の共犯を、何故一般人であろう犯人が見つけることができたのか。そもそも、光島武の共犯は、本当に苗原真理なのかという疑問です」
「つまり城戸警部は、あの脅迫状の内容は嘘であると仰るわけですか?」
田代が、目を大きくさせて尋ねる。
「そう考えざるを得ないんです。我々の方で、光島武と苗原真理の関係を調べました。しかし、彼らの共通点があまり出てこない。日常での交友関係についてもです。唯一でてきたのは、同じ大学を卒業しているという事。ですが、たったそれだけの共通点で、殺人の共犯を担うでしょうか?なので、あの脅迫状の内容は間違っていると考えるんです」
「つまり、脅迫状送り主で犯人と思われる川谷優子は、勘違いをしていたという事でしょうか?本当は違うのに、苗原真理を殺人犯だと思い込んで復讐したんでしょうか?」
富永が、言う。
「どちらにしろ、今の時点でクロの線が一番濃いのは、川谷優子だ。彼女は、東京の事件現場、そして豊後森の事件現場のどちらでも目撃されている。動機だって、揃っているんだ」
田代は、そう言い切った。
「私もそう思います。彼女に会いに行きましょう」
三人は、再び覆面パトカーに乗り込んだ。
三隈川から久大本線の線路を超えて少し北に進むと、豆田町と呼ばれる地区がある。
豆田町は、当時幕府直轄の天領であった頃の古い町並みが今も残る地区である。
その豆田町に、川谷優子が人形師として働く工房はある。
その工房の暖簾をくぐると、雛人形がずらりと並んでいた。
天領であった日田には、莫大な財を成す豪商が居て、彼らによる雛人形などの華やかな文化が今にも残る。
奥から、若い男が出て来て、
「いらっしゃいませ」
と、声を掛けてきた。
「警察の者ですが、川谷優子さんはいらっしゃいますか?」
城戸は、警察手帳を見せながら言う。
「ちょっと待って下さいね」
男は、奥の方へ戻ってしまった。
すると今度は、長髪の美しい女性が姿を見せる。彼女こそ、川谷優子である。やはり妹だから、顔には光島秀子の面影があった。
「外に出てお話ししませんか」
彼女はそう言って、刑事たちを外に連れ出した。
工房を出てすぐにベンチがあり、そこに腰掛けた。
「この二人、ご存知ですよね?」
城戸は、川谷に苗原真理と光島武の写真を手渡した。
「ええ、知っています。特にこの男性は、義理の兄にあたる人ですわ」
「この二人は、それぞれ東京と豊後森の機関庫で殺害されましたが、それは知っていますね?」
「ニュースで見ました」
「どちらの事件に関しても、あなたの目撃証言があります。そのことについて、説明して頂けますか?」
すると川谷は、静かに二枚の紙を渡してきた。城戸は、それを開いて文字を目で追う。
五年前、光島秀子を殺害したのは苗原真理という女だ。十月十三日午後三時、東京のKホテルのラウンジに彼女は現れる。
城戸は、もう一枚の方にも目を通す。
苗原真理に光島秀子の殺害を指示したのは、光島武という男だ。十月十六日午前九時二〇分に豊後森機関庫に現れる。
読み終わると、田代と富永にもその紙を渡した。
「あなたの目撃証言が、苗原真理の殺害現場、そして光島武の殺害現場で挙がっていますが、それはこの手紙が送られてきたからですか?」
城戸が、尋ねる。
「ええ、その通りですわ。刑事さんは、私が復讐したとでも思ってるのかしら」
川谷の目が、少し鋭くなった。
「動機のあるあなたが、殺害現場で目撃されている以上、我々は疑わざるを得ません」
「復讐して法が許すなら、してやるわ。そして、復讐して私の姉が戻ってくるなら、いくらでもしてやるわ──」
彼女の目が、みるみる潤んでいく。
「あなたは、死ぬ直前の被害者とお話ししていますよね?何を話したんですか?」
「この手紙に書かれてあることは本当なのか、本当に私の姉を殺したのか、そう問い詰めたんです」
「で、どうでした?」
「二人共、否定しました。証拠もなしに言いがかりをつけるなと言ってました」
すると、田代が口を挟んだ。
「それでも、あんたは犯人と決めつけて殺したんじゃないか?」
「違いますわ。確かに、あの二人が犯人なんだと思うと許せなくて、つい厳しい口調で問い詰めてしまい、争いにもなりそうでした。しかしあの二人は、これ以上言いがかりをつけるなら、警察や弁護士を呼ぶぞと言ってきたんです。それで、私怖くなったんです。それで、急いで逃げました。絞め殺してなんかいませんわ」
田代は、まだ何か言いたそうではあったが、口に出す直前に諦め、黙ってしまった。
「それで、あなたの結論はどうなんです?」
再び、城戸が尋ねた。
「結論?」
「あなたのお姉さんを五年前に殺害したのは、光島武と苗原真理だと思いますか?」
「わかりません。それを調べるのが、警察の仕事だと思いますわ」
川谷は、そう皮肉を言った。
「少なくとも、光島武さんにはお姉さんを殺す動機があります。借金に追われていたので、妻を殺して保険金を稼ごうとした。武さんと秀子さんの夫婦関係はどうでした?」
「私には、とても仲の良い夫婦にしか見えませんでした」
「では、武さんがお姉さんを殺すはずはないとお考えなんですね?」
「でも──」
川谷は、何かが喉につっかえているような様子だった。
「でも?」
「姉が、武さんに経済的な面で迷惑を掛けていたのも事実なんです。武義兄さんが、姉を恨んでいてもおかしくはないんです」
川谷の頬に、涙が走る。それでも、彼女は続けた。
「だから、わからないんです。もしかしたら姉夫婦は、私の見ていない間に実は恨みあっていて、武義兄さんが、姉に保険金を掛けて殺したかもしれない。でも、仲睦まじいいあの夫婦の様子を思い出すと、それが信じられなくなる──」
「最後に、確認させてもらうよ」
田代が、そう切り出した。
「一〇月一三日に東京のKホテルに居たこと、今日の午前九時二〇分、豊後森機関庫に居たこと。これはどちらも間違いないね?」
「ええ、間違いありません」
「この手紙、預かりますね」
城戸は、そう言って立ち上がった。
「何か思い出した事があれば、ここに電話して下さい」
彼は、最後に名刺も手渡して、川谷優子の元を立ち去った。