五年前の殺人
徳原の証言により、女の似顔絵が完成した。Kホテルで、被害者の苗原真理と話し込んでいた女である。
事件の起きた日の夕方に、捜査会議が開かれた。
「ではまず、検死の結果報告を、川上にしてもらおう」
捜査の指揮を執る城戸がそう言うと、彼の部下の川上刑事が報告を始めた。
「死因は、ロープのようなもので首を絞められたことによる窒息死。被害者の首には、索条痕が残っていました。死亡推定時刻は、一五時から一七時の間と思われます」
彼は、そう言って再び座った。
「では次に、現場付近の聞き込みなどについて。これは、南条君」
次に席を立ったのは、南条刑事である。
「私は、小国と共に聞き込みました。まず、死亡推定時刻頃に、七一五号室周辺で不審な人物の情報はありません」
「防犯カメラが付いていたんじゃないか?」
「ええ。その防犯カメラを解析すると、確かに被害者の苗原真理と七一五号室の方へ向かう人物の姿がありました。しかし、全身黒ずくめに、帽子を深くかぶっていたので、男か女かもはっきりしませんでした」
南条が、徐々に声を落としながら言う。
「それと、七一五号室を手配した人間は、いったい何者なんだ?」
城戸の疑問に答えたのは、小国だった。
「現場の客室ですが、今日の朝に電話で予約された者でした。その人物は、山田花子と名乗ったそうです」
「山田花子か──」
城戸は、そう呟いた。わざわざ呟いたのは、彼が、その名前に何か胡散臭く感じたからだろう。
会議に出席していた、中本捜査一課長も同じことを感じたらしく、
「山田花子。何だか、偽名にしたか聞こえないが──?」
と、言った。
「山田花子という事は、予約主は女という事だな?」
城戸は、小国にそう尋ねた。
「それなんですが、ホテルの人間の話では、男か女かはっきりしないような声で、少し機械音の様な気がしたとも証言しています」
「機械音か。ボイスチェンジャーでも使ったか──」
すると中本が、
「予約は電話でしたとしても、部屋の鍵を受け取った人物は、ホテルのフロント係と直に会っているんじゃないか?」
と、小国に言った。
「確認したところ、鍵を受け取ったのは苗原真理でした」
「つまり、その全身黒ずくめの連れが、苗原に鍵を受け取らせたんでしょう。犯人が、跡のつかない様に計算した上で」
城戸は、中本に向かってそう言った。
「次は、被害者の身辺について報告してもらおう。門川君」
次に彼はそう門川に報告を求めた。
「今回の事件のマル害は、苗原真理三四歳。夫は、苗原伸二五四歳で、苗原開発という会社の社長をしています。真理自身も、苗原開発の副社長です」
「年の差があるそうだが、夫婦仲はどうだったんだ?」
「自宅周辺で聞き込みましたが、これと言って気になる事はありませんでした。そして、この苗原夫妻ですが、まだ結婚して三年程しか経っていないようです」
「伸二はそれまで独身だったのか?」
城戸が、尋ねた。
「いいえ。十年ほど前に、伸二は一度離婚しています」
「そのことでトラブルになったという線は?」
「そのような話はないようですね。離婚も円滑に事が進んだようです」
「苗原伸二にその他の女性関係のトラブルはなかったんだな?」
城戸が、念を押す様に質問する。
「ええ、今のところ確認されていません」
「怨恨の線もないようだね──」
中本が、そう呟いた。
「山西、被害者の所持品について報告してくれ」
次に、城戸がそう言うと、山西が立ち上がる。
「所持品についてですが、一つ気になるものが有ります」
「何かあったのか?」
「ええ、彼女は脅迫状を所持していました」
山西はそう言って、会議に出席している捜査員全員に、一枚の紙を渡した。
「これは、その脅迫状のコピーです」
脅迫状の内容は、次の様なものだった。
苗原真理。お前が五年前に、大分県日田市で、光島武という男の指示で、その妻・秀子を三隈川に突き落として殺したことはわかっているんだ。世間にバラされたくないのなら、一五時にKホテルのロビーへ来い。
捜査員たちは、静かにそれを読んでいた。
「なんだ、あの被害者は殺人犯だったのか?」
最初にそう口を開いたのは、中本だった。
「警部、これだとマル害の様子がおかしかったという、秘書の証言が説明つきますよ。彼女は、この脅迫状の内容が事実で、秘書に打ち明けることもできなかったんでしょう」
そう言ったのは、南条である。彼は、少しばかり高揚していた。
「彼女が脅迫されていて、この脅迫状の送り主が犯人だと仮定する。では、犯人の狙いは一体何だろうか?」
城戸は、あくまでも冷静に疑問を投げかける。
「まず考えられるのは、復讐ではないですか?犯人は、その殺された女と血のつながりがあるか、それなりの交友関係があって、復讐のために殺害したというケースです」
門川が、そう言った。
「確かにあり得るな──」
城戸は、肯きながら言った。
「この大分の事件には、光島武という共犯者がいるという事ですよね?」
そう声を発したのは、小国である。
「脅迫状によると、そう言うことになるな」
「その光島武という男の犯行とは考えられないでしょうか?共犯者の苗原真理の口を封じようとした」
「それはないだろう。この脅迫状には、光島武と記名してある。犯人が、わざわざ脅迫状に自分の名前を含めるとは考えにくいね」
城戸が、少し間を置いて反論した。
「しかし、脅迫状に名前が挙がっている以上、何か知っているかもしれんぞ」
中本が、言った。
「ええ、私も同意見です。こういう脅迫状がある以上、五年前に起きた、この日田の事件が何らかの形で関わっているのは間違いないと思います」
「あとは、この女だよ。この女は、果たして両方の事件に関わっているのだろうか?」
中本が、女の似顔絵を指差しながら付け加える。
「まあ、今回の事件に関わっているのは大いにあるでしょう。死ぬ直前に会っているんですから」
「すると、あの全身黒の人物はこの女だと城戸君は思うのかね?」
「そうだと言い切れませんが、ゼロではないと思います。殺される直前にガイシャと面会しているので、怪しまれると思ったこの似顔絵の女が、わざわざ黒い服に着替えて変装し、犯行に及んだ。あり得ない話ではありません」
城戸は、中本に向かってそう言った後、会議に出席している捜査員に、
「君たちは、五年前の日田の事件を徹底的に洗ってほしい。殺害された苗原真理が本当に関わっているのか、共犯と思われる光島武について、そして、この似顔絵の女も関わっていないかも調べてほしい」
と、言った。そこで、捜査会議は解散となった。
城戸はその後、既に日は暮れ辺りは暗かったが、苗原伸二のアポも取り、彼の自宅へ向かった。
苗原邸に到着すると、まず荘厳な門が城戸を待ち受ける。さすが、大手開発企業の社長という感じだ。
インターホンで呼び出すと、重々しい門が、ゆっくりと音を立てて開いた。
「城戸さんですよね?お待ちしておりました」
門が開いた先には、徳原が待ち構えていて、彼が城戸にそう言った。
門を抜けると、これまた立派な庭を進んでいく。辺りは暗かったのだが、所々に照明があり、綺麗に整えられた庭を照らしていた。
応接室に通されると、既にソファには、貫禄ある大男が座っていた。その男が、苗原伸二である。
「君が、警視庁の城戸君かね?」
彼が、そう声を発す。
「ええ、その通りです。奥さんの真理さんが殺害された事件の捜査で参りました」
「まあ、座るんだ」
城戸は、伸二の真正面に座り、秘書の徳原は、伸二の横に座った。
「早速ですが、真理さんは品川のKホテルで殺害されました。真理さんがKホテルへ向かった理由について、秘書の徳原さんはご存じなかったようですが、伸二さんはどうでしょうか?」
「さあ、わかりませんな。私は聞いておりませんね」
伸二が、そう答える。
「では、真理さんが殺害されることに心当たりはありませんか?例えば、誰かに恨まれていたなどです」
「私の知る限りでは、無いと思いますよ」
徳原がそう答え、
「私も知りませんな。知らないから、妻の死には今でも納得できません」
と、伸二もそう言う。
「実は、殺害された時、真理さんはこんなものを所持していたんです」
城戸は、二人に例の脅迫状を見せた。
二人は、興味津々の様子で、身を乗り出すような姿勢で文字を追っていた。
「何ですか──これは──」
徳原が、そう声を発した。伸二は、黙っている。
「真理さんは、ホントに人を殺したんですか?」
そう声を上げたのも、徳原だった。
「それは、我々が今捜査中です。伸二さん、この脅迫文の内容についてどう思われます?この内容は、本当と考えていらっしゃいますか?」
城戸が、伸二の目を見ながら尋ねる。
すると、彼は間髪を入れずに答える。
「そんなことを言われても、わかりませんなあ。五年前というと、真理が私と結婚する前の話ですよ。もちろん、私は真理が人を殺すような人間だとは思えない。だが、私と結婚する前のことについては、よくわからない。だから、絶対にありえないと断言はできないね」