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慈恩の滝

 川谷優子を張り込んでいると、翌日に動きがあった。

 彼女は、日田駅のホームに立っている。そして、その奥の柱の陰に隠れ、城戸と川上、南条が、川谷へ睨みを利かせている。

 一二時三三分、大分行の普通列車が入線してきた。

 真っ赤な二両編成の気動車に二十五分揺られると、杉河内すぎかわち駅に到着した。

 川谷は、その杉河内駅で列車を後にした。三人の刑事達も、それに続く。

「こんなところに、一体何をしに来たんですかねえ」

 南条が、愚痴をこぼす。

 確かに杉河内駅は、山と玖珠川に挟まれた駅で、周りを見渡してあるとすれば、線路の横を通る国道位である。

「ただ、殺すのには適当な場所じゃないか」

 城戸は、そう言って、川谷を追い階段を降りる。

 国道二一〇号線を湯布院方面へ歩いて行く。

 川を跨ぐ橋を渡っていると、爽やかな水の音が聞こえ、白い水の柱が見えてきた。

「あれ、滝ですかね?」

 川上が、興味を示した。

 すると、川谷は、信号機のある交差点を、右に折れた。

 その信号機の横に掲げられている交差点名を確認すると、「慈恩じおんの滝入り口」とある。

「どうやら、あの滝は、慈恩の滝というらしい」

 城戸が、言った。

 彼らは、路地を抜けていく。慈恩の滝は、この辺では知れた観光地らしく、周りには商店も点在する。だが、多くの人でにぎわっているという感じではなかった。今日が、平日だからだろうか。

 その路地から、小さな階段を降りると、滝のすぐそばにまで下りることができる。

 川谷は、階段を降りた後にしばらく進むと立ち止まった。

 刑事たちは、慌てて崖の陰に身を隠す。

 すると、川谷の立ち止まったさらに奥のほうにも階段があり、その向こうから、全身を黒に包んだ人間が現れた。帽子を深くかぶり、顔を俯かせているので、誰かは判別できない。

 すると、その人間は、少しだけ顔を上げた。

「苗原伸二のお出ましだ」

 城戸は、小声で言った。そして、腰に付けていた拳銃を取り出す。

「南条君、君は、反対側の階段に回るんだ」

 彼は、続けて小声で言う。

 南条は、後ろを振り返って階段を駆け上がっていった。

「君が、あの川谷優子かね」

 伸二は、そう声を掛けた。川谷は、驚いて、少し後ずさった。

「全く、馬鹿な女だよ。黙っていてくれれば、俺もこんなことをしなくて済むんだがな──」

 伸二の取りだしたナイフが、日差しをギラリと反射させる。

 その瞬間、爽やかな滝の音に、鈍くて乾いた銃声が響く。

 城戸が、空へ向けて弾を放ったのだ。

「苗原伸二、ナイフを捨てろ!」

 二人の刑事は、いきなり飛び出た。

 伸二は、完全に腰を抜かしていた。

 しかし、即座に態勢を取り直して、後ろを振り返る。

 勢いよく駆けだしたが、その足はすぐ止まる。登ろうとした階段に、南条が現れたからである。

「あんたは、妻の真理さんと離婚調停中だそうだな?」

 追い詰められた伸二に、城戸が、怒鳴りつけた。

「何の話だ?」

 伸二は、あくまでも知らない様子でいる。

「しかも、真理さんからは多額の慰謝料を請求されていた。あんたの顧問弁護士に調べてやっとわかったよ」

「だから、何が言いたいのかね?人の個人的プライベートなことに首を突っ込まないでほしいね」

「今回の一連の事件、全ては、多額の慰謝料を請求してくる真理さんを殺すための、あんたの企みだったと言いたいんだ」

 城戸は、伸二の顔が微かに動揺の色をあらわにしたところを見逃さなかった。

「いや、それは違う。ここに居る女が、五年前の事件の復讐をするために起こした事件なんだ!」

 伸二は、川谷を指差しながら訴える。

「君が勝手にそう仕立て上げようとしただけだ」

「仕立て上げようとした?」

「そうだ。五年前の事件の犯人を告発する文書は、全てデタラメ。あんたが、ここにいる川谷さんに罪を着せた上に、今回の事件の核心は、五年前に日田で起きた殺人事件にあると思わせるためだよ。ただ単に奥さんを殺したんじゃ、一番に疑われるのはあなたでしょうからね」

 そして、城戸は続ける。

「五年前の、光島秀子さんが殺害された事件。この事件の犯人もお前だよな?」

「刑事でもあろう人間が、よくそんなことを勝手に言えますね?動機も証拠も何もないよ」

 すると、城戸は、ある書類を取り出した。それは、日田市の歳入、支出をまとめた会計書類である。

「光島秀子と言う女は、この会計書類を基に、リゾートホテル建設に関する苗原開発と日田市の癒着、いわゆる、談合の事実を発見した」

 伸二は、黙っていた。

「あなた、彼女の経営する『かげつ』と言う小料理屋に行った事があるね?そこで、あんたと光島秀子が深刻そうに話す様に様子が目撃されていて、証言もあるんだ」

「だから、何なんですか?」

「おかしいですよね?以前に、光島秀子の写真を見せてこの女を知っているかと質問しても、あなたは知らないと言った。しかし、実際に会って話していたという証言がある。あなたは何故、こんな嘘をつかなければならなかったんですかね?」

「──」

 今まで、食いつくように城戸に反論していた伸二だが、黙り込んでしまう。

「じゃあ仮に、話していたとしてどうなるんですか?話して悪い事でもありますか?」

 彼は、やっと口を開く。

「きっと、光島秀子は、あんたに談合は事実なのか問い詰めたんだろう。あんたは、談合の事実を彼女に握られていることにそこで気付く。そのまま握られているわけにはいかないから、光島秀子を川に突き落として殺害、口を封じたというわけですよ」

「──」

 伸二は、再び口を開こうとしない。しばらくして、彼が言うには、

「刑事さんは、光島武と言う男も私が殺したとお考えですか?」

 と、問う。

「ええ、そう思ってます」

「残念ながら、それは無理がありますね。私は、ゆふ一号に乗っていたんだ。その列車の豊後森着が九時三四分。九時二〇分に、豊後森機関庫に居ることは不可能だ」

「ゆふ一号には、二日市までしか乗られていませんよね?」

「何だって?」

「今のところ、車掌の証言によって、あなたのゆふ一号の乗車が確実なのは、博多から二日市の間だけです」

「二日市で降りたとして、どうするんだ?どうしようもないと思うね」

 伸二は、澄ました顔で言う。

「いや、それがなんとかなるんだよ。九州道を車で走る、小田川の力を得ればね」

「小田川なら、太宰府インターから玖珠インターまでは、高速を降りていないと聞いている。それは、ETCの走行履歴を調べれば、簡単にわかるんじゃないか?私が言いたいのは、小田川は、高速を途中退出でもしなければ、私を車に乗せることは不可能だよ。ましてや、百キロで走行中の車に飛び乗るなんてできないしね」

 伸二は、そう言った後に笑って見せた。

「いや、それができるんだよ。小田川は、高速を途中退出せずにあんたを拾ったんだ」

 伸二の笑いが、止まった。

「二日市駅から歩いて十分の距離に筑紫野バス停がある。そのバス停は、高速バス用なんだが、そこなら高速道路上を走行中の車に乗り込むことができるのは、もうわかっている」

「ち、違う!私は、そんなことを知らない!今初めて知ったんだ──」

 伸二は、焦りで震えていた。

「あなたのアリバイは、もうすでに崩れている」

 城戸は、そんな彼に言い放った。

「これ以上の言い訳は、署の方で聞かせてもらおうか」

 南条が、そう言って、伸二の腕を強引に引っ張った。

「本当に不器用な二人だわ──」

 それを呆然と見ていた川谷が、そうボソッと言った。

「不器用?」

「ええ。私の姉の秀子だって、自分が死ぬとわかったのなら、他に愛情の伝え方はあっただろうし、武義兄さんんも、あの保険金が姉の愛情だなんて気づいてなかった。姉か武義兄さん、どちらかが器用だったら、この真相に早く近づけたのかもしれないのに──」

 川谷は、そう言って少し笑顔を見せた。

 しかし城戸は、彼女の頬に、光るものが流れ落ちるのを見つけた。

・この作品に登場する人物・団体等はフィクションであり、実際の人物・団体とは関係ありません。

・この作品に登場する列車ダイヤは、2019年3月16日改正のダイヤです。

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