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そして日常編を諦める

 これが恋をするという事なのだろう。


 教室の隅で座りながらモブのクラスメイト達と仲良さそうに談笑している委員長を眺めながら初恋を考える。もちろんイヤホンでジムノペティを聴きながら。


 教室にいる間つい委員長の姿を目で追ってしまう。うーん、可愛い。ドキドキする。


 しかし、この感情はあまりジムノペティには合わない気もするが。落ち着かないぜ……。


 あー目が合わないかなぁー。また話せないかなぁー。両思いだったらいいなぁー。好きだなぁー。インチョッ、インチョウ、委員長。ふふっ、頭の中が委員長一色だな。


 さて、語らずとも分かる人は分かっていると思うが日常編である。本編ではございません。


 日常編が始まったと言う事は、昨日の語りの後は何もなかったと予測するだろうが、実は事件が起こっている。何事もなく昨日という日は終わらない。我が佐藤家は――襲撃にあったのだ。


 それこそ非日常の出来事、それこそ本編の醍醐味ではないかと思うかもしれない。ただ、わかって欲しい。増して激しい戦闘をしいられたのだ。

 初めての戦闘という訳ではない。しかし、突如現れた敵はかなりの強敵で数も多く。とても本編を語っていられなかった。


 経験した事がない苦境の末、氷華さんが――死んだ。


 戦いに勝利はした、が深手を負い満身創痍であった彼女は、肺を打ち抜かれたせいで声が出せず最後の力でテレパシーを使い『圭君……私は貴方を――』


「だから何でアンタまた私の席に座ってるのよ!?」


 と、後ろから騒がしい声が聞こえる。


「よう大親友」

「誰がよ」

「お前がだよ橘ひかり」


 振り返ると席の主、橘ひかりがそこにいた。今日も今日とて、教室の一番後ろの窓際の席に座っていると怒鳴られてしまった。


「ほらっ、カルシウムが足りてないお前のために小骨せんべいだ」


 ポケットから放り投げた子袋は橘ひかりに避けられ、床にクシャリと落ちた。


「あーあ」

「いらないから、早く退きなさい」


 ビッと指差す方向は窓の外である。死ねと? ここ三階なんだけど?


「まあまあ、カームダウン、カームダウン。今日はお前にちゃんと用事があるんだよ」

「あらそう? それならまずイヤホンを取りなさい。失礼にも程があるわよ」


 言われなくもそのつもりだ。お前との会話程ジムノペティに合わないものはない。


「で? 何よ?」


 イヤホンを外したのを見計らって橘ひかりは用件を聞く。


「昨日言っただろ? 沢田の件だよ」

「ちょっ! 声がでかいわよ!」


 焦る橘ひかり。悪くない。


「さ、沢田がどうしたのよ?」


 顔を近づけて小声で話す、やはり柑橘系のいい香りがする。


「誤解を解いて欲しいんだろ? 紹介くらいしろよ?」


 昨日、協力するとは言ったが顔も知らない相手に誤解を解くも何もない。敵をしれば百戦危うからず、だ。橘ひかりはもうヒロインではないので、沢田は恋敵ではないのだが。


「勝手に五組に行って聞いてきなさいよ?」

「俺だけ行っても、どうせ避けられる――どうやら、人類は俺のことが苦手らしい」


 だから、割と普通に話しかけてくるこいつは人類ではないんじゃないかと疑っている。


「人類皆友達が信条じゃなかったの……好意が一方的過ぎるわ」


 言ったっけ? 憶えてないな。


「今日の信条は『愛は世界を救う』だぜ?」

「アンタの信条って毎日くじ引きで決めてんの?」

「そんな面倒はしない」


 思いついた事を言っているだけ。


「まあアンタの事情はわかったわ。仕方ないから沢田が誰か教えてあげるわ――そうね、部活中にグラウンドに来てもれえる?」

「五組に行った方が早いんじゃねえの?」

「目立ちたくないのよ。特に沢田の前で。誤解を解きに行って勘違いを膨らませたら本末転倒もいいところでしょ?」


 それは然り。


「じゃあ、部活が終わるのは何時?」

「6時までには終わって解散してるはずだけど……どうして?」

「部活の最中じゃ沢田が捕まらないだろ?」

「え? アンタもう沢田に話すつもりなの?」


 そんな鳩が豆食ってポーみたいな顔しなくても。いや、どんな顔よそれ?


「早い方がいいだろ? いつまでも勘違いされたままじゃ橘ひかりの恋愛もつらいだろ?」

「アンタ……!!」


 そう、俺も昨日、恋を知って愛を知った。お前の辛さは痛いほどよく分かる。それに――


「それに誤解が晴れれば気兼ねなくこの席に居座れる」

「だからそれとこれは別でしょ!?」

「はいはい。ツンデレ、ツンデレ」


 本当に俺の大親友は素直じゃないんだから。


「じゃあ、また放課後な」


 曲を流したままのイヤホンを再び耳につけ、その場にうつ伏せになる。

 その同時に橘ひかりの突っ込みと題した拳が振り下ろされ教室に鈍い音が響きわたる事になった。世界取れるぜ! その拳!







「佐藤くーん?」

「はい! 佐藤です!!」

「きゃっ!?」


 声に反応して飛び起ると、声の主は驚き腰を抜かしている。


「あれ? 大丈夫委員長?」


 声の人物は絶賛片思い中、もしかしたら両思い中の委員長である。


「あ、あはは……ごめん。一回の呼掛けで起きるとは思ってなかったから」


 ずれたメガネを苦笑いしながら直す委員長。


「そりゃ他でもない委員長の目覚ましで起きない訳がないだろ?」


 愛する人からのウェイクアップメッセージ


「昨日は何度も呼掛けたんだけど?」

「10年徹夜した後だったからだね」

「規模が大きい嘘をつくね……いつも寝てるでしょ?」


 さっそく看破される。嘘をつく時は大げさ且つ大胆の方が効果があると誰かに聞いたのだが、嘘だったか。まあ、いいとして。

 何の用だろう? 教室の明るさ人が多くいる所を見るとまだ放課後ではないようだが。俺の推理によれば生徒があちこち疎らに場所を移動している事から授業中ではないだろう。


「ねえ、佐藤君。一緒にお昼食べない?」


 あーそうか、今は昼休みか。


「え、えっと、何で俺と?」


 はい出た! 好きな子に対して照れてツンケンした態度を取っちゃう人! 何で「いいよ」が最初に口に出ないのだろうか! 


「んー委員長だから?」

「……委員長って大変だな」


 んーやっぱり委員長は仕事として俺に構ってくれている気がしてきた。か、勘違いしないでよねただの仕事なんだから! とか言ってくれれば少しは自信が持てるのだが。


 現実はそうはいかないらしい。


「でも、委員長。俺、弁当なんて持って来てないぜ?」


 授業中も休み時間も眠る俺は基本的に昼食を取らない。


「知ってる。だから――」


 ババンッと効果音を自分で発しながら委員長が鞄から登場させたのは薄ピンク色の風呂敷に包まれた何かが二つ。


「作ってきました」

「C4?」

「何それ?」


 知らないか。プラスチック爆弾なのだが、そういう兵器の類は男子の方が興味を引かれる物なのかもしれない。


「お弁当の話をしてたんだから、お弁当に決まってるでしょ?」


 決定していた。勿論わかっていたが。最近物騒なので少し疑って見ただけだ。


「わざわざ俺に?」

「わざわざ貴方に」


 これは――告白なのか? 

 そうでなくとも、もう俺に好意がありますと言っているようにしか思えない。


「委員長は俺の事が好きなの?」

「ん? いや別に?」

「じゃあ、何で?」

「委員長なので」


 わからない。真意がわからない。


「そういう佐藤君は私のこと好きなの?」

「好きだよ?」

「そっ」


 わからない。橘ひかりよりもわからない。

 普通の子じゃないのだろうか? 普通の一般生徒ではないのか? ただの委員長ではないのか? わからない、わからない、わからない。


「ん? どうしたの?」

「いや、一世一代の告白を『そっ』だけで流された事がショックでね」

「ふうん? ま、お弁当食べて元気だしなよ。一生懸命作って来たんだから」

「俺のために?」

「貴方のために」

「委員長だから?」

「委員長なので」


 ……まあ、いいか。


「じゃあ、頂戴します」

「うん! どうぞ!」


 差し出された一つの箱を受け取る。ピンクの風呂敷をほどくと中にはシンプルな黒い二段弁当が姿を現した。


「おお……」


 弁当を開けると感嘆の声が漏れる。一段目には白御飯と梅干で出来た見事な日の丸弁当がそして二段目には『チンして簡単!』がキャッチコピーとなっているであろう冷凍食品で固められたおかずが登場した。


「シンプルでいい弁当だな」

「自信作!」


 盛り付けがだろうか? 確かに茶色が多いおかずの中に佇む唯一の緑色、ホウレン草がいいアクセントになっている気がしなくもない。


「頂きます」

「うん!! 食べて! 食べて!」


 俺もせっかく作って来たお弁当に文句を言うほど贅沢な人間ではない。


 彼女が言ったのは『料理を作った』のではなく『お弁当を作った』である。何の間違いもない。彼女が一生懸命作ったと言うなら作ったのだろう。

 俺が弁当を開けて食べ始めると、委員長も弁当を開けた。中身は一緒のようだ。


「いつも弁当は委員長が作ってるの?」

「うん? ママが作ってるよ」

「なるほど」


 ママさんもきっと似た弁当なのだろう。それをマネして作ったと言った所か。


「いい母親だな」

「?」


 皮肉でも何でもなく。面倒と思いつつも毎朝弁当を作ってくれている母親は偉いと思う。購買のパンやコンビニで済ませてもいいだろうに。

 俺なんて育てる事すら面倒だと放棄されたと言うのに。


「どう佐藤君? おいしいかな?」

「うん、委員長の愛情を感じる」

「ふふっ、愛のない弁当は弁当じゃないんだよ!」


 正直、氷華さんの料理には及びもしないが、委員長の愛を食していると思えば確かに悪くない。むしろ、いい。女子の手作り弁当――いい!


「まさか、そんなに喜んでくれると思わなかったわ」

「女子の手作り弁当を喜ばない男子はモテモテのリア王くらいのもんさ」

「リア王って悲劇の王よね?」

「あぁ悲劇の王なのさ」


 モテモテのあまりに、調子に乗って、4股、5股、そして最後は修羅場からの殺人エンド。『さよなら』から包丁でメッタ刺しにされると相場が決まっている。


「ようは俺みたいな人類から嫌われた人間でなくとも普通の男子は喜ぶって事だよ」

「そうなんだ、ママも『こ、これでいいの?』って心配してたから良かったわ」

「そうだね。満点の弁当だったってママさんにも伝えといてよ」

「うん、任せて」


 まあ、ママさんがそれをどう受け取るかは考えないでおこう。


 こんな感じに委員長の愛のこもった弁当を食べながら他愛のない話をしながら昼休みが終わり自然な流れでその場は解散となった。


 面と向かって楽しそうに会話をする委員長は可愛かった。ただ、真意が読めない。本当に氷華さんの言うとおり委員長は俺の事が好きなのだろうか?


 委員長だから一緒に帰って、委員長だから弁当を作り、委員長だから俺と昼食を取る。


 ――委員長なので


 委員長って一体何者なんだよ? なんて、そんな疑問の答えは一考の余地もなく、自分で言っているように『委員長』以外の答えが他にないのであった。









「あ、あの? すいません?」


 女の子の声が聞こえ、寝ていた俺はほんの少しだけ覚醒する。覚醒を普通に『目を覚ます』の意味で使うと違和感が半端ない。


「あ、あのー? お、起きてください……」


 しかし、聞いた事がない声だ。一体誰を起こしているのだろうか?


「うう、全然起きない……」


 泣きそうな声である。誰か知らんが早く起きてあげなさいな。

 そういえば、今何時だろうか? 放課後ならばグラウンドに行かなければならない。橘ひかりとの約束だ。


「あ、起きた」


 教室に掛かっているアナログ時間を確認すると五時前である。いい時間だ。そろそろ向かった方がいいかもしれない。


「す、すいません。ぶ、部活でこの教室を使うので退出して欲しいんですけど……」


 帰る準備、と言ってもろくに授業を聞かないので教科書も持って来ていない。机の横に掛かった薄っぺらい鞄を担ぐだけだ。


 じゃあ、行くか。


 教室の後ろのドアから廊下に出る。今日は中庭に一人で楽器の練習をしている少女はいない。その代わりに数人の女子生徒と男子生徒がワイワイ騒いでいるのが見受けられる。


 それもまた青春である。


 あの一人で練習していた少女は別の場所で練習しているのだろうか? それとも、今日は部活が休みか。バカらしくて練習を辞めてしまったのかもしれない。それもまた青春――などと、考えていると今しがた出て行った教室からアヒルの鳴き声のような音が聞こえた。


 どうやら、教室での声の正体は昨日中庭にいた少女のモノだったようだ。確信は持てないが。


「青春だね~」


 と、おっさん臭い事を言いながら、橘ひかりの青春の手伝いに向かった。




 学校の玄関から正門を抜け歩いて約3分の所に我が校のグラウンドがある。敷地はそこそこ広く、それを三分割して出来たスペースにそれぞれの運動部日替わりで使っているらしい。

 詳しい事はよく知らないが。


 とにかく、橘ひかりがグラウンドに来いと言ったのだから、今日は陸上部が使用している日なのだろうが、ふむ、どーれーが、陸上部かな?


「あ! やっと来たわね!」


 声の先には体操服姿の橘ひかりがいた。半袖、短パン姿は何と言うか――エロい。特にスカートを穿いている時よりも良く見える生足が――エロい。足フェチではないが。


「よお、橘ひかり」

「遅いわよ、アンタの事だから来ないかと思ったわ」

「信用無くす事をした憶えはないんだけど」

「普段からの行いね。いつも適当すぎなのよ」


 異は唱えない。唱えられない。


「で? どれが沢田だ? さっさと終わらせよう」


 この日常編は最早、橘ひかりのために語っていると言っても過言じゃない。解決出来れば、この日常編をたためられる。


「えっと……あそこね。今、順番にダッシュしている集団がいるでしょ?」


 指された指の方向を見ると、確かに横に5列で並び順々に走り出している集団がいる。


「お前は混ざらなくていいのかよ? サボりか?」

「アンタを待ってたの。まあ、サボりだけど。怪我で休みって事にしてあるわ――あ、次に走る組に沢田がいるわ」

「いやお前」


 どれが沢田なのかを言えよ――と、言い掛けたがその組が走り出した瞬間に直感した。


 一人だけ圧倒的な速さで周りをグングンと置いていく存在がいた。走っている最中で顔は良く見えないが多分かなりの爽やイケメン。あれが、橘ひかりが憧れる人か。納得がいく


「今、4番目にゴールしたのが沢田よ」

「誰だよ!? 見てねえよ! そんな中途半端な順位! 一番速い奴じゃないのかよ!」

「あれは早風ね。内のエースよ。あ、今その早風と肩を組んでいる男子の後に歩いている三人組の一番右が沢田よ」

「あ、あれかな?」


 イケメン早風の隣で屈託のない笑顔を向けている優男のさらに後にいるモブ三人の右側。普通の顔である。ブサイクとは言わんが、カッコよくはない。


「お前、あれのどこが好きなの?」

「は、はあ!? 何でアンタにそんな事を教えないといけないのよ?」

「何でって……お前は自分がどれだけ可愛いかを理解してないのか? あんなモブを選ばないで陸上部のエースの早風の方がいいんじゃないか?」

「去年の県大会で一位取ったら付き合ってくれって言われて見事優勝を果たしたから振ってあげたわよ」

「何でだよ」


 報われねえ……


「いけ好かないのよ。結果残せば思い通りになるだろって告白が」

「わからなくもない」


 わからないのは


「で、何で沢田なんだ?」

「だから何でアンタに教えなきゃいけないのって言ってるの」

「お前が特別だからだよ」

「ごめん。私はアンタの事をそういう目で見た事ないの」

「違う、好きって意味の特別じゃない。勝手に振るんじゃねえ」


 まさか一日に二人の人間から振られるとは。


「お前は世界にとって特別なんだよ」


 それこそ、早風なんて眼中に無いほど。

 特別だから俺は橘ひかりがヒロインになり得る事を知っていた。俺の知り合いで本編に介入してもおかしくない人間は橘ひかりだけなのだ。


 その美貌に、性格、何より――俺と普通に会話出来る異質さ。


 日常の中の異質とはいえ氷華さんの言葉を借りれば十分に足を踏み入れている。

 物語においてその他大勢の枠ではない橘ひかりが好きな男がいると言った。だから、俺の物語のヒロインではなく別の物語のヒロインだったと理解した。それなのに――


「何で特別なお前が、何の特徴も無い男の事が好きなんだよ? それとも沢田に何か秘密でもあるのか? どうして橘ひかりにとって沢田が特別に成り得たんだよ?」

「うるさいわね! 人の恋愛にギャーギャー言ってんじゃないわよ! 彼はとっても優しいのよ? 理由ならそれだけで十分でしょ?」

「『優しい』なんて無個性とほとんど同義だろ? 心から悪人なんて存在見た事ねえよ! それとも、イジメられているお前を身を挺して救ったとかそんなエピソードでもあんのかよ?」

「無いわよ。一緒に部活して、話して、ちょっといいなって思ってたら沢田も私に興味あるって聞いて、気付いたら目で追うようになって、好きだなって自覚しただけよ。普通でしょ?」

「普通だな!」


 至極まっとうな恋だ。そのうち内輪のノリで二人きりにされて、照れながら少し話して、最終的に告白をするビジョンが見えるくらい、普通の恋愛だ。


「私は劇的を望んでいないのよ。普通に普通の恋愛でいいの。早風の告白はだから嫌いなのよ。あいつが努力すればするほど、自分を主人公だと思えば思うほど、鬱陶しい」


 散々な言われようの哀れな早風である。報われない努力もあったもんだ。


「私は自分が特別なことくらい知ってるわ。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花と言われ続けて長い私よ」

「俺のイメージは『綺麗な薔薇には棘がある』の方だけどな」

「私が刺々しいのはアンタにだけよ」

「アンタにだけていうのはスペシャルな感じで嬉しいけど、単純にお前の事が嫌いって言われている気がする」

「そう言ったつもりなのだけど?」


 グサグサくるね。


「いいのよ。あんたも特別な人間でしょ? それも私よりもずっと。アンタを基準にしたら私だって一般人よ。可愛い性格よ。私はそれを噛締めたいのよ。私は普通だって、ただの人間だって、その他大勢だって」

「その全てがまやかしでもか?」


 踏み入れた人間の日常を所詮はまやかしで幻。どうしようもなくその通りの言葉だ。


 望んで、焦がれて、乞うて、恋うた時には、既に後戻りができない。必死に手に入れようとしている物は水面に映る満月のようにすくえず、触れられず。見るだけ。そして目に映るその満月さえも虚像、本物ではない、まやかしで幻。


「ええ。私は満足している。部活をして、勉強して、友達がいて、好きな人がいて、とってもとっても――幸せです」

「つまらねえなぁ。大親友」


 とってもとっても――つまらねえ。


「誰がよ?」

「お前がだよ橘ひかり」


 つまらないのも、大親友なのも。


「くっだらねえけど、終わりだ、終わり。お前にも関わらない。お前が普通を求めるなら、俺はもうお前の近くにいない」

「え! じゃあもう私の席に居座らないの!」


 出会ってから今までの中で一番いい笑顔だ。


「座らねえよ、学校も辞める。元々お前をヒロインにするための日常編だ。出だしから滑ったせいで単なるお零れ話になったけどな」

「私がアンタのヒロインになる訳ないでしょ?」

「そういう所だよ」

「?」


 分からないだろうな。


「なあ、橘ひかり? 俺はモノローグでは嘘ばっかり付いているが人間に嘘を付いた事は一度もないんだぜ?」

「何それ? 人類皆友達だから? それとも人類に少しでも好かれようとする涙ぐましい努力?」


 最後まで腹立つ女だ。正体は悪魔なんじゃないだろうか?


「わからないならいいさ――じゃ、これで最後だ」

「はいはい、行きなさい、行きなさい」


 その返しについ苦笑してしまう。やはり特別だ。


「じゃあな橘ひかり。普通にお幸せに」


 背を向け、振り返りはしない。


 ポケットに入ったスマホに巻かれたイヤホンを慣れた手つきで解いて耳に装着する。再生ボタンを押すといつも通りジムノペティが流れ出す。


 何てことはない。元々無駄であった日常編が終わるだけ、捻りも絞まりも悪い日常編が。

 語り始めて二日目。

 たったの二日だ。


 でも。

 もう十分なのだ。

 十分に思い知ったのだ。


 俺はジムノペティ好きの普通の高校生にはなれない。

 橘ひかりは俺を同じ特別な側の人間と言った。それは俺も賛成だ。しかし重要な言葉が抜けている。


 同じ特別な人間でも彼女は『成功作』で俺は『失敗作』だ。


 彼女は普通に馴染めて、俺は普通に弾かれる。

 彼女は普通を理解できて、俺は普通の理解から追い出される。


 あの日エインに会う人間は俺と彼女のどちらかだったのだと思う。


 この町で、この世界で、特別な、たった二人の人間。

 そして、運命が、大きな力が選んだのは、失敗作だった。


 二日前から知っていた

 一週間前に分かっていた。

 生まれた時には気付いていた。


 こんな茶番を終わらせよう。


 ジムノペティは鳴り止まない。

 日常編のエピローグを語って終わりに向かおう。


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