ヒロインは橘ひかり
と、まあ少しカッコつけたプロローグめいた事を語って見たものの、現状は特に変わらず教室の一番後ろの窓際の席で頬杖をついているだけなのだが。
語る事も今は特になし。
鳴り止んだジムノペティもリピート再生でまた流れ始めている。
本当にただ単にジムノペティに合わせてモノローグを語っているだけで何かを伝えたい訳ではない。ようは、己に酔っているだけ。言い直せばジムノペティに酔っている。寄り添っていると言ってもいい。
物語は語らなければ始まらない。まあ、正直に言うと俺はあまり物語を語り始めたくはない。これからどんな未来が待っているのか知る由もないが、まあ、間違いなくジムノペティに合う物語にはならないだろう。
溜息が出る。
変わらない俺の普通の日常を語っても、それはつまらない物語にはなっていたのは予想するのに難くない。別に誰かに語る物語ではない。
語るまでもなくカタルシスがない物語。なんちて。
自己満足の物語でよかった。
言っても仕方が無い事は重々承知。自分の運命は自分で切り開けないから運命なのだ。
自分で切り開けたならそれは努力の結果で運なんかじゃない。逆に努力でどうしようもない出来事が運命と言うのだと俺は思う。
この論法でいくと「努力すれば夢は叶う」という正しい言葉に俺が付け加えるなら「但し運が悪くなければ」だ。
まぁ、そろそろ夢を叶えたい訳でもないが語りたくない物語を語る努力をしようか。
さっきも言ったが語るべき物語は今はない。じゃあなぜ、今、モノローグを語っているのかと言われたら暇だからだ。
退屈、退屈。
結構、結構。
暇な今の内に物語の触りを語って置きたかっただけで意味はない。
俺が自叙伝として本をだしたら削られていてもおかしくない程には何も無い触りの部分。触るな危険である。
そんな、ただの触りに時間を掛けても読む方は退屈だろう。
語るべき物語が来るまでチャプタースキップとでも行きましょうか。
とは言え、人生にリセットボタンが無いように、スキップボタンも無い。つまり、この退屈なモノローグはまだまだ続くという事だ。
え? マジ? そろそろネタ切れなんだけど?
まだ諦めるに些か早計だ。かのアインシュタインは言った。時間は相対化されると。
楽しい事をしていると時間の流れが速くなるように、退屈な時間は流れが遅くなるという話――だったか? その行動によって体感する時間の流れが違うとかなんとか。
すなわち、スキップボタンが無くとも早送りボタンはあるという人生において画期的な結論。
なるほど。喝采を挙げざるをえない。つまらないモノローグはここで終止符を打てる。
それじゃあ、早送りボタンを押すとしよう。
良い感じに準備も出来てきた。
では、皆さん、私は夢の世界へと参りますので、また語る時が来る時に。
おやすみなさい。
「起きなさいバカ!」
スコーンと良い音を奏でる俺の頭。きっと俺の前世は楽器だったに違いない。叩いて音が出るという事は打楽器だろうか。嫌な前世だ。
と言っても、管楽器で男に吹かれていたって言うのも考えたくない。そうだな、もし楽器になるのであれば、ピアノがいい。ジムノペティを自分で奏でたい。いや、俺の頭の中では常にジムノペティが流れているという事は今も既に俺はピアノになっていると言える。
あ、いや違う、今も頭の中で鳴っている音はイヤホンからの音だったか。まだ寝てもいないのに、どうも寝惚けているらしい。
おっと、また、つまらないモノローグを始めてしまっていた。さあ早急に、早送りボタンを押さなければ。
それでは皆さん、おやすみなさい。
「また寝た!?」
おやおや? おかしい、眠れないではないか。それに、気のせいかジムノペティ以外の音が聞こえる気がする。イヤホンの調子が悪いのか?
いや、それより、頭がジンジンする。そういえば、さっき叩かれたのだった。あれは良い音だった。
でも何で俺は叩かれてたのだろうか? しかし、皆さん? 俺の頭が叩かれる理由なんて些細な事ではございませんか?
早く物語の続きに行きたいでしょ?
こんなどうでもいい俺の日常は、後でスピンオフとして紹介するのもおこがましい。
はてさて、俺の物語はどこへ行くのだろうか。普通の高校生の普通じゃない物語までスキップ! じゃない、じゃない。
早送り!
「起きなさいってーー!!」
今度は地震か? 体が揺れる、揺れる。いや、結構な揺れだな、震度4弱はありそうだ。地震に慣れない国の人なら「オウ、ジーザス」と頭を抱えて震え上がる所だが、俺は日本で生まれた日本育ち。このくらい何も気にせずに眠る事が出来る。
と、まあ流石にあからさまな無視をすれば「はいはい、茶番茶番」など思われるだろう。ただ、分かって欲しい。本当にこの話が必要かどうか。この話こそ茶番であると。
俺がここで無視を続ければ物語が始まる。
ただの同級生Aとの会話を本当に今する意味があるのかどうか。
「はぁ、はぁ……」
息を切らせているのが聞こえる。
さあ、非日常の物語を語る上で全く必要ない人物であるにも関わらず今ここで貴重な時間を割いて話す必要はない。
ただ、そうだな……いや、わざわざ寝ている所を起こしてくれる程には仲の良い女の子なら物語に重要なヒロイン的な立ち位置の女の子の可能性があるじゃないか。
それに冒頭に出てくる女の子のメインヒロイン率が高い。あて馬になる率も高いのが難点だが。
まぁ彼女にメインヒロインの可能性があるのならば、話をするのもやぶさかじゃない。
それでは彼女のヒロインとしての資質を問う。
さし当たって彼女の顔立ちだろうか。ヒロインとして一番重要な素質だ。ブサイクのヒロインなんてどこに需要あんだよ。
顔は見えない声からして、同じクラスの橘ひかりである事は間違いない。そも、俺を起こそうとするのは彼女くらいだ。
そうさな……顔立ちは間違いなく美人。流れる長い髪に、活発さが窺える力強い目とその下の泣きぼくろがまた麗しい。
おまけにそのスタイルは高い身長もさることながら、陸上で鍛えられたプロポーションは見るもの魅了する。
特にスカートから伸びる引き締まった細い足はとても美しく、足フェチには堪らないだろう。
まあ、俺は足フェチではないので堪らないとまではいかないが。
まあ美的感覚は人それぞれだ。お前らの性癖には口を出さない。
とりあえず結果発表。
一般的に見て橘ひかりという人物は間違いなく美少女ヒロインになりえる。
ふむ……となると、後は彼女が俺に好意を寄せているかどうか。
世の中色々なヒロインがいると思う。主人公を最初から好きだったり嫌いだったり、味方だったり敵だったり、食べたり食べられたり。
橘ひかりの場合はどうだろうか。
こうして寝ている俺を起こそうとするくらいには仲が良いように思えるだろ?
だが、真実は見たままとは限らないのが世の常。読んだままとは限らないのが叙述トリックだ。
さて海亀のスープ的な問題を出そうか。
Q橘ひかりは、俺に用事がある訳ではない。でも俺の睡眠を息が切れてまで邪魔しています。さてなぜでしょう?
シンキングタイム、スタート。
ところでシンキングタイムを新キングタイムに書き直したら技名みたいで格好いいよねって話をしたところでシンキングタイム終了。
はい答えをどうぞ。皆は正解分かったかな?
ん? 考える時間が短いし、質問が出来ない海亀のスープって何だよって?
いやごめん、そんな真面目に考えられても困るわ。
というわけで正解はコチラ!
「いい加減にしろーーー!!!」
ガツンッ!!
鈍い音が教室に響いた。力の限り拳を頭に叩きつけたのだろう。普通なら鼻が折れていてもおかしくない威力である。どうやら俺は運がいいらしい。
額から机に衝撃が通り抜けたようで鼻は折れてはいないようである。
顔を上げて、橘ひかりの方を見る。怒った顔でこっちを睨む。美人な顔で睨まれると凄みが増すね。
「怒った顔も可愛いな」
「は? キモいんだけど?」
冷たい視線に冷やな言葉が投げかけられる。流石に可愛くない。というか、口が悪い。
まあ彼女が怒るのは無理もない。理解を示してあげて欲しい。
そろそろ彼女から正解を発表してくれるはずだ。
彼女が俺に用がある訳ではないのに俺を起こす問題の答えを。
「何でいつもアンタがアタシの席に座ってるのよ!?」
はい、これが解答です。分かった人は偉いですね。この問題はテストには出ませんので注意してくださいね。
彼女の言うとおり、ここ、つまり教室の一番後ろの窓際の席、俺がずっと座ってモノローグを語っているこの場所は実は俺の席ではない。彼女、橘ひかりの席だ。
彼女が俺に用事がないのに俺を起こす理由は単純に自分の席が他の生徒に乗っ取られているからであった。
「何でって言われても……いつも言ってるだろ? ――お前の事が好きだからだよ。橘ひかり」
「言ってないわよ! アンタがいつも言ってるのは、訳の分からない音楽に一番合うのがこの席だとか言う理由でしょうが!」
さっきから可愛いと言っても、好きと言ってもデレる様子一つ見せない。ヒロインなら少し照れて欲しい。「な、ななな、何言ってるのよバカ!!」くらい動揺して顔を赤らめて欲しい。
そんな怒った顔で赤くしていないで。ヒロイン力足りてないんじゃないの?
まぁこの席に座っているのは橘ひかりの言うとおりなんだけど。俺が橘ひかりを好きと言ったのは嘘だ。
べ、別に橘ひかりのコト好きなわけじゃないんだからね!
はい。俺が彼女の席に座っている理由はジムノペティにこの席が一番よく合うから。教室全体を一望でき、外の様子を眺める事が出来る。最高の場所。
物思いに耽るのにこれほど適した席はない。
「それと、人と話す時にイヤホン付けるの辞めなさいよ」
こいつは怒ってばっかりだな。
カルシウムも足りてないようだ。
まあいい。橘ひかりとの会話はうるさくてジムノペティには合わない。
「はいはい。これでいい?」
イヤホンをクルクル携帯に巻き付けていく。
「いい訳ないでしょ! どけって言ってんのよ!」
机をバンッと叩いて睨む橘ひかり。周りが注目している。
ドウドウ、興奮するな。落ち着け、落ち着け。
可愛いのに何でこんなに血の気が多いんだ。
一回献血にでも行って血を抜いてもらってはどうだろうか。
「ハァ……そうだな、今日はどくかな」
「今日はじゃないの! 今後私の席に座るのを辞めなさい!」
「え? 何で? 毎日座っているのに?」
「意外そうな顔しないで。毎日、意味のわからない理由で自分の席に居座られる私の身にもなって、また夫婦漫才が始まったとか言われてんのよ?」
「それはヒロインっぽい」
「ヒロイン?」
「いや、こっちの話」
なるほど、橘ひかりからは好意を感じられないが、関係性としてはヒロインらしくあるようだ。
きっと、これから徐々に好感度が上がっていくタイプだ。
「なあ、橘ひかり。何か悩んでいる事はないか?」
「急に何よ?」
「いや? いつも席を借りているお礼に何かしてやれないかと思っただけさ」
時間もないから強引にでも好感度を上げるイベントを発生させよう。
この年頃の女の子に悩みが無い訳がない。
さあさあ、友人関係か? 部活動についてか? それともお金か? 俺が出来る事は少ないが、橘ひかりが望むならだいたいの事なら叶えてやれる。
「一生私の席に座んないで」
「それは無理だなぁ」
俺が出来る事は少ないんだって。
「ぶっ殺すわよ!?」
「本当に口の悪い女子だな。可愛いのが台無しだぜ? それじゃあ男も寄って来ないぞ」
「やたらと褒めてくれるけど可愛いは聞き飽きてるわ。そんな陳腐な言葉はいらないわ。でも、確かにぶっ殺すは言い過ぎた。ごめんなさい」
素直に謝れる事は人としては大切だよね。
ただヒロインとしてキャラ設定し辛いから辞めてね。
ギャップ萌を狙うのはいいけど
「まあ、俺がどく、どかないの話は来年まで大切に取って置こう。他に何か悩みはないのか橘ひかり?」
「クラス変わってるじゃない……いやでも、まあそうね。あんたには言わないとね。チクる友達もいないだろうし……」
何かボソッと本当の事を言われているけど、お前は友達と違うん? と思っていると橘ひかりはチョイチョイと手招きをする。
「耳貸しなさい」
ん? 他の人には聞かれたくない悩みか。聞かれたくない悩みって何だろうか? 家庭内の事情とか? 酔だおれDVギャンブル中毒親父を真人間にする願いくらいなら叶えられるが。
とにかく言われたとおりに橘ひかりの口元に耳を持って行く。
近づけた耳に少しだけ彼女の息がかかる。
おー何かいい匂い。柑橘系のいい匂いだ。
変態のように、または綺麗なお姉さんが横切った時のおっさん、もしくは芳香剤や洗剤のCMの登場人物ばりに鼻腔の神経に意識を集中していたせいで
「え? なんて?」
橘ひかりが言ったことを聞き逃した。
「ちゃんと聞きなさいよ!」
注意する時ですら俺にだけ聞こえる声だ。
もう一度初めからお願いします。
「アンタが毎日アタシの席に座ってるせいで、アタシとアンタが付き合ってるんじゃないかって好きな人に勘違いされてるのよ。だから、本当にアタシの席に座るの辞めてくれないかしら?」
ふむふむ、要するにこれは恋愛相談か……
――いやいや、いや。待て待て、待て! 橘ひかり。それはヒロイン失格では? 他に好きな男がいてヒロインは務まるものなのか?
なくはない? あるとすれば、その好きな相手に振られた所を相談相手である俺が美味しいとこ取りという展開だ。
んーなくはない? なくはないが正統派ではないな。
そもそも、これ恋愛相談ではなくて単純に嫌がられているだけだ。って、なんだいつも事じゃん。
まぁ他に好きな人がいるなら橘ひかりをヒロインにする事は諦めたがいいかもしれない。
しかしそれじゃあ、日常編を語っている意義が消えてしまうのだが。
橘ひかりも好きな相手に勘違いされているのは辛いだろう。
きっと我慢して我慢してやっと意を決して俺に言ったのだろう。
「そうか。それは、すまんかった」
「やけに素直ね」
毎日、退け、邪魔だと言っても退かなかったのだから、そりゃ驚くだろう。俺にだって罪悪感というものが無い訳ではない。
ヒロインでもない相手にこれ以上は迷惑を掛けられない。
「で? 橘ひかりの好きな人って誰?」
「な、な、なな、何でアンタに!?」
デカイ声を出した橘ひかりはハッとして口を塞ぐ。
あれ? それは俺が好きと言った時に欲しい反応でだったんですが。
「何でアンタにそんな事を教えないといけないのよ?」
「最初から悩み相談だっただろ? 手伝ってやるって」
橘ひかりヒロイン化計画はもうお終いだが、自分の蒔いた種のくらいは処分してやらないとな。
「俺が直接本人に言った方がいいだろ? 俺とお前は付き合ってないって、友達になったあかつきには上手く取り持ってやるよ」
「アンタに友達なんて出来ないでしょ?」
ふう、まあ俺は彼女からしたら友人というより怨人の様なので、その言葉は受け入れましょう。仕方ない!
「人類皆友達が俺の信条なんでね」
「また適当ね」
「ま、お前が思った通りなら告げ口される事もないだろ? 上手く行けばラッキーぐらいに考えとけよ」
一瞬、考え彼女は
「5組の沢田よ。同じ陸上部の男子よ」
「へぇ、知らん奴だが、出来る限りの事はしよう」
他クラスの人間か。
「余計な事はしなくていいからね。誤解を解いてくれればそれでいいわ」
「分かってる、分かってる」
と口では言うがエリートに求められるのは言われた事だけではなくそれ以上の成果をあげてくる事であり、求められた物から3段上のクオリティーで作り上げるのが一流の芸術家だ。
別に俺はエリートではないし、芸術家でもないけど、まあ楽しみにしとけ橘ひかり。
「話まとめると誤解を解けばこの席に座っててもいいって事だな」
「それとこれとは話が別でしょ!?」
「はっは!」
逃げるように橘ひかりの席から3番目廊下側から2番目の席に座る。何とも微妙な席である。
この席が自分の席だと思うだけで憂鬱である。
巻き付けたイヤホンを解いて耳につけて目を瞑る。
暗闇が支配し、頭の中にジムノペティだけが流れる。例え席が違えど目蓋の裏の景色ならばどこにいても変わらない。
感覚を耳に集中させ今度こそ早送りボタンこと睡眠に入る。
きっと、もうすぐ授業が始まるのだろう。
橘ひかりは俺に退けと言ったのはだからだろ。
授業なんて聞いてても退屈なだけである。
教師たちの声はジムノペティには合わない。
意識が溶けていく。これで日常編が終わる。早送りボタンから本編突入だ。
日常編が不完全燃焼? 知らん。知らん。
橘ひかりはヒロインじゃなかったのなら本編に絡んでくる人間じゃない。これ以上、彼女との話は必要ない。
うん、それじゃあ。おやすみ。




