決められた運命
小説家になることを決意した白雪は、本格的に執筆に取り組んでいた。
僕に内緒で書いていた小説は既に遂行を終え、応募に出している。
この小説を最後まで読んだが、彼女らしい個性的で面白い会話、ストーリー展開、どれをとっても良い出来だった。
少なくとも一次二次は余裕で通過できる作品のはずだと、僕は信じている。
でも今回で、小説家デビューできると言う確信はない。落選する可能性は大いにある。
だが少なくとも、今の彼女にはこの小説で落選しても、デビューを諦めるつもりはなくなっていた。
彼女は応募した後すぐ、次の応募に向けて小説を書いている。僕も出来るだけ彼女に協力したいと思い、アイデアや誤字修正などちょっとした事を手伝っていた。
でもあくまでこれは、彼女の作品であるため重要な所などに僕は口出ししない。彼女が書きたい作品を書いてもらいたいと思う。読者として、そしてパートナーとして。
ところで僕は今、ファミレスに来ている。
とある少女を待っていた。
それは、白雪ではない。
そもそもなぜ僕は、その人物に呼ばれたか不思議であった。
他人ではない、知人だけどそこまで話す仲でもない。
ふと、店内にある時計を見た。
時刻は午後二時十二分。
かれこれ僕は、二十分以上ここで待っている。待ち合わせの時間は二時ちょうどで、約束した少女はまだ来ていない。
待つのは苦手ではないが、遅れるならせめて、連絡くらいして欲しいものだ。
そんな事を考えながら僕は注文したコーヒーを少し飲みつつ、彼女を待つ。
数分後にようやく、約束した少女が僕の前に現れた。
「いや~ごめんね彼方くん。ほんとは遅れるつもりじゃなかったんだよっ」
黒髪ショートヘアーの少女、天原初音が口を大きく開き笑った。今日は休日であるのに、彼女は制服を着ている。
天原はとくに申し訳ないと感じる素振りは見せず、僕と向かい合わせに椅子に座った。
僕はいろいろ言いたいこともあったが、冷静に考え言うのをやめる。
そもそも今日、彼女が僕を呼んだのは唐突な事であった。
僕が今日目覚めたばかりの頃、ちょうど天原から連絡があった。僕は連絡先を天原に教えた覚えはなくて、はじめは驚いた。けどおそらく、白雪に教えてもらったのだろう。それならば納得できる。
ただ、僕が今日起きたのは午前五時だ。目覚めて数分足らずで、天原から電話が掛かってきた。
普通であれば、親しくもない人間が五時に電話を掛けてくる事はない。非常識だ。少なくとも、僕の起きる時間を知るはずもない彼女が、掛けるべき時間ではない。
僕が黙っている間、彼女は僕の方を気にもせずメニューをざっと見ていた。そのあと店員を呼び、彼女はパフェを二つ注文する。
「僕はパフェを食べるつもりはないんだけど」
店員が去ったあと僕は天原に尋ねた。
「違うよ。二つとも私が食べるんだよ」
何言ってるんだい? とでも言いたげな顔で彼女は言った。
忘れていたが、彼女は大食いであった。小さな体に似合わず、女子高生が食べる食事の何倍もの量を彼女は余裕で食べてしまう。
「じゃあなんで二つなんだ?」
「女子高生が何人分もメニューを注文するなんておかしいじゃないか。でもきみがいるおかげで、私はパフェを二人分食べられるってわけなんだよ」
「意外だな。天原にも女の子らしさがあったなんて」
「なんだいそれ、私だって普通の女子高生だよっ」
天原は頬を膨らませ、不満げな表情をする。
「結局天原は、パフェを二人分食べるために僕を呼んだのか? そんなくだらない理由で呼んだなら、僕は今すぐにでも帰りたいんだけど」
「くだらなくなんてないよ! って言いたいところだけど流石の私も、そんな理由で君を呼んだりしないさ」
「じゃあなんで?」
「単純に、きみと二人で話をしてみたかったんだ。もうずいぶん、きみと話す機会もなかったからね」
天原は右手で頬杖をつき、顔を少し傾けるように僕を見た。
僕が天原と最後に話したのは白雪と恋人になった翌日の朝、屋上の鍵を渡しに来た時だ。
それ以来、白雪と天原が一緒に話している機会はあれど、僕と天原が話す機会は全くなかった。彼女自身、僕に話しかける様子もないように見えた。
「どうして今更話がしたいなんて思ったの?」
「うーん、ちょっときみのことで、いろいろ面白いことを知ったからね~」
「面白いこと?」
「そ、彼方くん。きみは中学生のとき、今以上に優等生だったらしいね」
「それは……白雪から聞いたの?」
その言葉に一瞬、僕は驚いた。今となっては対した話でもないけれど、彼女がその話を知ってることが不思議であった。
「まぁそんなところだよ。中学の頃のきみは、勉強も運動も学年トップクラスの成績。リーダーシップもあって、お手本になるくらいの優等生だったようじゃないか」
「ああ、確かにそうだったね」
否定はしない。それは事実であったから。過去の事だし謙遜する理由もなかった。
「なのにきみは、勿体ないことをしたよね。本当ならもっと良い高校に入れたはずなのに、きみは普通よりちょっと偏差値が高い程度の、今の高校を選んだ。成績だってそこそこ上の方ではあるけど、本来のきみならもっと上にいけるはずだよ? どうしてこうなっちゃったのかな?」
僕は彼女の質問に、とっさには答えられなかった。天原はなにもかも見透かしているように、僕の過去と今を的確に言ってくる。白雪に聞いたにしても、彼女は僕の事を知りすぎている。
僕の連絡先や起きる時間にしても、なぜ彼女はそこまで僕の事を知っているのか。白雪はいったい、どこまで彼女に話したのだろう。
「ひめちゃんはなにも悪くないよ。ただわたしの好奇心で聞いただけだからさ」
天原はちょうど、また僕の心を読んでいるように言ってきた。もはや彼女には、恐怖すら感じてくる。
でもこのまま、黙っているわけにもいかない。
僕は彼女の問いに答える、ふさわしいと思う言葉を探して言う。
「たんに意味がないなと思ったんだよ。本来の僕というのは、今の僕のことだ。昔の僕は、僕であり僕じゃない。あの頃はただ優等生を演じて、夢を追いかけていただけだよ」
上手く伝えられたとは思わなかった。
でも、言いたいことは間違ってはいない。説明しようとすると、どうしても長くなる。
僕は昔、白雪のように物語の世界に憧れていた時期がある。
世界を救う英雄や悪者を倒すヒーローに、なりたいとさえ思った。
けどそれは、現実ではありえない事だ。
この世界は物語の主人公のように世界を救う英雄はいないし、仮にいてもそれが僕であると思わない。
魔王のような絶対的な、悪の存在はいない。
だから現実は、つまらない。
でも、物語の主人公になれなくても、様々な知識を身につけたくさん勉強をすれば、いつか大人になって人生が楽しくなるのではないかと思った。
大人になれば、本当にやりたいことが出来るのではないかと思っていた。
だから僕は、必死に学業に取り組んだ。なにであれ、無駄にはならないと思い勉強も運動も必死で努力した。
同年代の子が遊んでいる時でさえ、僕は自分の時間を無くして勉強をした。あの時はがむしゃらで、とにかく量をこなしていたと思う。
人と関わるのも得意ではなかったけど、次第に必要最低限のコミュニケーションをとれるくらいにはなっていた。
その結果、僕は端から見れば文武両道な優等生になっていた。
成績は常に上位、総合で一位を取ったこともある。運動も基本的に、だいたいスポーツの一般的なルールは把握している。それなりにやれば平均以上の実力は発揮出来て、運動部の助っ人に呼ばれることもあった。
努力が実るのは嬉しかった。楽しかった。
だが次第に僕は、自分の人生が楽しいものだと思わなくなっていった。
幸せだと言える自信がなかった。
それは僕が本当にやりたいことではないからだ。
学生である貴重な時間を犠牲にしてまで、僕はこのように生活すべきなのか分からなくなっていた。
なにより、その時の僕には友達と呼べる相手が存在しない。
一応クラスメイトたちと話すことはあるけれど、距離を置かれている感じがしたり、僕自身が興味を持てる相手がいないのだ。
そして大人になって待っているのは、仕事に囚われる事による時間の束縛だと僕は知る。
結局一番自由でいられるのは、学生である今だということにようやく気付いた。
それから僕は今の高校に入学し、優等生をやめた。テストは授業を聞くだけで、他はほとんど勉強しなくなった。それでも普通より上の成績を取れているため今のところ問題はない。
両親は僕が今までしてきたことを知っているのもあり、なにかを言ってきたりしなかった。
その後僕は、高校生としての時間を利用して、自分のしたいことに重点を置いた。それが小説を書くということだ。
結果的に今、僕は幸せと言える。
物語を作るのはとても楽しくて素敵な事だった。生きている証を刻むように、小説を書くのが楽しかった。
なによりそう、白雪に出会えたのもすべて小説のおかげだ。
小説が僕と彼女を繋いでくれた。
はじめて興味を抱いた人物は白雪で、はじめて友達と思えたのも白雪だ。
そしてはじめて人を好きになり、恋をしたのも白雪だ。
だから僕は自分の選んだ選択に、後悔はなかった。
「そうかそうか」
うんうんと天原は深く頷いていた。
僕が口にした数は少なかったのに、たったそれだけで全てを理解しているように。
「きみが優等生をやめた理由はわかったよ。きっときみが選んだその選択は、ひめちゃんに出会うための……運命だったのかもしれないね」
「運命」
僕はその言葉を反復する。
ちょうど店員がパフェを二つ、僕たちのテーブルに置いた。
それは当たり前のように、僕と天原の目の前へと置かれる。
だがこのパフェは後に二つとも、天原が食べるものだ。だから僕は目の前にパフェが置かれても、とくに手をつけるつもりはない。
天原はというと、自分の方に置かれたパフェをスプーンですくって食べていた。
とても美味しそうな表情で食べている。食べてるときの彼女は、少し可愛いげがあった。
僕は自分のコーヒーを口につける。コーヒーはずっと前に注文していたため、すでにぬるくなっていた。まだ話が長くなるなら飲み干して、おかわりをもらおうかと考えてみる。
「でさ、さっきの続きだけど、きみは運命についてどう思う?」
パフェを三分の一食べたところで、天原が僕に言ってきた。
「運命と言われても、具体的でなければよくわからないな」
「簡単に言えば、その人の人生すべてだよ。きみが優等生をやめたのも、今の高校に入ってひめちゃんに出会い、恋人になるのもはじめから決まった事。世界がはじまったときから決められた運命なんだと、私は思うな」
「それはつまり、運命ははじめから決まっていて変えられないってこと? 場合によっては悲しい事だね」
「そうだねえ。悲しいことが待ち受けていて、運命を変えてみせるとかよく物語で言われるよね? それで運命が変わったと思うなら、はじめからそうなる運命なんだと私は思うのだよ」
「それを見据えての運命か。でも仮に、決まっていたとしても、予測することも見ることもなできなければ、運命に意味なんてないよ」
「そんな事はないと思うよ。神様だったら……運命を見れて、運命を変えることだって出来るかもしれない」
「神様か……」
僕はぽつりと、小声で呟いた。
「すまないけど、僕は神様という存在を信じてない。それは非現実的で、人間の生み出した空想の人物だと僕は思ってる」
「じゃどうして、みんな神様を信じてお祈りするんだい?」
「それこそ空想と現実を区別できない結果だよ。突然神様が現れて人々が救われる物語に影響して、みんな神様がいると思い込むんだ。そこから祈れば救われると信じる人が現れ宗教が出来る。そして偶然、祈ってた人物がなにか事件に巻き込まれ助かった場合、神様のおかげだと余計に信じこむ」
その連鎖でいつの間にか神様がいると誰もが思い込むようになったのだと僕は考えている。
僕は神を信じない。
この夢のない現実において、神様という存在はもっとも非現実的な存在だ。
天原はすでに、パフェを一つ食べ終えていた。相変わらず食べる量もペースもおかしい。
彼女は僕の方にあったパフェを自分の方に持っていき、また食べはじめていく。
「じゃあさ、たとえばの話だよ? きみは世界がどうやって生まれたと思う?」
「それは一般的に、ビッグバンが発生して生み出されたのだと言われているよ。あるいはこの世界にはじまりはない、なんて推測もされている」
「ま、そんなところだろうね。でもやっぱり、はじまりはあると思うな」
「それは僕も同じ考えだ。なんだってはじまりがないはずがないよ」
「うん、じゃあ世界はビッグバンで誕生したものだと仮定して話をしよう」
その後天原は、アイスクリームをスプーン一杯にすくって口に運ぶ。
たくさんの量を食べたからか、頭がキーンとなったかのように彼女は目を瞑った。しかしその表情はとても嬉しそうだった。
「ビッグバンで世界が誕生したとしてさ、じゃあビッグバンが起きる前はなにがあったときみは思うかい?」
「それはやっぱり無じゃないかな。ビッグバンより前の事なんて、まだ証明されていないけれど」
「仮定の話だよ。私たちは学者でもなんでもない高校生なんだから、証明なんて出来ない。思ったことを言えばいいさ」
「まぁ、そうか」
「で、無がビッグバンより前だとして、どうやって無からビッグバンが生まれたのだろうって思わないかい?」
「気になると言えば気になるね。ビッグバンが生まれる理由がわからない。でもそれこそ、誰にもわからないんじゃないかな」
結局、人間に出来るのは過去を予測することだけだ。ビッグバンがあることすら曖昧だし、そこからそれより前の話なんて予測するのは難しい。
「その分からないこそ、神様がいる証明だと私は思うのだよ。無から有なんて普通は作り出せない。けれど神様なら、それが出来てもおかしくないからね」
「だから神様なら決められた運命を変えられると?」
「そ、神様はなんだって出来る。運命を見ることも生み出すこともなんだってね」
「だったら僕は、どうして神様がこんなつまらない世界を作ったのか理解できないな。変えようとは思わないのだろうか」
「なんでもできるからじゃないかな? なんでも出来るから、自分の思い通りになれるから、神様はあえてなにもしないんだ」
「天原はなんでも知ってるように言うね。まるでほんとに神様のようだ」
「あはは。私は神様なんかじゃないよ。私は普通の女の子だよ」
天原は苦笑するように笑った。
僕は今まで、彼女の事を少し馬鹿だと思っている所があった。
ちょっとふざけた雰囲気の彼女が苦手な所があった。
けれど彼女といろいろ話してみると、意外と頭が良いのかもしれないと思えてきた。時々不思議に思うこともあるけど、彼女の言うことは面白い。
それも白雪が親友と認める存在だからだろう。変わっている少女だから、白雪は彼女を親友と認めた。
そう言うことであるならば、納得できる気がした。
「で、結局きみは、運命をどう考えるかい?」
「わからない、けれどその運命が良い方向だと信じたいよ」
「じゃあもし、悲しい運命だとしたら?」
「出来るだけ悲しい運命でないことを願うよ。その分僕は自分で出来ることをやると思う」
「そっか、いろいろ聞かせてくれてありがと」
天原はすでに二つ目のパフェを食べ終えていた。彼女は微笑んだ後、財布を取りだしパフェ二つ分の料金をテーブルの上に置く。
「きみの考えが知れて楽しかったよ。私は先に帰るとするよ。またあとで会おう」
「ああ、また学校で」
彼女は席から立ち上がり去っていった。
僕はもう少し、ここでゆっくりしようと思っている。
仮に運命が決められていても、それが悲しい運命でも僕はそれを乗り越えられるものだと、その時までは思っていた。
一週間後、白雪が事故に合うその時までは。