第八十五話 嫁恐怖症
「なるほどな、名誉の回復というか汚名をそそぐことを目的に、サムの昔の従者が押し掛けてきたってわけか」
カワヨコの町に到着し、役所へと向かった俺たちが出くわしたのは、氷の勇者として活躍しているサムたち一行と、かつて国境の町で出会ったサムに仕えていた氷の勇者御一行様たちがトラブルを起こしている現場であった。
否、話を聞くにどうやらサムが一方的に敵愾心を抱き、協力を拒絶していたらしい。
無理もないと思う。
あの日、俺たちが初めてサムと出会い、俺がサムの『息子』を握りつぶして倒してしまった翌日、サムに仕えていた大勢の氷の勇者御一行たちはサムを見限り1人残らず姿を消してしまったのだ。
兵士たちに罵倒され、婚約者にも捨てられたサムの絶望に染まりきった顔は今でもハッキリと思い出せる。
その後、母さんの一撃と優しさのお陰で何とか持ち直したサムは暗殺の危険のある青龍の国を捨てて玄武の国へと戻り、5年もの歳月をかけて少しずつ成長し、今では立派な勇者の1人として活躍中だ。
かつてサムを見限った連中は焦っただろう。
弱くて無能なクズ勇者と断じた、傲慢な目付きをした太ったガキが、いつの間にやら立派な勇者に成長してしまったのだ。
彼らは自らの行いを恥、改めてサムに仕えるためにやって来たということか。
……いや違うな、見れば氷の勇者御一行たちは誰も彼もがその瞳に不安な光を灯しており、戦いにきたようにはとても見えない。
彼らを率いてきたのはかつてサムを勇者の道へと引きずり込んだ、青龍の国の使者の男だという。
ひょっとして彼らはあの男に騙されてこの場に連れてこられたとかそういうオチなのではないだろうか?
「騙したなんて人聞きが悪い。私は現在活躍中の氷の勇者様と同じ戦場で戦う機会があると伝えただけですよ?」
使者の男はそう言って肩をすくめるが、青一色の武装に身を固めた氷の勇者御一行たちはその顔色までも青くなってしまっている。
言っていることは正しいのだろう。
『同じ戦場で戦う』ということに関しては嘘は言っていないのだから。
肩を並べて戦えるとも、勇者に守ってもらえるとも言ってはいないのだから。
しかし俺たちがこれから戦うのは光の勇者すら倒しきれなかった火の魔王率いる魔王軍なのだ。
そんな相手と戦うのに、こんな素人の集団がいても迷惑になるとしか思えないのだが。
「そうでもありませんよ。『本命』の相手に勇者様方が集中してもらうためには、どうしてもその部下の注意を別の誰かが引き付けなければなりませんからね。我が国の兵士たちは、玄武の国の懲罰部隊と共に先陣を切ることになっております」
「それはつまり青龍の国の兵士たちは懲罰部隊としての扱いというわけか?」
「そう取ってもらって結構です。彼らの仕事は相手の注意を引くと同時に本隊の被害を減らすことなのですから」
「……それをよりにもよって、当事者の目の前で言うのかあんたは」
「未だに自分の置かれている状況が分かっていないバカ共ですからね。いい加減覚悟を決めてもらう意味でも必要なことだと判断しました」
そう言って使者の男は、まさかの事態に呆然としている青龍の国の元勇者の従者たちへと笑みを浮かべた。
彼らの中で状況を正確に把握した者たちは、武器を放り出して役所の扉へと向かった(ようするに逃げ出したのだ)が、どこからともなく現れた何の特徴もない男たちに制圧され、こちらへと蹴り飛ばされて戻ってきた。
その男たちは見た目は何処にでもいそうな普通の人のように見えるのに、その実力は一級品だ。
ひょっとしてあれか? 青龍の国の諜報部員か何かなのか?
「まさにその通り、彼らは我が国の諜報部員です。我が国の犯罪者たちが逃げ出さないようにこの町の各所に点在させておりますので、逃げることはできませんよ」
まさかの正解だった。
しかしこんなあからさまに他国に諜報部員を放っていると言ってしまって良いのだろうか?
「問題ありません。今回の件に関しては我が国の上層部から玄武の国の上層部へと連絡済みですから。ああ、ちなみに貴方たち! 今回は見逃しましたが、次に逃げ出したら国家反逆罪で問答無用で処刑ですからね! カワヨコの町の皆様に死体処理の仕事を押し付けたくはないので、大人しくしていてくれるとありがたいですね」
「いや、その場合はそっちで処理してくれよ」
「これは手厳しい」
使者の男は笑いながら元氷の勇者御一行を恫喝している。
彼らは今頃になって6年前のツケを払う羽目になったのか。
弟を見限った連中だ、同情はしないが少し哀れに思ってしまった。
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青龍の国の連中は町の宿屋を幾つか借り切ってそこで滞在すると言うので、俺たちはそこで彼らと別れた。
俺たちは役所に到着の挨拶をし、いつものように役所に滞在の許可をもらい、来客用の部屋に通されてようやく一息付くことができた。
そして俺たちはすぐに近くの空き部屋へと向かっていく。
そこではサムたち氷の勇者一行が俺たちを待っているからだ。
俺たちは役所らしい重厚な作りの扉を潜り、約1年ぶりにサムたちと再会するのだった。
彼らは俺たちよりも随分と早くこの町に到着していたそうだ。
この1年でお互い積もる話もたくさんできた。
そしてサムたちの知らないメンバーも俺たちには同行している。
だから再会の挨拶も兼ねて、まずはお互いの自己紹介から始めようと言うことになったのだった。
「では私から始めさせていただきます。私の名はエース、勇者の供として旅立つ前はタートルの町においてロゼッタ様とナイト様の護衛隊長を勤めておりました。宜しくお願い致します」
「俺の名はキング、タートルの町の孤児院の出身でサムの親友だ。宜しく!」
「そして俺様が今代の氷の勇者であるサム=L=アイスクリムだ。宜しくお願いする」
3人はそう言って揃って頭を下げたのだった。
俺はサムの成長に驚きを隠せない。
旅に出る前のサムはこれほどきっちりとした挨拶はできなかったはずなのだ。
『可愛い子には旅をさせろ』ということわざがあるが、弟であってもそれは当て嵌まるらしい。
この1年世間に揉まれたお陰だろう、サムは1年前と比べて明らかにしっかりとした人間に成長していたのだった。
サムが親友のキングと戦闘教官であったエースを連れて旅立ってから既に1年が経過している。
この1年の間に、サムの活躍の噂は途切れることなく轟いており、その噂が本物だと証明するように、サムの体は引き締まり、その顔は戦う男の顔へと変化していた。
もちろんキングもエースも同様だ。
いや、エースは元々父さんの軍の叩き上げの兵士だったから最初からこんな顔付き・体付きか。
変化が著しいのはやはりキングの奴である。
サムと同い年のキングの顔つきも、いつの間にやら立派な魔法使いの顔つきへと変わっていたのだった。
「では次はこちら側だな。
俺たちやアナたちについては全員知っているから省略するとして、
この2人が天使であるゲンとヨミ。
そして白虎の国からやって来たハヤテとデンデとトウ老師だ」
俺は同行者5人の紹介をする。
そして5人が5人共それぞれサムたちに挨拶をしたのだった。
「オイラはゲンブの使い! 名前はゲン! 宜しく!!」
「あたくしはツクヨミの使い! 名前はヨミ! よろしく!」
天使の2人は初めて俺たちの前に姿を現した時と同じ挨拶だ。
どうやら2人にとってこの挨拶は定番のものであるらしい。
「オレの名はハヤテ。白虎の国で狩人をしている者だ」
「ハヤテ兄さんの弟であるデンデです。兄さんと同じく狩人をしています」
「そして吾輩が2人の育ての親である。話は聞いているだろうが吾輩は魔族だ。 ヤマモリの町でトウという名を授かった。どうか宜しくお願い申し上げる」
ハヤテとデンデは例によって勇者とは名乗らず、逆に老師は当たり前のように魔族だと名乗っていた。
まぁサムたちにもこの話は伝わっているだろうから問題ないと思うが……と思ったら、3人は老師とハヤテとデンデに対して警戒の視線を投げかけていた。
――いやいや、ちょっと待て、どういう事だ?
まさかこいつら、この3人に関して何も聞いていないのか?
「いえ、こちらに来る途中、国境の町で3人の話は聞かされております」
そう答えたのはエースだ。しかしエースは決して警戒を緩めることなく老師を見つめ続けている。
それはサムとキングも同様であった。
「済まねぇ兄さん、俺様たちはこの1年の間に散々魔族ともやりあってきたからな。どうしても魔族を見ると警戒してしまうんだな」
「そして勇者の2人に関しても同様だね。この2人の噂も散々聞かされてきたっすよ」
そう言って3人はハヤテたちを値踏みするようにじっくりと見定めていた。
その際、老師は決して動こうとはせず、ただ黙って立ったままであった。
動いたのは2人、ハヤテとデンデの兄弟であった。
「おい! オレたちを勇者と呼ぶんじゃない! オレたちは狩人なんだぞ!」
「人が立てた身勝手な噂を真に受けるだなんて、とてもではありませんが『先輩』とは思えませんね」
ハヤテは威嚇するように、デンデは小馬鹿にするようにサムとキングに相対している。
サムたちはと言うと、2人に対してもう1度口を開こうとして、その途中でデンデが言った『先輩』という単語に引っ掛かったようだ。
「済まない、ちょっと良いか? さっきデンデは俺様たちのことを『先輩』って言ったけれど、それってどういう事だ?」
「どうもこうもありません。お2人は先生の生徒なのでしょう? しかもキングさんは1番始めの生徒だっていう話じゃないですか」
「オレたちも先生の生徒だからな。先に先生の生徒だったって言うんならあんたたちは先輩ってことになるだろうよ」
「先輩……俺様たちが先輩か……」
「先輩、先輩、先輩! つまり君たちは後輩か!」
「いや、そうなりますけど……一体何なんです? さっきまで我らは喧嘩していたと思うのですが?」
「とにかくオレたちを勇者呼ばわりしたことは撤回してくれ! ……何だよその変な顔は」
「ふふふふふ……いや別に? ああ、勇者ではなくて狩人なんだっけ? 済まなかったな謝罪しよう」
「何だよ、2人共噂と全然違って良い奴らじゃん。ゴメンゴメン、謝るわ」
「お前らそんなに先輩呼ばわりされたのが嬉しかったのかよ……」
目つきも体付きも1年で随分と成長したように見えた我が生徒たちは、相も変わらず残念なアホ生徒であったようだ。
一触即発の事態かと思って身構えていれば、一瞬で打ち解けて仲良くなっているとかどういうことなのか。
見ればエースも老子に対する警戒をいつの間にやら解いている。
ハヤテとデンデを見る老師の慈愛に満ちた瞳を見て、警戒することが馬鹿馬鹿しいと思ったのかもしれない。
まぁとにかく氷の勇者一行と、新しく仲間になった5人の自己紹介は滞りなく終了した。
そしてそれから今度はサムが俺たちに対して改めて挨拶をしてきたのであった。
「お久し振りです兄さん、ロゼッタ姉さん。ライや王子や巫女殿もご無沙汰しております。それでええと……貴方は誰でしたっけ?」
「私のこと忘れてるし! エリザベータだよ、エリザベータ=エニシュ!
初対面の時に嫁にしようとした相手を忘れてるってどういうこと!」
「嫁? ああ嫁ですか…… 嫁、嫁…… 嫁は嫌だぁぁ!!」
「おっおいサム?」
「サム? 一体どうしたんだ?」
挨拶もそこそこにサムが突然「嫁は嫌だ」と騒ぎ出した。
一体どうしたんだこいつ?
この一年で何か嫁に対してトラウマでも持ってしまったのか?
「ナイト様それは違います。
サムのトラウマは6年前に形成され、つい先程刺激されたばかりなのです」
「つい先程?
あっ! ひょっとしてあのムツキとかいう元婚約者の出現が原因か!」
「ええ。間違いなく彼女の出現でいつもは意識の底に封じ込めている嫁への恐怖心が呼び起こされてしまったのでしょうね」
「嫁への恐怖心って……何だそれ初めて聞いたぞ」
「それはそうでしょう。この症状が出るようになったのは旅に出てからですから」
「タートルの町で暮らしていた間にはこんな事1度もなかったじゃないか。一体何があったんだ?」
エース曰く、サムたち氷の勇者一行は旅を始めた当初は余り世間に期待されていなかったという。
何しろ元々はハズレ者に倒された駄目勇者として有名だった氷の勇者が成人になる前に旅を始めてしまったのだ。
世間一般の共通認識として「駄目勇者が馬鹿な事をし始めたぞ」と思われも仕方なかったのかもしれない。
しかしサムたちは多数の失敗ややり過ぎ行為をおこないながらも、何だかんだで実績を積み上げ、数カ月立つ頃にはすっかり世間に勇者として認められていた。
そうなると目敏い連中は我先にと動き出す。
サムは1箇所に留まらずに活動し、しかも国を跨いで活動している珍しい勇者であった。
だからサムは様々な国・町・村へと出向くことになり、そこには勇者の嫁の地位を狙うたくさんの女たちが待ち構えていたのだそうだ。
キングとエースは当初これを歓迎したという。
2人は何だかんだ言っても男だから、女性にちやほやされるのは悪い気はしないのだ。
しかし何度か歓待を受けている間に、サムの様子がおかしいことに気が付いたのだという。
俺の所にいた5年の間に、詰め込めるだけの一般常識と礼儀作法を覚えたサムは無難に女性たちの相手をしていたそうだが、一定以上の距離を置き、誰1人として深い仲にはなろうとしていなかったのだという。
そんなある日、ある村で女性たちの歓待を受けていたサムたち一行は、ちょうどその歓待の最中にモンスターの襲来を受け、当然の如く戦闘に参加したのだそうだ。
そしてその時、サムの動きは明らかに精彩を欠いており、久しく受けていなかった傷すら受けてしまったという。
この異常事態を放って置くわけにもいかず、戦闘終了後緊急ミーティングを開いた結果、サムは女性、特にサムと婚姻関係を結ぼうとしている女性と接触すると体調が悪くなっていたという事実が判明したという。
想像もしていなかったこの事態を無視することなどできないため、とにかく根掘り葉掘り話を聞き続け、エースとキングはサムの不調の原因がかつて信じていた婚約者たちに捨てられた過去のトラウマだという結論を得たのだそうだ。
それ以降、サムたち氷の勇者一行は何処に行っても女性の歓待を断る事にしていたという。
結果的にそれはサムの体調を回復する事態になり、この問題はこれで終わりとなっていたはずであった。
しかしつい先程、目の前に忘れていた過去の婚約者が恥も外聞もかなぐり捨てて復縁を迫ってきたのだ。
その結果サムのトラウマが刺激され、現在の「嫁は嫌だ」の状態に繋がっているのだという。
そう考えればエルの名を忘れていた理由にも納得がいく。
あの日、アナを除いた2人をサムは自らの嫁にしようとした。
そして断られ激高したサムの前に俺が立ちはだかり、サムを倒したことでサムは取り巻きから捨てられたのだ。
その後孤児院に入ったサムからすればロゼは園長先生として認識され、最早嫁候補の1人ではなくなった。
しかしほとんど接点のなかったエルに関しては当時の記憶のままであるから、トラウマが刺激される結果になったということか。
哀れサムは過去の過ちが現在の苦しみの原因になっているというわけだ。
ムツキの件については彼女は青龍の国の所属だからどうにもできない。
しかしエルに関しては対処が可能だ。
何しろ彼女は玄武の国の所属で、俺の婚約者の1人なのだから。
「おいサム、とにかく一旦落ち着け。そしてよく思い出せ。エルは俺の婚約者だ。だからお前とは結婚しない。つまりエルはお前の嫁にはならない。OK?」
「嫁にはならない、嫁にはならない……本当に?」
「あの時だって断ったじゃん! アタシはナイトのお嫁さんなの!
あんたは義理の弟! 嫁になんてなるわけないじゃん!」
「でっでも、ナイト兄さんはロゼッタ姉さんとばかりイチャイチャしていて、他の2人とは余り接点がなかったじゃないか……」
サムの突っ込みにアナとエルが目の色を変える。
なんてことを言うんだこの馬鹿は!
何で俺がこの2人と必要以上に距離を縮めなかったのか、分かっていなかったのか。
「気にしていることをハッキリと言ってくれますね。私たちだってナイトともっと親密になりたいという気持ちはありましたが、何よりもまず勇者としての訓練を優先しなければならなかっただけです」
「そうだよ! たまに会ってはロゼ姉からナイトとの歯の浮くような話を聞かされてきたアタシたちの気持ちも知らないで、知ったような口を聞かないで!」
「サム、アナもエルも色恋は一先ず置いておいて、歯を食いしばりながら訓練の日々を積み重ねてきたのよ。なぜかと言うと、かつて2人はナイトを護ることができなかったから。魔族の襲撃の時に殺されかけた経験から、2人はナイトのためにまずは強くなることにしただけよ」
「そういうことです。ちなみに今回の相手にはその時の魔族もいます。奴は私たちの獲物ですから手を出したら許しませんよ」
「じゃあ本当にエリザベータさんは、俺様の嫁にならないんだな?」
「ならないよ! 大体アタシはねぇ! 自分のことを『俺様』なんて言う自意識過剰なアホは眼中にないの! アタシの旦那様はナイトだけ! 以上、説明終わり!」
「つい先日も2人だけで一夜を過ごしていますしね」
「ヒャァァアアア! 何で今それをここで言うかな!?」
「決定的な証拠を突き付けた方がサムも納得できるでしょうから」
見ればサムはようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
俺たちはようやく話を続けることができたのであった。




