第七十九話 エルとの一夜
俺とエルは現在、たった二人で故郷の城の中でも最も防音に優れているという部屋の中にいる。
俺達は土の勇者一行と闇の勇者一行に別れて、それぞれ別々に国内を回っていた最中に、突然魔王相手の戦いへと参加を要請され、リーダーである勇者が受諾したため、明日には決戦の地へと向かって旅立つことになっていた。
しかしその前に、旅の最中に男嫌いになってしまったエルを元に戻すために、彼女の父親であるエリック先生発案の荒療治を行うため、俺はエルと二人きりでこの部屋の中で一夜を明かす事になったのだ。
俺は室内をぐるっと見回してみる。
広すぎず、かつ狭すぎない程の広さを持つ室内には、同じく程良い広さのダブルベッドが一つ鎮座し、いつでも使ってくれて構わないと存在をアピールしている。
天井も高く、開放的な部屋の中には余計な調度品も家具もなく、寝間着代わりのバスローブが数着とタオルが何枚も備え付けられており、氷の魔石を使った冷蔵庫もどきの中にはよく冷えた冷水やら果物やらが完備されている。
奥には2つの扉があり、片方はトイレで、片方は何と浴室である。
この世界で浴室が設置されている部屋を始めて見た。
流石は玄武の国の王城の中で『そういう事』に使われる部屋だけのことはある。
そんな部屋の中に放り込まれた俺達であったが、先程からエルの奴は一言も口を利かずに、部屋の隅で膝を抱えて震えていた。
俺は僅かの間に激変してしまった幼馴染に対して、どう接して良いのか全く分からなかった。
かつてのエルであったなら、こんな変わった部屋に入ったが最後、上へ下への大騒ぎを繰り返し、興奮状態で大はしゃぎしていた筈なのだ。
そんな彼女は今、部屋の入口から一番遠い床にうずくまってガタガタと体を震わせている。
彼女は嫌がっているにも関わらず、自らの父親の手でこの部屋へと放り込まれ、
目の前に鎮座する重厚なダブルベッドを視界に入れた瞬間に真っ青な顔をし、
俺が入って扉に鍵を掛けた瞬間に脱兎のごとく駆け出して部屋の隅へと辿り着き、それからずっと震え続けているのである。
対して俺は先程から部屋の入口の前で突っ立ったままだ。
どうして良いのか分からなかったのである。
いやまぁナニをすればイイのかくらい、既に十分に知ってはいるのであるが。
エリック先生はエルの安全の為に、早急に男に対する過剰反応を治さなければならないと言っていた。
その理由は充分過ぎる程に良く分かるつもりだ。
これから俺達は魔王相手に戦いを挑むのだ。
そこに参戦するのは、殆どが男達であり、女勇者はアナだけしかいない。
話に聞く光の勇者の供達も揃って男性であることを考えると、男性恐怖症と言っても良い程の反応を示すエルの状況は、早めに改善しなければならない事は間違いないのだ。
だからと言って、いくら幼馴染かつ婚約者であるとは言え、こんな状況の娘に男と一夜を共に過ごせと言うだなんて。
エリック先生にしては些か乱暴過ぎやしないだろうか。
荒療治なんてレベルじゃない、下手をすれば悪化もしかねない状況だ。
とは言え、始めてしまったからにはやるしかない。
俺はエルにゆっくりと近づいていったのであった。
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--sideエリザベータ--
――ナイトの足音が近付いて来る。
それが分かっていながら、アタシは全く身動きが取れず震え続けていた。
アタシはナイトが大好きだった。
ううん違う、今でも好きだ、大好きだ。
アタシはアタシが子供の頃から周りから避けられていることは、なんとなくだけど理解していた。
アタシは当たり前のように行動している筈なのに、アタシの行動は周りの人達にとっては理解不能に見えるらしい。
アタシは子供の頃から友達がおらず、話の合う相手も居なかった。
そんな時だ、こんなアタシにも友達が出来た。
それはロゼ姉というこの国のお姫様と、アナという闇の勇者様になる予定の女の子であった。
彼女達は周りから避けられていたアタシを受け入れてくれて、一緒に遊んでくれたのだ。
アタシは二人が大好きになり、二人とはすぐに親友になった。
そして二人の女の子の親友が出来ると同時に、男の子の友達も出来た。
一人はロゼ姉の弟であり、アナと同じく勇者であるロック。
そしてロックの親友のナイトと、ナイトの弟のライ。
初めにロゼ姉の弟としてロックが紹介され、ロックの友達としてナイトとライが紹介された。
彼らは3人共私よりも年下だったけど、私達はいつも一緒に遊んでいたのだ。
そして何度か遊んでいる内に、私はナイトの凄さに気が付いたのだ。
ナイトはたまに変なことを誤解している為、その頃は周りから「奇人」扱いされていたけれど、基本的には頭が良くて、アタシとも話が合う男の子であった。
その事をお父さんとお母さんに話したら、二人はナイトのお家にすっ飛んで行き、猛烈な勢いで頭を下げて頼み込んで、アタシとナイトは婚約者になってしまったのであった。
今なら当時のお父さん達のこの謎の行動の原因も良く分かる。
お父さんはアタシの異常さに早くから気が付いていたため、一人娘と同レベルで会話が出来るナイトを逃す訳には行かないと考えたのだろう。
そしてその考えは大当たりであったと、それからナイトは証明したのだ。
ナイトはスキルこそたった一つしか授からなかったけれど、それから己の才覚だけで、魔族を倒し、商会を立ち上げ、新商品を開発して、お金を儲けて、マジックアイテムを回収し、国のために貢献していたのだ。
ナイトがまだ町に居た頃、お父さんは事ある毎に、「あの天才が将来義理の息子になるのか」とホクホクとした笑顔でナイトを褒めそやしていた。
アタシもそんなナイトのお嫁さんになれることを心の底から嬉しく思っていたのである。
だから旅に出るまでは考えもしなかったのだ。
今アタシに近づいて来ているナイトの事を怖いと思う時が来るなんて。
アタシはこの町から外に出て初めて、アタシはお父さんやロゼ姉やアナに守って貰っていたのだと気が付いた。
北ヤマヨコの町で、アタシをアタシと知らない男の人達は、アタシに暴力を奮ってきた。
タートルの町で暮らしている間は、そんな事は一度だって無かった。
と言うかそもそも、若い男性が私に近づいてくるだなんていう状況自体がなかったのだ。
アタシだってもう二十歳だ、アタシの周りに居る人達がどういう人達なのか位理解出来ている。
アタシのお父さんは、この国のトップの魔法使いで、アタシの親友はこの国のお姫様と、世界に8人しかいない勇者様の一人なのだ。
そしてアタシは相も変わらずに変人呼ばわりされていたから、アタシに近づいてくる男の人なんて誰も居なかったのだ。
そんなだからアタシは男の人達に対して無防備であり、結果北ヤマヨコの町では男の人達に囲まれてパニックに陥ってしまった。
あの人達はアタシを見てはくれなかった。
アタシの顔や、アタシの体を目当てに近づいて来ただけで、アタシの心まで考えてくれる人なんて一人も居なかったのだ。
あの人達は、アタシを取り囲み、好き勝手に言いたいことを言ってから、自分達に思い通りにアタシを動かそうとした。
アタシは抵抗したけれど、抗えなかった。
アタシは魔法使いだ。
力は強くないし、何より相手はモンスターでも魔族でもない普通の町に住む人達だった。
彼らは護るべき相手なのだと子供の頃からお父さんに教えられてきたから、咄嗟に反応が出来なかったのだ。
そしてそんなアタシに対して、あの時集まっていた男の人達は酷いことをしたのだ。
アタシは胸を揉まれた。
揉まれただけじゃなくて、鷲掴みにされた。
しかも「デカパイ女」って怒鳴られた。
胸が大きくなったのはアタシのせいじゃないのに。
アタシは広場の真ん中で泣きじゃくっていた。
気がついたらロゼ姉とアナとヨミちゃんがアタシの目の前に居て何か言っていたけれど、全く頭に入って来なかった。
アタシはアナに連れられて、宿泊している役所の一室に連れ戻され、そこでも落ち着けずにオイオイと泣いていた。
アタシは怖かった。
何も悪いことをしていないアタシに乱暴をした北ヤマヨコの町の人達が怖かった。
アタシは町から出たいとアナに泣きつき、夜遅くに帰って来たロゼ姉とヨミちゃんにも泣きついた。
そうして翌日、アタシ達は町を出たけれど、アタシの気持ちは何時まで経っても元には戻らなかった。
男の人を見ると、好奇心よりも恐怖心が表に出てくるようになり、まともに顔を見ることも出来なくなってしまったのだ。
アタシの状況を聞いた3人は、アタシは男性に対して過剰反応をするようになっているのだと説明してくれた。
それからはアタシの知っているけれども知らない知識のオンパレードだった。
男の人は乱暴だとか、男の人は変態だとか、男の人は女の人が大好きだとか。
知識としては知っていた筈のそれらの事を、アタシは初めて実感として理解し始めたのだ。
それからしばらくして、アタシはロゼ姉とナイトの関係についても考えてしまった。
二人がイチャイチャしていたのは知っていた。
アタシは二人が何処まで行っているのかを、旅の最初に聞かされていた。
その時は「凄い」とか「大人だ」とか思っただけだったけど、今改めて思うと、これはとんでもないことなんじゃないかと思い直したのだ。
だってロゼ姉は中身は大人の女性だけど、見た目はとても可愛い女の子なのだ。
そんなロゼ姉に手を出したなんて、これはつまり、ナイトはロリコンの変態さんという事ではないか!
大好きな相手が二人揃って変態行為に走っていると理解して、アタシの心は掻き乱された。
アタシはロゼ姉を激しく糾弾し、二人は間違っていると声高に主張した。
でもロゼ姉はそんな事はないと、毅然として否定し、アナもヨミちゃんも揃ってナイトを擁護した。
アタシはもう何が正しくて何が間違っているのか分からなくなってしまっていた。
町の近くにダンジョンが密集しているヤマカワの町に到着してもアタシの心は乱れたままだった。
その頃ナイト達が風の勇者と雷の勇者を発見・保護し、二人を育てたというモンスターオウルまでも仲間にしたという話を聞いても、余り頭には入って来なかった。
アタシはヨミちゃんとゲンが念話で話し込み、ナイト達がヤマモリの町を奪還している最中、役所の一室に閉じこもって誰にも会わないようにしていたのだ。
そしてナイト達がヤマモリの町を奪還した頃から、アタシはダンジョン探索に没頭し、3人に何度もダンジョンに潜ろうと持ちかけていた。
町の中は怖かった。
正確に言うと町に住む男の人達が怖かったのだ。
アタシ達は毎日ダンジョンに入り浸り、いつの間にやらヤマカワの町近郊のダンジョンを一通り制覇してしまっていた。
そんな感じで冒険の日々が過ぎ去っていく途中で、何とアタシ達は魔王軍の隠れ場所を発見してしまった。
見つけるつもりなんて更々無かったので、見つけてしまった時には驚いたものだ。
特に8年前にアタシ達を殺そうとしたカマキリの魔族を見た時には心臓が止まるかと思った。
正直よく叫びださなかったと思う、最近恐怖が上塗りされていたからかもしれない。
それからはもうヤマカワの町や国の上層部を巻き込んでのてんやわんやの大騒ぎだった。
正直事態の動きが急すぎて、何がどうなったのかいまいち覚えていないけど、最終的には決戦の準備を整えるために一度タートルの町へと戻り、ナイトとも久し振りに再会することになったのだった。
町に帰ると、お父さんとお母さんが真っ先にアタシを出迎えてくれた。
二人は北ヤマヨコの町でアタシがしでかした事を聞いており、その時の状況も、それ以降の状況もただ黙って聞いてくれていた。
そして「久し振りにナイトに会うが大丈夫か?」と聞かれたので「大丈夫、問題無い」と答えたのに、アタシは出会うなりナイトをロリコンの変態呼ばわりしてビンタをかまして逃げ出してしまったのだ。
そんなアタシに愛想を尽かしたのだろう、お父さんはナイトとアタシを同じ部屋に閉じ込めてしまった。
アタシはこの町に存在する全ての本を読んでいる。
だからこういう状況にも覚えがあるのだ。
言う事を聞かない女性に無理やり襲いかかって、既成事実を作って、力づくで問題を解決するという外道な男達の行う行動とこれは全く一緒だ。
味方だと思っていたお父さんも、大好きだったナイトも、結局アタシに暴力を振るう『男』でしかなかったのだ。
アタシはこれからのことを考えてさめざめと泣いた。
きっとアタシはこれから、ナイトに力づくで酷い目に合わされて『黙って着いて来いこのデカパイ女!』とか罵られて、魔王軍との戦いの最中にドジを踏んで死んでしまうのだ。
そんな未来を考えていたら、ナイトの歩みが止まり、何やらゴソゴソという音が聞こえて来た。
アタシはその音を聞いて、そう言えば上流階級の人達の中には何やら道具を使って女の人を虐める酷い趣味の人達がいるのだという本を読んだ事を思い出し、ギュッと体を抱きしめた。
ナイトはあんなに可愛いロゼ姉に手を出すロリコンの変態さんなのだ。
ならば当然、その趣味は倒錯しており、道具を使って女性を虐めるなんてきっと序の口に違いない。
アタシは余りの恐怖に気を失いそうになり、「ああでも気を失っている間に事が終わっていた方が楽なのかな」とか考えていたのであった。
そんなアタシの頬に、何やら冷たい物が当てられて、アタシは「ギャア!」と悲鳴を漏らす。
そして横を見たアタシの目に映っていたのは、冷えた水を入れたコップを手に持ち、アタシの隣でアタシと同じ目線になるように床に座っているナイトの姿だった。
子供の頃から大好きな、ナイトの姿がそこにあった。




