第二十八話 早すぎる卒業
2017/07/14 本文を細かく訂正
2017/08/18 本文を細かく訂正
冬になった。
俺は先月から屋台を借りて市場の一角で食堂の真似事をしている。
売っているのは自家製のスープだ。
闇の勇者であり料理好きでもある幼馴染のアナに協力を要請して作り上げた一品である。
見た目は黄色く、ドロリとした感触。
辺り一面にはトウモロコシの旨そうな匂いが充満している。
見たまんま『コーンスープ』である。
これが今、タートルの町で爆発的大ヒットを飛ばしているのだ。
収穫祭の時、俺は市場の一角で山盛りにされたトウモロコシを発見した。
どうやら近くの村の名産品らしいのだが、今年は豊作だったらしく、大量の在庫を抱えてしまったらしい。
そこで俺は売りに来ていた農民と交渉し、大量のトウモロコシを確保。
収穫祭終了後にアナを尋ねて、トウモロコシを使った料理の相談をした所、出来たのがこのコーンスープだったという訳だ。
トウモロコシの粒を大量に鍋に入れ、粒をつぶしまくる。
牛乳と混ぜてとろみが着いたら、調味料で味を整えて完成。
簡単だ。
簡単だが旨い。
日本の冬の時期、何杯も飲んでいたコーンスープが目の前に!
俺は歓喜し、その味に感動した。
アナの腕が良いのか、こちらの材料が良いのかは知らないが、明らかに日本で飲んでいたコーンスープを超える旨さなのである。
それを売り出したら爆発的に売れたのだ。
最初は路上販売で売っていたが、客が多すぎて周りに迷惑になってしまったので、屋台を借りて販売を開始したのである。
販売場所は他の屋台の邪魔にならないように、市場の一番端っこだ。
それでも毎日長蛇の列が出来、大量に売れて行く。
旨いものに対する熱意というのは世界が変わっても全く変わらない。
俺はそれを実感しながら、今日もせっせと商売をしていたのであった。
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春になった。
俺とロゼが『薬局のロックウェル』で働き始めてから3年が経過した。
この日、俺とロゼは『薬局のロックウェル』の応接室でジャックやナインと向き合っていた。
「ナイト様、ロゼッタ様。お二人がこの店で働き始めてから、本日で3年となりました」
「もうそんなに経ったのか」
「早かったわね」
「その間色々と、本当に色々とありましたが、この商売において最大の出来事は、やはり計量カップと計量スプーンの発明でありました」
「いや、それ程の事か?」
「それ程のことです。
あれが出来たお陰で、殆どの作業が効率化され、質の良い薬が大量に出回るようになり、結果町の住民達へ安く効果の高い薬が大量に届くようになりました」
「これは貴方が思っているよりもずっと凄い事なのですよナイト様」
そう言われると照れる。
当たり前の事を指摘しただけのつもりだったのに、これ程劇的な効果があるとは正直考えもしなかった。
「そしてお二人のような『修行中の見習い』に対しても重要な出来事で御座いました」
「何かあったのか?」
「単刀直入に申し上げます。お二人の修行は今日を持って終了となります」
「は?」「え?」
「もはやこの薬局のロックウェルに於いてお二人に教える事は何もありません。
これにてお二人は卒業です。
おめでとうございます」
「いや、待て待て待ってくれ! 何言ってんだジャック!?」
「私達はまだ3年しか修行していない。修行期間は8年間の筈でしょう?」
俺とロゼは慌ててジャックに疑問をぶつける。
10歳から18歳までの間は修行の期間であり、その間に将来必要な技能を学ぶ。
これがこの世界の常識だ。
それなのに3年で修行が終わりとは一体全体どういうことなのか。
「理由はやはり計量カップと計量スプーンの発明です。
あれの登場のお陰で修行期間が劇的に短縮されてしまったのです」
「薬師の修行ってのは言ってみれば『必要とされる薬をキチンと調合できるようにする』為の物だからね。
今までは全て手作業でやってきたから8年もの時間が掛かっちまってた。
しかし計量カップと計量スプーンが出てきて全てが変わった。
あれが出てきたお陰で、『必要な分量を正確に覚えているかどうか』だけが重要になっちまったのさ」
「そしてお二人は現在市販されている一般的な薬の調合比率を全て記憶されております。
実際に作った薬も全てが高い効果を持っていることが確認出来ております。
よって、これ以上この店でお二人が学ぶ必要は無くなったのです」
「自分で言っていてびっくりだけどね。
知ってるかい? この間までお二人が作っていた薬はちょっと前なら一人前の薬師でも手こずる程の物だったのさ。
それが薬師になって3年の素人でも作れるようになっちまった。
まさに時代が変わったのさ」
「つまりナイト様は時代を変えたのです」
それを聞いて俺の体には震えが走った。
時代を変えた。
俺が時代を変えた。
いや違う、そうじゃない。
俺じゃない、変えたのは計量カップと計量スプーンだ。
つまり俺がもたらした異世界の技術が変えたのだ。
たったあれだけのことで修行期間が8年間から3年間へと短縮された。
あれはそれ程のインパクトの有る出来事だったのか。
俺が何気なく行った行為でここまでの影響が出てしまったのか。
愕然とした。
同時に恐ろしくなった。
異世界の知識を一滴垂らすだけで、世界の色は劇的な変化を起こした。
俺が今までこの世界に落とした異世界の知識はどれほどだろうか?
いや俺が、俺という異世界の知識を有する異物がこの世界に存在するだけで、どれだけの影響が世界に起こっているのか。
俺は怖くなった。
ジャックとナインが何かを言っている。
ロゼも俺の様子が変だと気づいたのか、うかがうような視線を向けてくる。
だが俺は何も言えない。
俺が異世界からの転生者だということは、俺の他には父さんと母さんしか知らない秘密だからだ。
そうだ、相談しよう。
困ったときは相談だ。
正直これは俺一人の手には余る。
俺は全員に外出を告げ、ロックウェルの屋敷へと向かったのだった。
「それの何が問題なのだ?」
サムを国境から連れ帰って以来久々に会った父さんは、俺の相談に対してこんな風に答えたのだった。
ここはロックウェルの屋敷の父さんの部屋、俺がスキル授与の儀式を受けた日に母さんと共に入った場所だ。
家を出て以来、呼び出されるまで一度も帰ってこなかった長男が突然帰宅した為、屋敷の中は少しざわついている。
それでも母さんの鶴の一声で屋敷は静まり、俺は応接室へと通された。
そして父さんの帰宅を待って、ライとも久々に再会の挨拶を交わし、父さんの執務室へと通されたのだ。
そしてジャックから薬師の修行が終了した事を告げられたと説明し、その原因となった異世界の知識の危険性を指摘した。
それなのに返って来たのは『何が問題なのだ?』である。
俺はカチンと来てもう一度父さんへと説明を開始した。
「ですから、たったあれだけの事を教えただけで、これだけの影響があったのです。安易に異世界の知識を広めて良いものかと思いまして」
「良いに決まっているだろう。
作業は効率化し、薬の質は高くなり、住民達も安く効果の高い薬を買えるようになった。そして修行期間も短くなった。一体何が問題なのだ?」
「異世界の知識とはこれ程の影響力がある代物なのです。
俺にこれを広める権利があるのかと思いまして……」
「それは考えすぎだなナイト。
前にも説明したが、前世の知識があるという事は、大量の本を呼んで知識を蓄えているのと同じ状態なのであろう?
ならばその知識はお前が自由に扱う権利がある。
よって広めた所で何も問題はない」
「それに貴方が広めた知識はどれもこれも簡単な物でしたでしょう?
つまり貴方が広めなくても、その内誰かが思いついていた筈の物です。
少し早めに良い事を知れたのですから問題などある訳がありません」
知識は蓄えた者に扱う権利がある。
少し早めに良いことが広まった。
成程、そういう考えもあるのか。
「そもそもだ、この世に生を受けた者達は皆持っている物が違うのだ。
身長、体格、性別、家格、生まれた国も授けられたスキルすらも違う。
剣に優れた者は剣を活用できる職種につき、家格が優れている者は生まれた時から他者とは違う人生を送ることが出来る。
前世の記憶があり、それを活用できた所でそれは他と同じくお前の個性でしか無い。
罪を犯した訳でもないのに持って生まれた個性を使って文句を言われる筋合いなど無いのだ。
お前はお前の思う通りに生きる権利があるのだよ。
もっとも、周りに迷惑を掛けなければの話ではあるがな」
「分かりました。ありがとうございます父さん」
俺は屋敷を出て薬局のロックウェル2階の俺とロゼの部屋へと帰った。
その足は先程と比べて随分と軽くなっていたのであった。
翌日、俺とロゼの薬師見習いの卒業が他の従業員達に告げられた。
彼らは俺達を賞賛し、褒め称えてくれた。
そこに得体の知れない知識を授けた相手に対する恐れは存在しない。
計量カップも計量スプーンも彼らの常識の範囲の話だからだ。
そして俺達には『次』の決断が求められた。
即ち、このままこの店で正式な従業員として働くか、さもなくばこの店を出て別の人生を歩み出すかである。
俺達が住んでいる部屋はこの店の2階にある『薬局のロックウェル』の従業員宿舎だ。
従業員で無くなるのならば出ていかなくてはならないのだ。
修行期間が終わる事は全く予想外の事態であった。
その為、俺達には何の準備もされていない。
しかし俺達はこの店の正式な従業員になる訳にはいかないのだ。
修行中の身から正式な従業員になるという事は、丸々空いていた午後の時間までも仕事に当てなくてはならなくなり、孤児院の仕事が出来なくなることを意味する。
そして俺とロゼが孤児院の仕事を今辞めると、今年度の責任者が不在となり、孤児院が回らなくなる。
元々孤児院は俺達の修行終了時、つまり後5年間は今と同じ体制で行う予定であったのだ。
つまりロゼが園長で俺が副園長の体制である。
だが孤児院に掛かりきりになる訳にも行かないのだ。
前園長が孤児院に掛かりきりだったから、今回からは園長も副園長も少し距離を置いて孤児院と接すると決められていたからだ。
つまり俺とロゼは孤児院の入り浸ることも、孤児院に住むこともNGなのである。
薬局に勤める訳にはいかない。
孤児院を見捨てる訳にはいかない。
そして孤児院に住むことも出来ない。
つまり選べる選択肢としては『薬局を辞めて、孤児院は辞めず、でも孤児院には住まない』様にすることだ。
早い話が『何処かに家を借りてそこに住め』という状況な訳である。
しかし俺は今13歳で、ロゼは17歳だが見た目は10歳。
とても家なんて借りられない。
というか、下手な場所を借りると、寝込みを襲われそうだ。
忘れがちであるが、俺は軍の副将軍の息子であり、ロゼは本物のお姫様なのだ。
今まで無事に過ごしてこれたのは、周囲を24時間体勢で守っている護衛達と大人も多く暮らす防犯体制がしっかりした従業員用宿舎に住んでいたからである。
つまり俺達は『防犯がしっかりしていて、信頼できる大人が周囲に沢山いる家を借りて暮らさなければならない』訳である。
それは何処にあるのか。
割りと簡単に見つかった。
そこは収穫祭の時に、俺がキノコを焼いて売っていた場所。
つまり薬局のロックウェルの隣に建っている空き家であった。
ちなみに隣の建物は空き家扱いではあるが、人の出入りは結構ある。
何故か?
それは空き家に見せかけておいて、エース達護衛が詰めていた場所だったからだ。
俺はエースに事情を説明し、隣の建物に住むことを決定した。
そしてついでに俺は自分の商会を立ち上げて、ここを本部にすることにした。
更に俺は護衛としてエース達を正式に雇うことになった。
具体的に言うと、建物の所有者と話し合い、この建物を丸々俺が借り受け、1階を薬局と同じく店舗にし2階も同じく宿舎に改造する。
そして俺とロゼに加えて、護衛達も同じ場所で寝起きするのだ。
全ての問題を一度に解決するパーフェクトな回答。
これには建物の所有者の理解が必要不可欠であったが何も問題はなかった。
建物の所有者は『ロックウェル家』
早い話が俺の実家だ。
この建物もロックウェルの所有物であったのだ。
父さんも母さんも快く、かつ格安で物件を貸してくれた。
無料で貸さなかったのは、俺を一人前だと認めた証だという。
引越し作業が終わり、最後に看板を店先に掲げた。
掲げられた看板には『ナイト商会』と記してある。
ここに俺にとって初めての店舗兼住宅となる『ナイト商会本店』が生まれたのであった。




