第百四十四話 月に祈る
side エース
大魔王が目を覚ましたのは、全てが終わって随分経った夜遅くのことであった。
気絶から目覚めた大魔王は、錯乱して大暴れを始めた。
周囲に控えていたモンスターたちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っている。
その動きは、まるで襲いかかってくるナイト様を振りほどこうとしているかのようであった。
だがそれは意味のない行為だ。
ナイト様はここにはいないし、そもそも彼女の両腕は存在していないのだから仮にいたとしても振り解けるわけがない。
「エース! エース、どこじゃ? どこにおる!」
大魔王は激しく首を振りながら私の名を叫ぶ。
なにしろ彼女の両目は抉り取られている。
たとえ大魔王であっても、視覚を失うということは恐ろしいことなのだろう。
「ここに」
私はすぐさま声を上げる。
耳は削がれても聴覚は残っていたのだろう。
大魔王はすぐさま私の方を向き、そして矢継ぎ早に質問をしてきたのであった。
「奴はどうした? あれからどうなった? ここはどこじゃ? 今はいつじゃ? 一体何が起こったのじゃ?」
「ナイト様の排除は成功。ここは朱雀の国の鳳凰城の中です。時刻は夜遅く。フローズン様はナイト様がサムの股間を握りつぶしたために気絶しておりました」
最後のセリフに吹き出しそうになるが意志の力で抑え込む。
ナイト様の排除が成功したと聞かされた大魔王はホッと息を吐いたが、すぐさま私を厳しく叱責した。
「エース! それと他の者もじゃ! 先程のあれは一体何の真似だったのじゃ!」
「先程のあれ、でございますか?」
「妾が切り刻まれていた時のことに決まっておろう! 一体なぜ助けなかったのじゃ!」
「手も口も出すなとフローズン様自らご命令になりましたので」
「ぐっ!」
自分で言っておいて、忘れていては世話がない。
想定外だったというのは分かるが、結局は大魔王自身の慢心が原因だ。
「イザという時は助けに来い」とでも一言付け加えておけば、嫌々ながらも助けに入っただろうに。
「ではあれじゃ! 先程のあれは一体何だったのじゃ!?」
「今度は何を指しているのでしょうか?」
「妾が動けなくなったことに決まっておろう! 一体奴は何をしたのじゃ!?」
「サムのズボンをパンツごとズリ下ろしたのです。その後は動こうとする度に股間を触っておりました」
「意味が分からん!」
まぁそうだろう、そのはずだ。
女性にこの手の話が理解できるとは、私もまったく思えない。
なにしろ最初に説明した時には呆れられたのだ。
恐らく大魔王は頭の片隅にも残っていないのではなかろうか。
だから私は彼女にサムとナイト様との出会いとその時にサムの心に刻まれたトラウマについて、もう一度懇切丁寧に説明をする。
話を聞いた大魔王は、腹から突き出ているサムを指差して怒り狂い始めた。
「そんなことで! そんなふざけたことのために妾は死にかけたというのか! こやつはそんなことがトラウマになっているというのか、エース!」
「フローズン様には理解できないでしょうが、男である私には心の底から分かる話なのです。恐らくキングや他の男も同様のはず。事程左様に男の股間というものはデリケートな代物なのですよ」
「知りたくもないわ、そんな知識!」
大魔王は憤懣やるかたないのだろう、ボロボロの体にもかかわらずウロウロと動き回り、進行途中にあった家具やら配下やらを分け隔てなく吹き飛ばしていく。
それからようやく落ち着いたのか立ち止まり、私がいる場所とはまったくの別方向を向いて、現状への対処を開始した。
「状況は理解した。此度のことは妾の慢心と男に対する知識のなさが原因よ。だが奴が排除されたというのならば妾にはもう敵はいない。これを契機に新たな防衛策を考えれば済むことじゃ」
「防衛策……と言うとサムの股間に対してですか?」
「股間股間と何度も言うでない! それはともかく、なぜ妾を治療せずに放っておいた! おかげで何も見えん! 腕も使えん! とっととエクスポーションを持ってこんか!」
「ございません」
私の簡潔な返答に大魔王は一瞬動きを止める。
それから私の声がした方向を向き、もう一度ゆっくりと同じ命令を繰り返した。
「……今一度言うぞ。エクスポーションを持ってまいれ」
「ですからないのです。あればとっくに使っています」
「……何を言うておる? 妾は青龍の国の宝物庫に保管されていたエクスポーションを全て持ち出してきたではないか」
「もちろん存じ上げております」
「妾はあれを1本しか使っておらんぞ? それがなぜなくなるのじゃ?」
「フローズン様、ではお聞きしますが貴方様はエクスポーションを一体どこに保管しておいででしたか?」
「知らぬわけがあるまい! 妾はあれをサムの腰に巻いたポーチ型のマジックバックの中に……あああぁぁぁ!?」
大魔王はようやく気が付いたようだ。
あの時、ナイト様がサムのズボンに狙いを定めた、その真の理由に。
「まさか……まさか奴の狙いはエクスポーションだったというのか!?」
「そのまさかでしょうな。フローズン様と一騎打ちをすることになり、ナイト様はこう考えたのでしょう。「このまままともに戦っても無駄死にするだけだ。残されるロック王子たちのために何かできることはないのか?」と」
そうだろう、そうに決まっている。
それでなければあの極限状況の中、サムのズボンに手をかける理由がないではないか。
「それでは奴は……奴の狙いは、最初から……エクスポーションだったと?」
「間違いないでしょうな。フローズン様がサムのポーチからエクスポーションを取り出す場面は見られておりましたから、保管場所はバレていたのです。最後の瞬間、ナイト様は己の命と引き換えに、フローズン様が持つ最高の回復手段を封じにきたのですよ」
大魔王は信じることができないのか動きを止めている。
恐らくポカンとした顔をしているのだろうが、顔面は包帯まみれなので表情はうかがいしれない。
ちなみに彼女の体の傷は姉が癒やし、全ての傷口には包帯が巻かれている。
魔王化しても姉は薬師として怪我人の治療をすることができたのだ。
ちなみに姉は今、ここにはいない。
真っ先に大魔王の治療を終えた姉は、現在城の外で怪我人の治療に奔走しているはずだ。
「だが奴は、妾を殺しかけたではないか!」
「あれは偶然です。もしもああなることを最初から分かっていたのでしたら、もっと違う行動をしたはずですからね」
「偶然!? 妾は偶然殺されかけたというのか?」
「間違いありません。地面の落ちていたサムのパンツを見て、フローズン様に動きがないことを知った時のナイト様の表情を私は目撃しておりますゆえ」
大魔王もその顔は見ているはずだ。
彼女は頭を捻って思い出し、納得したのであろう肩を落とす。
それから何かに気が付いたように、再び口を開いたのであった。
「そうじゃ、残りは? 奴を排除したというのならば、アイテムボックスの残りが散乱しているはずじゃろう?」
「残念ながらナイト様を排除した場所の周辺には瓦礫が散乱し、まともに原形を保っている物は1つもございませんでした」
「原形を保っている物が1つもないじゃと? 一体何をしたのじゃお前たちは!」
「私たちではございません。追い詰められ、逃げられないと理解した『あのロックウェル家の男』は雷の魔王へと最後に特攻を仕掛け、奴を巻き添えに吹き飛んだのです」
「吹き飛んだ?」
「私と姉がその場面を目撃しております。前後の状況から推測するに、ナイト様たちがダンジョンで手に入れたとされるマジックアイテム『風雷の小手』を使用したものかと」
「なんじゃそれは?」
大魔王は首をかしげる。
両腕の存在しない包帯まみれの女のその行動はひどく不気味ではあったが、私は構わず話を続けた。
「それぞれに風と雷の魔法を吸収する宝石が埋め込まれたマジックアイテムなのですが、相談を受けたゼロ殿曰く「一方の属性だけを急激に吸収し過ぎると爆発する危険がある」とのことでした。恐らく『彼』はこの特性を利用してわざと爆発を生み出したものと思われます」
「ではあの熊は?」
「バラバラの肉片と化してしまいました。フローズン様の呼びかけに応じた魔王はこれで全滅したことになります」
「馬鹿な……」
大魔王は膝から崩れて床に座り込んでしまう。
その際サムの後頭部からかなりの音が聞こえたのだが、彼女の耳には入らなかったようだ。
まぁ後でポーションでも振り掛けておけばいいだろう。
大魔王がここまで追いつめられたのはサムのおかげだと言えなくもない。
精々優しく振り掛けてやろうではないか。
「アラアラクネクネ、アラク~ネ」
鼻歌を歌いながら姉が窓から城の中に入り込んできた。
見れば城の中から持ち出した薬の大半がなくなっている。
治療を終えたのか、もしくは薬を補充するために戻ってきたのだろう。
ちなみに私たちは、大魔王から人の姿へ戻れという命令を受けていないため、ずっと魔王形態のままである。
よってムツキはその巨体ゆえに城の中には入れず、姉は蜘蛛の姿のままなので、外壁を伝って部屋に出入りしていた。
なお、キングは外でモンスターの指揮をとっているためここにはいない。
姉の声が聞こえたのだろう、大魔王はバッと顔を上げて声がした方向を向く。
そして急いで立ち上がり、姉に話しかけたのだった。
「そうじゃナイン! お主確か薬師であったな?」
「アラクネ?」
「アラクネ? ではない! きちんとした言葉を喋らんか!」
「フローズン様、お忘れですか? 私以外の者は魔王化するとまともに喋ることはできないのです」
「ちっ! そうであったな。貴様のように『助言者』のスキルは持っておらんからのう。元に戻れナイン!」
大魔王の命令を受けた姉はすぐさま人の姿へと戻る。
巨大な蜘蛛の魔王の姿は消え、代わりにそこには全裸の妙齢の女性の姿があった。
私は用意しておいた布を使って姉の体を包み込む。
姉とムツキの魔王形態は巨大なため、変化する度に服が破けてしまう。
元に戻った時は必ず全裸になってしまうので、いちいち着替えが必要なのだ。
ちなみに姉たちが魔王化した時に喋っている言葉はモンスターの言語とはまた違う言葉なのだという。
恐らく人間が無理やり魔王になったために、言語能力に悪影響が出たのだろうという話だ。
だから姉たちは魔王化している間はまともに喋ることが出来ない。
しゃべることが出来るのは私だけで、それはスキルの更新の際に新たに授かったスキル『助言者』の効力のおかげだ。
私が大魔王に反抗的な態度をとっても処分されない理由はこのスキルのおかげである。
魔王形態時であっても唯一会話が成り立つ私は大魔王にとって替えの効かない人材というわけだ。
これは、どのような相手であっても、いかなる状況であっても、助言をすることができるスキルである。
そして同時にいかなる相手であっても、服従することなく対等に話をすることが出来るスキルだ。
このスキルが私のライフルーレットに現れた理由は、恐らく私が長い間ナイト様やロゼッタ王女、そしてサムといった、私よりも身分や立場の高い者たちの相談を受け続けていたためだろうと推察される。
まさかナイト様たちの護衛隊長をしていた経験が、大魔王の支配へと対抗するきっかけとなろうとは思わなかった。
あの時、話を受けていて正解だった。
まぁそれでもナイト様があれだけ町でやらかさなければ、スキルが発現するほどに関わることもなかったのだろうが。
「お呼びでしょうか、大魔王様」
私と違い、姉は大魔王へと従順な態度をとっている。
ムツキもキングも同様だ。3人は魔石を埋め込まれてからというもの、大魔王の従順な部下に成り下がってしまっていた。
「うむ、お主に頼みがあるのじゃ。エクスポーションが切れてしまったのでな、追加を作ってもらいたいのじゃよ」
「不可能でございます」
「なぜじゃ!? お主薬師であろう! レシピがないなら能力で取得しろ! 材料がないのなら取ってきてやる!」
「そうではありません。作り方を知らないのは事実ですが、それは能力では手に入れられないのです」
「なに?」
「『薬師』の能力、薬レシピ入手では、エクスポーション・万能薬、そしてエリクサーのレシピは取得できません。そもそもリストに出てこないのです」
「ではなぜ青龍の国にはエクスポーションがあったのじゃ!?」
「青龍の国に残るエクスポーションは、全て先代の水の勇者様が作成したと聞いております。このことから考えるに、エクスポーションとは、薬師の手では作り出せない代物、恐らくは特別なスキル所有者でなければ作成できない代物だというのが私たち薬師の共通認識でございます」
「なっ……いや、確かに遥か昔にそんな話を聞いた覚えが……」
大魔王は遂に絶句してしまった。
体の痛みはポーションやハイポーションを使えば治すことができる。
だが、失くした瞳や腕を取り戻すためにはエクスポーションが必要だ。
つまりナイト様は大魔王を倒せないまでも、両腕と視界を奪うことに成功していたのである。
そして傷が癒えないということは……
「フローズン様、それで次はいかがなされますか?」
「次? 次とは一体何のことじゃ?」
「ですから次の行動です。朱雀の国を滅ぼしてから、次の標的を通達するというお話でしたので」
「…………」
「玄武の国ですか? それとも白虎の国ですか? なんでしたら2ヶ国同時進行をいたしますか?」
「……わん」
「はい?」
「次の国への進行は行わん。妾はここに留まり、養生に徹する」
「左様でございますか、承りました」
「それに、この場からでも攻撃は行えるのでな」
「(ちっ)……はい、その通りでございますね」
大魔王軍の進行はひとまずこの場で終了となった。
だが大魔王自身が言っていたように、彼女はこの場に留まったままであっても攻撃する手段を有している。
怪我をした衝撃で忘れていてくれれば良いものを、どうやらそう上手くはいかないようだ。
まぁ仕方がないことなのだろう。
なにしろ封印されてこの方、ずっと行なっていた行動だ。
忘れていてくれとは流石に無理があったということか。
大魔王は姉に手を取られ、城の中の治療室へと向かっていった。
目も腕も失くした彼女は、しばらくは城の中から動くことはないはずだ。
この千載一遇の好機をどう活用するか。
ロック王子や国王陛下の手腕に期待したいところだ。
私は窓に近寄り城下を見下ろす。
眼下に明かりは1つも見当たらない。
人がいなくなったのだから当然ではあるが寂しいものだ。
だが私は魔王と融合したおかげなのか夜目が効くようになっていたので周囲の景色は良く見えた。
城のすぐ下の広場には魔王化したままのムツキが、その巨大な図体を横たえている。
そしてそのすぐ近くには姉が作成した蜘蛛の巣が広がり、そこに何人かの人間が貼り付けにされて拘束されていた。
あれだけの戦闘があっても運良く生き延びた者は、こうして殺さずに捕らえている。
皆殺しにするわけにもいかなかったのだ。なにしろ基となる素体がなければいくら魔王の魔石があったところで新たな魔王は生み出せないのだから。
ヨンにゼロ殿に老師殿、他にも先の火の魔王戦で活躍したニコとかいう元盗賊を始めとした幾人かの懲罰部隊やかつての同僚である玄武の国の兵士も生き延びて捕まっている。
だが、そこにはハロルド将軍の姿はない。
彼の最後はこの目に刻んでいる。
戦いの最終局面、ナイト様たちは姉と熊の魔王に挟み込まれていた。
彼らはまず熊の魔王を排除しようと考えたのだろう。
手持ちのアイテムの中に切り札が残っていたのだ、その選択はむしろ当然であった。
だが、いやだからこそ、そこに『私が』乱入したために目論見は脆くも崩れ去ったのだ。
魔王3体に対して、達人とはいえ人間が5人では勝負にならない。
しかもあの時、私は少し遅れて上空から4人へと奇襲を仕掛けたのだ。
並び立つ建物の屋根を飛び越えて、私は彼らに頭上から襲いかかった。
例によって大声を上げながらの攻撃ではあったが、いくら各国最強戦力であっても、建物と魔王に挟まれた状態で、更に上空からの攻撃にまでは対処の仕様もなかったのである。
それでも彼らは直撃だけは回避していた。
しかし、私の地を割る一撃で体勢が崩れ、ヨンとゼロ殿はあっという間に姉に拘束され、他の3人には熊の魔王が襲い掛かる。
そんな状況の中、いち早く体勢を立て直したハロルド将軍はナイト様が持っていた風雷の小手を奪い取り、熊の魔王へと突撃していったのだ。
彼はそのまま熊の魔王に抱きつき、そして爆発の中に消えていった。
その爆発の余波でナイト様と老師殿、そして私は揃って吹き飛ばされてしまう。
吹き飛ばされた先は、よりにもよって姉の張った蜘蛛の巣のある方向であった。
だが老師殿はとっさに人間の姿から巨大フクロウ形態へと変化し、ナイト様が糸に触れることをその身をもって防いだのである。
そして老師殿は唯一自由に動かすことの出来たくちばしを使い、ナイト様を咥えたと思ったら、次の瞬間には放り投げていたのだ。
爆発のよって吹き飛んだ建物の向こう側に見えた、とある入り口へと向かって。
大魔王配下のモンスターたちはその中に入ろうとはしなかった。
そして私たちは、受けた命令が『排除』であったがために『地上に出てこないのだから排除は完了した』と認識し、ナイト様の追跡はそこで終了としたのである。
そこはこの町の到るところに設置されている入り口の1つ。
朱雀の国の首都バードの名物として有名なその施設の名は『勇者の迷宮』。
地上のモンスターは決して入ろうとしないダンジョンの中へと消えていったナイト様の無事を、私は月を見上げ、夜を統べるとされる闇の神ツクヨミへと祈り続けた。
第5章 戦勝式編 終了




