66 あなたにだけは知っていて欲しいこと
「エレーナっ、ちょっと!」
「ウタキと二人っきりって最初に出会った時以来じゃない?なんか久しぶりね」
エレーナに手を引かれ大きなバルコニーに出る。緩やかな風は少し冷たく髪の毛を引っ掻いて後ろに流れていく。王宮は街全体に正面を向けた形で建っていて、眼科にはぽつぽつとオレンジの光が揺らめいていた。比喩じゃなくてまじでゆらゆらしてるんだけど、この町のガス灯って浮いてたなそういや。
「ごめんなさいね、これから色々話そうってときに」
「いやいいよ」
「変ね、私ルートじゃないのにウタキのことひとりじめできててちょっと嬉しいの」
「結婚する?」
「しないわよ」
軽口叩いてみても、なんのプレッシャーもない。友達だから、って気軽さがそこにはあってやっぱりエレーナに対しては気楽でいられていいなあって思う。
「なにしてるの!?」なんて声かけられたのがすごい昔のことみたいだ。ここ1ヶ月の濃度が濃すぎるんだよな。1ヶ月、っていうけど厳密に何日くらいたったかは正直わからない。曜日感覚もない。
焦ってないのは、毎日なにか行動に縛られるってことがないからだ。
必要なことをしてるだけで時間は過ぎていく。早い方がいいんだろうが、学校とか仕事とかそんなんとはまた別でルーティンが存在しない。
「で、言ってないことって」
「私、自分の出世についてあまり知らないの」
「うん」
「でも私の名前が、エリューニスなのは知ってるわ」
「……」
エリューニスの花。
薬と毒。癒しの花。復讐の花。
マツリカさんと、ロータスさんの別れの場所。
「エレーナっていうのは、育ててくれた2人がくれた名前なの」
「他にも名前があんの」
「オリーヴィア」
遠くを見つめながら呟いたエレーナの横顔が、見たこともないロータスさんと重なったような気がした。
「美しい娘だった」とアシュタルさんは言っていたけど、きっとエレーナがもう少し少女から大人になればロータスさんにそっくりになるんだろう。
当時を知る人が見たら、切なさで息が詰まる程に。
「私ね、実の両親のことは何も知らないの。ただ生まれてすぐ実の両親は子供を育てられなくなってしまったから、とだけ聞いてるわ」
「恨んだりしてんのか?」
「ううん。悲しいとは思うけど、仕方ないことなのよきっと。それに私は育ててくれた2人のこと大好きだから」
ロータスさんと、その旦那さん。エレーナが、オリーヴィアとして生きていたら彼女はダンジョン調査隊なんかじゃなかったのかもしれないな、と思う。
「産みのお母さんにゆかりのある花がエリューニスだって、だからその名前を持っていたほうがいいって。オリーヴィアだと生きていきづらいかもしれないから、それはあなただけの宝物にしたほうがいいってそう言われたの」
「生きていきづらい、ってのは…」
「詳しくはわからないけど、あまり知られていい名前じゃないのはたしかね。それくらいは私もわかるわ」
一部を除いて、彼女は、その存在をうすぼんやり隠されていて。それを壊さないために王室付きの職業についていたのかもしれない。アシュタルさんはエレーナのことを知っていた。それなら、ほかにも同じような人がエレーナを守ってたはずだ。
「愛されてんなー」
「ん?そう?」
「おう、なんかそんな感じがする」
「そうかしら、そうだと…いいな」
そうじゃなきゃなんだってんだ、と思うけどエレーナに言うことでもないなと思って口を噤む。
いつか分かるかもしれないし、知らないままのほうがいいことかもしれない。
「言いたいことってそれ?」
「うん、そう、それでね、だから本当は勇者のルートになんてかかわれないと思ってたの」
「劣等感みたいなもんか」
「だって本名隠さなきゃって普通じゃないでしょ」
「まあ、そうかもな」
「討伐にもこれからのことにも、なにも関係ないことだろうけど、わたしのわがままなんだけどね、ウタキにだけは知ってて欲しかったのよ」
彼女の覚悟がその笑顔に含まれているようで、少しだけ自分の弱さを後悔した。




