新たな冒険が今、始まる――?
えーっと、これって死亡フラグ?
俺ははとりあえず目の前の出来事に困り果てていた。
魔王を倒すと決め、州都へ目指している途中だった。
基本的にはアルフガルド王国には結界が張られていて主要な街道や大きな州には魔族は出ないらしい。
一緒に行動している獣人種ホウビット族のアディールも耳が項垂れている。
「ガルルル~!」
牙をむき出してこちらを威嚇しているのは、犬にも似た動物だった。犬にも似た……ということは、犬ではない。なぜなら、額の前に角が生えていたから。この角さえなければ、茶色い柴犬のように見えた。瞳は緑色だったけど。
敵意むき出しで、唸り声を上げて今にもとびかからんとしているその犬のような動物は俺やアディールよりもかなり大きい。犬のはずなのに、大きさは象並みにある。
「どういうことだよ~!」
くないを構えると、アディールは困ったように笑っている。
「おかしいですね~? ワーウルフってこんなに大きかったでしょうか?」
「何のんびり構えてるんだよ!?」
アディールは背中から弓を取り出す。
「大丈夫です、繊。――後方援護します!」
アディールが弓を構える。
「ちょ、ちょい待って! アディールさん!! 俺、さっきも思ったんだけど、後方援護じゃなくて、アディールが戦ってくれればいいんじゃないの!? 俺よりも、強いじゃん?」
さっとアディールの後ろに隠れようとしたら、マドラが俺の足をぺしぺし叩いて、「ピ!」と鳴いた。
ワーウルフは顔を低くして、アディールと俺を捉えている。今にもとびかからんばかりだった。
「悪い! 危害を加えるつもりはなかったんだ!」
なんて一生懸命言っても無理だった。当たり前か。相手は犬もどき、もちろん言葉は通じない。
俺たちは街道を進んで、途中で休憩を取った。
そして気を取り直して、さあ、行くぞ! と気合を入れて進もうとした時だった。立ち上がった俺たちの後ろで茂みが揺れていたので何気なくそれをかき分けたのだ。
するとそこにいたのは、子犬のような動物だった。そのつぶらな瞳を見て「可愛い!」とアディールが思わず手を差し出した。子犬は警戒し、うーと唸ると茂みの奥に隠れてしまった。
「あ、待って!」
アディールがそれを追いかけて、茂みをさらにかき分けたら出てきたのが、この子犬の親であろう犬のような動物だった。
その親犬もどきは、唸り声を上げて、普通の犬よりもかなり長い牙をむき出していた。サーベルタイガーのような長い牙である。
象のように大きな体に、長い牙。最悪だった。これで、犬並みの俊敏さを兼ね備えていたら、マジで命が危ない。
マドラを差し出して構えると、マドラが慌てたように鳴いている。
すまん、俺の代わりにおいしくいただかれてくれ!!
心の中で詫びていると、マドラは俺とワーウルフを見比べて、焦ったように俺の手をぺしぺし叩いている。
すると、チャ、チャ、チャラリラ~とアップテンポの音楽が頭の中で突然流れた。
はい?
[センのターン
← 戦う
← 逃げる
← 説得する]
目の前に突然ホログラムのような画面が現れた。
[コマンドを選択してください]
矢印がピコピコと点滅している。
「はいー!?」
驚いて、目の前に映し出されたそのコマンドを凝視した。
「え、え、えーと……!」
どうしようとあたりをきょろきょろ見回す。
アディールは平然としている。
「ああ! 街道に出ると戦闘はイベントじゃなくなるんですものね」
思い出したようにポンと手を叩いている。え? 何、これ。こっちの世界では、当たり前なのか?
「セン、コマンドシステムなので、選択肢を念じてください」
「え? は? ええ!?」
おろおろしている俺に、アディールは一瞬目を閉じた。そして、弓を構える。
すると、ホログラムに「戦う」と点滅する。
「まだ勇者登録していないので、全部入力しないといけないんです。私たち。
大丈夫です、勇者登録すれば自然に戦闘が進むようになりますから」
入力って、どういう事だよ?
まるでゲームの中の世界のようだった。というか、この世界ってもしかしたら……。
すると、再びピコーンと音がした。
[アイテムを選択しますか?]
また矢印が点滅している。
「あ、アイテム!?」
そんなもの、何も持ってない。
アイテム、アイテム……。
そうか!
「どうだ!」
えい! と持っていたくないを投げた。確か、俺のやっているゲームだと、アイテムは投げて使えたはずだ。くないはヒュッと音を立て、ワーウルフに命中した。
「やった!」
ガッツポーズを小さく作った。
「セン! それ、投げちゃだめですよ! 代わりはないんですよ!」
背後からアディールに叫ばれて、しまったと慌てた。
アディールは高くジャンプすると矢を放つ。それは弧を描いてワーウルフの肩に当たる。
これで何とかなると思ったのもつかの間、俺たちの攻撃はワーウルフになんの傷も与えていないらしい。ワーウルフは俺たちの攻撃に怒ったのか低く唸ると、後ろ足で地面をけり上げて弾みをつけて、俺たちの前に飛び出してきた。
「ぎぃややああああ!」
思いっきり叫んで、逃げようとした。だって、こんなのに噛まれたら、マジでひとたまりもない。
一目散に逃げようとすると、ワーウルフにあっという間に組み伏せられた。
やばい!!
マジで死ぬ!!
アディール助けて!!
俺は固く目をつぶると、ワーウルフに噛まれるのを覚悟した。
―――!
―――!!
……。
何も起きない。
がぶっと犬もどきに噛まれてしまうだろうことを想定していた俺は、何も起きないことに戸惑いながら、薄目を開けた。
「なんだぁ? ずいぶんな初心者もいたもんだな~」
どこからともなく声がして、俺は薄目であたりを見回した。
犬もどきは、飛びかかる様子もなく、「クウーン」と甘えたような声を出して、後ろに下がっている。
何だ? どういうことだ?
すると、右側の茂みからひょいっと顔を出しているオッサンがいた。
「えっと……」
訳が分からなくて困り果てている俺に、おっさんはあくびをしながら茂みから出てこちらに歩いてくる。
「ここは初心者が訪れるような、ギルドの近くじゃないんだがなあ」
おっさんはぽりぽりと、巻いている布の上から頭を掻いた。
「お前さん、その様子だと戦闘は初めてだろう? 町の子どもか?」
子ども!?
俺は目の前のおっさんを睨み付けると、おっさんは何食わぬ顔をしてうっすらと笑いながらこちらを見ている。
「子どもじゃなくて、俺、勇者になるんだよ」
思わず答えてから、自分で言って恥ずかしくなった。何俺、勇者とか言っちゃってるんだよ!
と、恥ずかしさに身悶えていると、おっさんはじろじろと値踏みするように俺を見ていた。
「勇者登録は、受けたのかい?」
「勇者登録?」
頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。そう言えば、さっきアディールもそんなことを言っていたっけ。
首を傾げていると、おっさんが右眉をぴくりと動かす。
「ってことは、まだギルドにも行ってないんだな? お前さんは。――まあ、そんなことじゃないかとは思ったがね」
呆れたように再び頭を掻くおっさんに、俺はなぜか「ごめんなさい」と謝っていた。
オッサンは茂みからガシガシと歩いてくると、犬もどきの顎を撫でて、「ほら、行け!」と、体をぽんと叩いてやった。すると、犬もどきは茂みの奥へ走っていった。途中でちゃんと、子犬もどきを咥えて。
「――って、アディールも何すり寄ってんだよ!?」
おっさんの足にぐるぐると頭を擦りつけていたワーウルフと同じように、残ったアディールもおっさんの足元にすり寄っている。
「あれは、ワーウルフだ。あんまり攻撃力が高い魔獣じゃないが、丸腰じゃあ、危なかったな。
あの雌ウルフに噛みつかれてたら、毒回って死んでたよ。俺がいて命拾いしたな!」
おっさんははごろごろとすり寄っているアディールの頭を撫でている。アディールはなんだかうれしそうな顔をして頭を撫でられていた。
何だよ、これ!? なんで、アディール、あいつにすり寄ってんだよ?
「ちょ、アディール! 何やってんの? 何やっちゃってんだよ!?」
アディールの姿に、半ばキレ掛けて叫ぶと、アディールは困ったように眉尻を下げながらも、おっさんから離れない。
「ごめんなさい、セン。なんだかこの人の側にいると、どうしても抗えないんですー」
そう言って申し訳なさそうに、俺を見ているがどうやら離れようとはしないらしい。
「ああ、何って、俺のスキルが[好かれる]なんだよ。お前、ステータス見られないのか? って、ギルド行ってないんだもんな。しょうがないか」
はい? ステータス画面? なにそれ?
「ああ、やっぱり。お前、旅人レベル1じゃねえかよ」
しばらく俺を見つめていたおっさんはそう言うと、モブじゃねえかよーと付け加えた。それからベストの横についているポケットをごそごそと漁った。しばらく漁ってから「お、あった、あった」と言ってカードサイズの小さなプレートを取り出した。そのプレートは紙でも金属でもなかった。知っている素材の中から上げるのならば、ガラスのような、アクリル板のような透明なプレートだった。
透明なのに文字が読めるのは、そのプレートに文字が浮かび上がっているからだ。どういう仕組みだかは、まるきり分からなかった。
「ほれ」
と、投げてよこした。それを見ると、そこには「勇者公社登録証」と書かれていた。
「そこの、スキル欄見てみろ」
そう言われてプレートに書かれているいろんな項目を探して、下の方にある「スキル(特性)」と書かれた項目を見つけた。
そこには確かに基本スキル「好かれる」、特殊スキル「操る」と記載されており、説明に「ほぼすべての魔獣に懐かれる。懐いた動物を操ることができる」と書かれていた。
「お前もこの登録証持ってたら、ステータスは交信できるから、頭の中に勝手に相手の情報が浮かんだのによー。いちいちこっちの情報見せんのめんどくせえな」
ちっと舌打ちしながら吐き捨てる様におっさんが言う。
頭が痛くなった。
これ知ってる。これってやっぱり、ゲームの世界じゃないの?
ってことは、やっぱり異世界。いや、分かったけど。バニウスの村に落ちた時から、そんなことは分かっていたんだけどさ。
現実を見たってやつだ。あんな、画面みたいなの浮かんできたら、そりゃ普通じゃないって思う。今までは普通に生活してたけど、村を出たらどうなってんだこれ。ってことばかりだ。
「俺、魔獣だけじゃなくて獣人種にも好かれるんだよ。まあ、獣なら何でもオッケーっつうことだな!」
胸を張って言うおっさんの姿を見て、一つため息を吐いた。
おっさんが持っていたプレートを見て、分からないことだらけだった。もちろんプレートに書いてあることは理解できる。文字が違うけど、内容は理解できた。だけど、この世界がどんな前提で成り立っているのか、全く理解できない。プレートを戻しながら、おずおずと話を切り出した。
「あの、こんなこと言ったら笑われるかもしれないんですけど……俺、違う世界から来たんです」
このままこのおっさんが会話をしていても、分からないことが多すぎるだろう。だったら、事情を話して相手の出方を待った方が、自分の立ち位置を把握できる。
その言葉に、おっさんは一瞬動きを止めたが、「ああ、なるほどな」と割とあっさりと受け入れた。
「じゃあ、お前さんは『漂流者』なんだな。私らの世界には、本当にごくまれだが、いるんだよ。違う世界から紛れ込んでしまう者が。そんな人々を『漂流者』と呼んでいるんだが」
「俺のほかにもいるんですね?! よかった……」
自分以外にもそう言った例があるのなら、『漂流者』がどうなるのか例がある。そのことに喜んだ。
「ああ。たいていの漂流者は自力で元の世界に帰ることは出来ないから、こちらの人間と同じように職業を選んで、勇者とパーティを組める職業に就いたらギルドに登録し、そうでない者は街で暮らすことになるなあ」
おっさんはのんきそうにあくびをしながら言う。
「漂流者はたいてい旅人スタートなんだよ。お前さんもそうだったろ? 旅人のままだと職業に就けないから漂流者には向かないな。勇者になりたいなら、早くギルドに登録しな」
暮らすことができる……。職業に就けるってことは他の世界からきても、すんなり暮らせるということだ。
「職業に就くことが、出来るんですか?」
異世界で暮らしていくにはそれが一番のネックだと思った。バニウスの村がなくなって、俺たちは住むところも、食べ物もなければ、生活の糧となるものを手に入れる元手がない。
元の世界でも他国に行けば言葉が壁になって職業に就くことは難しいだろう。それと同じように、こちらでも言葉が壁になるかと思った。
だけど、バニウスの村でも、今も会話が成り立っている。お互い、言葉が分かっているのだ。
「ああ。魔法があれば言葉も分かる。漂流者が人間なら、普通に働くことができる。住み込みの職業を選べば、親方が生活に必要な最低限のものは貸してくれるだろう。勇者になれば、勇者公社で武器借りりゃ、依頼を受けられる。あんまり危なくない仕事でも、1日分の宿くらいの金額にはなる。漂流者が困ることは、少ねえよ」
言葉が分かる――、それは大きい。言葉の壁さえなければ、こっちのものである。
……しかも勇者って、そんなに簡単になれるもんなの?
「ごめんな、おねえちゃん。今、スキル遮断するからちょっと待って」
そう言うとおっさんはなんだかもごもごいうと、アディールの額をちょんとつついた。つつかれたアディールはぱっと目を見開くと、おっさんの顔を見上げてから、ふるふると首を振った。
正気に戻ったアディールはほっとしたような顔をして、慌てて俺の方へ駆けてきて、後ろに回る。
「これでもうお前をスキルで引き寄せることないから、大丈夫だ。悪かったな」
片手を挙げて謝るオッサンに、アディールは「スキルのせいですから」と笑っていた。……そんなに普通のやりとりなの、これ?
「で、お前ら何でこんなとこ歩いてんのよ?」
オッサンに聞かれて、俺とアディールは顔を見合わせた。
なにから話せばいいのか戸惑っていると、おっさんは「勇者希望?」と俺を指さして聞いてきた。
「ああ、センは勇者なんです。職業的勇者じゃなくて、伝説の勇者の方です」
アディールがそう説明する。おっさんはそれを聞いて、ふんふんと頷いていた。
「お前、伝説の方の勇者目指しているのか。じゃあ、なおさら早くしないとまずいんじゃねえの?」
職業的な勇者と、伝説の勇者って説明もどうかと思うが、おっさんはそれを普通に受け入れている。そんなにあたりまえのことなのか……?
「とりあえず、ギルドのある街に行くぞ。どんな職業に就くにしろ、大きな街の方が仕事も多い。初心者放り出して死なれても寝覚めが悪いんで、ギルドまで送ってやる。付いてきな」
そういうとおっさんは繊の顔を見て、顎をくいっと人が踏みしめた跡がついただけの簡単な道の方を指し示した。そして、どうしようか迷っているうちにずんずんと歩き出した。
「あ、ついていきます。待ってくださーい!」
歩き出したオッサンの後ろを、意を決して、慌てて追いかけだした。マドラとアディールも小走りでついてくる。こうして俺たちはおっさんについて、街道から州都のある街を目指すことにした。