第二話
気を失っていた俺が目を開けて飛び起きると、なぜか布団に寝かされていた。
ナイフで腹を刺されたんだもんな。俺、病院運ばれて治療を受けてんだ。
まだ目を開けたばかりで、状況もよくわかってない俺は単純にそう考えていた。
それにしても、腹を刺されたはずなのに痛くない。最近の医療ってのはすげえ。薬で痛みを押さえてるのか? だとすると、もう少ししたら痛みが襲ってきそうで嫌だな。
恐る恐る傷のあるはずの場所を触ってみると、皮膚は手のぬくもりを伝え、何の違和感もなかった。
傷口すら、感触がない。
ん?
違和感を確かめようと布団をめくる。そして、自分の着ているものを見て、また驚いた。
てっきり病院服のようなものを来ているのかと思ったら、生成りの小ざっぱりした貫頭衣のようなものを来ていた。ああ、でも緑の病院服も似たようなものかもしれない。
じゃあ、やっぱりここは病院か?
それにしても――こんなバンガロー風の病院なんて珍しいな。
木材をふんだんに使っている建物で、天井の梁はむき出しの木だった。
……ん?
ゆっくりと辺りを見回す。山小屋風の病院だと思っていたが、徹底している。ベッドにおかれているサイドテーブルもまるで日曜大工で作られたような、粗末な木を組んだだけのテーブルだ。その上には、やはり木でできた花瓶だろうか、取っ手がついて注ぎ口のついたどっしりとしたフォルムのピッチャーのようなものが置かれている。
それに、寝かされているベッドもよく見ると木を組んだだけのマットレスもないような堅いベッドだった。
なんだ、この病院。うちの近くに、こんな病院あったっけか?
すると、扉の開く蝶番の音がして、俺は音の方へ顔を向けた。
何の気なしに入ってきた女の子は、鼻歌を歌いながら木のボウルをサイドテーブルに置いた。そして、寝ているだろうと思ったのだろう。俺の顔を覗き込んできた。……ものだから、ばっちり目が合ってしまった。
しばらく見つめ合ったその後で女の子は数回瞬きし、俺と目が合っていることに気がつくと、突然叫び声をあげて後ろに後ずさっていった。
「うわあああ!」
彼女の様子があまりにもすごい驚きようだったので、俺は彼女を思わず凝視してしまった。
彼女は部屋の端までものすごい勢いで下がると、驚いたポーズのまま、恐る恐る俺の方を見ている。
そこで対峙すること、数秒。
「……目、覚めたの?」
彼女は上目づかいにこちらを窺うようにして見ると、恐る恐るといった体で聞いてきたので、ゆっくりと頷く。
「……痛いとこない?」
またまた聞かれたので、ゆっくりと頷いた。
「そう」
彼女は一安心したように、そう言うと、驚いたポーズからようやく腕を下げた。
彼女が何か話す度に、彼女の耳がぴくぴくと揺れている。その不思議な光景に、俺はその彼女の耳から目が離せなかった。
「あの」
俺がそう声をかけた途端、彼女の尖った耳がものすごい勢いでぱたぱたと揺れた。
彼女は自分の耳が揺れていることに気がついて、慌てて両手で耳を押さえた。
「ごめんなさい! びっくりすると、耳が動いちゃうの」
そう言う彼女の耳は、俺と同じ位置にあるはずなのに、その先端は頭部を超えていた。そう、まるでウサギのように耳が長かったのだ。
えー、っと??
「うん。ちょっと待って。俺には良く理解が出来ないんだ。
俺、腹を刺されて倒れたはずなんだよね。
だから、ここ、病院じゃないのかな?」
俺、頭でも打ったのだろうか。頭を押さえながら思い出そうとすると、ウサ耳の彼女は目を丸くしたまま俺を見つめていた。
「えっと、えっと。あの……。
あなたは、先月の新月の時に落ちてきたの。
あのね、こっちでは新月の夜には勇者が落ちてくることが、何百年に一度か、あるの。
だから、あなたはそれじゃないかって……、長老様とお話してね」
ウサ耳が一生懸命話をしている。ウサ耳の耳は野ウサギのように茶色かった。ウサギのように毛が生えているのかよく見たかったけど、ここからじゃ見えない。
あの耳、ふわふわなんだろうか。
「おい、お前、ちょっと来い」
ウサ耳に手招きをすると、彼女は辺りをきょろきょろと見回してからこちらへやってきた。
ゆっくり俺の前に来ると、こわごわと上目づかいで俺の顔を見上げてくる。
よし。
この距離なら、完璧だ。
俺はベッドから素早く立ち上がる。そして思いっきり両手を伸ばした。――そして、
「とったどーーー!!」
よ○こよろしく、ウサ耳の耳を掴んで引っ張り上げたら――――泣かれた。
いや、作り物かと思って……。すぽんと抜けると思ったんだ。
※ ※ ※ ※ ※
「ひどいですぅ――」
耳を掴んだ瞬間、耳をつんざくような悲鳴と言うのはこういうことを言うのですね、というほど大声で泣き喚いたウサ耳の声を聴いて、辺りから人がわらわらと集まってきた。
「どうしたの!?」
「なんだ、どうしたんじゃ!」
「どうした!!」
入ってきた人たちは、一人はやけにむっくりとしたおばさんと、妙に髭の長い爺さんと、ガタイのいいガテン系の兄ちゃんだった。
みんな一様に、耳がウサ耳だった。
……ごめん、どうやら俺は、可愛い女の子の耳しか掴みたいとは思わないみたいだ。
ぴくぴくと動く並んだうさぎ耳達を見ながら、呟いた。もちろん、心の中で。
ウサ耳達は、ちびっこいウサ耳を掴んでいる俺の姿と、掴まれている彼女の両方を見て目を丸くした。
そして、おばちゃんに張っ倒されそうになり、爺さんがびっくりして転倒し、ガタイのいい男に俺は羽交い絞めにされた。
ウサ耳はおばちゃんの胸に飛び込んでさめざめと泣き、上記のセリフを吐いたのである。
「……」
みんなが俺をジト目で見る。
「いや、いい耳っぷりだったから、ついやっちまっただけだ。他意はない」
否定してみたが、四人ともじいっとこちらを疑り深く見てやがった。
いや、ほんと、何にもしませんて。
すると、四人の中の一人、ひげの長い爺さんがひとつ咳ばらいをした。
「お前さん、その様子から見るに、外の世界から来たお方じゃの?」
突然、本題に入るのか?
「長老! こんな、アディールの耳を掴むような男、勇者なんかじゃありませんよ!」
太ったおばちゃんが憤慨して真っ向否定だ。
どうやらふわふわウサ耳は、アディールと言うらしい。アディールはおばちゃんに掴まり、ぐしぐしと涙を拭っている。
爺さんはおばちゃんを宥めるように片手を挙げる。
おばちゃんは、むすっとしながらも次に続く台詞を飲み込んだ。
「アディールの耳のことは、少し置いておくとしようかの」
爺さんがしゃべるたびに長いひげが揺れる。口も髭で覆われているので、どんな表情をしているのかわからない。
爺さんの耳は真っ白の毛に覆われて、耳なんだか口髭なんだか、顎髭なんだか、眉毛なんだか、よくわからない。とりあえず、歳を取り過ぎて動きの鈍くなった小動物を思わせる。
「おまえさんのう。半月ほど前の新月の時にこちらの世界に落ちてきたんじゃ。
で、今日が満月。勇者は半月程眠りに落ち、満月の夜に目を覚ます。
……今はまだ昼じゃが、今日登る月が満月。
なので、お前さんは勇者に間違いないだろう」
ゆっくりと爺さんが言う。
勇者? は? 勇者ってなんだ?
大冒険か? ○○の大冒険なのか、これは。
「えーっと、ちょい待ち。ちょい待ち。
いきなり落ちてきたとか、勇者とか言われてもピンとこないんだよね。
それよりここどこよ?」
俺の問いに、爺さんはゆっくりと答えてくれた。
この世界はメージャーインと呼ばれる世界らしい。
長いこと、光の王と呼ばれる王が治めるアルフガルド王国と、魔王の治める領地と戦争をしているらしい。
二つの争いは世界に均衡をもたらし、メージャーイン世界は二つの勢力が拮抗しているから保たれており、どちらかに傾くと世界が崩壊するらしい。
で、今力をつけているのが魔王の治める魔王軍であり、世界の均衡は崩れつつあるそうだ。
光の王が破れるようなことがあれば、この世界から善なる心は消えてしまい、魔王率いる魔族がこの世界を支配する。
それは、地獄のような光景だと、長老は嘆いた。
どうやら俺たちの想像する魔王や魔族と、こちらの魔族はかけ離れていないらしい。
それはまあ、大変だよね。
で、均衡が保たれなくなると天から勇者が送還される。そのゲートが開くのが新月の夜。
そして落ちてきたのが、俺……と言うことらしかったのだが。
「爺、寝言は寝て言え」
勇者? なんだそれ。俺は魔王と戦う気なんてない。
勇者って言ったらあれだろ? 剣持って、さんざん魔物と戦って、ダンジョンとかクリアして「俺たちの戦いはこれからだ!」とか言うんだろ?
いやー、無理だろ。
無理無理、俺が勇者なんてゲームがあったら、無理ゲーもいいとこ。途中で絶対エタるって。
額に手を当てて空を仰ぎながら言うと、爺さんは俺の言った言葉の意味が分からなかったようでウサ耳をうなだらせ、ついでに眉毛も下がっていた。
「寝言じゃないんじゃよー」
長老だか何だかの爺は力なくそう言うと、うーんと困ったように唸り声をあげる。
「ここ最近、世界の均衡は崩れておる。このホウビット族の住処、バニウスの森ですら魔族が徘徊するようになってきた。
本来ならこの地は、メージャーインの端っこの方での。魔族が徘徊するほど魔王の領土に近くないはずなんじゃ」
「いや、ちょっと待ってくれよ。
俺、勇者とかそう言う柄じゃないんだ。俺は元いた世界でも、役立たずもいいとこで、挙句の果てには腹を刺されて死にかけたんだ。
そんな死にぞこないが、何ができるっていうんだよ?」
そう爺に問いかけて、俺はあることを思い出した。
「そうだ、傷だよ! 俺、確かに腹を刺されて寝ていたはずなのに、なんで腹の傷がないんだよ!?」
俺は刺されたはずの腹を押さえる。そこには傷も何もない。痛みもなければ、あとが残ってすらいない。
どうして、怪我がなくなっているんだ? まさか、2週間で傷は塞がりはするだろうけど、跡形もなくなるなんてことあるのだろうか。
すると爺は首を傾げている。時折ぴくぴくっと動く耳を見ると、何か考えているらしい。
「お前さんのう、運ばれてきたときから傷なんぞなかったぞい?」
爺さんのその言葉に、驚いた。
確かに俺は、刺されたはずだった。それで意識を失って、ここに来たんだ。
どういう事なんだ……?
「とにもかくにも、今は本物の勇者が必要なときじゃ。
すぐにでも光の王へお目通りを願うべきなのじゃが、なんにせよこの村では勇者登録もできやしない。
お前さんは少しここでこの世界のことを学んでから、勇者となって、光の王の元へ行くといい」
一人で納得したように爺さんが言う。
この世界に落ちてきた勇者は、基本ゲートの開いた村で面倒を見ることになっているらしい。
俺はどうやらこのバニウスの森で世話になってから、勇者として旅立たなければならないようだった。
だけど、俺は勇者になんてなる気はなかった。この村で適当に過ごしてから、光の王に会いに行くと言って旅費をもらってとんずらしようと思っている。
だって、俺みたいな一般人がいきなり勇者なんて、なれるわけない。やれと言われても無理だ。
そこにいた筋肉ムキムキ男みたいなやつにそんなことは任せておけばいいんだ。
なんて都合のいいことを考えていたんだ。