伯爵邸の謎3
きゅっと口を結んで、涙を拭ってユマは前を見る。
そして立ち上がった。
「もしかして……お父様、この中にいるのかもしれない」
ユマは扉の向こうを見る。
「お父様の降霊に失敗したのは、お父様がすでにこの家にいるからかもしれない!
もしかしたらお父様は、ずっとこの家にいたんじゃないかしら」
お父様、とユマが呟いた。
「お父様がいるとしたら……」
そう呟くと、走り出す。
「ユマ、ちょっと待って!」
俺たちはユマを追いかけた。廊下に出ると、さっきユマが失敗して呼び出した白い小さな影たちが、ふわふわと飛んでいた。
白い湯気のような塊が、時折顔を作って声を上げたり、笑い声を立てたりする。
ユマは平然とそれを交わし、俺たちはそれに習うように後ろを走った。一番最後に着いてくるのはマドラで、その足の遅さにアディールがいったん足を止め、マドラを拾い上げてからまた俺の横に並んで走っていく。
ユマは二階の廊下をまっすぐに走り、右側の部屋の扉をバンと開けた。
すると中にはたくさんの明かりが灯っていた。
ひゅうっと通り抜けるたくさんの人の気配がある。扉が開かれると同時にその気配が外に流れていくようだった。
「この気配……」
ユマは辺りを見回す。
「やっぱり! 私が呼びだした霊たちだけじゃない。もっと高等な霊たちが混じっている」
ユマの言葉をきっかけに、影が一斉に声を上げて笑い始めた。
その声はだんだんと笑い声から震えるような泣き声になっていく。
……苦しい、苦しい……
……苦しいよ……
絡みつくような、消え入りそうな、不思議な声だった。
たくさんの恨み言が層をなしてさざめき始め、それは最後悲鳴のようになった。
――カルガリめ
許さない、許さない。
みんな死んだ。みんな餓えた。
一人だけ、私腹を肥やして
そう叫んで、影はいっせいにユマに襲い掛かった。
「きゃああああ!!」
ユマは頭を抱えてしゃがみこむ。
「やめろ!!」
俺は叫んだ。
「ユマには関係ないだろ!? 恨むなら、死んじまったカルガリとやらを恨めばいいだろう! ユマは関係ねえ!」
俺は叫んで、手で白い影やら黒い影を追い払う。
ユマを庇うようにして、彼女の前に立ちはだかった。
――死んだ。
……みんな死んだ。
――カルガリのせいで、みんな死んだ……。
影はゆらゆらと形を作ると、恨みを濃くしていき、どんどん顔が険しくなっていく。そしてその影はユマに向かってとびかかっていった。
「ユマ!」
俺はユマを庇う。
「私のお父様は、こんなに恨まれていたなんて……。
そんなの、ウソよ!
私のお父様はいつも笑っているような、そんな優しい人だったもの」
泣き出しそうな声で、ユマが言う。
小さな子どものように頭を振って、ユマが泣いた。
俺はカルガリ伯爵のあの新聞記事を思い浮かべた。自分の妻――しかも奥さんが毒婦とか呼ばれているような、そんな人に殺されたカルガリ伯爵。
アルフガルド史に悪名を残す、稀代の悪宰相。
そんな人間を、目の前のユマは優しい人だと泣いている……。
「お父様はそんな人じゃない! ねえ、信じて!」
ユマが顔を上げて、俺とアディールを見る。
俺たちはその悲鳴のような言葉に為す術もなく立ち尽くした。
ユマは顔を真っ青にして震え始めた。
「……そうよ、誰も信じてくれないの。
お父様が優しい人だったって。
――誰もかれもが、石を持って追い立てたわ。
私は泣きながら、森にたどり着いてそこで……」
そこまで言うと、ユマは耳を塞ぐ。
また震えながら首を横に降り始めた。
ユマに手を伸ばそうとして、一瞬ためらってしまった。
ユマは焦点の合わない眼をして震えながら、手を伸ばして躊躇った俺を見て一粒涙をこぼした。
その目には、何の感情も浮かんでいなかった。
悲しむでもなく、怒るでもなく、恨むようでもなく、ただじっと無表情で俺を見つめる。
「……ユマ」
手を伸ばそうとした時、俺たちのいた部屋の最奥のカーテンが揺れた。
「かわいそうに、私のユマ――いいや、リリムよ」
最奥のカーテンが開かれ、中には椅子が一つ置いてある。そして、そこに座る人影が見えた。
「お父様!」
椅子に座る人影を見て、ユマはぱっと顔を輝かせた。こぼれるような笑顔を見せ、椅子に駆け寄る。
「やっぱり、そこにいらしたのね、お父様!」
ユマが椅子の後ろからその人影に抱きつくと、背もたれの上にあった首がごろりと床に転がり、固いものがぶつかる音を立てて、一つ弾んでごろごろと転がった。
「!――!!」
口に手を当て、ユマは声にならない悲鳴を上げる。
それを見ていた俺たちも、息を飲んだ。
「お父様!!」
転がった首はこちらへ向かって転がってきた。顔が正面を向いて、俺たちは再び息を飲んだ。
そこにあったのは、苔むしたような反面が緑色のしゃれこうべだった。
両目はぽっかりと空洞になっているのに、確かにその目に見据えられたような気がして、気味が悪かった。
ユマは声にならない悲鳴を上げたまま、その首に向かって走ると抱えるようにして引き寄せた。
「――っ! お父様……」
椅子に座った体は、力なく両腕が垂れており、ユマはその姿に泣きだした。
「……ふ、ふふ。くふ」
突然場違いな笑い声が聞こえてきて、俺とアディールは同時に驚いてびくりと肩を震わせた。
「誰だ!」
気を取り直して、声がする方を向く。
カーテンの向こうがかすかに揺れ、そちらへ向かって叫んだ。
すると、睨みつける先からは笑い声がさっきよりも大きくなった。
「これは失礼」
そう言いながら、カーテンの影から姿を現したのは、長髪の背の高い男性だった。
俺とアディールはとっさに身構える。
こんな状況で笑ってられる様な奴が、尋常なはずがない。
アディールに抱えられているマドラが「ピイッ!!」と声を荒げた。
ユマがゆっくりと、笑い声の主を見る。
すると、その顔を突然変えて、くしゃくしゃになった顔で再び泣き出した。
「ユマ、かわいそうに……」
男が、ユマを見つめて呟いた。その響きにいたわりのようなものを感じて、俺は総毛だった。
なんだか、いやな予感がする。
マドラはアディールの腕の中で震えているし、アディールも胡散臭そうな顔をしてかかとを少し落として、かなり警戒しているようだった。
男は俺たちにはお構いなしに軽やかに歩を進めると、ユマの前で足を止める。
そして悲しそうな表情を浮かべると、ユマを見下ろした。
「私のユマ、かわいそうに……」
男はユマを見下ろし、優しい笑顔を作った。
ユマは男の顔を見ると、ほっとしたような顔をして涙をぬぐった。
俺とアディールはその姿を見たまま、なんだかよくない気がしていてずっと近寄れなかった。
「……君がそんな顔をしているのは、こいつらのせいなのか!?」
男はいきなり牙をむくように顔をしかめる。その歪な顔に、俺とアディールは恐れおののき、後ろに下がらずを得なかった。
アディールが背中の弓に手をかける。
男がさっと手をかざした瞬間に、ぶわっと紫色の煙が湧いて出て、鎌鼬のように俺とアディールの間の空気を切り裂いたようだった。
「アディール!」
俺がそう叫ぶと、アディールは風を避けるように構えると、
「大丈夫です!」
と叫んだ。
煙は俺たちにまとわりつくようにして取り囲んでいる。さっと肌に触れたかと思うと、その場所がスパッと鋭い刃物で切られているような傷が出来た。
顔を庇えば腕が、腕を下げると体が切り付けられ、俺たちはガードするしか術がない。
アディールの弓は効かないし、手で払っても無駄だった。
「――お師匠様、やめて!」
男の縋るように手を伸ばしたユマは、突然はっと驚いたような顔をして、男を見る。
再びユマの腕からこぼれた首がごろんと音を立てて床に落ちた。
ユマはそれで一瞬たじろぎ、伸ばしていた手を慌ててひっこめた。
お師匠様……?
その言葉に、驚いた。
ユマの震えるような声に、男は手を止めてまた微笑みを作り、ユマを見る。
「君がそんなに悲しそうな顔をしているのは、こいつらのせいじゃないのか?」
男の言葉に、ユマは一生懸命首を横に振った。
「違うの!」
ユマの言葉に、お師匠様と呼ばれた男は手をかざした。そして俺たちの方を見ると、「戻れ!」と声を上げる。すると、さっきまで人にまとわりついていた紫の影たちがあっという間に姿を消した。
男はくるりと俺たちの方へ振り替えると、にやりと笑ってみせる。
その細く歪んだ目の奥に、何の感情も読み取れずに嫌な気分になる。目の奥がまるで空洞のようだった。
男はユマの前にしゃがむと、その両腕を自分の腕でしっかりと掴んでいる。
「ユマ、君は父上の死の真相を知りたくて、旅に出たのだろう?
このリングアでようやく目的が果たせると、喜んでいたじゃないか。
それがどうして、こんなことになっているんだ?」
口調だけは優しい男の声に、ユマは一瞬肩を震わせたがすぐに表情を戻すと、首を横に振った。
「それが……」
言いよどんだユマの言葉を遮るように、男がしゃべり始める。
男はまるで小さな子どもに言い聞かせるように、ゆっくりとはっきりとした口調で話し始めた。
「君がこんなふうにまだ、気丈でいられるなんて想定外だったよ。
もっともっと、絶望に打ちひしがれていればいいと思ったのに!
――そう。だからね、僕は君にお土産を用意したんだよ」
その声はとても甘やかで優しい口調だった。
「え? お師匠様?」
だからだろう。彼が何を言っているのか、わからないといったふうでユマが首を傾げる。
男の言葉に息を飲んだ俺がアディールを見ると、アディールも俺の方を不安げな瞳で見ている。
男はすたすたと歩き出すと、転がった骸骨を手のひらに乗せる。
「――僕はね、君の父上を呼び出したんだ」
とっても嬉しそうに上ずった声で、男が言う。
「――!!」
口元を押さえ、息を飲んだユマはその場に座り込む。
「ふふ、嬉しいかい? ユマ。君に喜んでもらえたら、僕も嬉しいな」
「……お師匠、さま……?」
ぽつりと漏らした言葉は、消え入りそうだった。
唖然とした顔と言えばいいのだろうか。表情も何も、さっぱり消え去ったかのような不思議な顔だった。
男はそんなユマの様子を楽しそうに見て、鼻歌を歌っている。
「その椅子に座っているのが、君の父上。
ダリオ=カルガリ伯爵。
ああ、本体はもうダメみたいだね。せっかく庭の墓地に埋めといてあげたのにさ。
君の帰宅に合わせて掘り返したのに、うーん、ここの気候はよくなかったかな」
人差し指を顎にあてて、男は呟く。
「そうそう。自己紹介しなくちゃね。
ユマ、君の仲間にね」
まるで男の一人芝居のようだった。軽快に歩いたり、鼻歌を歌ったり、俺とアディールはその男から目を離せないでいる。
ユマは震えながら、椅子に座って動かない後ろ姿を見つめていた。
「始めまして、勇者殿。
私はユマの師匠の、ムルムス。以後、お見知りおきを」
胸の前に手を差し出して、顎を引いてお辞儀する。
そんな男のしぐさに、吐き気がしそうだった。
それからムルムスは、そんな俺達三人のことなんてお構いなしに、「あーあ」と呟いて見せた。
「もう少しだったのに。
もう少しで、リリムをからめ捕れるところだったのにねえ」
ムルムスは歌うように言う。手に持っていたカルガリ伯爵の首をぽんぽんと空に放り投げている。
ひっと声を上げて息を飲んでいるようなリリムの声に、ムルムスは無表情になる。
「いい反応なんだけど、少し違うんだよね。
勇者なんかとパーティを組ませたのがいけなかったかなぁ」
そしてムルムスはユマの耳元にそっと囁きかける。
その言葉は、ユマの顔に驚愕の表情を運び込ませた。ユマの目がゆるゆると大きく見開き、ムルムスを見据えた。
それから、大きく開かれた口元を両手で押さえていた。
ムルムスがなんて言ったのか、聞き取れはしなかった。
しかし――
「……嘘!
お母様がお父様を殺したなんて!!」
ユマはそれすらも知らなかったらしい。そう言って、床に手をついていた。
「お前!」
俺は近くに何かないか探したけれど、武器になりそうなものはなかった。
「まあ、怒らないでよ。新米勇者殿」
男がぱちんと指を鳴らすと、突然身動きが出来なくなった。小さいアディールの悲鳴を聞こえたので、アディールも同じだったのだろう。
俺は紫のふわふわとそこら辺を飛んでいる煙のような影に体を掴まれたまま、動けなかった。
「僕がいいこと教えてあげる」
ずいぶんと弾んだ声だった。楽しい秘密が我慢できない小さな子どものように、くふっと声を上げて笑った。




