第一話
俺はキョロ充だった。
クラスの強いやつにくっついて回っては、パシられていた。
そうとは気がつかずに。
クラスのリーダーグループの仲間に入れてほしくて、顔色をうかがっていた。ハブられるのも、いじめられるのも嫌で、グループの中で浮いているのに、気がつかないふりをしていた。
いつからだったろうか。
「なあ、橋立。お前今日学食?」
「うん、そうだけど?」
「あ、じゃあ俺らの分も席取っといてー」
「悪いな、よろしく」
お昼休みになると、いつの間にかそう頼まれるようになった。俺は一人で学食の席を確保して、みんなが来るまで待つ。途中で上級生に文句言われたりしたけど、俺はあいつらにハブられる方がよっぽど怖くて、ヘコヘコしながら席をずっと確保していた。
それだけじゃなかった。
飲み物買ってといて。なんか食い物かっといて。
お金は後で返してくれたけど、いつも学校近くのコンビニに走ってみんなの分買ってきた。それでも俺が我慢できたのは、俺が何も買ってない時は、
「なんだよ、橋立。お前何も飲まないのかよ? じゃあ、頼んで悪かったな。そういう時は言ってくれよ―」
と心底申し訳なさそうな顔していってくれていたからだ。
俺はあの日まで、みんなは友達だと思っていた。
友達だから頼られているのかと思っていた。
「ねえ、繊。それは頼られてるって言わないんじゃん? そんなの友達じゃないよ?」
そう忠告してくれたのは、俺の一つ違いの姉、十六夜だった。
俺たちは中学校まで同じ学校だったけど、高校は違う学校を選んだ。父と母は同じ学校の方が楽じゃないかと言ったけれど、十六夜は頭が良くて、ずっと行きたがっていた女子高に合格することができた。十六夜の志望校が女子高だったから、両親も同じ学校にとは言わず、俺たちは自然と違う学校に通うことになった。
それがいいのか悪いのか、俺にはわからない。
中学校までの俺には友人も普通にいて、毎日が楽しかった。
こんなふうに、一日の終わりにため息をつくことなんてなかった。
だけど今の俺には、そんな友達しかいない――。
俺は友人だと思っていたけど、奴らはそうじゃなかった。
俺はあの日、それを思い知った。
「え? お前のねえちゃん、桜園女子大付属なの? マジ、お嬢様学校じゃん!?」
あの日、十六夜の存在を知ったグループのリーダーの桐嶋が十六夜が通っている学校にくいついてきた。
桜園女子はお嬢様学校で、美人が多いとの評判だった。この女子高の子が彼女であることは近隣の高校生男子にとってのステータスだ。そんなもんだから、桜園との合コンは大人気で、共学のはずのうちの生徒ですら、桜園との合コンとなれば目の色を変えてセッティングを頼むほどだった。
「なあ、おまえんちに遊びに行かせてよ」
ある日、桐嶋にそう言われた。
流行のゲームの話になって、桐嶋が「俺持ってないから、それやりたんだよ」と言い出した。
「俺、持ってるよ」
桐嶋に言うと、桐嶋はすげー嬉しそうな顔して、うちに来たいと言った。
だから俺は、疑いもしなかった。
桐嶋の狙いが、十六夜だったなんて――。
桐嶋はうちに遊びに来ると、はじめはゲームに食いついているふりをしていた。俺は初めてうちに来た友人が嬉しくて、もてなしたかった。両親が共働きだったから、友達たちに飲み物を入れ、適当にスナック菓子を準備する。
「ただいまー」
そうしているうちに玄関が開く音がして、帰ってきたのは十六夜だった。
俺がキッチンで飲み物とスナック菓子を準備していると、物音に気がついた十六夜はキッチンを覗いて「友達?」と聞いてきた。
ひょっこりと顔を出した十六夜の白いセーラーが見えた。先月衣替えした桜園の制服は白のセーラーで、それも男子高生から人気があった。
「ああ。ゲームしてるから。うるさかったらごめん」
「それは構わないけど。ちょっと安心したよ。繊の友達が、うちまで来てくれて。それならお姉ちゃんも、ちょっと安心かな」
俺の交友関係を心配していた十六夜は、ほっとしたように眉尻を下げて、小さく笑って見せた。
「だから、前から言ってるじゃん。友達だから、心配いらないって」
俺は能天気にそう言うと、ちょっと得意になっていそいそと袋菓子を開けていたんだ。
「そ。ならよかった。お友達にも言っといて、ごゆっくり――」
十六夜はそう言うと、キッチンから出て自分の部屋に行くために階段を上っていった。リズミカルなトントントンと言う足音がキッチンまで聞こえていた。
飲み物と食べ物を準備して部屋に戻ると、部屋には二人しかいなかった。五人いたはずなのに、あれ?と首を傾げると、二人はゲームをしながらにやにやとしていた。
「あれ? 桐嶋たちは?」
何の気なしにそう聞いた俺に、二人は顔を見合わせて何とも言い難い表情をしていた。
――なんだ?
「帰ったのか?」
もしかして、ゲームに飽きて帰ったのだろうか。桐嶋たちは確かに飽きっぽいし、面倒になるとすぐやめにする癖がある。今回もそうかと思って廊下の方へ目を向けると、足元にはカバンがまだ置いてあった。
「あー、桐嶋たちねー」
二人の凝った田辺と川口は困ったような表情を浮かべながらも、にやにやとしている。
その時、隣の部屋からどんっと壁を叩くような音が聞こえた。
「ああ、お盛んだねえ」
田辺が暢気に言う。
は?
なんだ?
隣の部屋は、十六夜の部屋じゃないか?
その時、俺の脳裏にはっとよくない想像がよぎった。
まさか――。
そんなことあるはずない。
桐嶋も、坂本も、柳葉も、友達だから。友達だって思ってたから連れて来たんだ。
――!!
隣から、小さな悲鳴が聞こえた。
まさか……。
想像が、だんだんと確信を帯びていく。
まさか! 十六夜!!
気がついたら、駆けだしていた。
隣の部屋を開けようとすると、中から誰かがノブを押さえているのか回しても扉が開かない。
ウソだろ!!
ドアに体当たりしても意味がなく、俺は何度もドアノブをガチャガチャまわし、体当たりしまくった。
ドアは揺れたり、少し開くと中から「うわ!」と声がして、中から押さえられているんだと分かった。
俺はドアにありったけの力を籠めて右肩から押すと、ドアは急に軽くなり、中に押し出されるようにつんのめった。
――部屋の中の光景に、俺は目を瞠った。
「ぅーぅー!!」
口を塞がれて、涙ながらにこちらを見ていた十六夜と目が合って、俺は逆上していた。
「っわああああああああーーーーーー!!!!!」
十六夜の腕を掴んでいる桐嶋めがけて、わき目もふらずに殴りかかっていた。
桐嶋の脇にいた二人が俺にタックルをしてくる。
「おいおい、橋立は黙って見てろ」
そう言ってにやりと笑う。
「やめろ! やめろ!! やめろ―――!!」
がむしゃらに腕を振り上げて、桐嶋を殴ってやろうと思った。
それなのに、桐嶋はにやにやと下卑た笑みを浮かべるだけで、十六夜の腕を離そうともしなかった。
桐嶋に殴り掛かった俺は、坂本と揉み合いになった。
そして、どっちが取りだしたのだろう。もう、今となっては覚えていないけれど、坂本か柳葉がポケットから出したのは、バタフライナイフだった。
それで十六夜を脅したのか、俺が抵抗したら脅そうと思ったのか、慣れた手つきでナイフの刃を出すと、俺の目の前に構えてみせる。
どうせ脅しだろうと、そのナイフを叩き落とすつもりで俺は突進していった。
目の前に差し出されたナイフの刃が窓の光に反射して輝いたその瞬間、やけに周りの景色がスローだった。
落ちていた雑誌に足を取られた俺は、目の前の男に抱きつくように滑りこみ、一瞬見えた奴の顔は柳葉だったと思う。目がこぼれるんじゃないかと思うほど最大限に見開かれた柳葉の目は俺の脇腹のあたりを見た。その瞬間「あ」とでも言いたげに口が開いた。
間抜けな面。
そう思った時に、腹に何かがくぐもっていく感触があった。
なんだ?
衝撃のあった部分を見下ろした俺は、一瞬動きを止める。
俺の視界に入ってきたのは、おかしな光景だった。
――俺の脇腹にナイフの刃が深々と突き刺さっていた。
それを目で見てから、ぶわっと吹き出るように熱と痛みが襲ってきた。
その後、俺は自分がどうなったのか全く覚えていなかった――。
多分遠くで「繊!!」って叫ぶ、十六夜の声が聞こえていたような気がした。