報告:その一
マンションの凹みにあるベランダ。そこに向かって流れてくる風はゴウの体温を奪っていく。流石、地上から五〇〇〇フィートも離れていると言えた。
ゴウがいるのはテレサシティの西側。“居住地区”の三十八階建てのマンションだ。赤い煉瓦で積まれたような、ちょっとおしゃれなデザインのマンションにいた。
ポケットから携帯通信機を取り出す。その薄い板に黒いガラスの形状で、ゴウの手には少々大きい。ゴウはそれをしばらく見つめていた。どこを押せば通話が出来るか分からずにいたのだ。間違って壊してしまうんじゃないか、と心配になる。
恐る恐るその画面に触れた。音が突然ソレから鳴り出す。
『もしもし、こちらアルだ』
そのスピーカーから聞こえてくる声に素直に驚いた。慣れない機械というのはこんなにも胸をドキドキさせるのか。
「ゴ、ゴウ・レイジングブルだ。今日の報告を……」
『いやいや、そんなに硬くならなくていい。今日、ユキと会ったらしいな』
「本日、監視対象と……なんで知ってる?」
『そりゃもちろん、君以外にも監視する人間はいる。今、君が彼女の部屋のベランダにいることくらい、僕の耳には届く』
ベランダの手摺りに掴まり、辺りを見回す。形やデザインこそ違えど、建っているのはマンションばかり。明かりが点いている部屋がまばらに存在し過ぎて、誰がどこにいるかは分からない。しかし、この闇の中に彼女を監視する奴はいるのだ。
ゴウは少し考えてから口にする。
「……あの店の店主も?」
あの店――ゴウが休息を取るため、また情報を手に入れるために入った店。彼女と出会った店のことだ。
『流石に察しがいいな』
「あれだけ露骨な態度を取られれば、そりゃ気づく」
『彼女に気づかれなきゃ大丈夫だ。それに君なんて、“気づかれている”というレベルを遥かに凌駕している。まさか同棲なんてね。ククク……。正直、彼女にここまで近づけたのは君が始めてだ。……協力を頼んだ人間の中には報酬を持ち逃げするやつもいてね……』
近づきたくてここまで近づいたわけでもないことが、妙なプレッシャーになる。だが、そんなことよりも聞きたいことがあった。
「彼女の“能力”。あれは、なんなんだ?」
『全く君は会話を露骨に切るね。……そう彼女は特別な能力を持っている。我々は“物質やエネルギーを反射する鏡を出現させる力”という長ったらしい正式名称を……めんどくさいから便宜上“リフレクト”と呼んでいるよ。
今回、君達にはそれを監視してもらっている。普通の人間が持たざる力を彼女は持っているんだ。”リフレクト”という力で何が起こるか分からない。だから、監視が必要なんだよ』
皆が安全に暮らすために。アルはそう付け足した。
未知なる力への対策。そう考えると、必要以上に監視者を付けることは理解できる。しかし、もう少し人選をこだわるべきじゃないのか。
『君が一番彼女に近いんだ。これからの報告を楽しみにしているよ。ところで明日はどうするんだい?』
「明日は買い物に行こうと思う。安全な都市かと思っていたら、ここはそうでもないみたいだからな。武器を調達しておきたい」
『そうか。なら、明日の朝に案内役を呼ぼう。ここに来たばかりの君には必要だろう? お金は気にしなくて良い。この都市では、案内くらいじゃお金はかからないからね。……じゃあ明日も彼女のことを頼む』
案内役が一体どんな奴なのか。大体の察しはつく。どうせ、この男の仲間だろう。しかし、他に聞きたいことがあった。気になることが。
「……ところで最後に一つ聞きたいことがある。彼女は“兄”を探している。その兄っているのは……」
『あのアメの食べ過ぎには注意するんだ』
ゴウの言葉は完全に相手には伝わらなかった。通話が途切れている。奇妙な音が通話機スピーカーから漏れていた。それが“通話終了”の合図だと言うことはすぐに分かった。
「どっちが露骨に会話を切っているんだよ……」
彼はもしかして……
「ゴぅー。あたしは先に寝るから、窓閉めておいてー」
彼女の声がゴウの耳に飛び込んでくる。大きな三日月が出ていて、どこかロマンチックな夜だというのに、ユキは何も思わないのか。それとも慣れてしまっているのか。
彼女は茶色い生き物の可愛らしいパジャマ姿で寝室に戻っていく。目を擦りながら戻る様子は十六歳の少女にしては、幼く見えた。
「とんだお守りを仰せつかったもんだ」
自分で“ロマンチック”だと評した月を見ながら、ゴウもベランダから部屋の中に戻っていった。明日のことを考えるゴウの脳味噌には、アルが最後に呟いた言葉などなかった。