テレサシティにて
無機質で透明感のある黄色い石。滑りそうになるくらい艶々としたそんな大理石の上を、ゴウ・レイジングブルは表情も変えずに歩き続ける。右手にはアタッシュケースを持ち、左手はポケットの中に突っ込み、アメの入った瓶と少女の描かれた絵を指で弄っていた。
訪れているのはテレサシティ・中央地区。その各地区に向かう鉄道駅と役所などの公共機関が揃っている場所である。
ゴウのいた地上都市から”正規ルート”で来た時、最初に身を運ぶ場所として有名な場所だ。地上と空中を繋ぐ”最悪の中心”としても有名であった。その名は空中都市に住む人達がそう呼んでいるだけだったが。
ゴウ・レイジングブルは歩く。だが、その傍を忙しそうにする若い男や女に、ゴウという小さな少年を避けて進むという選択肢はなかった。傲慢に肩をぶつけ、自堕落に太った体でごった返す大理石で出来た通路を歩かせなくする。
地上都市から来た人間を差別する。たとえそれが地上都市から来たところを見ていなくとも。空中都市――テレサシティの人間の考え方であった。
差別される、ということはここに来る前から分かっていた。”裏ルート”を通れば、差別など気にする必要なく、安全にこの都市に来れる事くらい齢十四年のゴウですら知っている。が、今回の仕事の関係上、中央地区に寄る必要があった。
ゴウはようやく目的の場所に辿り着いた。透明なスライド式の自動ドアが、大理石からコンクリートに変わった壁に器用にめり込んで見える。この都市の簡易市役所である。
ゴウは溜息を吐いたあと、自動ドアの前に立つ。自動ドアはゴウを差別することなく、その役目を正しく行う。
ソファーには何人か小綺麗な服を着た中年男性や、似合ってすらいないゴシックのドレスを着込んだ女がいた。
大声で役員を呼ぶ。だが、デスクで仕事をしている役員達はこちらを見向きもしない。
これでも綺麗な方の、糸の解れが目立たない服をゴウは選んで着ていた。長くてボサボサだった黒髪も後ろで結んでいる。それでも地上都市したから来たことは隠せないのだろう。昔から変わらない差別がそこにあった。
そんなことは分かっていた。こんな時にどうすればいいか、そんな対応もゴウは知っている。
持っていたアタッシュケースを開ける。中には多量の札束――に見せかけたダミーが入っていた。
見える位置に本物のお札を置き、そのあとに続く束をただの紙に置き換えただけの物である。近くで見れば、バレてしまうだろう。だから、あくまで見せつけるためだけの物だ。もちろん、バレないようにすぐに音を立てて閉める。
誰かが気づけばいいだけのトリック。
それをチラ見した一人の職員の態度が最初に変わった。それから何かひそひそとしてから、彼らの態度は百八十度豹変した。職員の一人が立ち上がる。目の色は完全に変わっていた。見ての通り、見ているこちらが清々しくなれる掌返しだ。
まるでお手本のような丁寧で素早い対応で個室に連れていかれ、まず高級マンションを紹介される。それをやんわりと断ると、次にこの保険に加入しないかという販促をする。あれやこれやと役員の口から出る“お金の使い道”にあきれ返った。
とにかく営業用の笑みをしながら、「また後で」と役員の言葉を巧みに躱かわす。大きすぎる舌打ちが聞こえたが、それでもなんとか入市証を手に入れることが出来た。
* *
鉄で無理矢理舗装された通りを歩く。鉄と靴のぶつかる音が、歩く人達の分だけ反響する。ここが壁に囲まれているのが原因だろう。コンクリートの壁には様々な広告があった。購買意欲などゴウにはなかったが。
パンフレットを開いてみる。さっきの都市役所で手に入れたものだ。
“テレサシティにようこそ”というどこにでもある謳い文句が、そこには書かれていた。それと一緒にこの都市の地図や”高さ五〇〇〇フィートの絶景!”と書かれたいくつかの名所が記載されている。
足は止まらない。観光、という訳ではなく、単純に土地を覚えるために歩いていた。誰かを監視するにしても、それに適した場所を知らなければ意味がない。地図を確認しながら歩くゴウの隣を、鉄道が轟音を立てながら通り過ぎていく。
「……ややこしいな、やっぱり空中都市は」
地上都市は基本的に、舗装されていない道が平行に広がっている。だが、空中都市では立体的に道が出来ているのだ。坂道や階段が至る所にあり、上に行こうとしてもただ道を歩いていては直接行けない。だからこそややこしい。道も似たようなものばかりだ。
これでも数回訪れたことはあるが、まだ慣れることが出来ずにいた。
息が絶え絶えになってきた。これが運動不足のせいならどんなによかったか。
「休憩するか」
よく分からない店が目の前にいくつか見え始めてくる。いつの間にか、鉄の道が石畳の道に変わっている。派手な電光式の看板が目を引く。油か何かでドロドロに汚れた道に看板。しかし、よく見てみれば、飲食店だと言うことが分かった。換気扇の音が耳に障る。
運が良いのか悪いのか。ゴウはその酸素不足の体を引きずって、その飲食店の中の一つに入る。
ちりん、とドアに付けられた鈴が鳴った。タバコの臭いが全身を包む。薄暗い店内には机が二つ。それを囲む椅子が四つずつ。カウンター席にも椅子が六つ。思ったよりも店内は広かった。そして、やはり汚かった。
客はカウンター席の奥に一人、テーブル席に二人いた。テーブル席の二人は談笑している様子はなく、一人の少年に警戒しているようだった。
「いらっしゃい。お金はあるのかい? ガキ」
そして、ガラの悪そうな親父が太い声でゴウを迎えた。
「金ならここに」ゴウは足元を指差す。
「嘘つくな、ガキ」
客がいる、というのにタバコを咥えている。どうやらここはファミリーレストランじゃないらしい。それに……
「よくこの中に金が入っていないって気づいたな」
「ふん。こんな場所に大金持って入ってくる奴なんて、馬鹿野郎か詐欺師くらいだ」
なるほど、俺は詐欺師の方か。
ゴウが持っていたアタッシュケースの中身を見ずに看破する。ある意味で信用できる人物だと、ゴウは感じた。
「とりあえず、水」ゴウはカウンター席の入り口側に乱暴に座った。
水差しの水をコップに注ぎながら店の親父が言う。
「ここはガキの来る場所じゃねーよ。これ飲んだら帰んな」
「人を探している。報酬は出す」
間髪入れずにゴウは口にした。ポケットから少女が描かれた紙を出す。それを拾い上げ、親父は目を凝らした。
が、親父は目を伏せながら言った。「知らねぇな」と。
そうか、と返事をし、チップを置いて店から出る。その時だった。
「おいガキンチョ。ママぁ……探しているのかィ? なんなら一緒に探してやってもいいぜェ?」
奥の一人が立ち上がった。中々の巨漢だ。古ぼけたジーパンの上にジャケットを羽織っている。――その中に“何”が入っているかは形ですぐに分かった。
やばいな。ゴウは素直にそう思う。
手持ちは携帯通信機。女の子が書かれた絵。アタッシュケースに……妙なアメくらいだ。アタッシュケースは振り回せばなんとか武器に使えそうではあるが、十四歳の少年の筋力を考えると武器になるかまでは分からない。
もう一人の痩せ細った男も立ち上がる。こいつも同じような物を隠し持っているようだ。
――ここに来る前に武器くらい調達しておくべきだった。
「……ドルドとガルスマンか?」
「あ?」
店の中に女の声が響く。この中で該当するのは奥のカウンターにいた一人。羽織るタイプのパーカーと青い短パンが目に映る。
「あんたらの首に賞金がかかっているの知ってる?」
フードで表情が分からない。自分に言い聞かせるように彼女は言葉にしている。
「その首があたしは欲しいの」
馬鹿でかい銃声が鳴る。二人の男は反射的に地面に伏せた。彼女の拳銃は天井に向けられている。その手の中で、回転式の黒い銃が妖しい魅力を放っていた。
ゴウは一番近い机の下に潜り込む。よく見ると、足元の木の床に穴が空いている。
だからさっさと捕まってよ、と女は続けた。
女は男達に銃を向けながらフードを取る。そして、ゴウは彼女の姿を見て驚いた。
道を歩けば十人中十人が振り返るような可愛らしい顔。無駄な肉の無い女性らしい体。そして、白とも銀とも言える長髪。――貰った絵の面影のある顔。
彼女こそ、ゴウが探していた少女――ユキ・ライアットであった。