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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
創始の森
99/118

8

前もって言ってくれればそれなりの支度をしておくのに。


いつもいつも突然なんだから。


「行くのは、前と違う場所だ」


「では、せめて上着を――」


「要らん。私がいる」


「は?」



―――…意味が分からない。貴方は上着じゃないでしょう。


どうして吸血族の男の方は自分勝手な方が多いのかしら。


ラヴルも強引だけれど、あの方は私のご主人様。


ある程度は仕方がないと思うし私は従わなければいけないわ。


けれど、セラヴィは違うもの。


“我が妃”と勝手に言ってるだけの魔王という王様なだけだわ。


思い切り怖いお方だけれど、強く拒否しないと。


このまま勢いに負けて流されてはダメよ、しっかりしないと。


頑張って意思を伝えないと。



「こんな格好で外に出るのは嫌です。それに、靴も履いてないのです」


「私がいいと言っている。構わん」



だから。どうしてそう考えるの?


噛みあわない会話に苛立って、あからさまにむっすりと膨れて見せれば、体を支えていた腕が離れた。


ベッドの上に戻されるかと思いきや、逆にふんわりと宙に浮き上がってしまい、ゆりかごのようにゆったりと左右に揺れはじめた。


自由自在に動かされ、さらに、恐ろしい言葉も聞こえてくる。


「聞き分けのない妃だ。さて、どうするか」


「な、何を―――下ろして下さい」


じたばたしてる私を見る漆黒の瞳は、実に愉快だとでも言いたげにきらりと輝いている。


「では、観念しろ」


ストンと逞しい腕に収まり、毛布が動いて体をくるんと包み込む。


既に移動し始めた体を追いかけるようにして飛んできた靴が足にすっぽりとはまり、閉まっていたドアも自然に開かれ、何もかもが生き物のように動く。


「ちょっと待って下さい。観念してません。この格好、貴方が良くても私が良くないんです!十分構うんです!」


私は普通に恥じらいを持ってます!


叫ぶ声も部屋の中と廊下に置き去りにされ、スタスタと強引に連れ出され瞬く間に例の闇の中へ入り込む。


こうなってしまえばもう諦めるしかない。


最初こそ恐れたこの道筋も、何回か経験すれば状況を観察する余裕が出る。


セラヴィの体があるべきところを見れば、黒き無の中に紅い双眸が光ってるだけで、やっぱり何も見えないし音もしない。


空気の流れも感じず、声を出しても闇に飲まれて耳には届かないだろう、まったき無。


呼吸が出来るのが不思議に思えるほどのところを、セラヴィは悠々と歩いていた。



―――こんな方法でしか外に出られないのかしら、やっぱり。


それともこれはただの時間短縮で、他に術があるのかしら。


私としては、そうでないと困るのだけど。


セラヴィが訪ねて来ない限り、ずっとあそこから出られないことになるんだもの。


今は良いけれど、もしもこの先、急に興味を失って捨て置かれてしまったら―――――



外に出ることも出来ず干からびていく自分の姿を想像してしまい、ぞっとしてぶるっと震える。


現実問題十分にあり得そうなことなのだ。


そもそもセラヴィが何故こんなに私に固執するのかがよくわかっていないのだから。


“私共は、セラヴィ王様が発行された印がなければここには来られません”


そういえば、使用人がそう言ってたっけ。


許されなければ門が開かない、完璧な警護です、とも。


それならドアの衛兵は要らないじゃないと笑ってみせたら


「彼等は貴女様のために必要なのです」


真顔で言っていた。


私のためっていうのは――――?



「む、妃よ。目を瞑れ、痛めるぞ」


「は?―――っ」


あまりに強い光の渦に目が眩む。


闇から明へと急にもたらされた環境の変化についていけず、眼にズキッと痛みが走る。


今更ながらぎゅぅっと瞑るけれどどうにも遅く、瞼の裏が赤くなり涙が滲み出てきた。


「いつも通り愛らしく怯えておれば良いのに、何故今回は目を開けじりりと動いた」


全く本当に貴女は世話が焼ける。


ブツブツと小言のような台詞を聞きながら地面に下ろされ、大きな掌が頬を包み込み上を向かされた。


「今少しの我慢だ」


瞼に温かさを感じたあとに痛みが消えていくのは、多分セラヴィが何かしてくれたのだろうと思う。


「体が良くなったばかりだ。再び痛みを加えてどうする」


濡れた睫毛を拭いながら厳しめに言う様は、まるで私だけが悪いと言っているよう。


確かに世話を掛けているけれど、全部貴方のせいなんだから文句を言いたいのは私の方だわ。


「痛みは取れました…ありがとうございます」


むっすりと唇を尖らせながらもお礼を言うと、下がり気味の口角が少し上がって、少しだけ瞳が穏やかになった。


「―――ふむ」


体の周りで、ぱっと泡が弾けたような気配を感じたあと、急に自然の息吹が身に届きはじめる。



ぴちょぴちょと水音が聞こえてきて、冷たい風が髪を揺らす。


枝葉がざわめいて足元の草もさわさわとなびく。


―――今まで、何も聞こえなかったのに―――


緩やかにサラサラと流れていく川。


日に照らされキラキラと光る水面。


澄んだ水の中に数匹の小さな魚が泳いでるのが見える。


ここは、あの庭の傍?


でも気候が少し違うような―――



「これは、邪魔だ」


「あ、ダメです。これがないと―――」


体から剥がれ、するすると逃げていく毛布。


そうはさせまいと端をしっかり握っていたのに指が解され、するんと抜き取られてしまった。


むき出しになった素肌が冷風に晒され一気に鳥肌がたつ。


寒い上に薄手の夜着は肌が透けて見えそうで、胸の辺りを隠すようにして自らの体を抱き締めた。


ガタガタ震えつつよく見て見れば、セラヴィは長い上着のようなものを着て悠然と立っている。



…これは、ここが寒いって分かっていたってことよね。


自分だけ準備万端に着込んで来てて、私からは毛布を奪うなんて、酷すぎるわ。


仮にも妃だと思う相手にこんな仕打ちをするなんて。



「…寒いです…」


毛布は何処に消えたのかときょろきょろすれば、遠くの方で風と戯れるようにひらひらと浮かんでるのを見つけた。


…取りに行こうかしら。


「ふむ。まこと、そそられる」


「は……い?そそられる?」



一瞬自分の耳を疑った。何を言うのかしら、この方は。


何がそそるの?


私が震えてるのが?


やっぱり、この方はおかしいわ。



面白いものでも見つけたようなセラヴィの表情をまじまじと見つめていると、「来い!」と言って腕を広げた。


ふわりと風に翻る黒い布はまるで翼のように見える。


「結構です。私は、あそこで遊んでる毛布を取りに行ってきますから」


風に乗って、ひらひらくるんと動きまわってる毛布。


いかにも楽しげで、本当に生き物のよう。


もしかしたら“毛布よ、おいで”と呼べば来るかもしれない。


「貴方はそこにいて下さい。それと、不思議な力は、絶対に使わないで下さい」


それを使えば言うことを聞くなんて思ってるのなら、大間違いなんだから。


ぷんすかきっぱり、これ以上貴方のお世話になりたくないとばかりに言って見せ、サクサクと長い草を踏みしめた。



毛布を手に入れてこのままずっと歩き続ければ、いつかはルミナに着くかしら。


もうラヴルの傍には置いて貰えないだろうけど、一目でいいから姿を見たい。


そして、もしも会うことが叶うならば、裏切ってしまったことを謝りたい。



眩いほどに明るい日の光りは惜しみなく降り注げど温度は弱く、吹きすさぶ冷風で体温がどんどん奪われていく。


草を踏みしめる足もだんだん感覚が無くなってきた。


あれに包まれれば大丈夫、と徐々に動かしづらくなっていく体を何とか励ましながら進んでいく。


けれど、進めど歩けどちっとも毛布に近付けない。


却って遠くなっている気さえする。


長い草に足を取られ、何度も転びそうになりながらも懸命に歩く。


「こっちにおいで」


駄目もとで声を掛けてみるけれど、震えた小さな声では届いていそうにない。


とうとう大きな石に躓いて転びかけたところ、急に現れた黒い布に受け止められた。


盛大なため息が聞こえ、そのままセラヴィの懐に収められる。


「貴女といると退屈せんな」


「…私は、ちっとも愉快じゃありません…何故助けたのですか」


もう唇の感覚もない。


寒さで歯を鳴らしながらもそう言えば、漆黒の瞳を一瞬見開かせたあと声を立てて笑った。


今のの一体どこが面白かったのか。


「私は、愛しい妃が転ぶのを黙って見守れるほど忍耐強くない。それに―――」


ぐいっと抱き寄せられて、体を包んでる布も肌にぴったりと纏わりつく。


「―――体が冷え切ってゆくことも、だ。我ながらよく我慢したものだ。貴女は何故毛布に拘る。“私がいる”と言ってあっただろう」



怒りを含んだ重低音の声。


見えないけれど表情も怖いに違いない。


勝手だわ。さっき、世話をかけるなと言ったのは貴方だわ。


足の先まですっぽりと黒い布に覆われてほかほかとあたたかく、肌の感覚も少しずつ戻ってきた。


指先が温かさでジンジンと痺れている。



「でも、貴方は上着じゃないもの」


何を考えてるのかわからない。


この方にとって私は、つつけば反応する面白い玩具のようなものなのかもしれない。


幼いあの日に、草原で遊んだ、あの花のような―――



きっと吸血族の女性たちは、私みたいな反応をしないのだわ。


もっと素直で従順で。


おまけにしとやかでとても美しい方々だもの。


まだ二人しか見たことないけれど、私とは色香も体つきも全然違っていた。


他にはない珍しさ。


それだけなら、セラヴィもすぐに私に飽きるわ。



「まだ分からんか。私は相手が貴女であれば、上着にもなれるのだ。貴女は私に頼ることを学ばねばならん。か弱いのだ。守り慈しみたいと思う私の心を感じ取れ」


私が辟易した長い草も物ともせずサクサクスタスタと歩くセラヴィ。


あっという間に元の場所に連れ戻され、その場にゆっくり下ろされた。



「このように日が弱く、気候がよくないのは王である私のせいだ。……妃となる貴女に、私は、話さねばならんことがある」


そう切り出して、セラヴィの話は始まった。



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