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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
創始の森
98/118

7

ユリアがルルカが作った苦い薬食を顔を顰めつつも食べている頃。


ラヴルはケルンの屋敷にいた。



部屋の真ん中に立ち、手には数枚の紙切れを持ち、壁にぽっかりと空いた空間をただ見据えていた。


穴の横に布の切れ端が下がってるところを見ると、元が窓であっただろう事がかろうじて分かる。


すぐそこにある木の枝には、凄まじい気に怯えながらもヒインコが逃げもせずにとまっていた。



吹き込む風に吹かれて佇む、ラヴルの温度のない漆黒の瞳。


それが見据える方向には、セラヴィの住む城が望めた。


壁伝いには、粉々に砕けた板やボロボロになった布が山になっていて、壁にあったランプシェードは跡形もなく消えていた。


ドアも破れてしまい、部屋の中に元の形をなしている物は一つもなかった。


「セラヴィ……貴様、よくも私のモノを…少し居ぬ間に……」


声に出して言えば怒りが増し、抑えきれずに溢れる力が屋敷を振るわせビリビリミシミシと嫌な音を出す。


侍女や使用人が恐れ騒ぐ声が耳に届いてくるが、抑える気は毛頭ない。


「―――死にたくなくば、逃げろ。後に戻らずとも許す―――」


他を気遣う余裕のあるうちに、屋敷中にとどろく声を出して皆に避難を促す。


湧き出る力を制御するのは難しく、怒りに任せていつ何時屋敷を粉々にするか自分でも分からないのだ。



おかしいとは思っていた。


急に外務を任ぜられ、ツバキとともに数ある出張業務をこなしていれば必然的に自国にいる時が少なくなる。


ほとんどが国外の城に宿をとり、ルミナどころかこうしてケルンに帰るのも久しいのだ。


バルリークの元で見張りもいると安心しきっていればこの様だ。


「政務で縛り気を逸らし、虎視眈々と攫う期を狙っていたのか」



―――ユリア―――


無理矢理に契約を解除させれば体にはかなりの負担がかかる。


人はか弱きもの。しかも、私の契約だ。


昨夜に感じた胸の痛み、ユリアは命をなくすほどの苦痛に襲われたはずだ。


セラヴィ、そこまでして欲したか。



“ラヴル”


抱けば耳に心地好く届く甘い声。


さらさらと指からこぼれ落ちる柔らかな黒髪。


白い肌にほのかに紅く染まった頬。


大切に、薄布に触れるように、扱ってきた。


身も心も全て、私だけのモノだ。


あの日無理をしてでも連れ帰り、屋敷に置くことなく常に行動を共にさせていればこんなことには……。



ぎりりと歯を噛めば気流が生まれ、周りの塵が舞い上がった。



―――まだだ、まだ諦めるな。


奴に抱かれてはいないはずだ。


儀式が成されるまでは取り戻せる―――



手にした紙を今一度見れば落ち着きを取り戻し、怒りが決意に変化していく。


漠然と感じていたことが、この紙を読み確信に変わったのだ。


「待っていろ。約束は、果たす」


必ず――――――――






***






カサカサと紙を弄るような音。


サラサラとペンを走らせる音も聞こえる。


目を開ければ、朝に見たのと同じ天蓋があって薄い布がふわふわと風に揺れていた。


―――ここは、セラヴィの部屋…あれから、どのくらい眠っていたのかしら。



“お妃様。いけません、全部きっちりお食べください”


ルルカが準備したものは、フレアさんが作ってくれた薬食が懐かしく感じるほどに、美味しくなかった。


涙目になって拒否する私に、容赦なくナーダのようなことを言ったルルカ。


“今だけですから”


そう励まされたけど、本当なのかしら。


さっきから絶え間なく続いている音の方に目を向けると、そこにはルルカはいなくて、セラヴィがテーブルに向かって書類のようなものの処理をしていた。


目を通してはペンを走らせている様子はかなり忙しそうで、目覚めたことには気付いていない様子。


「あの、お願いがあるんです」


そう話しかければ、書類から目を離さずに答えが返ってくる。


「ふむ、何なりと言え。出来る限りは叶えてやる」


「部屋を、変えてほしいんです」


そう言うと、ぱっと顔を上げて書類をテーブルに置いて立ち上がり、セラヴィはつかつかと傍に来て薄布のカーテンを開けた。


無言のまま見下ろしてくる表情は声には出さないけれど“何故だ”と言っていた。


黙ったままでいると、ぎしっとベッドが軋み、セラヴィの体がぐぐっと近づいた。


瞳に威厳を滾らせてじっと見つめてくるのでたじろいでしまう。


けれど、負けてはいられない。


あの部屋に戻りたい。


ヒインコのことも気になるし、動けない今となっては、誰も来ないあちらの方がゆっくりくつろげるように思う。


ここは、ヒトの出入りが激しそうだ。



「あ、えーっと、ここは、貴方の寝室でしょう。眠りの妨げになってはいけないわ。だから―――」


やんわりと切り出せば、セラヴィのきつめの声がそれを制した。


「貴女は、私の妃だ。いずれはこのベッドで体を合わせるのだぞ。癒しになりこそすれ、妨げにはならん」


「そうではないのです。貴方じゃなくて、私が眠れない―――」


「私の、貴女を心配する気持ちが分からんか。だが、眠れんと言うのであれば、今は、意を叶えんとな。……む―――暫し待て。空調を整える」


セラヴィの瞳がここではないどこかを一瞬見つめた後、毛布ごとふわりと体が浮き抱き抱えられた。


「他に願いはあるか」


「あ、では。窓を、窓を開けられるように―――――」


そう言ったのとほぼ同時に、例の如く視界が暗くなった。






***






モップを手にした使用人が窓を指差して言う。


「ユリア様、今日も窓を開けたままにしておきますか?」


「えぇ、お願いします」


ここ数日の間、朝に交わされる同じ会話。


彼は「でも寒いでしょう?」と、いつも首を傾げて怪訝そうにするので、今日は一言付け加えてみる。


「とても可愛らしいコが遊びに来るの。セラヴィには、内緒にしてね。追い払われては哀しいもの」


唇に人差し指を立てて内緒の仕草をして見せれば「承知致しました、内緒ですね?」と言った使用人の顔がふわりとほころんだ。


「失礼致します」と挨拶をして出ていった使用人が閉めるドアの音を聞いた後、体を起こして開けられた窓に目を向ける。



使用人が話してくれたことによれば、以前はこの部屋の窓は開けられる仕様になっていたらしい。


けれど、私を運び入れた日にセラヴィが何を思ったのか、「む…」と声を漏らしたあとに仕様を変えてしまったそうで、掃除の際かなり不便だったとぼやいていた。


再び開けられるようになったことにかなり喜んでいて、翌朝に開けて欲しいと頼んだら「おぉ~」と感動の声を上げた後にくるんと此方を向いて、満面に笑みを浮かべた嬉しげな顔でお礼を言われてしまったのだ。


「貴女様が頼んでくださったのですね!有り難う御座います!」


何か勘違いをさせてしまったようだけれど、それ以来彼は、無口で饒舌ではないけれど、少しずつとつとつと話をしてくれるようになった。


先日はセラヴィのことを教えてくれた。


やけに真面目な表情だったから印象に残っている。



「ユリア様。セラヴィ王様は人の子である貴女様をかなり気遣っているので御座います。色々と、御気づきになりませんか?」


そう聞かれたので、ないわと即答したら、そうですかぁ、確かに伝わりづらいですねぇ…と、笑っていた。


カクンと頭を垂れてかなり残念そうにしていたのを思い出して、今更ながらに考えてみる。


傍から見れば、かなり優しくされてるのかもしれない。


けれど、どうにも納得できないのだ。


思い返せば、かなり乱暴なことばかりされている。


人であることを気遣ってるのなら、あんな恐ろしいことをしたり見せたりしないはず。


いくら不思議な力があるからと言っても、節操がなさ過ぎる。


考えれば考えるほどにむっすりとしてくる。



何しろ総てにおいて強引なのだ、セラヴィは。


アリがあんな目にあったのも、私が死にそうになったのも、全部セラヴィのせいなんだから。


“セラヴィ様は、夜通し起きておられました”


なんてルルカに聞いて、ちょっと見直してしまったのは事実だけれど。


魔王がなんだって言うの。


妃になんて、絶対なってあげないんだから、決めつけないで欲しいわ。



ぷんぷんしながら改めて決意を固めてると、でもそういえば、とあることを思い出した。


あのとき、そうだったのかも?


この窓を作ってくれた日―――



あの日、お願いしたのに何の返答ももらえないまま部屋に来てしまって「自分から訊ねたくせにおかしいわ」と、もう一度機嫌を損ねないよう気遣いつつやんわりと要求した私に、セラヴィはこう言ったのだ。


「あの窓を、か。何故だ、開けなくともこの部屋の空気は清むようにしてある。開ければ室温が下がる。貴女はか弱いのだぞ」


「駄目だ、出来ん」と厳しくたしなめるような声色が出された。


ベッドにゆっくり転がされて、毛布を丁寧に掛けてくる顔つきは、とても渋かった。


「あ、でも。寒くてもかまわないの。これでもかなり丈夫なんです。私は、外の空気の流れを感じたいのです。…駄目ですか」


やっぱり…と呟きながら、しょんぼりしてると、顔を歪めながらも「…今、変える」と唸るように言って窓を作り替えてくれた。


「貴女の願いを叶えるのは今だけだ。後はない」


お礼を言いながら喜ぶ私に冷たい口調でそう言って、すぐにぱちんと指を鳴らして部屋から消えた。



「でも。これってどうなの?優しいのかそうでないのか、よくわからないわ」


けれど、使用人や侍女は熱い信望を寄せているのも知ってる。


もしかしたら、とても良い王様なのかもしれない。



パタパタ…カタ……と、小さな羽音と物音を立てて、いつも通りにヒインコが窓に立ち寄った。


小さな頭をぴょこんと傾げて中を覗き込んでいる。


可愛い仕草に心が躍り、むっすりとした気分も一気に吹き飛んでしまう素敵な瞬間だ。


警戒しているのか、それは暫くキョロキョロした後に、ちょんちょんと飛ぶように歩いて部屋に入ってきた。


完全に入ったところを見てから声をかける。


以前、入りきってないときに声を掛けたら驚いて逃げてしまったのだ。


「おはよう。こっちにおいで。今日は、あなたの好きな黒砂糖パンがあるの」


朝にとっておいたパンを細かくして、てのひらに乗せて手招きすると、綺麗な囀りを響かせながら飛んで来てくれる。


ついばむパンがなくなりお腹いっぱいになれば、ヒインコは絶え間なく囀りつづける。


ときにはてのひらの上で。


あるときはベッドヘッドにとまって。


そういえば、昨日は飛び回りながら囀っていたっけ。



「綺麗な羽ね。空を飛べるなんて、あなたが羨ましいわ。私もね、飛んで行きたいところがあるの。そこは、ここから遠いのか、近いのか分からないけれど……」


そう言うと、囀りがピタッと止んだ。


じっと見つめてくる可愛い瞳がうるるんと濡れたように見える。


「もしかして、私の言うことが分かるの?」


首を傾げて見ると、ヒインコも同じ仕草をした。


その後すぐ、怒涛のごとくの囀りが始まってずっと続いてしまい、このときばかりは心の底から言葉が分かればいいのに…と思った。


―――お話、したい―――


この紅い羽と絶え間なく囀る様を見るたび、リリィを思い出してしまう。


毎朝元気に声を掛けてくれたリリィ。


今でも、朝にリリィの声を待ってしまう時がある。


それでハッと気付いて哀しくなるのだ。


そういえば、ここにはいないんだっけ…って。


…元気かしら。ザキや見習い仲間たちと楽しく暮らしていれば良いのだけど……。



当初心配した無茶な行為も取り越し苦労に終わっていて、今はただラッツィオの皆の幸せをここから願っていた。


アリの状態も分からないままだけど、きっと元気だと信じている。


ジークは私がいなくなったから、フレアさんの元に、瑠璃の森に帰ったわね。


ある方角もわからないラッツィオの国。


皆元気でいて―――



想いを馳せていると、ヒインコの囀りがぴたっと止み、バサバサと羽音を立てて外に出ていってしまった。


「誰か、来るの―――?」


ノック音が聞こえてすぐに開けられたドアから、セラヴィが入ってきた。


つかつかと傍まで来て毛布ごとに抱き上げられる。


いきなりのことに訳も分からず講義の声を上げると、珍しく、ふ…と笑った。


「ルルカに体調はいいと聞いた。共に散策に行くぞ。貴女にしたい話がある」


「散策―――?待って下さい。貴方は気付いてないのかもしれないけれど、私は、夜着のままです」


ここのところずっとベッドの中だったのだ、夜着以外のドレスに袖を通していない。


「む…知っている。だから毛布ごと抱えているのだ。私の他には誰の目にも触れさせん。行くぞ」


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