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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
創始の森
96/118

5

「掴まれ」と言われて視界が闇に染まり、気付けば彼の寝室にいた。


スタスタと部屋を横切って行く時、大臣らしき立派な身なりで二人ほどが渋い顔付きでドア付近に立っているのを横目に掠める。


もしかしたら予定がおしてるのかもしれないと思ったけれど、肝心のセラヴィはちらっと一瞥しただけで急ぐ風もなく「待たせておけ」と一言言い放って壁に掌を当てた。


今は丁度お昼の時間らしく、城の中がいい匂いに包まれている。


ソファに下ろされて「あの場所に行きたくなれば、すぐに言え」と命じるように言ったセラヴィは、指をぱちんと鳴らして消えてしまった。



緊張から解放され、大きく息を吐きながらよろめくようにソファの座面に手をつく。


「なんてことなの…」


ざわざわする胸を押さえてひとりごちる。


まさか、セラヴィが魔王だなんて。


そんなこと、聞いてない。


あのときに決意した私の思いは…これからどうしたら―――



「ユリア様、失礼致します」


カラカラと軽やかな音を立てるワゴンに乗って、食事が運ばれてきた。


朝と一緒の愛想のない給仕の顔をじっと見つめる。



……このヒトは何処から出入りしてるのかしら。


そもそもこのワゴンもどこから来てるの?


食事は何処で作ってる?


この階の下には沢山部屋がありそうだけど、階段、ないわよね?


もしかして、反対側にはあるのかしら。



素朴な疑問がたくさん湧いてきて、聞きたいけれど怪しまれるかもしれないと思うと躊躇する。


朝だって同じ様なことを聞いてさんざん怪訝な顔をされたのだ。


セラヴィに伝わって変な風に誤解されたらまた“未練を絶つ”とか言い出しかねない。


いろいろ聞き出すのも慎重にしないと、大変なことが起こってしまいそうだ。



ずっと優しく接されていたから、少し油断していた。


庭の一件で、とても怖い方で気を許せないと再認識したのだ。


交わす会話にも気を付けないと、思わぬ場所に光りの球を落としかねない。


例えば、ルミナ、とか。ラッツィオとか。


想像して恐怖に震える。


そういえば、リリィが言ってたっけ。


“機嫌が悪いとカミナリが落ちる”って……。




「ユリア様此方へどうぞ」


テーブルの上には、お昼とは思えないほどの数のお皿が並べられている。


盛られてる量は少なめなんだろうけど、残さず食べろ、とナーダに教育された身にはちょっとキツイ多さ。


朝に、お昼は少なめにお願いしますって、言ったのだけど。


これが少なめなのかしら。



給仕も皿を並べたらさっさと出て行ってしまい、一人きりになった。


しーんと静まる部屋の中、皿に当たるフォークの音だけを友にして、もそもそと口にする。


セラヴィの命令なのか、丁寧にも全部一口大に切ってある。


テーブルの上には、デザートとスープ用のスプーンがあるだけで、ナイフがない。


朝の出来事で、例え食事用だとしてもナイフは危険だと判断したのかしら。


いくらなんでも、あれでは肌は傷付かないと思うのに。


結構心配症なのかもしれない。



セラヴィは私を送り届けた後すぐに政務に向かったみたいだけれど、体の具合は大丈夫なのだろうか。


あの苦しげな様子を見てしまうと、さすがに気になってしまう。


大丈夫ですか、と問いかけた後すぐに平気そうに取り繕っていたけれど。


辛そうに見えた、随分と。



ヤナジの夜会の日に、ラヴルが力を使いすぎた時と重なる。


だけど、セラヴィの様子は疲労してるだけではないように見えた。


あの仕草、体の内側が痛むような……。


どこか病気なのかもしれない。


この城にも、ジークのようなお医者様はいるのかしら。



“人の血は魔力を強め、だんだんに長寿にする”


バルの話が全て本当なのだとしたら、もしかしたら、私の血が彼の病気を治すのかも。


そう考えれば、頑なにも私を妃にしようとする理由も納得がいく。


今以上に力を増して病気も治せるんだもの、こんなに都合がいいことはないわ。



“私には貴女が必要だ”


―――ラヴル…。


セラヴィは、貴方と同じことを私に言ったわ。


貴方には、違う理由があるのよね?


貴方は、私がここにいることを知らない。


まだバルの城宮にいると思ってるはず。


ここに、魔王セラヴィの城にいると知ったら、貴方はどうするのかしら。


それでも迎えに来てくれる?


それとも――――……。


だめね。どう贔屓目に考えても、迎えに来てくれるなんてとても思えない。


バルのところにいた時と条件が違うもの、無理だわ。



食事を止め、フォークを握り締めて目の前の空間をただ見つめる。


滲み始める視界に、向かい側にある空っぽの椅子が大きく映る。


頭に浮かぶのは、ルミナの屋敷のお部屋でのこと。



あのときラヴルは、向かいに座って私が食事をするところをじっと見ていたっけ。


とても食べづらくって、困ったことを思い出すわ……。



瞳からこぼれた滴が頬を伝い流れ、テーブルにぽたぽたと落ちて白いクロスに染みていく。



ラヴル―――


貴方は今、何処にいますか。


何を、考えていますか。


一日に一度……ほんのひとときでも、私のことを思い出してくれてますか。


私は、貴方に、会いたい―――






***





時は経ち、この城に来て2回の夜が過ぎた。


初日の夜に着る予定だった瑠璃色のイヴニングドレスは、結局袖を通さずじまい。


一緒に夕食を取る予定だったセラヴィの都合が悪くなったそう。


この部屋には侍女も使用人も滅多に来ることがない。


セラヴィも政務が忙しいらしく、あれ以来一度も顔を見せない。


まったくの一人きり。



どうにも寂しく、沈んだ気持ちでソファに座り、床板の年輪のような模様をただ眺める。


予定もなく何もすることがなくて、手持無沙汰のままにぼんやりと時が過ぎていくのをこうして待つのだ。


このままずっと、夜が来て朝が訪れて、それを繰り返すだけの毎日をこの部屋の中で過ごすのかしら。


誰ともお話をすることなく、身支度を整えてくれる侍女とお掃除をしてくれる使用人が来ることだけを励みにして。


テスタでの監禁生活が思い出される。


窓もなく地下のような部屋だったあの場所に比べれば、ここは外の景色も眺められるし足も鎖に繋がれていない。


けれど、一度味わってしまった少しの規制はありながらも開放的で優しい日々が、アレよりもマシだと思わせてくれない。


ルミナの屋敷、ジークの家、バルの城宮。


何処を思い浮かべても、キラキラとした景色にあたたかい心と優しい笑顔に囲まれていた。


むっすりしたこともたくさんあるけれど、それも感情豊かに過ごさせてもらえた感謝に代わる。


けれどここには―――



……このまま心を閉ざせば。


あのときのように、心を手放せれば楽になれる。


ラヴルのことも、リリィのことも、セラヴィのことも、何も考えずにいればいい。


そうすれば、辛くない……。



そうして心を無にする努力を何度も試みるけれど、記憶をなくして何もない真っ白だったあの時とは違い、窓の外を見ても数々の美しい調度品を見ても何が目に入っても、皆の顔が浮かんでは消えていく。


だったら目を瞑れば…と実行してみるけれど、却って鮮明な笑顔になってしまい“ユリアさん!”なんてリリィの空耳まで聞こえる始末。


ため息を吐いて苦笑する。


「これじゃ駄目だわ。これからどうするべきなのか、前向きに考えないとね」


そう呟きつつ窓の外を眺める。


山肌には城の影が長くうつって、光がオレンジ色に染まり初めている。


「もう、夕暮れが近いんだわ。また、夜が来るのね」


この部屋には時計もないので、流れる時を感じられる唯一の手段がこの城の影だ。


この部屋は太陽の反対側にあるらしく、窓から日が差し込んでくることがない。


その割には寒くなくて、肩を出したデザインのドレスでも震えることなく快適に過ごせている。


夜も気温の変化を感じない。


部屋には暖炉らしき設備もないところを見ると、セラヴィの魔力が快適な空気を作ってるのだろうと思う。


緑葉の群れが風に吹かれて揺れる様子をぼーっと眺めていると、その直中に紅い何かがツィー…と素早く動くのが見えた。


山の斜面をなぞるように動きまわるそれは、緑色の中に紅い線を描くように滑らかに飛び回っている。


――あれは、鳥よね……?


目を凝らしてよく見れば、小さな翼があるように見える。


色鮮やかな紅い羽を持った姿はどこかで見たような気がした。


…どこで見たんだっけ。


「そうだわ。あれは…確か……」



“あれは、ヒインコです”


そう。あの鳥に似てるんだわ。


何処からともなく飛んできて、屋根の上にとまってたあのコに。


あの時見たのと同じ鳥かしら。だとしたら、すごい偶然だわ。



単純にもそれだけのことが嬉しく思えてしまって、ひたすら紅い影を目で追う。


ヒインコはだんだん此方に近付いてきていて、時々建物を掠めるようにして飛び回っている。


「とても可愛いわ。この窓に立ち寄らないかしら」


いつの間にかペットになっていた、白フクロウさんのことを思い出してしまう。


…あの子みたいになればいいな。そうしたら寂しくないもの。



ヒインコは、何度か窓のそばを通り過ぎていくと、山肌に戻っていった。


緑の葉の中に紅い点のように見えて動かないのは、きっと枝にとまって羽を休めているんだろう。



「そうだわ。手招きして呼んでみようかしら」


あのコは気付かないかもしれない。


それどころか、却って逃げてしまうかも。


けど、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。



ワクワクと心を浮き立たせ、まだ一度も開けたことのない窓を眺めまわす。


「……どうやって開けるのかしら、これ。そもそも開けることが出来るのかしら」


じっくり観察すれば、壁がくり抜かれたところに、ぴったりと透明な板が嵌めこまれているだけのようで、鍵が見当たらない。


桟も平らかで、ここから左右に折れるとか、ここで上下に別れるとか、そういった開くための要素が何一つ見当たらない。


結構大きな窓なのに、多分、押しても引いても無理だ。


「何てことなの?部屋の空気を入れ替えることも出来ないなんて、こんなの、採光だけにしか役に立たないじゃない」


むっすりして無機質で透明なだけの板を睨みつける。


けれど、いくらそうしていてもガラスが溶けてなくなってくれるわけでもなく、現状はまったく変わらない。


セラヴィのように不思議な力があるわけでもないのだ。


諦めて、この部屋での定位置と化したソファに戻り、習慣になりつつある、暮れて暗くなっていく山肌の景色を眺めることにした。


影がどんどん動いて薄く長くなっていくのと同時に、部屋の中も薄暗くなっていく。


自然の流れを最も感じられるひととき。


一日の中で、一番眺望が様変わりする時。


この時間が好きになりつつあった。


他に何の楽しみもないせいもある。


どんどん暗さを増していく中でも、緑の中にある紅い点はくっきりと鮮やかに見えてますます惹かれる。



「まるで、ひとかけらの宝石みたいね」


ちっとも動かないけれど、あのコはあそこに巣を作るつもりなのかしら。


そうだとしたら、とても嬉しいことだわ。


…ポッ…ポン、ポッ…


小さな音が壁のあちこちから聞こえて来る。


ランプシェードに灯りがともった音だ。


静かな中急に音がするので最初は驚いてキョロキョロしたけれど、3回目ともなると慣れてくる。


どういう仕掛けになってるのか不思議に思うけれど、夕暮れが深まると何の操作もしなくても自然に火が灯るのだ。


だから、当然侍女も使用人も来ない。


この城には沢山の方が働いているのだろうけど、声も物音もこの部屋の中には一切届いてこない。


「バルの城宮は、賑やかだったわね」


いつも誰かが傍にいて、たまに、部屋の中に一人でいる時も、廊下や外から足音やヒトの声が聞こえてきた。


こんなに一人きりの時間が長いと、捨て置かれているようで切なくなる。


世界から切り離されて、孤独な空間に入れられてしまったような。


存在を忘れられてるのかも、とも思ってしまう。


だから、無の世界に色をくれたあのコの存在がなおさらに嬉しく愛しく思うのだ。


あそこにいるというだけで心が躍ってしまうのだ。



じっと眺めてる紅い点に変化があるのに気付いて、思わず身を乗り出した。


点が徐々に大きくなっていて微かに上下に動いている。


どんどん近付いてきて、窓の向こうのでっぱりにちょこんととまった。


顔は中に向けられて、ちょんちょんと飛ぶように往復している。


どうもこのお部屋に興味がある様に見える。


「灯りが点いたから、それに誘われてきたのかしら…」


何にしても、心が跳ね上がるような出来事だ。


驚かさないよう慎重に近付いていけば、ヒインコの瞳は動かずにじーっと此方に向けられているのが分かった。


横に動けばヒインコの小さな瞳も一緒に動く。


止まると窓ガラスに近付いてきたので、腰を屈めて目線を合わせてみた。


「あなた、もしかして、私に興味があるの?」


微笑みながら優しく問いかけると、小さな頭をぴょこんと傾げた。



―――可愛いっ―――


むらむらと愛玩心が湧きあがり、どうにも触れたくなって自然に手が伸びる。


コツン、と指先が当たって、憎らしくも透明な板に阻まれて悔しさに唇が尖った。


「もうっ、この窓が開けばいいのに!」


思いがけず大きな声を出してしまい、驚いて逃げてしまうかと焦って口を押さえる。


ヒインコは変わらずにそこにいて、心なしか潤んでる瞳でじぃっと見つめていた。


その様は“お願い、中に入れて”と言っているように見えて、「何とかしなければ」と使命感に似たものが湧きあがってきた。


窓のそばをうろうろと行きつ戻りつしながら考える。



―――外はすっかり暗くなっているもの、こんな小さなコ、暗闇の中に放っておくわけにはいかない。


ここに来たのも、灯がついて明るいからかもしれないもの。


すぐにでも部屋に入れてあげたいけれど、窓を割るわけにもいかない。


派手な音がすれば衛兵が飛び込んできて、ヒインコは追い払われてしまうわ。


最悪剣で切られてしまうかも……。


「ダメダメ。そんなの、絶対にダメなんだから」と呟きながら首をぷるぷる振って、嫌な想像を吹き飛ばす。


何とか音が出ない方法はないものかしら。シーツで包んでみるとか…


そう考え始めてハタと気付いた。



そうだわ。そうしたくても、出来ないんだった。


そもそも、窓を破る道具になるものがないじゃない。



セラヴィに排除されてから、手で持てるほどの大きさの堅いものや尖ったものが軒並み全部無くなっていたのだった。


ベッドサイドにあった手持ちの燭台も、石造りのペン入れも。


ふぅ…と息を吐いて、改めて窓を眺めまわす。


試しに手で押してみてもビクともしない。


「ん――っと…どうにかできないかしら?」


「ふむ、何のことだ」


不意に背後から声がして、心臓が跳ね上がるのと一緒に体も飛び上がって叫び声もでる。


「きゃぁっ」


ふわっとした気に体を包まれ、耳の傍で重低音の声が「貴女は、何をしている」と、囁くように問いかけてきた。


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