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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
創始の森
95/118

4

私のために……セラヴィが、ここを――?


差し出された腕を見つめて一瞬迷ったけれど、素直に手を乗せた。



「貴女の思うままに行けばいい」


「……はい」


足の向くままに進み始めれば、堅い感触だった地面が柔らかな草のものに変わった。


緩やかな風が髪を撫でていき、可愛らしい草花が咲く中を白や黄色の羽をもつ可憐な蝶がふわふわと飛び回る。


蜜を集める羽虫が花弁の中を這いまわっては飛び立ち、小さな羽音を立てて別の花弁に移っていく。


済んだ青い空、背の高い木々に囲まれ生い茂る草の中に、可憐な花の色が点々と混じる。


どこかに川があるのだろうか、水の流れるような音も微かに聞こえてくる。


風の香りを嗅げば、葉の青さと花の甘さが程よく混じっていてなんとも心地よく、胸一杯に吸い込んだ。


こんなに気分がいいのは初めてかもしれない。


“美しく整えてある”


確か、セラヴィはそう言ってたはず。


整備した、という意味かと思っていたけれど、これは何の手も加えられていない自然そのままに思える。


散策用の道もないし、余分な草も刈られていない。


それに、なんとなく、記憶の中で見た景色に似てるような。


あの男の子と会ったセリンドルの森の草原に。


気のせいかしら。



「どうだ、気に入ったか?」


上から声が降ってきてハッとして見上げる。


……そういえば、この方が、隣にセラヴィがいたんだっけ。


歩いてる間中ずっと存在を感じなかった。


というか、圧迫感というか、ストレスを感じなかったのだ。


腕に手を預けているというのに、一度も引張られることなくスムーズに歩いていられた。


急に方向転換したりしたのに、まったく、何も―――――



「……とても、美しい場所です。心が穏やかになるわ。本当に貴方が作ったのですか?」


「無論、そうだ。私以外、ここまで精巧に作れる者はいない」



精巧に、作る、というのは……。


言ってることがよくわからなくて、まじまじと見つめてしまう。


「貴女が気分が良いと我が心も穏やかになる。良いものだな」


腰に何かがふわりと近付いた気配がしたと同時にぐっと押され、よろけるように動けば、横に並んでいたのがいつの間にか向かい合わせになっていた。


柔らかな光を宿した漆黒の瞳が真っ直ぐに向けられている。


「一から作ったわけではない。だが、貴女のためと、これでも随分苦労したのだ。少しは評価が上がったか」


「…貴方は、何者、なのですか」


「……我が名はセラヴィ・ディオ・ロヴェルト・ロゥヴェル。この国の王であり、この世界を創造し護る、魔王だ」


「魔王……貴方が?」



うそ……ただの王様ではなくて?


そんな方が、どうして私を?


魔王には既に妃がいると思い込んでいた。


それに、抱いていたイメージと全く違う。


魔王なんて怖ろしい響きの言葉なんだもの、もっと年嵩で体もとても大きくて、口には大きな牙があって、常に瞳は血走ってるような。


そんな恐ろしくてとても近寄れない姿をしてるものだと、勝手にそう思ってた。


どう見ても、ラヴルやバルと同じくらいの年齢に見える。


こんなに若く美しい方が王位を継ぐなんて、信じられない。


もしかして、騙されてるの?


だとしたら、何のために―――――



「ふむ。信じられん。そんな表情だな」


風は止んでいるのに、私の横髪がふわふわと遊ばれるように揺れる。


セラヴィの腕が体を包むように回り込んで、背中と腕に柔らかな圧迫を感じた。


見れば見るほどに感じる穏やかな雰囲気と、優しげな表情。


輝く漆黒の瞳をじっと見つめていると、体がほわほわと浮游するような感覚に陥り、だんだん心地好くなってきた。


次第に頭もぽやぽやとして視界も霞み、思考力が衰えていく。


「私は……貴方のことを、謀反を企む悪漢だと……そう、思ってました。違うのですか……」


半ば夢心地でぼーっとしながらも顔を見つめて、呟くような小さな声で言うと、セラヴィはプッと噴き出した。


横を向いてしまい、口を隠して肩を揺らす姿は、威厳なんて欠片も感じない。


さも可笑しそうに笑う。



……本当に、この方は魔王なのかしら。


今まで接してきた方たちと、何も変わらない。


どこも……



「私が悪漢とは、随分おかしなことを考えるものだ」


くっくっくと喉の奥で笑いながらも此方に向き直ると、体を包む圧迫感が一層増したように感じた。


徐々にセラヴィの胸が近づいてくる。


……これは、まさか……引き寄せられてるの……?


ぼやぁとしながらも、なんとか体を離そうと力を込めてみる。


そうしているうちに、霞みがかっていた頭が徐々にすっきりとしていくのを感じた。


「このように笑うは随分久しい。まこと、愉快だ。む、まだ抵抗するか。全く、情が強いな」



―――愉快……――


この言葉に、心がチリッと反応した。


言いようのない感情が押し上がってくる。


「おかしくありません!」


気の赴くまま、体に残る霞みを払拭するようにお腹から声を出すと、すみわたる空気にのって広範囲に凛と響いた。


数羽の鳥がバタバタと飛び立っていく。


キッと睨み付けると、瞳がうっすらと濡れているのがわかってムカッとする。



―――私は真剣なのに―――


あんな状況だったんだもの。


とても恐ろしかったし哀しかったし勇気がいったわ。


最終的には、命を絶つ覚悟だって、してるんだから。


貴方にとっては突飛かもしれないけれど、私は、至極まともで真面目で懸命に考えたんだもの。


笑われるのなんて心外だわ。


アリに何かあったら、貴方も許さないんだから!


魔王だって知ったって関係ないもの。


この先どんなに脅してきたって、絶対に怯んであげないんだから!


もうっ絶対負けないんだから!



気付けば感情を声に出してぶつけ、厚い胸板を拳でぽかぽか叩いていた。


セラヴィは笑顔を消し、微動だにせずされるがままになっている。


眉間に皺が寄って、だんだん厳しい顔付きになっていくのが見える。


無言の圧力がかけられるけれどそんなの全く気にかからない。



そんな顔して今更怒ったって、絶対に怖がってあげないもの。


怒ってみるといいわ。


それ以上に、私は、怒ってあげるんだから!



昨日から溜まっていた鬱憤が一気に溢れてどうにも止まらない。


疲れてしまって手も痛いのに、叩くのをやめられない。



「妃よ、手が傷む……もう収めよ。泣くでない」


「妃じゃないわっ。それに、泣いてなんて、いないわっ。私は、怒ってるんです!」


見えない手に頬を撫でられた感触で涙まで流していることに気付くけれども、顔をふるふると横に振ってそれを振り払った。



触れないで。


優しいふり、しないで。


離して。



「静かにせよ。落ち着け。貴女が乱れ続ければ、この場も乱れ始める」


「何言ってるのか、さっぱり分かりませんっ」


叩き続けてる拳が急に動かせなくなり、両手が意に反して上に上がっていく。



―――貴方は、ずるいわ―――



「離して下さい」


「……赤くなっている」


セラヴィの手が一撫ですると、じんじんと痺れるような痛みが消えた。


「アリという者は、貴女の友人か」


「大切な方たちの一人です。ケルヴェスに、攻撃されました。無防備だったのに!貴方が命じたのでしょう」


「確かに、命じた。邪魔は排除せよ、と。もっと多くの犠牲が出ると思ったが、意外にも少ないことに驚いている」


あの焦燥の中ケルヴェスも随分自重したものだ、と言ってうっすらと笑う。


「酷いわ」


肩で息をしつつ唇を噛んで睨み付ける。


ずっと穏やかだった表情は厳しいものに変わっていて、細められた瞳は冷ややかで全く温度を感じない。


冷酷な面。きっと、この顔がセラヴィの本質なのだ。



「貴女を手に入れるためだ。これでもかなり自戒したのだ。もう少し時がかかれば、自ら出向き、かの国を潰しただろう」



――潰す?


今、そう言ったの?



記憶がせり上がってきてバル達に重なる。


お父様、エリス、騎士団長……。


カフカの優しい人たち。


みんなで平和に暮らしていたのに。


笑顔の皆が血に染まっていく。


緑豊かな景色が闇に塗りつぶされる。


あんなこと……あんな酷いことを……また――――



「ふむ。狼の王子が、彼らが、恋しいか。私は、この指先一つで、その未練の元を断つことも出来る」


どうする、我が力を垣間見るか?この場所など一息になくせる。そう言ってセラヴィは指を立てて見せる。


「っ、貴方はなんて怖ろしいことを言うのですか!」


「失うのは哀しいか?大丈夫だ。このくらいであればすぐに戻せる。何度も、だ」


見ていろ、と指が動いたので咄嗟に動き叫んでいた。


「やめて!そんなの見たくありません!」


後先を考える余裕もない。


セラヴィの手を抱え込んで攻撃の光が出るのを防ぐ。


「く、ぅっ……、貴女は、危ないことをする」


「いくら元に戻せたとしても、簡単に壊してはいけないのです。一度壊してしまったら二度と同じ物は返ってこない。同じように作って似たように見えても、全く別な物なんです」


「私ならば、寸分違うことはない。瞬時が嫌であれば、少しずつにしよう。安心して見ていろ」



向かい合っていた体が横に向けられて、見えない膜のようなものに包みこまれる。



――違うわ、違う。


そうじゃない、同じじゃないの。


戻らないの、壊してはいけないの――



セラヴィの指先から光が放たれ、木々が草花が、見る間に消え去っていく。


焼けた臭いが風に乗せられて届いてくる。


今まであったものが、さっきまで生きていたものが、こんなに簡単に。


こんな酷いこと―――



「やめて……お願い……お願い…」


「ふむ、その願い、聞いてやらんこともない。貴女次第だ」


「私が、黒髪の娘だからですか?貴方は魔王なのでしょう。既に、畏怖も力もあるのでしょう。私が妃でなくてもいいはずだわ。それに、私にはご主人様がいるのです。彼の元に戻らなければ……解放して下さい」



妃を娶るとおふれを出せば、国中から色艶やかな女性が集まるのでしょう。


どうして、私にこだわるの。



「主がいるのは知っている。だが、そのようなこと、私にはどうでも良い。それに、だ。勘違いするな。黒髪の人の子であれば、誰でも良いわけではない。若く美しければ良いというものでもない。貴女でなければならんのだ」


我が欲するは、貴女だけ―――


逸らさずにじっと見つめてくる瞳は温度がないままながらも真剣さが感じられて、その場しのぎのことを言ってないように思える。



―――私でなければだめ……一体どうして。私のどこが、貴方にそう思わせるの?


黒髪が理由ではない、そう言うのなら何故―――?



何をどう言っても、頑なに断っても、セラヴィの意思はかたくてどうにも変わりそうにない。


この方は、どんな些細なことであっても一度決めたことは頑固に遂行するのだわ。


庭を壊すことも、私を部屋から連れ出すことも。


この、ことも。



“――姫よ、立派な王に望まれるのは光栄なことだ――”



……お父様、わかってる。わかってるわ。


でも、私は……私の気持ちは。



「でも、私は、ラヴルのことを、あぃ―――っ」


セラヴィから息を飲むような音が聞こえるのと同時に、背中が強く押されてふらついた。


今までになく乱暴な衝撃で、脚がついていかずにセラヴィの胸にすがるような格好になる。


思わぬ出来事に驚いて言葉が途切れ、声も出せない状態でどきどきしていたら、ふんわりとした感覚にすっぽり包まれて後ろ髪を撫でる気配がした。


「貴女は、何を口走るつもりだ。その名は言わせんと言ったはずだ」


「でも、私の――」


言いかけながら体勢を整えて見上げようとすれば、動くな、と低い声で凄まれて顔を胸に押し付けられた。


セラヴィの鼓動が耳に伝わってくる。


「ふむ、分かっていない様だな……ひとつ、言っておこう。貴女を我が元に留めるためであれば、私はどこまでも非情になり得る、と」


重低音の声が伝わり体を振動させ、背中に冷たいものが走る。



―――それは、つまり、ラヴルを……ということ?


ここを消した、あの力で――――でも、そんな、まさか。


ラヴルはルミナのご領主だもの。国にとって大切なお方のはず。


いくら王と言えども、そう簡単には―――



「――そんなことっ」


セラヴィの胸でもがもがとしながらも声を出すと、頭の拘束が緩んだのでここぞとばかりに睨み上げた。


「そんな脅しは」


「出来る。簡単なのだ。脅しではない。私は、本気だ」



そんな―――


愕然として頭が真っ白になってしまい何も言い返せない。


ここまで、髪に触れられる感覚はずっと止むことがなく続いている。


耳元の髪が掬い上げられてはサラサラとこぼされ、後ろ髪は長い指先が梳き続けてるように感じてる。


冷酷な表情や迫力ある語気とは裏腹に、優しく感じるそれらに戸惑ってしまう。


短い時間の中でセラヴィが見せる様々な表情。


どれが、普段のものなのか。



「知らないだろうが。私は、前から貴女を想っていた。このように実際に会い、ますます想いは強まり貴女しかいないと確信した。我が妃よ、私は、誰よりも貴女を愛しいと思う」



愛しい。


そう言ったセラヴィの瞳は愁いを含んでいて、今までの冷酷さからは想像も出来ないような優しい気が送られてくる。



「今の私には、貴女が必要でもあるのだ。必ず大切にすると約束しよう。この白く美しい肌も、その気高く気丈な心も、決して傷付けることはしない。誰にもさせない。私を愛し、受け入れよ。さすれば、この世界も貴女の友人も皆、健やかでいられよう」



セラヴィの瞳が私から離れて前方を見据えると、肩まである波打つ黒髪がさらさらと揺れ始めた。


それに付随するようにドレスと髪も浮きあがるように靡いて揺れるので、裾が捲れないように抑えた。


足元にある草もサワサワと音を立てていて、体の周りにだけ渦巻くように風が起こっている。


見上げれば漆黒の瞳が紅く染まり、掌は失われた庭の方へと向けられている。



振り返り見ると、黒焦げに焼けた土地にむくむくと緑が生え揃い、色とりどりの蕾が生まれては花開き、幾つもの木の芽が出てぐんぐん幹を伸ばしていった。


枝葉は豊かに生い茂り、ほんの数分の間に再生されていく庭。


焼けた臭いは消え去り、来た当初に感じたと同じ緑の風に乗り甘い花の香りが漂ってくる。


再び蝶が舞い始め、羽虫が忙しなく花の間を飛び回り始めた。



「これで、元通りだ。先程と寸分違わぬはず。ここは、貴女のために作ったもの。今より貴女に所有権がある。もう二度と壊さん。安心しろ」



頬に伸ばされてくる手がぴたと空で止まって、セラヴィの顔が歪む。


「……まだか。貴女は、いつ気を許す」


喉の奥から絞り出すような声、少し息が荒いようにも思える。


引っ込んでいくその指先が震えているように見えるのは、気のせいなのか。



「く……ぅっ」


呻くような声を出してセラヴィの体がふらついて一歩後ろに下がった。


倒れないよう踏ん張り、胸を押さえて唇を引き結んで苦しそうに息を吐いている。


「どうかしたのですか!?胸が苦しいのですか?」


「む……何でもない……時間だ。戻るぞ」



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