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“ここはロゥヴェルの都、ケルンで御座います”
あの給仕のヒト、思ったよりも口が堅かった。
いろいろ訊ねたけれど、これだけしか聞き出せなかった。
ここは何処なのですか?
そう聞いた時には余程驚いたようで、動きがピタッと止まって此方を凝視した。
私のこと、皆にはどんなふうに伝わってるのかしら。
贄?…それとも……。
だけど、まさかここがロゥヴェルだったなんて。
ルミナまでは、どのくらい離れてるのかしら。
少し、ほんのわずかだけれど、希望が湧いてきた。
ラヴルと同じ国にいる。
少しでも貴方のいる場所に近付けた。
それだけのことで、心の中にぽわんと灯りが点って体があたたかくなる。
ふんわりとした優しい気持ちで満たされる。
だから――――
顔を上げて前方を見据える。
「結構です。貴方の力は借りません」
頭をふるふると横に振って、目の前の優しげな顔を睨みつける。
「自分で行けますから」
強めな口調でそう言えば、目の前にいるヒトは、まったく意に介さないとばかりに柔らかく微笑んだ。
「気が強いな。実に、愛らしい」
余裕たっぷりな雰囲気で一歩近づく。
たまに、遠くを見るような瞳も見せるけれど、一体何を考えてるのかしら。
「何でもご自分の思い通りになると思わない方がいいわ」
「知らないのか、私は王だぞ?何でも思うがままに出来る立場だ。貴女もいうことを聞け。抵抗を諦めここへ来い」
「え?」
―――今、王様って言ったわよね?
まさか。王子ではないの?
こんなに若いのに―――?
見下ろしてくる瞳は優しげにきらきらと輝き、波打つ黒髪は動くたびにさらりと揺れる。
前髪が頬にかかり端正な顔に陰影を作ってて、男性なのに悔しいくらいに色っぽい。
身ぶり手ぶりも交えて全力で拒否してるというのに「怖がらなくてもいい」と言いながら近寄ってくる。
何度も同じやり取りを繰り返してて、いい加減諦めればいいのに無駄に根気がいいので辟易する。
王様って、みんなこうなのかしら。やっぱり、信じられない。
「我が妃よ。今は、今朝のようなことはしないと約束しよう。警戒を解け」
穏やかに囁きかけながらじりじりと迫ってくる。
今は、朝と昼の間の時間。
ついさっき突然部屋に来たセラヴィは、驚き固まる私の顔を見るなり微笑みながらこう言ったのだ。
「時間が出来た。共に庭を散策しよう」
―――お散歩―――
その言葉を聞いた途端に心が浮き立ち、自らの瞳が煌いたのを感じた。
なんて魅力的な言葉なのかしらって。
それだけなら何の問題もないし、部屋の外が見られるんだもの、とても好都合で気分転換にもなるから嬉しいことだわ。
願ってもいない機会で、相手がどなたであろうと是非とも行きたい。
だけど――――
「私が下まで連れて行こう。さぁ、ここへ来い」
こう言って、セラヴィは腕を広げてきた。
意味が分からなくて広げられた腕と微笑む顔をまじまじと見つめてしまった。
「そこに?」
どうして?
「以前と変わらずに、貴女は脚が弱いのだろう。危険だ。下へは連れていくから安心するといい」
ほら…、と私に抱かれろとばかりに一歩こちらに歩み寄る。
きっと、ケルヴェスからの情報に違いない。
あの方、何て言ったのかしら。
「それは結構です」
手振りを加えてビシッときっぱり断ると、瞬間ムッとした表情を見せたセラヴィは、頑なにも「私が連れていく」と言い張った。
何度断っても。
有無もなく強引にしてこないから、それだけが救いだけれど――――
「その呼び方はやめてください。私は貴方の妃ではありません。それに、お気づかい下さらなくても階段くらい自分でおりられます」
「そうではない。貴女の体の状態は分かっている。もう、観念しろ。此方へ来い」
どうしてこんなにしつこいのか。まるで根比べだわ。
絶やさず微笑む顔を見れば、何だか、このやり取りを愉しんでいるようにも思える。
近寄る分だけ後退りをしていると、腰がテーブルの角にぶつかって、カチャ…と小さな音を立ててドキリとする。
そこには、さっき見つけたアレが置いてあるのだ。
バルの城宮にはなかった物。
ヘカテの日、用心深くもアリが隠してしまった物。
見つかったら取り上げられてしまうかもしれない。
ドキドキしながらもそろりそろりと手を動かしていると、漆黒の瞳はそれを見逃してはくれなかった。
「ん……貴女は、何を隠し持っている?」
テーブルがすーと横滑りしていき、背中側にあった腕が勝手に前へと動いて目線と同じ高さに掲げられた。
滑らかな刀身が光りに当たって鈍い光を放つ。
「ふむ、ペーパーナイフか。それを、どうするつもりだ?何を考えている」
貴女に手紙など届いていないだろう、と少しだけ鋭くなった瞳が私を見つめる。
上に立つ立場特有の、全てを見透かそうとする気が感じられる。
もしかしたら、本当に王様なのかもしれない。
「どうするつもりもありません…この装飾が、美しいので興味を持っただけです。手首が痛いわ、離して下さい」
「む…悪いが、此方に貰っておこう」
「ぁ、ダメ……」
力いっぱい握りしめていたはずなのに、スルンとすり抜けた刀身がセラヴィの元に真っ直ぐに飛んで行く。
体に辿り着く寸前にふわりと宙に留まったそれを手に取り、長い指先が刃をツーと辿った。
「確かに、この刃は丸く危険はない。が、貴女のその柔らかな肌を傷付けるには十分なものだ」
――危険な物は排除する――
重低音の声が部屋の中に響き漆黒の瞳が紅く染まる。
部屋中の調度品が一斉に揺れてカタカタと小さな音を立て始めた。
恐怖を覚え、動くことも声を出すことも出来ずに固まっていると、しん…と静まるのと同時に、今度は毛布がふわぁと飛んできてすぐ横の空間に留まった。
毛布の端っこがふわふわ上下に揺れる様は、まるで生き物のよう。
「ふむ。少し遊びすぎた。時間が無くなる。毛布に巻かれるのと、自ら我が腕に身を任せるのと、どちらがいい」
「決めよ」と微笑みの消えた迫力のある顔がじりじりと迫ってくる。
―――どうして毛布に巻かれなくちゃいけないのかしら。
どうしてこの方は、こんなに抱いて行きたがるのかしら。
どうして―――?
頭の中に沢山の疑問符を浮かべながら後退りを続けていると、かかとが壁にこつんと当たった。
迫りくるセラヴィのあとを追うように、毛布もふわりふわりとついてくる。
脇に避ければ、毛布に襲われてしまいそうな気がする。
「もう逃げられんぞ。抵抗は諦め身を任せよ。そんなに、私に抱かれるのが嫌か?」
「私は、自分で歩きたいのです」
強い意志を伝えるためにも、じっと瞳を見つめる。
と。
無言のままに素早く動いた両腕の中に閉じ込められ、つぃと顔が近づいた。
唇が迫ってくるのに気づいて、反射的にセラヴィの胸に手を置いて押し返そうとすると、急に脚が床から離れ、ぐらりと揺れた視界に天井が映った。
「……え?」
仰向けにふわりと浮く体は徐々に上昇して、気付けばセラヴィを見下ろすほどの高さになっていた。
こくんと喉を鳴らす。
このままどうなってしまうのかしら。
あまりに言うことをきかないから、そこの窓を開けて下に落とされてしまうのかも。
これから起こりそうなことがあれこれ考えついてしまい、体が恐怖に震える。
かなり下の方からセラヴィの声が聞こえてきて、高さを実感させられる。
「強情だ。実に愛らしく、まこと我が妃に相応しい」
ぷつん、と、見えない力が引いたのを感じると同時に、体が急降下し始める。
天井がどんどん遠のいていき、こんな短い間なのに白フクロウさんに空から落とされた記憶が鮮明に蘇る。
あのときはラヴルがいたけれど――――
「――きゃあぁぁ」
何か、何かに掴まらないと。
本能が、手と体を動かす。
鳥の翼のようにバタつかせると腕がしっかりとそびえ立つ何かに当たったので、すがる思いで懸命にしがみついた。
絡め易く安定するそれに腕をまわして、難を逃れたことに心底ほっとしながらドキドキする心臓と震える体をなんとか収めていると、耳の傍から重低音が聞こえてきた。
「ふ…散策に行くぞ」
満足そうな色を含んだその声にハッと気付くと、セラヴィに抱き抱えられていて、スタスタと部屋の中を横切っていた。
ふわふわ浮いていた毛布が、見えない何かにきっちりと折り畳まれていくのが向こうに見える。
それがベッドの上に運ばれていき乱れたシーツが整えられる光景は、まるでそこに透明な侍女がいるかのよう。
とても鮮やかな仕事ぶりに感心してしまう。
―――あれは、セラヴィがしているのよね?
見かけによらず几帳面なのかもしれない。
だけど、とても便利な力だわ。
この方には、侍女なんて要らないんじゃないかしら。
何でも一人でしてしまいそう。
っと。
今は、そんなことを考えてる場合じゃないわ―――
気を取り直して、さっき起こったことを今朝の出来事から順番に整理して考える。
すると、どう考えてもしっかり罠にかけられた気がした。
何故なのかはよくわからないけれど、セラヴィから私には触れられないみたい。
だから、どれだけ唇が近づこうと、放っておけば良かったんだわ。
「あの―――」
「黙れ。いいからそのまましっかりと掴まっていろ。少し急ぐ」
勝手に開いたドアの両側には予想していた通りに衛兵が立っていた。
窓も何もない廊下。
壁に取り付けられた灯りが足元を照らすのみで。結構薄暗い。
ドアらしきものもなく、さっきまでいたところが、この階唯一のお部屋みたい。
結構な速度で歩いてるようなのに、ちっとも階段が見えて来ないのは何故なのかしら。
何もないただの壁が延々と続く。
やがて突き当たった壁にセラヴィが軽く掌を当てると、立派な彫刻の施された飴色のドアが浮き出てきた。
こんなところ、衛兵や侍女はどうやって出入りしてるのかと疑問に思っていると、いつの間にやら豪華な部屋の中にいた。
今、ドアを開けなかった気がする。
ドアがあるべき方向、歩いてきた背後を振り返り見ても、何の変てつもない壁があるだけ。
あまりにも不思議なことが起こりすぎて、頭の中に浮かぶ疑問符も在庫が尽きてしまって、もはや吐息しかこぼれない。
――それにしても、とても広い部屋。
さっと見廻しただけで、天井まで届くほどの大きな窓に立派な天蓋付きのベッド、ひじ掛けの椅子と数々の調度品が目に入る。
ここは――――
「ここは私の寝室であり、貴女のところに繋がる唯一の部屋だ」
「え?」
思わず自らの耳を疑いつつ、すでに容量超過した頭の中でその言葉を反復する。
―――ゆいいつ―――
意味は、ただ一つ。
たったひとつだけ、この部屋が、今までいたあの空間につながってるということ……。
おまけに、不思議な力がないとあのドアが出ないように見えた。
だから、基本的にはこの方しか出入り出来ないということで。
あの場所はこの方専用ということで……。
つまり、全く、逃げる隙がない――――
あわよくば、と考えていた計画がもろくも崩れ落ちていく。
まさか、本当にここにしか出入り口はないと言うの?
侍女たちも出入りするのだからそんなはずはない。他にもあるはず。
そう思いながらも衝撃を抑えきれず、一気に力が抜けてしまって全面的に体を預けたら、セラヴィの歩みがぴたり止まった。
今までふんわりと感じていた腕の感触が急に強まり、ぎゅぅと締めつけられる。
ぱちん、とアクセサリーが外れる音のあとに纏め髪がぱさりと背中にこぼれ、香りを嗅ぐ気配がした。
さらさらと髪を梳く感触がして完全に解れたころに、リップ音が耳に届く。
「私は、こちらの方が好みだ。庭は美しく整えてある。貴女は気に入る筈だ」
廊下に出れば、従者らしき身なりで四人ほどが腰を低くして控えてるのが見えた。
「皆は、ついてくるな」
「は?」
ぱっと顔を上げた従者たちの驚き戸惑う表情と「お待ちください!」と叫ぶ声を最後に視界が黒く染まる。
漆黒の闇。
試しにひらひらと動かしてみた手も、すぐそこにあるはずのセラヴィの体も、一ミリ先も何も見えなくて、闇の中に体が溶け込んでしまったかのよう。
恐ろしくなって目を瞑っていると、「もう手を離していいぞ」と言われたのと同時に堅い地面が足に当たったのを感じて、目的の場所に到着したことを知った。
遠くの方から鳥のさえずりが聞こえてくる。
頬にはあたたかな風を感じる。
ゆっくり目を開ければ、目映いほどの光が目にしみて、何度も瞬きを繰り返した。
―――ここが、庭―――
この世界に来て庭と呼ぶものをじっくり見たのは、ルミナの屋敷とラッツィオの城だけ。
ライキの個性的なものと、王妃さまのところにあった美しいもの。
どちらも花や木が色どりよく植えられていて、目に麗しいものだった。
けれど、ここは――――
「これは、庭、なのですか?」
「私が、貴女のために作った景色。つまり、庭だ。手をここへ。貴女のペースに合わせ、ゆっくり散策する」




