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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
創始の森
92/118

1

夜も更けたラッツィオの国に外出の自粛を促す遠吠えが響きわたる。


静まった夜の帳の中、逃げた賊の行方を追う衛兵達がそこかしこをものものしく歩き回る。


町中を歩く足音と民家を訪ね回る声が空に響き、いつにない緊迫した状況に、訳も分からないまま民は皆不安げに家に籠っていた。


王都も同様に飲食店も早じまいされ、普段夜明けまで賑わう繁華街も見廻る衛兵の他に歩くヒトもない。


警戒体勢がしかれ国中が静まる。



それはバルの城宮も例外ではなく、灯りの点る窓も最上階の侍女部屋だけであとはひっそりと静まり返っていた。


町中に出てるせいなのか、普段は沢山いる見張りの衛兵たちの姿も少ない。


屋根の上で月明かりにさらされ風に揺れる旗は寒々しく見え、狼の顔も元気がなく、もの寂しさをさらに助長していた。


賑わいのないその城宮で唯一灯りの点る中、室長をはじめとするユリア付の侍女たちが集まり、涙にくれつつ互いを励まし合っていた。



室長が最後に見たのは、美しく着飾った笑顔のユリアだ。


行ってきます、と嬉しそうに笑顔で言ってくれた姿。


詳しい状況を教えてもらえず、伝え聞いたのは『連れ去られた』この一言だけ。



一緒に居られたのは王子様。


しかもあれだけの護衛がつきながら連れ去られたとは一体どういうことなのか。


相手はそれほどに強かったのか。


悔しさとともに湧く疑問が収まらず、どうにも落ち着かない心をひたすら押さえ付ける。


しくしくと泣く皆の背を順に撫でてなだめながらも唇を引き結び、室長はただただ願った。



―――ユリア様、どうか、ご無事で。


必ずお助けしますから。


きっと、きっと、必ず―――



国中の灯りが消えて静まる中で、たった一つだけ煌々と明かりの灯る場所があった。


執政の要。


国の中心地である王の城宮。



こちらでは緊急召集された様々な職種の者が忙しく廊下を行き来し、すべての部屋に灯りが点り、ぴりりとはりつめた空気に満ちていた。


屋根の上で揺れる旗もバルの城宮のものとは違い、狼の顔は凛と引き締まって見える。


武装した騎士団員が足早に歩き、あちこちで命令や報告の声が飛び交う。



城宮の中も騒がしければ、外も騒がしい。


難しい顔つきをした身なりのいい紳士たちが、馬車で乗り付け城宮を訪ねてきていた。


皆バルの夜会に出席した者たちだ。


歌を披露したルーガル・ビリーズも深刻な顔を見せる。


事態を聞き付けいてもたってもいられず、自粛の遠吠えの響く中をすっ飛んで来たのだ。


「どんな状況なのだ」


「何か我々に出来ることはないか」


無下に「帰れ」と言うわけにもいかず、刻々と増える来訪者に対応するため何人もの職員が出て各馬車とヒトを誘導し始めた。



その忙しげに右往左往する職員の様子を上階の窓から見下ろして、ザキはぼそっと呟いた。


「まったく…とんでもねぇことになったな」


ぴっちりとカーテンを閉め、部屋の中へと目を戻せば、ようやく落ち着いた様子のリリィがいる。


ついさっきまで「ユリアさんのことに行く!行かせて!」「地元だもん!知らせたいヒトもいるもん。行かなくちゃ!」などと泣き叫んでいて、止めるやら宥めるやらで大変だったのだ。


泣き腫らした目でただ一点を見つめる様子は、まだ無茶なことを考えていそうで、兎に角心配でならない。



―――取りあえず見張っとかねぇとな。アイツも含めて。


こりゃ今夜は眠れそうにねぇな―――



徹夜だ。


そう腹を決め、傍に寄って小さな肩にそっと手を乗せると、僅かにびくんと震えた。


虚ろに座る腕の中に白フクロウを入れ、小さな手は宥めるように白い羽を撫で続けていた。


真っ白な綿毛から覗くガラス玉の瞳は、三角につり上がりギラギラと光を放ちながら出入り口一点を見つめている。


そこさえ開けば、リリィの手を振り払ってすぐにでも飛び出して行きかねない状態だ。



“いいか。見張ってろ”


バルに頼まれ、リリィのおまけだからと承ったのはいいが、どう扱ったらいいものか考えあぐねていた。



―――どう考えても、俺じゃ止めれねぇ気がするぜ。


隼のブラッドさんなら出来るかもしれねぇけど。


まったく、厄介だぜ。


頼むから、誰もドアを開けねぇでくれよ―――



そう念じながらドアを睨みつけてると、再び震えだした肩から小さな声が伝わってきた。


「ね、ザキ?私…どうしよ。ね、どしたらいい?……ユリアさん、二度と会えないの?…ね、ザキ…教えて」


「今、あっちでバル様達がどうすっか話し合ってっから。待ってろ……な?今、俺達には待つことしかできねぇよ」



幾度となく言った言葉。


ザキの意識は一つ部屋を隔てた広間に向けられた。


そこには眉間に皺を寄せた男たちが集っている。


王と大臣六名各騎士団長、それに王子バルリーク。


丸いテーブルは国を揺るがす重要な事項を議論する際に用いられるもの。


皆の表情が均等に見られ、必要以上に声も張らなくてすむためだ。


議題はもちろん妃候補ユリアの件。


連れ去った相手はケルヴェス。


誰もが知るセラヴィ王の側近だ。


この先の対応をどうするべきか。



「ジークの報告を漏らさず読み取り、古の慣習に倣えばセラヴィ王の元にいくのが一番だと考えられる」


一人の大臣が重々しくそう言えば、別の大臣が反論する。


「古の約束事などもう無効だろう。今はこの国にとって大事なお方なのだから。是が非でも取り戻しに行くべきだ」


賛同の声もあがれば否定の声も上がる。


相手が相手だけに結論を出すのは慎重にならざるを得ない。



それは、バルとしても重々に分かってることだ。


眉間にしわを寄せ黙り込む。


国として、どうすべきなのか。


一人の男として、どうしたいのか―――



意見は二つに分かれ、結論を出せないままに熱い議論はいつまでも続いた。





***




そんな眠れぬ夜を過ごす城近く。


城下町から少し外れた所に、木立に囲まれた土地に建つ小さな屋敷があった。


化粧板が剥げていかにも年月の経った風情。


色あせた家具。すり減って布模様が剥げたソファ。


使いこまれてあちこち沁みのある小さなテーブル。


古びた木製のドアは金具が錆びて開閉するたびにキィキィと軋む音を立てた。


とても屋敷とは言い難いこの家に住むのは、似つかわしくない身なりの男性。


「いくら磨いても変わらんな…」


部屋を一瞥し白髪交じりの頭を振り、小さなため息を吐く。


使用人の努力のおかげで小奇麗になり少しは住みやすくなっているものの、自国で暮らしてる部屋に比べれば雲泥の差だ。


硬くて寝心地の悪いベッドに入るには少しの我慢と適量の薬がいる。


ここに来て毎晩の習慣となっているワインを傾けながら思考にふける。



こんなところに隠れ住むのはいつまでのことだろうか。


いつ我が野望が叶うのだろう。


最近になり事はまるで上手く運ばず、あちらもこちらも未だに存命中だ。



グラスを置き、城の方角に目を向ける。


例の娘も狼の王子の加護の元に安穏と暮らしている。


あの娘がいる限り安心ができないのだ。


いつ何時記憶が戻るか分かったものじゃない。



折角、記憶の鍵となるカフカのコックを捕え遠ざけたというのに、あの狼の王子め……。


カフカから宝を持ち帰ったと言うではないか。


危険を冒してまで異界に旅立つとは。


そこまで娘を愛しているとは、そんなことは計算外だ。



卑しくも舌打ちが出る。


私の考えが浅はかなのだろうか。



じっと自らの掌を見つめる。


―――この我が手で、運命は、歴史は、動かせんのか―――


ぐっと握った拳が震える。


溜め込んだ憤懣を解消するように背もたれにぶつければ、びぃぃん…と座面の下から間抜けな金属音が聞こえて来て却って怒りを増幅させた。


「まったく、なんて安っぽいんだ!」


壊すぞ、などと悪態を吐きながらワインを一気に飲み干す。



このままでは駄目だ。


計画を立て直す必要がある。


もっとしっかりと。


先ずは、もっと沢山城宮の者を抱きこまねば。


いやいや、そんな悠長なことはしてられん。


何しろ急がねばならんのだ。



ここに来る道すがらに『耳』から掠め取った情報によれば、ラシュの実が出回り国土崩壊の危機に気付く民はいるが混乱を招くようなものではないという。


当然だ。


国土が安定してより千年以上になるのだ。


魔王の体の崩壊より先に国が崩れ始めるとは、誰が信じられようか。



このまま進めばこの先上手く事が運んだにしても、後の処理が大変なことになる。



全く、吐き気がするほどに悩ましいことだ。


あの生命力、流石は歴代最強と言うべきか。


或いは国作りの力を調整しているのか。


いずれにしても、王は変わらずに美丈夫だと聞く。



あの男、言う通りに投薬してるのか?


一度、確かめねばならんな……。



――…カタ…コツン……


窓の向こう、耳が微かな物音を拾う。


今の時間、使用人は皆部屋にいる筈。



「誰だ!?」


勢いよく窓を開け放ち身構えつつ誰何すれば、足元に男が踞っていた。


囁くような小さな声が出される。


「…私です」


「…貴様は賊長じゃないか!…ここに来るなと言ってある筈、っ、その怪我はどうしたんだ。何があった」


「失礼致します…お静かに願います。追われていますので…中に」



肩の辺りを押さえつつ、賊長は部屋に入り込んで深い息を吐いた。


一応木々の向こうの気配を探るが、誰もいる様子はない。


窓を閉め、カーテンをピッチリと閉じる。


賊長を改めてじっくり見れば、傷はかなりの深手とみえる。


傷の補修は苦手だがしないよりはマシだろう。


「傷を見せろ」


肩に手をかざしながら問う。


「追われてる、だと?説明しろ」


「申し訳ありません。貴方様の留守中急展開が起こり、それに対応した結果がこの様です」


「勝手に動いたというのか!」


声を潜めながらも荒げると、族長は「浅はかにも」と深深と頭を垂れた。


ぎりっと歯を噛む。



何てことだ。


ほんのわずか自国に帰っていた隙に。



「この様子を見れば問わずとも分かるが一応聞こう。どうなった」


「思慮が足りず失敗しました。かなりの仲間が掴まり…情報によれば、例の娘はケルヴェスの手に落ちたようです」


「何!?それは本当か!?」


倒れ込むようにソファに身を沈めて額に手を当てる。


あまりの急展開に思考が追い付かない。


何ということだ。


恐れていた最悪の事態がすでに起きていたとは……。


落ち着け、落ち着いて考えるんだ。


手に落ちたとはいえ、すぐには魔王のものにはなりえないはずだ…。



なんとか。


まだ、機会はある筈。


考えろ――――









繁華街の音も届かぬ静かな夜。


バルリーク王子の妃候補、黒髪の娘ユリアが消えたラッツィオの国。


失意の底に沈むリリィの傍に付きっきりのザキ。


白い腕の中で次第に殺気を放ち始める白フクロウ。


難しい議論に発展していく円卓の会議。


町はずれの小さな屋敷で頭を抱える男二人。


愛と焦燥が渦巻く夜は、各々を眠らせることなく、刻々と更けていった。


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