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12

「御迎えに参りました。今度こそ一緒に来ていただきます」


そう言って此方に近付いてくる。


どうして貴方がここにいるの。


馬車を止めたのも、まさかあの賊を雇ったのも―――?



「待って。何故貴方が賊のことを知ってるの?」


声に気を込めて言えば、凛と辺りに響き渡った。


相手の動きもピタリと止まる。


何を考えているのか分からない、穏やかに微笑む顔を睨むようにして見つめる。


アリが私を見て唇を噛んでいる様子が伝わってくる。


きっと、何故逃げないのです、と思ってるに違いない。



「貴方が雇ったの?」


「…とんでもない、私は」


「待て!」


のんびりと発せられた声に、アリの鋭いそれが被る。


ざっと足音を立てて前に現れたアリの体で視界が遮られ、不気味にも穏やかに佇んだ姿が消える。


それと同時に、すぐ隣に来たジークの腕が、私の体を庇うように前に差し出された。


「まだ私と対面しているのです、彼女とは話さないで下さい。貴女様も話しかけないで。…貴方は見覚えがあります。セラヴィ様の戴冠式の折に警備の指揮を取っておられた――――確か、名は…ケルヴェス殿、ですね?」



―――戴冠式。


やっぱり、森で会ったあの青年、セラヴィは王子様だったんだわ。


だったら―――


一つの可能性が浮かび上がり、もやもやとしていたものが一気に晴れていく。


―――謀反―――


この事象、確かこんな言葉だったはず。


バルのしてくれたお話から察すれば、セラヴィは魔王の座を狙ってると判断できる。


私を手に入れたがるのは、国を支配しうる力を得るためだもの。



そして、その方はラヴルの知り合いでもある。


初めてケルヴェスに会った夜のことが思い出される。


あの時は相手が王子様だなんて思ってもいなかったけれど。


ラヴルは隠すようにして強く抱き締めてくれていた。


あれは、私の黒髪をケルヴェスの視線から守ってくれていたのだと考えれば納得できる。


結局バレてしまったわけだけど。


あのあとだもの、おかしな現象が起こり始めたのは。


変な手紙が入ったのも、ヴィーラ乗り場から落ちたのも。


全部あのときから―――



一人でいろいろ納得して頷きながら視線を下に落とせば、アリの手がヒラヒラと動いているのが目に入った。


馬車に戻れと言ってるのか、逃げろとの合図なのか。


いずれにしても、アリの体全体から感じられる張りつめた気とこの場の雰囲気は、早くここから離れろ言っていた。


言われるまでもなく、脚は自然に後退りを始めてる。


悟られないように音を立てないよう動く。じりじりと。


すると、一緒に、庇う体勢をとるジークもじりじりと下がる。



ジーク、貴方も一緒に逃げてくれるの?


独りじゃないことがありがたくて感謝するのと同時に、ますます“捕まるわけにはいかない”と強く思う。


私は今ここで、彼の思うとおりになるわけにはいかない。


突然に覚悟も何も出来ないまま、しかもお世話になった皆に別れの挨拶も出来ずに『贄』として連れて行かれてしまうなんて。


その先を想像すると胸が苦しくなる。


きっと、二度とそこから出られない。


愛なんてないもの、誰にも会えず自由も貰えずに、命が無くなるまでそこで過ごすのだわ。


テスタに捕まっていたときのような、あんな日々を。



今までに出会ったヒトたち皆の顔が次々現れては消えていく。


ナーダにツバキとライキ。


バルにジークにアリ、王妃さま、優しい狼族の方たち。


リリィ、ザキ、白フクロウさん。


それになによりも、ラヴル、貴方に会えなくなる。


唇をきゅっと引き結ぶ。


―――そんなのは、嫌。


それに、この平和な国が乱れるようなことに、この身を使われたくない。


謀反の片棒を担ぐことなんてしたくない。


逃げなくちゃ。


なんとしても。



「成程。私を知ってるとは、噂どおり聡いお方ですね、アリ・スゥラル殿。あの時、表立ったのは数秒のことだった筈。それを覚えているとは」


「貴方には自覚がないのですか。ひときわ目立つその金の髪に柔らかな物腰。どうして忘れられましょうか。それに数秒だからこそ印象深いのです。しかし、まさか貴方のようなお方が全部仕掛けたとは思いませんでした。我が城の者に術を掛けたのも講師のインクに細工をしたのも、全て貴方の仕業でしょう」


よくも掻きまわしてくれましたね、と語気を強めてケルヴェスに迫るアリ。


それに対し、ケルヴェスは呆れたといった感じで小さなため息を吐いた。


「やれやれ…先程『待ったかいがあった』と言った筈です。貴方の言うそれは、私は全く知らぬこと。それに、あんなに中途半端で野蛮な術はかけません。欲しいものが傷ついたらどうするんですか。あとから治せるとはいえ、一歩間違えば人間はか弱く簡単に命が落ちる。そんな危険なことできませんよ」


私が術を使ったのはヘカテの夜だけ。マリーヌ講師にだけです。


そう言ったあとの微笑む顔が、こちらを確認するように覗き見るので慌てて動きを止める。



―――今、バレたかしら。


まるで体全体が心臓になったかのよう。


脈打つ鼓動が全身を震わせて上手く脚が動かせない。


やっぱりもっと歩く練習をしておけばよかったと後悔しても今更だ。


アリの特技で移動するにしても、負傷してるもの無理は出来ないはず。


誰一人怪我することなくこの場から上手く逃げるには


一体どうすれば――――



張りつめた空気の中懸命に考える。


皆が無事に城に帰りつくには、どうすればいいの。



「それは恐らく、私の邪魔をする目的もあったようですね。警戒を強めさせる目的があったと推測します。あわよくば、黒髪の娘の命を―――ということも考えていたのでしょう」


よく守ってくれました、御礼申し上げますよ。と丁寧な口調のケルヴェス。


まるで何もかもを知っているように感じる。


言葉の端々から伝わる落ち着き払った雰囲気は、これから一戦交える緊張感なんて微塵も感じない。


きっと、負けない自信があるんだ。



「当然のことです。貴方に礼など言われる筋はありません」


「そうでした、御苦労様と言うべきですか。狼族にとっては古よりの慣習―――知ってますか、今黒髪の娘を失えば世界はとんでもないことになることを。私共は、何としてもそれを阻止せねばなりません。――――聞こえますか。貴女様には必ず主に会って頂きます。逃げないよう願います」


今までになく低い声が辺りに響く。


強まった語気をきっかけにして再び動き始めたのだろうか、アリの体が後退りをしてくる。


隣を見れば、強張ったまま前を見据えるジークの額から汗が滲み出ていた。


やっぱり、この中の誰よりもケルヴェスは強いんだと感じる。



彼の狙いは私。


その私さえここから離れていけば、二人に危害が及ばないはず。


もう少し。


もう少し下がれば、馬車の下に潜り込んで隠れることが出来る。


そうしたら、馬の綱を外して―――――



頭の中で何度も動きを予習する。


馬に乗ったことはないだろうけれど、何とかなるわ、多分。


こくんと喉を鳴らす。


二人を守らなくては。


失敗は、出来ない――――



「残念ですが私にその様な脅しは利きません。貴方は知っているのですね。城の事件すべての犯人を」


「勿論、と言いたいところですが。今のところは“そうだろう”と認識してる程度です。ですが、少し調べれば分かること。奴の目論見は大きく外れ、私にとって却って好都合に動いた。有難いことです。ことが済んだ暁には主に報告し、礼をしようと考えてます。喜んで賛同して下さることでしょう」



ケルヴェスの言う“礼”って、きっと別の意味合いのものだ。


穏やかな仮面を取れば、冷酷な顔が見えそう。



「さて、お二人には見物していて貰いましょうか。私の力は到底主には敵いませんが、貴殿方を止めるのには十分です」


脅しの気を込めたケルヴェスの声を聞くのと同時に、指先が待ち望んでいたものに漸く触れた。


これで、上手くやれれば――――



先のことを考える余裕なんてない。


ケルヴェスをこの場から遠ざけられればそれでいいもの。



下に潜り込むべく体を屈める。


初めて覗き見るけれど、馬車の下は案外に狭い。


上手くいくことを願いながら入り込んだ。


ずりずりと進めば、外では一段と高くなったケルヴェスの声が響いた。


急がなきゃ。



「怪我をしたくなければ退くことを薦めます!」


「チッ――――貴女様は何処にっ。ジーク殿、バル様に連絡を!」


盛大な舌打ちとともにアリの腕が目の前に現れて、ぐいっと引きずり出されて声を出す間もなく抱き上げられた。


頼みます!と叫んでアリが体勢を整えたその刹那。


アリの背後で、一筋の閃光が音もなく空を切って進みくるのが視界に映った。


「……っ!!」


声にならない息が漏れるのと同時に、びくんと背を反らせたアリの顔が苦痛に歪む。


「う……ぐっ…ぅ」


呻き声をあげてよろめき前のめりになるものの、私を落とすまいとぐっと踏みとどまる。


荒い息を吐きながら何とか堪えて体勢を立て直したけれど、小刻みな震えが体に伝わってくる。



アリ……?



辺りに漂う焦げた臭い。


背中がざわつき体中の血が一気に下がる。


まさか……まさか――――



アリの体の向こうで、掌を前方に向けて不敵な笑みを浮かべるケルヴェスがいる。


今、一体何をしたの?


あの光りは、何?



「…アリ?…大丈夫なの?」


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