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ユリアは廊下の方角を見やった。


バルの体で遮られてしまい、姿を見ることは出来ないけれど、ザキとリリィが帰ってきたと分かった。


ザキの不機嫌そうな声がするのと同時に、ジークがさりげなく白フクロウさんの体を隠すのが見えたからだ。



…リリィの方が白フクロウさんと仲がいいもの。


楽しんで帰ってきてすぐにあの子が怪我したなんて知ったら、私以上に驚くだろうし辛いはずだわ。


バルもジークもそれを分かっている。本当に、狼の人達の気遣いは優しくてあたたかい…。



「ユリアさん、ただいま。ね、バルさんもジークさんも。ここで何してるの?」


「あー、ちょっとばかり用事があってな。リリィ、お帰り」


リリィが持ってきた雰囲気で、深刻気味だった部屋の中の空気が明るく軽くなっていく。


バルが手を離して横に並んだので、大きく広がったその視界に、キョロキョロと部屋の中を見廻すリリィと入口に立っているザキが映った。



リリィがにこにこと笑いながらも、遠慮がちにそろそろと近付いてくる。


私とバルを交互に見るその嬉しそうな表情は、何だかとっても勘違いをしてるようだけど―――――


「リリィ、お帰りなさい。城下は楽しかった?」


「うん、いろんなとこに行ってきたよ。ザキったら面白いんだぁ。あ、そうだ!ユリアさん、ちょっと待ってて」


そう言い置いて、入口の壁にだるそうにもたれてるザキのところに、赤毛をふわふわと揺らしながら駆け寄っていく。


大人の男性らしくなってきたザキの腕。


それにぶら下げられた色とりどりの袋を、がさごそとあれじゃないこれでもないと弄ってると、ザキが「こっちだろ?」とめんどくさげに言って差し出した緑色の袋を、エヘヘと笑いながらリリィは受け取った。


口調と態度とは裏腹に、リリィを見るザキの瞳はこの上なく優しい。


「ザキ、ありがと」と言った照れ笑いのままの表情が再びこちらに近づく。


「これ、忘れないうちに先に渡すね、お土産だよ!シーガルのアクセサリー。今すごぉく人気なんだって。ザキと一緒に選んで来たんだから、後で見てね!」


がさごそと紙袋の中から取り出して「はいっどうぞ!」と差し出されたのは、若草色の綺麗な小さい袋。


手触りとして感じるのは、中に更に小さな箱が入ってるよう。



―――アクセサリーを、ザキと、一緒に?


愉しそうにするリリィの横で、だるそうに選ぶのを待ってるザキの姿を想像して心が和む。


バルも、てのひらの中を興味深げに覗き込んでくる。


「うむ。シーガルに行ってきたのか。あそこは若い職人のいる店だ。今一番の旬だからな、混んでいただろう。お前がよく付き合ったな、ザキ?」


バルが軽口を入口に投げると、ザキは「あぁ~…」と唸るように言って、頭をぼりぼりと掻いてそっぽを向いた。


俺だって、そのくらいしますよ…。


と。聞こえないほどの小さな呟きが漏れている。



「ありがとう、リリィ。嬉しいわ」


にこりと微笑んで見せると、眩しいほどのキラキラした笑顔が徐々に曇っていった。


探るような瞳が向けられる。


「ね、どうしたの?やっぱり本当に顔色悪いよね…ジークさんもいるし。体の具合が悪いの?大丈夫?寝てなくて平気?バルさんはお見舞いに来たの?」


「えっと、リリィ、落ち着いて聞いて欲しいの」


「……どうかしたの。もしかして、深刻なこと?……っ、そういえば。さっきからずっと消毒薬の臭いがしてる。もしかしてまた変な人が来て誰か怪我したの?ね、ユリアさんは怪我してない?」


「違うの、私は何ともないわ。そうではなくてね……」


一から説明しようと言葉を探していると、バルの腕が目の前の空間に下りて来て、リリィと遮断された。


「うむ、ちょっと待て。やはりお前は何も話さん方がいいな。これだと話しが長くややこしくなりそうだ。ここは、話し慣れた玄人に任せた方がいい。ジーク、頼む」


見守り態勢に入っていたジークは、急に振られてまごついたよう。


「…バル様。俺は、話し慣れてるわけではありません、まぁこれに関することは、玄人ではありますが…」


そうごにょごにょ呟きつつも、ジークは、リリィに穏やかな笑みを向けた。


「リリィ、こっちに来てくれ――――見せたいものと、少しばかり頼みたいことがある」


手招きして呼ばれたリリィの表情が、不安そうに歪む。


何となく察しているのだろうか「なぁに?ジークさん」と返事をして歩いて行く足取りは、重い。


ゆっくり近づいて行った萌木色の小さな体がピタッと立ち止まり、暫くの沈黙のあと「なに…これ…」と囁くような驚きの声が上がった。


信じられないものを見るように瞳が見開かれ、小さな手は、横たわるその体の上をぷるぷると震えながら彷徨う。


「やだっ……う…そ、おじ…ぃ……ま…な…んで?」


リリィは途切れがちな小さな声を出し、両手で口を押さえた。


頬は見る間に青ざめていき、手だけでなく体も小刻みに震え出す。


「おい、大丈夫か?しっかりしろ……と言っても、無理だろうな」


無言でコクコクと頷きながら、その場にへなへなと座り込むリリィ。


その顔を覗いたジークは入口の方を振り返り見た。


ダークブラウンの視線の先にいるいつも不機嫌な男は、壁にもたれながらもリリィの様子を真剣な面持ちでじっと見つめている。


「ザキ、ちょっとこっち来い。俺の部屋に運ぶのを手伝ってくれ。リリィ、お前に頼もうと思ったが……。まぁ、お前が運ばなくても横に居りゃ多分いいだろう。容態とかは部屋でゆっくり話す」


リリィはジークの言葉が耳に入ってるのか、そうではないのか、無反応でソファの上に視線を落としている。


「ジーク!呼ばれても、俺は、ここには入れねぇよ!ったく!バル様、俺、入っていいんすか!?」


いつも不機嫌そうながらも精神は安定してるザキの声が、イライラと荒れている。


「構わん、今だけ許す」とバルに許可を貰うと、あっという間にリリィのそばに駆け寄った。


リリィは白フクロウさんの体を震える指でそっと撫でてる。


白い布の上に横たわる姿は呼吸で上下はするものの、ピクリとも動かない。


「……ジークさん。ね、どうしてこんなにぼろぼろなの?何があったらこんな風になるの?……白フクロウはすごぉく強いんだよ、白い閃光なんだよ。何人相手しても負けないんだよ。…ね、どうして―――?」


涙交じりの小さな声。


震える小さな肩を、ザキの手が優しく包む。


「リリィ、これはなぁ。羽が乱れてるしガーゼが大きくて見た目は酷いが、大丈夫なんだぞ。俺の部屋でゆっくり説明するから。兎に角リリィは運ぶの手伝ってくれ。な?」


そうジークに言われて、ザキに支えられながら立ち上がったリリィは、白フクロウさんの体にゆっくり手を伸ばした。


「リリィ、無理すんな。俺が運ぶぜ?」


「うん、ありがとうザキ。私が運ぶから……大丈夫だよ」


ジークの後に次いで、白フクロウさんを大切そうに抱えたリリィ、その横を心配げに支えながら歩くザキが通り過ぎていく。


「ではバル様、また後ほどに―――」


「うむ、後で寄る」



ぱたんとドアが閉められ、室長も部屋の外に出ていてバルと二人きりになった。


疑問に思うことはたくさんある。


私の知らないところで何か大きなことが起こってるような、そんな気がする。



「バルは、何か知ってるの?」


「何か、か。知らない、と言ったら嘘になるが、まだ知っているとも言えないんだ。すまんな、全部分かったら教える。今だと無駄に惑わせそうだ。俺が守っているってことだけじゃ、駄目か?」



今でも十分に惑わされてるけれど。


内緒にしてるのは、私を守るためだって、頭では理解してるつもりだけれど。



「知ってることだけでもいいわ。お願い、教えて欲しいの」


「うむ、仕方ないな。ならば、逆に聞こう。お前は、何を、知りたい?」


「知りたいことは、たくさんあるわ」



何から聞いたらいいのか分からないほどに。


私の周りで起こってること。


これから起こりうること。


本当のこと。


全部を、知りたい。



黒づくめの男の目的。


マリーヌ講師のインクのこと。


カフカのコックさんのこと。


それに、白フクロウさんのこと。



バルの口調は“何でも答えるぞ”的な雰囲気を出してはいるけれど、さっきまでの私に対する態度から考えれば、どう贔屓目に見ても期待できる答えはくれそうにない。


隠してることがたくさんありそうだもの。


それなら、誤魔化しようがないことを尋ねるまでだわ。


これだったら、いくらなんでも教えてくれるでしょう?


貴方自身のことだもの―――



「―――バルは、どうして……いつ、私の祖国がカフカだと、わかったの?」


バルは一瞬目を瞠ったあと「あぁそのことか…」と言いながら、眉根を寄せた。


やっぱり、これも答えたくないことなのかもしれない。



「うむ。わかったというか―――…。そうだな、行って来たという報告だけでは駄目だという訳だ。これも話さねばならんことか……」


一つ小さく息を吐いたバルの体が一歩近づき「綺麗だな…」と呟きながら、長めの指で黒髪を一束掬ってさらさらとこぼした。


「まだ、思い出せていないかもしれんが。お前のこの美しい黒髪、この黒曜石のように黒い瞳も。人としては珍しい色彩なんだ。基本的には魔の色だからな」



―――人には少ない色―――


そう言われてみれば。


記憶の中で黒髪を見たのはあの男の子だけ。


お父様もエリスもおばば様も色が違っていた。


たしか、ブラウンに近い薄めの色。


騎士の方だけは、印象に残るほどに綺麗な金髪だった。


薄い色合いの中にこれだけが強く出るのは、ずっとあこがれていたからかもしれない。


子供ながらに、こんな色だったらどんなに素敵だろう、と思っていたんだ。



―――黒は、魔の色―――


だから、私は嫌われていたの?


それだけで、あんなに―――?



「加えて、体から漂う甘い香り。これは魔族、特に吸血族にとっては堪らなく香しく、惹き付けられるものだ。まず、男は迷わず食指が動くだろう。お前は、あのラヴル・ヴェスタのそばにいたんだ、危険な目に合うことはなかっただろうが。一人であの国を彷徨っていれば間違いなく、今頃は――――」


バルの長い人指し指がくいっと動き、天を指差す。


堪らずに身震いして、ごくんと息を飲んだ。


ヤナジの夜会であったこと、そのあとルミナの屋敷で起こったこと、それら全てをありありと思い出した。


あの時は、みんな私を―――


だったら、あの黒づくめの男が襲って来た理由も、それなのかしら。



バル達の食指は動かないの?


まさか、いつも我慢してる?



見下ろすのはいつもの優しく穏やかな瞳。


私は、貴方やジークを信じてもいいのよね―――?


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