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3

青い空にキラキラと輝く太陽。


白い雲が緩やかに流れていき、城宮の屋根で風に煽られてパタパタはためく狼の印は、バルが帰城してからはとても穏やかに見える。


柔らかい空気に包まれ、平和そのもののラッツィオの国。


そんな、緩やかな空の下。


ユリアの暮らすバルの城宮の屋根の上に、真っ白な綿毛のような塊がポツンとあった。


空と同化しそうな碧さに、太陽に負けないほどの輝きを放つそこにあるそれは、僅かに身動ぎをしたかと思えば、バサッと翼を広げ空に飛び立った。


ガラス玉の瞳がキッと見据えるのは、空の向こうから飛来してくる茶色い影。



―――今こそは―――


羽ばたく度ぐんぐん速度を上げ、わき目もふらずに一心にそこに向かう。


向こうも白に気付くも速度を緩めることなく、決意を固めた鋭い瞳と嘴を向けて真っ直ぐに滑空してくる。


互いの距離がずんずん近付き、やがて大空で激しくぶつかり合った。


白が力負けし、きりもみして落下していくのを懸命に立て直し羽ばたき上がって、再び猛然と茶を追いかける。


威嚇の声を上げながら大きくなり、速度のある茶になんとか追い越し前方に浮遊してはだかった。



空中で対峙する二羽。


白は言わずと知れた、ユリアのペットの白フクロウ。


対する茶は、ゾルグの若き従者鷹のホーク。



鷹は一旦空高く舞い上がり一転し、白フクロウに向かい風切り音を鳴らしながら猛スピードで滑空する。


速度に乗って勢いを増した鋭い嘴が白い羽を目掛ければ、白フクロウは間一髪それをかわし、負けじと鷹の上に回り込み鋭い爪を鷹に突き立てる。


空中で互いに引くことなく何度も激しくぶつかり合い、爪と嘴がそれぞれの体を攻撃する。



かわしかわされる目にも止まらぬ攻防。


傍目には白と黒っぽい残像が見えるだけ。



静かで穏やかな青空の中、闘いの音だけが辺りに響き渡る。


二羽の羽の音。


カッ―――ガツン―――ガッ!


ぶつかり合う嘴と爪の衝突音。


威嚇し合う声。



茶と白の羽が抜け飛び散って空で混ざり合い、ハラハラと雪のように地に舞い落ちる。


闘いは五分と五分。


全くの互角に見える二羽の勢いはどんどん増し、攻撃はより激しさを伴う。



どのくらいの時が経ったのだろう。


白フクロウの頭を尖った嘴がビッ!と捕えたその後すぐ、白フクロウの爪が鷹の脚と翼をガガッと捕えた。


互いに疲れ切り、白フクロウの額の部分と鷹の脚と片翼に傷が出来、赤い血がたらりと流れた時、漸く二羽は離れた。


双子のように生えた二本の高い木のてっぺんにとまる、白フクロウと鷹。


睨みあうも、全く動けなくなっていた。


鷹は自らの傷の酷さに戦意を失い、白フクロウは体力が底をついたよう。


やがて鷹がふらつきながらも羽を広げて空の彼方に消えていくのを見届け、白フクロウもゆっくりと羽ばたきをしてユリアのいる城宮の部屋へと飛び立った。



これまで、互いの存在に気付いてはいたものの牽制し合いぶつかることは避けていた。


今が初の遭遇。


結果は、白フクロウの辛勝。



開けられている、今やすっかり馴染んだ窓の中に飛び込み力尽き、そのまま床にへたり込めば、ユリアの叫び声が小さな鼓膜を揺さぶった。


「白フクロウさん!?どうしたの―――っ」


ガラス玉の瞳に急ぎ駆け寄るユリアの心配げな顔が映る。



白フクロウにしてみれば、スピードのある鷹を相手にした久方ぶりの全力の闘い。


熟練した無駄のない動きと卓越した技を用いながらも、やはり疲れ果ててしまった。


平穏に慣れ、なまってしまった体を自分ながらに呪いつつも懸命に帰りつき、主の無事な顔を確認して安心する。


自分が守ってるのに、このお方に何かあればラヴル様に申し訳が立たない。


前に一度細い腕の中で味わった何とも居心地のいい温もり。


それを今再び味わうことなく、白フクロウの意識はそこでぷつんと途切れた。




「ユリア様どうされました!?」


震える綺麗な手が、そっと白フクロウの体を抱き上げる。


「傷があるわ、動かないの…室長、早く…お願い!早く、ジークを呼んできて!!」


室長が風のように廊下に駆け出れば、尋常じゃない騒ぎを聞きつけた衛兵が二人バタバタと駆け付けてきた。


「どうかなさいましたか!」


「この子が動かないの。ジークは?」


衛兵の一人が腕の中でぐったりと横たわる白フクロウの息を確認し、後の一人はユリアを宥める役を請け負う。


「落ち着いて下さい。ジークはすぐに参ります」


「お願い……助けて。この子を助けて―――」



見れば見るほどボロボロの体。


羽は乱れて血がたくさんついている。


一体どうしてこんなことに――――?



「どうしたんだ。何があった?」


開け放たれたドアの向こうから急ぎ足で来たジークに駆け寄っていき、よく見えるよう腕を差し出した。


「ジーク!お願い、この子を助けて欲しいの!」


縋るように見つめると、一瞬白フクロウさんに視線を落としたジークの手に、肩をぽんぽんと叩かれた。


「あー、いいから。ちょっと落ち着け。ソイツを見付けたときの状態はどうだった?」


「朝散歩に出ても、いつもはアリの講義前に戻ってくるわ。だけど、今日はとても遅くて。何かあったのかと心配してたの。そしたら、ついさっき戻ってきて――――すぐに、ここに……床に、倒れ込んでしまったわ。それからピクリとも動かないの」


「うーん、散歩…か。帰ってすぐとは……」


つかつかと窓際まで進み抱えていた鞄をゴトンと下ろして「待ってろ」と言いながら、ジークは鞄の中から白い布を取り出してソファの上に広げた。


「こっちだ―――ここに移してくれ。静かに、そっとだぞ」



一部も漏らさないよう白い体を診るダークブラウンの瞳は、布の上に横たえる間もずっと離されることがなく、爪の先から羽の先端まで隅々まで素早く動き回る。


体の中まで見通してるかの様な鋭い瞳。


初めて間近で見る医師ジークの仕事ぶり。


毎朝の診察時とは全く違う顔つきは、白フクロウさんの状態が酷いことを伝えてくる。



「うーむ……これはまた、随分と激しい喧嘩をしてきたな。あちこちの羽が抜けてるし中にも細かい傷がたくさんある」


「喧嘩?どうして。ジーク、この子は助かる?」


「なぁに、そんな心配するな。大丈夫だ、ほら、ちゃんと息してるだろう?この程度なら、コイツにとって、命に関わるものじゃぁない。今動かんのは、疲れて寝てるからだぞ」


「え…それって、眠ってるだけなの?」


―――本当に?気を失ってるんじゃないの?



じっくり見ても羽に覆われてるから顔色も分からないし、いつも表情豊かに語ってくる瞳は固く閉じられている。


それでもジークには状態が手に取るように分かるらしい。


流石、バルが“この国一番だ”と信頼をおいてるお医者様。


数か所の触診をした後、何やらぶつぶつ呟きながら鞄の中をがさごそと弄りだした。


次々と出される見たこともない医療器具と薬瓶。


あの中にどうやって入っていたのか、と思えるほどの物がテーブルの上に整然と並べられていく。


「まってろよ。お前は心配するな、今治療するからな」


てきぱきと器用に動き回るジークの手と指は、話してる間も止まることがない。


ソファの一角があっという間に治療場に様変わりした。



「ジーク、私も何か手伝えることがあれば言って欲しいの」


「あぁそうだな……いや、ありがたいが。お前は血が苦手だろう。椅子に座ってろ。今は気丈にしてるが、後で俺の仕事を増やして貰っては困るからな。室長、頼んだぞ」


「承知しましたジーク様。さ、ユリア様此方に。ジーク様にお任せすれば大丈夫ですわ。お茶を持たせましょう。飲めばきっと落ち着きますから」


「室長、茶ならカルラーニがいいぞ。鎮静作用がある」



テーブルには今日の課題がやりかけそのままに乗っている。


それを退けてお茶の準備がされ、どうぞと差し出された。


「―――ありがとう。いただくわ」


ホワホワと湯気の上がるカップを持って香りを嗅ぐと、飲まなくてもそれだけで気分が落ち着いてきた。



ソファの方では、治療が進められている。


あちこち薬が塗られ大きな傷は縫合される。


血はなるべく拭きとり乱れている羽も綺麗に整えながら、最後には小さな頭がすっぽりと隠れるほどに大きな大きなガーゼを貼りつけて、ジークはふぅと息を吐いた。


辺りに立ち込める消毒薬のツンとした匂い。


カチャカチャと器具を片付ける音。


気付けば窓の外には夕暮れが迫ってきていた。


室長が静かに部屋の灯りを点けてまわる。


と、器具を仕舞い終わったジークの独り言が聞こえてきた。



「出来りゃ、今夜一晩は俺の部屋に連れて行きたいとこだがなぁ。コイツは、納得しねぇだろうなぁ」


「でもジーク、その方がこの子のためになるのでしょう?だったら、そうして。私は構わないわ」


「っ、聞こえたか。そうしたいのは山々なんだがなぁ…」



何が駄目なのかちっとも分からないけれど、ジークは顎を撫でながら「うー」と唸り声を上げてひたすら考え込んでいる。


「ユリア様、王子様が来られましたわ」


バルに対して挨拶をしようと急いで立ち上がると、両肩をそっと押されて椅子に戻された。


「嫌な思いをしたな。平気か?」


その問いかけに対して無言で頷くと「お前はここにいろ」と言い残して、バルはジークに近付いて行く。


「ジーク、我が妃候補殿のペットが負傷したと聞いて来たが。容体はどうなんだ」


「――――バル様……」



ちらっと、此方を振り返り見たバル。


普通の声の大きさで始まった会話は、だんだんに小さくなっていき聞こえづらくなってきた。


ぼそぼそと声の音だけが耳に届いてくる。


私には、聞かせたくないみたい……。





***





「今は、眠ってるのか」


バルは布の上で横たわる姿を一瞥し、ユリアの方を振り返り見た。


お茶を飲み此方をチラチラと見る様子は、やはり容体が気にかかるのだろう。


顔色は青ざめ、今にも倒れそうなほどに見える。


抱き締めて頬を包み込み、体中をほぐして何もかもを忘れさせ安心させてやりたいが、まだ、俺では駄目なんだろうな……。


今からするジークとの会話は聞かせたくないものだ。


なるべく声を潜めねばならん。



「不本意ながらも、コイツも預かり者の一つだからな。結構な重体に見えるが、彼に連絡した方がいいか?」


「それには及ばないかと。怪我自体は大したことありませんし、これは疲労困憊回復のため、本能で眠ってるだけですからすぐに目覚めます。バル様の懸念されてるようなことは、まずありません」


よく見れば、羽は抜け落ちてボロボロではあるが、満身創痍とまではいかないのか。


疲労困憊、か。


先の時代、目にも止まらぬ攻撃と緻密な戦略は同じ鳥類系においては右に出る者なしと謂われ、白き閃光と異名をとったと聞いてるが、やはり年には勝てんらしいな。


だが、彼ほどの魔物ならば魔力も体力もすぐに回復するのだろう。



「そうか。さすがは、彼の臣下と言うべきだな」


「バル様、それよりも、俺は怪我の原因となった出来事のほうが気になります。彼女を守ろうとしたに違いありません」


「うむ、闘った相手か。彼ほどの者をここまでにするとは、相当の手練れなんだろう。目覚めたら話を聞きたい。彼女の周りで起きた事件と関係あるかもしれん」



―――城宮の中を血だまりにしたあの男。


予想通り、奴は術に掛けられていた。


ルガルドの報告を聞き納得できず俺も尋問すれば、何度も同じことを言った。


“あの日のことは何も覚えていないのです”と。


どこで誰に掛けられたのか、さっぱり覚えてないと言う。


事件の最中も夢の中を漂うように感じていたらしい。


気付けば俺にやられた傷の痛みと血だらけの服に驚愕して動転し、尋問されて夢ではなかった現実だったと実感するにつけ、あまりの申し訳なさに死さえ考えたそう。


今会えば、表情も口調も事件の最中とは全く違い、穏やかな気のい男に見えた。


言うなれば、奴も被害者の一人なのだ。



それにもう一つ、マリーヌ講師の課題の件。


あれはアリの素早い判断によりインクに問題があったことが既に判明している。


ただ、それが何の効果を呼び、いつ誰にすり替えられたのか分かっていない。


セラヴィ王の関係者の仕業なのか、それとも全く違うのか。


二つの件は繋がってるのか―――



「バル様。一つ報告があります。これはついさっき俺が友人から聞いたんですが。事件と言っていいのか分かりませんので、バル様までには伝わっていないと思います」


「何だ?彼女に関係のあることか?」


「はい、大いにあります。2日前から、例のコックが行方不明になっているそうです」


「っ、それは本当か!?まさか、それは―――」



と、思わず声を上げた次の瞬間。


コト、カタン…と、カップを置く音と、床を打ち付ける軽い音がし、彼女が椅子から立ち上がったことを知る。


気付かれてしまったか…当然だが…うむ、どう誤魔化そうか。


助けを求めるようにジークを見れば、隣でやれやれとばかりに首を横に振っている。



「バル、どうかしたの?まさか、白フクロウさんに何かあったの?」


蒼白な顔、いつも美しく煌いてる黒い瞳は不安そうに揺れている。


しかし、こんなときに何だが。


どんな表情をしていても、お前は魅力的なんだな…。


抑えてはいても、つい触れたくなる。抱きしめたくなる。


―――安心してくれ、俺がお前を守るから―――


そんな思いを込めて、力弱く、そっと手を握る。


お前に触れるには、常に細心の注意を払わねばならん。


少しでも力を入れ過ぎると、この体は、壊れそうなほどに柔らかいのだ。



か細い体の周りで起こる奇妙な事象への恐怖。


失った記憶に対する不安と苛立ち。


祖国と家族を失った悲しみ。



そんなものを、この小さな心の中に一身に閉じ込め、必死に生きようとしている。


懸命に過去を思い出そうとしている。


お前は孤独だと思ってるだろうが、決してそんなことはない。


独りじゃない、俺がいる。ジークもリリィもだ。


支えてやりたいと思う、ずっと、この先も―――



「安心しろ、白フクロウには何にも無い。すぐに元気になるそうだ。すまん、驚かせたな」


何か言いたげに動き始めた薄紅色の唇を、手の甲でそっと塞ぐ。


そんな瞳で見つめられれば心が揺らぐが、すまんな、今は俺にも考えを纏める時間が必要だ。



と、廊下の奥の方から、『ウフフ』と、聞き覚えのある女の子の明るい笑い声と『時間がねぇから、なるべく早くしろよ』と、これまた嫌と言うほど聞かされてる男の声を俺の耳が拾った。


足音はだんだんに近付いてくる。



…なんだ、アイツは彼女と一緒に居ても口調は一緒なんだな。


よく嫌われないもんだ。っと、そうだな。帰って来たとなると―――



「ジーク、二人が城下デートから帰って来たらしいぞ」


「は?それは…案外早いお帰りだな…はい、承知してます」



『あれ?・・・ね、ザキ、ドアが開いてるよ。珍しいね、どうかしたのかな』


ぱたぱたと駆け寄る足音が近付いてくる。ガサガサと聞こえるのは、買い物袋か。


「っと。これはどうかしたんすか?バル様に、ジークまでいるじゃねぇっすか」


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