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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
記憶の扉
76/118

9

すっかり日が落ちたラッツィオの国。


今夜も綺麗な月が浮かび、柔らかな光を城宮の屋根に落としている。



ジーク達に命を助けられて保護されて。


訳の分からないままこの城に来て、この部屋から幾度月を眺めたかしら。


何度貴方のことを思ったかしら。


記憶のない私に名前を付けてくれた貴方。


私の、ただ一人のご主人さま。


貴方と一緒にいた時間よりも、離れている時の方が、長いなんて。


“記憶が戻るきっかけになるだろう”


確かにここに来てからというもの、記憶の映像は色濃くはっきりと見えるようになっている。


身のこなしや常識的なこと、そういうものもルミナの屋敷にいた頃よりも自然に出るようになった。


祖国が『カフカ王国』だということが分かったのもここにいたおかげ。



心のあたたかい人たち。


どれだけ感謝しても、し尽くせないほどの恩をいただいている。


私は、どうしたらこの恩を返せるのかしら。


“帰ったら、大事な話がある”


とても真剣だったブラウンの瞳。


話って何かしら。


心が、騒ぐ―――



「失礼致します。ユリア様、王子様が来られましたわ」


「ありがとう。お迎えするわ。お通し下さい」



室長がドアを開け放ち壁際に寄って居住まいを正す。


ボブさんは脇に寄って直立不動の姿勢を取ってる。


「留守中、警護ご苦労だった。今日はもう休め」


そう労われて緊張したのか、山のような大きな体が岩のようにカチンと固まってるのが見てとれる。



上質なパーティ用の服に身を包んだ、威風堂々とした佇まい。


久しぶりに姿を見れば、この方は王子さまなんだと改めて気付かされる。


スタスタと近付いてくる間、逸らされることなく見つめてくる優しい瞳。


少し手前で止まったのを確認して、ドレスの裾を少し上げ、膝を折って挨拶をする。


「王子さま、お帰りなさいませ」


「うむ―――元気にしていたか?」


「はい、おかげ様で健やかに過ごさせていただいています」


「…それは、良かった」


瞳を伏せたまま定石通りの会話を交わし顔を上げると、ブラウンだった瞳が金色に変わりつつあった。


「―――室長侍女は下がっていろ」


「畏まりました」



室長が膝を折って静かに退室していく。


ぱたん…と、ドアが閉められた音を確認すると、バルは天蓋の上を見た。


見下ろす白フクロウさんのガラス玉の瞳が、いつもよりもギラギラと輝いて見えた。


雰囲気がいつもと違って見えて、ちょっぴり怖い。


「アレが、お前のペットの白フクロウか……」


「えぇ、そうなの。綺麗な子でしょう。でも、何だか今は機嫌が悪いみたいだわ」


「……あぁ、そうだな」


見上げてるバルの横顔も険しい。


もしかしたら、ペットは駄目だと叱られてしまうのかもしれない。


双方ぶつかり合う視線が鋭く感じる。


白フクロウさんも警戒してるようで、さっきからずっとむずむずと身動ぎをしている。


今にもこちらに飛んできそうな感じで、互いに目を逸らすことなく睨みあってて何かが始まりそうでドキドキしてきた。


バルの爪と白フクロウさんの爪、どちらも鋭くて危険なんだもの。


なんとかしないと―――



白フクロウさんとバルの間に入り込むと、案の定バルの瞳はとても鋭く光っていた。


こんなの、見たことがない。


どうしてそんなに怖い顔をしているの?



「あの、バル?あの子、何故かこのお部屋が気に入ったみたいなの。ずっとあそこにいるものだから、いつの間にかペットになってたのよ。可笑しいでしょう?今はあんな風だけど、普段はとても大人しいの。一度だけ抱っこしたことがあるのよ」


懸命に話しかけるけれど、バルの瞳はちっとも動かない。


出される声も低くて、まるで唸っているよう。


「お前はアレを抱えたというのか……そうか―――」


「リリィのおかげなの。私も驚いたのだけど、あの子、不思議な力を持ってるわ。あの白い羽はふわふわに見えるでしょう?けれど意外にも固かったの」


「リリィか。お前はアレを気に入ってるんだな?」


私を通り越してずっと上を睨んでいたバルの瞳が、ここでようやく下がった。


声も普段に近いものになってる。


「そうなの。だからお願い、そんなに怖い顔しないで。バルが怖いから、あの子は警戒しているの。それよりも、もうすぐ夜会が始まってしまうわ。主賓の貴方がいなければ―――」


懇願するように見つめていると、険しかった表情が徐々に柔らかに変わっていった。


と同時に、瞳にも優しさが見え始める。



「少し過敏になっていたな。お前にそんな顔をさせるつもりはなかった。すまん」


少し開いていた二人の間の距離が、一歩で縮められた。


金色の瞳と体から発せられる気が、熱を帯びているよう。


体温が伝わってきそうなほどの至近距離。


あまりに見つめられるものだから、居た堪れなくて少し離れたくなる。



「…困ったな……触れたくなる―――」


「え…?」


逃げる間もなく腰を引き寄せられて、ふんわりと包み込まれた。



…抱き締めたりはしない。だから、逃げないでくれ。


暫く、このままでいてくれ…



囁くようにそう言われて、迷ったけれど、逞しい胸に置いた手の力を抜いた。


アリの時のように嫌な気持ちにはならない。


バルはこれ以上のことはしないと、信じてるから。



腕の力が強まったり弱まったりを何度か繰り返され、髪の香りを嗅ぐような気配の後、ゆっくりと腕が離された。


両肩をそっと掴まれて、見上げれば、金の瞳は潤んで揺れていた。


「このままゆっくり話をしたいが、そうもいかん。もう行かなければ。それにこれ以上触れてると、忠義なペットに襲われそうだからな」


冗談ぽく言ったバルが上をチラッと見やったので、釣られて振り返り見ると白フクロウさんは何をするでもなく、静かに此方をじーと見ていた。



「妃候補殿、私と共に夜会へ―――」


一歩離れて恭しく手を取って指先に唇を落とす。


金色だった瞳は落ち着いたブラウンに戻り、バルらしい爽やかな笑顔が向けられる。


…良かった、いつものバルだわ。



「綺麗だ。お前をエスコート出来るとは、俺は幸福者だな」


「ありがとう、バル」


差し出された腕に手を乗せ、導かれるままに夜会の会場へ向かった。


いろいろ聞きたいこと、頼みたいことはあるけれど、今は出来ない。




初めて足を踏み入れる王の城宮。


その1階の大広間に準備されたのは、テーブルから零れ落ちそうなほどに乗せられた数々の料理。


煌びやかなシャンデリアから落とされる光で、金の食器類が鈍い光を放っている。


急に行われた夜会にもかかわらず、方々から沢山の来賓が訪れていて、王さま王妃さま共に挨拶に忙しそう。


バルの元にも品のある方々が次々に挨拶に来られる。



その度に妃候補だと紹介され、大抵の方は一瞬驚いた後にこにこ笑顔になって挨拶をしてきた。


そんな紳士淑女に対し、微笑みを作って当たり障りない柔らかな対応をする。


挨拶の波がおさまった頃。



「王子様、是非旅の話をお聞かせ願えませんか」


数人の紳士方に声を掛けられたバルが腰から手を離して、背をそっと押した。


解放してくれたことに感謝して、適度に飲み物と食事を取っていただく。


楽士は音楽を奏でているけれど、ダンスもない立食の夜会。


話すのがメインな様で、周りを見渡せばあちこちで会話の輪が出来ていた。


会場の隅にザキとリリィの仲睦まじい姿が見えたので、声を掛けようとして動いていたら


「まぁ、まぁ。貴女、こちらにいらっしゃいましたの?探していましたのよ。漸く見つけましたわ」


と、数人のご婦人方に捕まってしまった。


「ユリアさん、王子さまと何処でお知り合いになりましたの?」


「出身はどちらの国ですの?」


「失礼ながら、見たところ魔族ではありませんわよね?」



などなど。


上品に着飾ったご婦人方にすっかり囲まれて、にっこり柔らかな笑顔で矢継ぎ早にあちらこちらから質問が飛んでくる。


ご婦人方も自分のことを話しつつも上手に尋ねてくるので、記憶がないことを説明すると「まぁ、そうなんですの…」「それは大変ですわね」と、気の毒そうな顔を作って向けてきた。



「会場の皆様!ルーガル・ビリーズ、僭越ながら一曲歌わせていただきます!」



突然に、透き通るようなテノールの声が会場に響き渡った。


ざわめいていた会場の中を一瞬で黙らせる声の力。


見れば、真ん中で一人の紳士が両腕を大きく広げていた。


その傍には、王さまと王妃さまが微笑んで立っているのが見える。


その声は、皆の注目を一気に集めワッと拍手が沸き起こり、再びざわめき始めた。



「まぁ!皆さん、お聞きになりました?ルーガル殿、始まりましたわよ」


目の前にいたご婦人が楽しげに声を上げる。


夜会やパーティの毎度の余興の一つなのか、どやどやと人が移動し輪が出来始めた。


「ユリアさんもお聴きになると宜しいわ。あの方の歌は天下一品ですのよ」


少しでも近くで聴こうと、嬉しげにいそいそと動いて行くご婦人方。


楽士たちの奏でる音も止み、しんと静まり返った中朗々と美しい旋律が響き始める。



耳に心地よく届くテノールの伸びやかな歌声。


そのメロディは、どこか懐かしく思えて胸の奥が揺さぶられる。


切ない感情が身の内に溢れてきて、知らずに涙まで零れて頬を伝い落ちた。



――これは。どこかで、聴いたことがある。前に、いつ―――?


目の前の光景がぐらぐらと揺らいでいく。


音が遠くなり、意識は過去へと誘われる―――――




―――冷たい石造りの壁。


窓から差し込む明るい光。


広間の真ん中に敷き詰められた赤い絨毯。


周りを囲むのは、にこやかに笑う人たち。


楽器を持った数人の旅姿の人が恭しく跪いて、その中の年配の人が顔を上げた。


皺の刻まれた顔がくしゃりと笑う。


「この良き日。カフカの麗しき姫君に、歌を献上出来ますことを喜ばしく思います」


互いに目で合図し合い、たおやかに美しい旋律が奏でられる。


真ん中にいる細身の女性が、綺麗なソプラノで歌い始めた。


皆の表情が一気に穏やかになり、瞳を閉じて聴き惚れている。


甘美な歌声で至福の時が流れる。




これは、私に向けられたものなの?


何か違和感があるような気がする…。


それは、何なのかしら――――




「どうした、大丈夫か?」


もっと深く入り込もうとした瞬間、体を揺さぶられて声を掛けられ現実に引き戻された。


ソプラノの歌声が掻き消え、テノールの歌声が急に大きく耳に届いて、クラクラする。


ふらついて倒れそうなところを逞しい腕に支えられた。


「あ…バル。私――」


「具合が悪いのか?少し、風に当たりに行こう」


有無も聞かれずに、体を支えられてテラスへと促される。


開けられていた観音開きの窓が閉められると、紳士の歌声が小さくなり二人の間に静かな時が訪れた。


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