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「では、こちらを。本日の課題です。先回は1問間違いが御座いました。今度こそ完璧になさるようお願い致します」
講義の終わりとともに出される毎日の課題。
今日も紙面いっぱいにみっちりと文字が書かれたものが3枚置かれる。
ご丁寧にも答えを書く欄もきっちりと線が引いて作ってあって、その仕事の細かさに感心する。
アリはとても几帳面。
眠る時間はあるのかと他人事ながらに心配になるくらいに。
講師のみの仕事をしてるマリーヌ講師と違って、他の仕事もあるはずなのに―――
「あの、質問が、あるんですけど」
そう言って見上げれば、疲れた様子もなく瞳は冷淡ながらも妖しく輝いている。
何でしょうか?と言いながら、長めのサラサラの髪が頬にかかってるのを長い指が大きな耳の後ろに運ぶ。
その仕草が嫌みなほどに優雅で、無駄に色っぽい。
「どこか不明な点が御座いましたか」
真剣な声色のアリ。
このところ毎日講義を受けていて、分かったことがある。
この方は、実はとても仕事熱心だということ。
全てのことに手を抜かなくて、自分だけでなく他人にもというか…私にも完璧さを求めてくる。
ぐっと喉の奥に言葉が詰まる。
―――何て尋ねづらいことなのかしら……でも…。
お茶を運んでくるあの侍女にリリィ、おまけに無口な朝の身支度侍女たちまでもから、聞いて欲しいと懇願されたこと。
“私たちには一瞥もいただけませんけれど、ユリア様なら大丈夫です!きっと答えて下さいますわ!”
皆一様に瞳をキラキラとさせ、揃いも揃って同じ質問だったことが何だか微笑ましくて笑ってしまった。
…この方が、答えてくれるとは思えないけれど。
チラッと見上げれば、眉間にしわがより始めている。
「時間稼ぎですか?質問などないのであれば、失礼致します。これでも忙しい身なのです」
アリは指先でテーブルを弾いて、ため息交じりにそう言って、大きな耳をぴくぴくさせながらいそいそと帰り支度を始めた。
そろそろリリィたち見習い侍女が廊下に集まる時間。
きゃぴきゃぴと騒がしいのが苦手なようで、無表情にも嫌そうな雰囲気が漂い始める。
「ごめんなさい。忙しいのは分かってるわ。でも、質問があるのは本当なのです」
「先に申し上げておきますが、くだらないことであればお答え致しません」
振り向いた顔がとても冷たい。
おかしなことを聞いたら、容赦ない言葉で攻撃されそうな雰囲気。
体から放たれるひんやりとした気がこちらまで漂ってくるよう。
期待満面の笑顔で、両手を胸の前で組んで瞳を輝かせていた侍女たちの姿が思い浮かぶ。
ごくんと息を飲んで、気持を整える。
ここで怯むわけにはいかない。
貴方にとっては確かにくだらないことだけれど、皆にとってはとても重要なことなんだもの。
恋する乙女たちの気持ちを私が汲まなければ、他に誰がしてくれるというの?
しっかりしなくちゃと、妙な使命感がむくむくと湧きあがり、怯んで隅に追いやられた勇気をなんとか引張り上げて、喉の奥に詰まった言葉を一気に吐きだした。
「貴方には、心に決めた方はいらっしゃるの?」
片付けの手をピタと止めて、振り返って足早に此方に近付いてくる。
無表情なまま真っ直ぐに見つめられて迫られると、とても怖いものがある。
くだらないことを!と、説教が始まると思ったけれど返ってきた言葉は意外なものだった。
「それは、貴女様からの、質問なのですか」
高い位置から見下ろされ、いつもよりも低い声で逆に尋ねられて一瞬答えに詰まる。
ここで違うと言えば、とんでもない捨て台詞を残して部屋から出ていってしまいそう。
そうですと言っても、怒られそうな雰囲気だけれど。
でも、少しでも答えてくれる可能性があるのなら、逃せない。
「え、えぇ、そうよ。私の質問です。アリは、婚約してる方はいらっしゃるの?」
心の中を探るような瞳にじっと見つめられ、計らずも動揺してしまう。
……嘘だとばれてしまったかしら。
「意外ですね。貴女様が私にその様な質問をなさるとは。応えて差し上げましょう。そんなお方は、おりません」
「そうなの。えっと……それなら――」
「ですが―――」
侍女たちの二つ目の質問に移ろうとすると、続きがあるとばかりにすぐさま強い声で遮られた。
いつもの冷静な瞳が、揺らいで見える。
バルの帰城が遅くなると伝えられた時と同じもの。
「―――周りの者たちが、私のことをどう評価しているのか分かっています。どう呼んでいるのかも。ですが、私は普通の健全な男です。ですから―――これでも、想うお方はおります。……その方に対しては、私は」
急に押し黙った唇がキュッと結ばれる。
「…私は、何?」
「……何でもありません。貴女様に申し上げるべきではありませんでした。どうぞお忘れ頂きますよう願います」
早口で言い置き、足早に壁際に戻り手早く手荷物を取りまとめて、失礼致しますと挨拶をしてドアに向かう。
ドアノブに手をかけるその間際、何かを思い出したように、あぁそうでしたと、振り返って瞳を光らせた。
「ひとつ、申し上げるのを忘れておりました。おめでとうございます。先日の試験は、合格でした」
「本当なの?それなら城下に行けるのね?」
全く自信がなかっただけに、嬉しさも倍増する。
笑顔を向けると、アリの瞳が少しだけ細くなった。
その表情が意地悪いものに見えるのは、日頃から植え付けられてる悪い印象のせいだと思いたい。
と、考えたのもつかの間のこと。
アリはやっぱりアリだった。
「はい、ですが――――……結果は合格でしたが、ギリギリだということをお忘れなきよう願います」
「城下見物には、リリィも一緒に連れて行ってもいいですか?」
「お待ち下さい。まだ先が御座います。課題10割にならなければ城下見物は致しません。さらに励まれるよう、お願い致します」
「そんなこと、聞いてなかったわ」
「そうでしょう。今、決めましたので」
「……今って――――」
講義の声もものともせず不敵な表情をするアリ。
気分は、頂点から一気に下降してしまい、アリを睨む気力もない。
やっぱり、この方はとんでもなくいじわるだわ……。
ドアが開いた途端に、集まってた見習い侍女たちの嬉しそうな声が廊下から聞こえてくる。
…何も知らないって、本当に、幸せなことだわ。
「これを、10割」
ランチの後、ため息をつきながら課題を見下ろす。
手加減なんて一切されてない完璧な課題。
結構頑張ってると思うけれど。
大体偽の妃候補なのに、どうしてこんなに頑張らなくちゃいけないのかしら?
全てを放り出してしまいたい衝動にかられるけれど、ここに置いて貰ってる限りはこれが勤めと割り切るしかない。
バルが戻ってきたら、必ず苦情を言うと決めて課題に取り組む。
何問か解いた頃、頭を休めつつアリの言っていたことを思い返した。
―――想う方がいる―――
あのアリに好かれるなんて、そんな女性はきっと完璧なお方なのに違いない。
美しくて優雅で頭が良くて。
でないと、好かれた女性がかわいそうだもの。
とても理想が高そうだから相手の女性にも完璧さを求めそう。
一つでも失敗したら、無表情に冷たく責められるのだわ。
想像しただけで、気の毒になってくる。
この城にいるお方かしら。侍女たちは、完璧に失恋ね……。
結果的には良かったと思うけれど、どうやって伝えたらいいのかしら。
キラキラ笑顔の可愛い侍女たち。できれば表情を曇らせたくないけれど。
アリの性格をこと細かく話して、“好かれなくて良かったわね”なんて、言えないわよね。
どれだけ考えても正解なんて一つも見当たらなくて、ある意味目の前にある課題よりも難しい。
頭を痛めつつ外を見る。
青い空に白い雲が流れ今日も穏やかな天気。ここは本当に雨が降らない。
“悪天候にみまわれておられるそうです”
そう伝えられてから随分と日が経っている。そろそろ何か連絡があってもよさそうだけど。
帰るのは、いつになるのかしら……お願いしたいことが、たくさんある。
ついでに、文句も言わなくちゃ。
***
ユリアがそんな風に思いを馳せてる頃、バルは旅の仲間とともに謁見の間にいて国王に報告をしていた。
そう、既に帰国しているのだ。
旅の汚れそのままの姿なれど、皆怪我もなく元気な様子。
国王の顔が安堵に綻び労いの言葉をかける。
「ご苦労だったな。いろいろ話を聞きたいのは山々だが、今は疲れを癒すのが先だ。今宵は労いの夜会を催すこととしよう。皆出席せよ。今は汚れを落としゆるりと休め」
「は、有り難き幸せに存じます」
国王が大臣に指示をする様を横目で見つつ退室をする。
と、隣から不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「バル様。夜会なんて堅苦しいの、俺苦手なんすけど。出席しなくていいすか」
「あぁ、そうだったな。だが、そんなものではないと思うぞ。立食の軽いものだろう。リリィも連れてくるといい。きっと喜ぶぞ」
リリィの名前を出せば、めんどくさげな表情がふと和らぐ。
心の中はもうリリィで満たされているのだろう。
この俺も――――――
「皆も各々想う者を連れてくるといい。夜会までまだ間がある。それまでゆっくり休め。ご苦労だった」
ではお言葉に従い失礼致します、と挨拶をし皆がそれぞれの部屋に下がっていく。
―――無事、帰って来た―――
瞳を閉じれば彼女の顔が真っ先に浮かぶ。
会いたい気持ちは逸るが、先ずは汚れを落とさねば。
「王子様、お帰りなさいませ」
「バル様、無事で何よりで御座います」
城宮に向かうべく廊下を歩けば、労いの言葉が方々から掛けられる。
そんな中、一段と響く高い声が後ろから追いかけるように投げられてきた。
「ちょっと、お待ちなさいな」
コツコツと急ぎ歩く足音も同時に響く。
城を開けた後に聞く、耳痛いお馴染みのもの。
すぐに分かる。これは、王妃のものだ。
「貴方、今お帰りになりましたの?」
「はい。只今戻りました。申し訳ありません。後程挨拶に伺うつもりでしたが―――」
いつも通りにしようとして、自らの恰好思い出して止める。
雨と風に吹かれた厳しい旅の埃、そのままの姿。
普通なら、とてもこのままで城中を歩けるようなものではない。
ましてや、ハグなど―――
王妃は、閉じた扇をバシバシとてのひらに当てながら此方を見ている。
怒ってる時の癖だ。こういうときは反論せずに聞いていた方が、事が早く済む。
「そんなことはよろしいですのよ。
貴方、こんなところでゆるりとしていてはいけませんわ。
早くユリアさんにお会いにならないと。
彼女がどんな気持ちで貴方のお帰りを待っていたと思いますの?
こんなときに旅に出かけるなんて貴方ったら、非常識にも程がありますわ
貴方がいない間、いろいろとありまして大変でしたのよ?
それなのに、彼女のけなげなこと。
貴方を怒らないでくださいと懇願してきましたわ。
全くいいお嬢さんで、貴方にはもったいないくらいです。
分かっておりますこと?」
王妃が一旦言葉を切り話し終えたのを感知し、すかさず言葉を挟む。
「大変とは、一体何があったのですか!?王妃、彼女は無事なのですか?」
此方の勢いに、王妃の瞳がパチパチと瞬く。
「えぇ、無事ですわ……見た目はお元気ですけれど―――」
「見た目は?―――王妃、お小言は後程ゆっくりとお聞き致します。今は、失礼致します」
「えぇ、そうするのが宜しいわ」
手入れの行き届いた美しい指先に軽くキスを落とし、踵を返す。
―――俺としたことが。
やはり置いて行くべきではなかったんだ。
危険な旅だからと―――
思い当たることは様々にある。
例のお方の急襲か。それともヘカテの夜に何かあったのか。
例の事件の真相も気になる。
急ぎ城宮まで行き、挨拶をしてくる皆の声に応えるのももどかしく目的の部屋まで向かう。
ノックをするのも半端にしてドアを開ければ、瞳を見開き立ち上がり、急ぎ居住まいを正すのが見える。
口を開くのを制し、性急に尋ねた。
「そのままで良い。アリ、すべてを報告しろ」




