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“王子様の帰国が延びたそうで御座います。あちらで悪天候にみまわれておられるそうです。ですが、ご安心下さい。皆無事だと連絡が御座いました”
“そう、なの。どのくらい延びるのか分かりますか”
“分かりませんが。サナの様子から判断致しますと、それほど長くはないかと……。それから、王子様より貴女様へご伝言が御座います。『ご心配なさらないよう、いつも通りに過ごされるように』と―――”
そう伝えてきたアリの瞳は、言葉とは裏腹に心配げに揺れていた。
冷静なアリが動揺していたのだから、結構深刻な状態なのかもしれない。
―――危険な旅―――
バルが出掛けたあと、毎日のようにこの言葉を聞いた。
ジークからも侍女たちからも。
バルのあたたかい笑顔が思い浮かぶ。
本当に無事だといいけれど……。
リリィも口には出さないけれど、ザキのことを気にかけてるはずだもの。
明日もっと詳しい話を聞いておかなくちゃ。
それに、王妃さまにも伝えないと―――
テーブルには置かれたままの薄桃色の紙袋がある。
楽しみにしていたカフカのお菓子。
気持ちが落ち着かなくて、とても食べる気になれなかった。
どうせ食べるのなら、落ち着いてじっくり味わいたい。
「ユリアさんっ、こっち見てっ。ほら、可愛いでしょう?」
不意に明るい声に呼ばれて振り向いたら、すぐ隣にリリィの満面の笑顔があった。
この子はどんな時でもいつでも元気がある、この強さを分けてもらわなくちゃ。
「なぁに?リリィ」
ほら、と自慢げに胸をはってる細い腕の中には、白フクロウさんが大人しくすっぽりと収まっていた。
嫌がる風もなく、とても大人しい姿。
しかも、首の辺りにはリリィが結んだと思われる赤いリボンが―――――
くるんと動くガラス玉の瞳に、白いほわほわの羽毛で腕の中に収まる丸っこい姿。
おまけにリボンだなんて、可愛くない筈がない。
―――リリィったら。部屋に入ってくるなり白フクロウさんと向き合ったまま大人しくしてて珍しいわと思っていたら、こんなことしてたのね―――
自然と声がワントーン上がる。
「リリィ、すごいわ。随分大人しいのね。この子、けっこうな悪戯っ子なのよ?」
「あ…ぅ、うん、そうみたいだね。でも、今は気分が安定してるよ。あぁ、えっと。そう、何となく分かるの。最近気づいたんだけどね、私にはこういう才能があるみたいなんだ―――……あ、ユリアさんも抱っこしてみる?」
前から思っていたことだけれど、リリィは白フクロウさんに関わるときは少しだけ挙動不審になる。
聞いてないことも説明するように話すから、何かありそうだとは思うけれど、追求はしないつもりだ。
きっと、話したくなくて内緒にしてるのだろうと思うから。
「でも―――私にも出来るかしら?」
今は大人しいけれど、昨日テーブルの上にいた時拒否されたことを思い出して不安になる。
もう少しで頬を叩かれるところだったのだから。
見れば時々瞳を閉じて眠そうにしてるけれど、私の元にくれば翼を広げてばたばたと暴れるかもしれない。
「うん、今なら大丈夫だよ。腕を出してみて」
「―――こう?」
恐る恐る腕を差し出すと、リリィの小さな手に運ばれた白フクロウさんが、ふんわりと大人しく入ってきた。
思い切って少しきつめに抱っこしてみる。
肌触りはすべすべするけれど思っていたよりも堅い羽毛にちょっぴり驚いた。
何度も想像していたけれど、実際は違うものなのね……。
温かみがじんわりと伝わってきて心がほんわりとあたたまる。
「ね、大人しいでしょう?」
「そうね、前からこうしてみたかったの。ありがとうリリィ」
ふわふわもふもふのしっぽを触ることは断念せざるを得なかったけれど、思わぬ珍客で癒しを味わえることが出来た。
しかも、アリはこの子のことを私のペットだと言う。
それが未だに謎なのだけれど。
「ね、ユリアさん。アリ・スゥラルさんって、背が高くて、髪がサラサラで、上品な感じのヒトだよね?」
隣から興奮気味の声で尋ねられて視線を上げると、頬を紅潮させたリリィが瞳に映った。
「そうよ。もしかして、会うことが出来たの?」
「うん。今日すれ違ったの。みんなの噂どおりだったよ。すごぉくカッコ良かったぁ。歩き方も雰囲気も、品があって…みんなが騒ぐ理由がよく分かったよ。何度も振り返って見ちゃったもん」
「…リリィもそう思ったの?確かに、優雅だけれど」
すべすべした肌触りのいい羽を指先でいじりながら、アリの姿を思い浮かべる。
あの身のこなしは、この国の貴族の出なのかしら。
「だってあんな素敵なヒトに会うの、二度目なんだもん」
「二度目、ということは……。一度目はだぁれ?教えて、どんなお方なの?」
アリに似た雰囲気のお方と言えばケルヴェスが思い浮かぶけれど、リリィは会ったことあるのかしら。
「それはねぇ、言えないんだぁ。ひとつだけ教えられるのはね、初恋のヒトだよってことだけ。あとは、いくらユリアさんでも、これだけは内緒っ!」
エヘヘと照れたように笑うリリィ。
初恋の人なら心の中に大切にしまっておきたいものよね、きっと。
「ね、それから。病気療養のマリーヌ講師の代わりにアリさんがここに講義に来てるって本当?ってみんなに聞かれたの……そうなの?」
「えぇ、そうよ」
随分情報が早い。今日のことなのに。
侍女たちの情報網の素晴らしさに唖然とする。
一体何処から広まるのかしら。
「じゃぁ、ランチの前に急いでここに来ればもしかしたら会えるんだぁ」
やったぁ、明日みんなに言わなくちゃ、と嬉しそうに弾んでる。
この分だと、明日のお昼ごろは廊下が騒がしくなりそうだ。
リリィたちが来るまで、彼を引き止めるように努力してみようかしら。
質問でもして……と、思案を巡らせていると腕の中で身動ぎが始まった。
むずむず動いて瞳がくりくりと動いている。
そろそろ限界なのかもしれない。
そう思い、テーブルの上にそっと離すと天蓋の方へ飛んでいった。
定位置に戻って安心したのか、早速胴体の中に首を引っ込めて眠り始めている。
そのうち腕の中で眠ってくれるようになるかしら。
「ねぇ、リリィ。見かけに騙されてはダメなのよ?彼は……とってもイジワルなお方かもしれないわよ?」
「知ってる。すごぉく冷たいんでしょ?そこが素敵なのって言ってる子が多いよ」
…そう、よね、そうだった。
“アリ様の素敵さについて”の講義をしてくれた侍女。
あの子も“振り向いてもらうために頑張ってしまう”みたいなこと言ってたっけ……。
アリには性格に問題があって人気があるなんてどうにも不思議に思えるけれども、その部分を除けば私にも彼女たちの気持ちを理解できる部分もある。
住む世界が違うのに、私を買ったあの方。
名を呼ばれて向けられる妖艶な微笑み。
包み込んでくれる優しい腕の中。
あの方の背中はどこまでも追いかけていきたくなる。
追いかければ追いかけるほど遠くに感じる。
傍にいる時も、私を通り越しているように遠くを見つめていたあの優しい瞳。
それを自分だけに向けて欲しくて堪らなかった。
とても不安だった。
必要とされなくなれば捨てられると、いつも覚悟していて。
ヘカテの夜。
あの日抱かれながら嬉しい言葉をたくさん貰ったけれど、私に言ってくれてるのか、私を通して見ている誰かに言ってるのか、それが分からなくて未だに不安になる。
私は誰かの代わりなのかもしれないって。
ラヴル、私は、貴方の言葉を信じてもいいの?
貴方は、まだ私を必要としてくれてる?




