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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
記憶の扉
73/118

6

「貴女様にと、王妃様よりお預かり物が御座います」


紙袋を二つ抱えて入ってきたアリは、開口一番にそう言うと、そのうちのひとつ、薄桃色の方をソファテーブルの上にガサッと置いた。


「手紙も御座います。どうぞ」


「王妃さまからですか?…ありがとうございます」



微妙に警戒しながらも、差し出された薄桃色の封筒を受け取る。


四隅に赤い花の絵が描かれてて、王妃らしいとても綺麗なもの。


真ん中には「ユリアさんへ」と、女性らしい細くて丁寧な文字が書かれていた。


「私の存じ上げます限り、それは王妃様の筆跡です。今から拝読されますか。講義は少々遅れても構いません」


あの出来事でマリーヌ講師が自宅謹慎になってしまい、今日からアリが講師として来るようになった。


議論の結果、警護も兼ねて、ということらしい。


こうなることは何となく予想はしていたけれど、やっぱりどうしてもこの方は苦手で困る。


話しかけられるたびに身構えてしまうのだ。



「少しだけ、待っててください」


封書の裏を見ると、王妃さまの紋章なのかアイリスの押印が施されていた。


重厚にピッチリと封がされていて、手ではとても切れそうにない。


ペーパーナイフを探そうと、立ち上がろうとしたら上から声が降ってきてドキッとする。


「ナイフをお探しならばここには御座いません。私が致します。お貸しください」


アリの手を見ると、器用にも人差し指だけ爪を長くしている。


お願いしますと渡すと、指先だけを動かしてピッと切り裂いた。


「ありがとう」


「いえ」


中を見れば、淡い緑色の便せんが入っている。


3枚ほどにわたってびっしりと書かれていた内容は、自らの近況と雑談的なことを中心に長々と書かれていたけれど、要約すれば“お見舞いとお詫び”だった。



『…――――で御座いますの。可笑しいでしょう?


ユリアさん、私これでも、いろいろと申し訳なく思っておりますの。


でも今はこんな状況で、公務が重なっておりまして。


どうしてもそちらに伺うことが出来ませんわ。


許して下さいましね。


その代わりと言っては何ですけれど、例のコックに再びお菓子を作らせました。


今度は別のものですの。


今回もきっと、お気に召していただけると思いますわ―――』



テーブルに置かれた薄桃色の紙袋を見る。


以前、お部屋まで持参して頂いたものと同じ。


カフカのお菓子が、あの中に入ってるのだ。


お茶の時間に頂こうと決めて、再び手紙に目を落とす。


最後の方まで読み進むと、ある文が目に入って途端に心が騒ぎだした。



『――――…。そうですわ。朗報が一つだけ御座いますの。


あの子がもうすぐ帰城すると、サナから連絡がありましたの。


とても喜ばしいことでしょう?


貴女も、長い日数お待ちになっていましたものね――――…』



手紙を丁寧に折りたたんで封筒の中に入れた。


――――バルが、もうすぐ帰ってくる――――





***






ユリアが王妃から貰った手紙を引き出しに仕舞いつつ、ザワツキ始めた胸をそっとてのひらで抑えた頃、当のバルは洞窟の中で火にあたっていた。



「バル様、此方をどうぞ」


「……ブラッドは何処でも生きていけるな?」



冗談混じりに労うと、ブラッドは「恐縮です」と言って一歩下がった。


外は目も開けておられん程の雨が降っている。


皆が制する声も無視し外に飛び出して行ったのは、この為だったのか。



差し出された籠の中には色とりどりの木の実がたんまりと入っている。


その中から赤い柔らかな実と緑色の堅い実を受け取る。


あのような悪天候の状況で、よく採れたものだと感心すると同時に心配する。


髪からも服からも雫がぽたぽた垂れて、乾いた土に次々に模様を描いていた。



「“隼のブラッド”と言えど、流石に雨は避けられんか。体に毒だ。早く拭いて火に当たれ。ザキ―――」


「はい、バル様―――ブラッドさん、それ俺が配るんで。いいっすよ」


「ああ、すまんな。頼む」


ザキがブラッドから籠を受け取り、騎士団員とサナの元へ行く。


騎士団員は素直に受け取ってるが、我儘なサナは「これじゃないのがいい」と渡す傍から次々に交換を迫りザキを困らせていた。


「んじゃ、自分で選んで下さいよ」


どさっと籠を置く音と不機嫌そうな声が聞こえてくる。



「サナさん、どれも美味いですよ。この俺が採って来たんですから」


濡れた服を脱ぎ絞りながら、籠の中を真剣に物色し始めたサナに言葉を向けるブラッド。


ザキは腰に片手を当てて、だるそうにサナが選び終えるのを待っている。



「ブラッド殿、有り難く戴きます!」


騎士団員が木の実を掲げて明るくそう言うと、すぐにシャリシャリと音を立て始めた。


「おぉっと。すげぇ美味そうっすね。じゃ俺も――――戴きます」


と、ザキもそれに倣い黄色い木の実をかじり出した。


「バル様も、早くお食べ下さい」


「あぁ、有り難くいただくよ」


そう返事をし、自分の手の中にある、赤い木の実をじっくり眺める。


ラッツィオのマルベリーに似てるが、匂いは酸味があるように感じる。


ブラッドに向けて目礼をし、一口かじった。


少しの酸味と甘い果汁が口の中に広がってゆき、疲れた体が癒されていく。



―――彼女も、これを食べていたのだろうか―――


そう考えると自然に口元が緩む。


どんな幼少時代を過ごしたのだろう。


どんなふうに育ち、どのような時を過ごしたのだろう。


知りたいと思う、もっと。


もっと深く―――



ふところに入れてある物を取り出し、眺める。


事前に集まった情報から考え、辿り着いた一つの可能性。


証拠を追い求めてはるばるこの地までやって来た。


これを見る限りでは、彼女の祖国はここに違いない。


これが記憶が戻るきっかけになればいいが―――



『旅の目的を果たしました。帰国の途につきます』


そう連絡を入れたのは昨夜のことだ。


早く帰城したいのは山々だが、暫くはここで足止めをくうだろう。


外を眺めれば、天候はさっきよりも更に悪化していた。


風はごうごうと音を立てて吹き荒れ、木々の枝は今にも折れそうな程にしなり、雨は岩肌を容赦なく叩き派手な水しぶきを上げている。


洞窟の入口前にあった窪みが、あっという間に池になっていた。


まるで空の精がバケツを持って盛大に水撒きをしてるかのよう。



「すげぇな……俺、こんなの初めてっすよ」


隣でザキが感心とも感激ともとれる声色で呟く。


「そうだな。これが噂に聞く“嵐”ってやつだ」


木の実を咀嚼しながらブラッドが呟く。


この旅が危険と言われるいくつかの理由の一つに、これがある。



―――自然の脅威―――


文献で知識は得ていたがこれほどのものとは。


ラッツィオでは雨は滅多に降らない。


恵みの雨がたまに降るくらいで、こんな荒れた天候を体験するのは俺でも初めてのこと。


経験のないことに対する油断というものは、怖ろしいものだ。


ブラッドが気付かなければ大変なことになっていたな……。



―――今日は川を下る予定だった……。


「バル様、風が臭います」


先頭を行くブラッドが鼻をひくひくさせて振り返った。


空は薄雲が広がってはいるが雨を落とすようなものではない。


だが、吹きわたる風には確かに水の臭いが混じっている。


経験から少量の雨が降る程度と感じたが、ブラッドは危険だから雨をしのげるところを探した方がいいと言い張った。


言われてみれば、確かに風は妙な吹き方をしている。


強くなったり弱くなったり、廻るように吹いたり……。


「……うむ、確かにおかしいな」



この旅は、言わば俺の個人的な我儘なものだ。


なのに文句ひとつ言わずに付き従ってくれた皆を無暗に危険にさらすことは出来ん。


いまひとつ危険という言葉にはピンとこなかったが、ブラッドの意見を尊重し逸る気持ちを抑え込んで休憩を取り様子を見ることにした。


暫く様子を見ればブラッドも納得するだろうと考えたのだ。


「そうだな、避難した方が良さそうだ。サナ、近くに洞窟は無いか?」



―――それが、こんな悪天になろうとは。予想もついてなかったな。



「バル様。この分だと当分ここで足止めっすか?」



“大事な話がある”


潤んだ瞳…不安そうな顔。


置いてくるんじゃなかったと、何度後悔したか。


早く会いたい。


気持は、逸る―――



「―――行程を練り直す。サナ、それを食べ終わったら現状と帰国が遅れる旨を伝えろ。ブラッド、川がおさまるのはどれほどと見る?」


「そうですな。2日はかかるかと思われます」


「そうか。では―――…」





***





そんな大荒れの天候に変わり。


穏やかな日差しが射す城宮のユリアの部屋。


傍から見れば、実に平和な光景に見えるアリ臨時講師とユリアの会話。


けれど、ユリアの心は、複雑だ。



「マリーヌ講師より引き継いだ講義計画に基づき実力試験を作成して参りました」


そう言ってピシッとテーブルの上に置かれた紙。


マリーヌ講師のものに負けず劣らずの問題数。


几帳面にも丁寧な細かい文字がびっしりと並んでいる。


男性なのにこんなに細かいなんて……もっと大まかに書けばいいのに。


「やっぱり試験はするんですね」


ため息交じりにそう言えば、フッと鼻で笑ったような音がした後冷淡な声が降ってきた。


「全く貴女様は……。仕方ありませんね。こう申し上げればやる気を出されますか。この出来如何で城下見物に連れて行って差し上げます」


「……城下に行けるのですか?ほんとうに?」



アリの口から出たとは思えない言葉、理解するまでに一拍の時がかかった。


全くの上から目線の物言いだけれど、嬉しくなって笑顔で見上げる。


と。


アリは何に驚いたのか、びくっと体を震わせて一歩後ろに下がった。


「……彼女がそう申し上げていたのなら、そうすべきだと考えます。危険ではありますが、そこは警護を強めて対応致します」


それだけを言い残し、踵を返して壁際の椅子にすとんと座った。


脚を組んで腕を組み瞳を閉じて俯いている。


前も不思議に思ったけれど、あれで警護になってるのよね。



今度は瞳を上げて白フクロウさんの様子を見る。


前回はいたずらしてきたけれど、今回は…大人しく天蓋の上にいる。


動く様子もなくていたずらする気はない様子。


ガラス玉の瞳は、アリをずっと見てるようだけど―――



「ぼんやりせずに早く始めた方が良いと存じます。開始時間は遅れてますが終了時間は伸ばしません。合格は9割と定めてあります。心して下さい」


「9割…」


ざっと見たところ100問以上はありそう。


「本来ならば10割なのです。妃となるならば才色兼備でなければなりません」



―――それならそうと、最初に言ってくれればいいのに―――


“講義は遅れても構いません”なんて言うんだもの。


じっくりゆっくり王妃さまのお手紙を拝読してしまったわ。


おまけに、ざわついた心をおさめるのに少し時間を取られてしまった。


これだと、構わないのは貴方だけで私の方は十分に構っていたわ。



恨めしく思ってじろっと睨んでもアリの態度には変わりなく、くいっと顔を上げて涼しげな瞳で「さあ、お早く」と急かしてきた。


……今更時間を延ばして欲しいと交渉しても無駄に時間が過ぎるだけよね、きっと。


「分かったわ。9割ね」


仕方なくうんざりしながらもそう言えば、冷淡な声が返ってきた。


「ご存知のことと思いますが、一応申し上げておきます。9割というのは、あくまでも目安です。目指すのは、10割です」


ばしっと目が合ったものだから、ぷんとそっぽ向きながら言った。


「分かってます!」



―――ほんとに嫌みなお方なんだから。


特技に“人を怒らせること”という一文を加えたほうがいいと、お勧めするわ。


機会があれば絶対にそうアドバイスしようと心に決めた。


そんな日が来るとは思えないけれど。



いつまでも怒っていてもしょうがないので問題を解き始める。


時たま、うーん…と唸りながら答えを探して記憶の中をさ迷う。


アリの問題はマリーヌ講師のものより難しい気がする。


頭の切れる人は、そうでない人の気持ちなんて分からないんだわ、きっと。


これだって、簡単に出来るものだと思っていそうだ。



それでもなんとかカリカリと書き進める手を止めずに半分くらい答えの欄を埋めた頃、静かな部屋の中にコンコン…とノックの音が響いた。


ドアが少しだけ開いて「アリ殿、少々宜しいですか」と、聞き覚えのある高めの声が聞こえてきた。


姿は見えないけれどあの声は確か、騎士団長のルガルドのものだ。


……何かあったのかしら。



「ルガルド殿。どうぞ、お入り下さい」


「いいえ、私はここで。すぐに済みますので―――」


「あぁ、そういえばそうでした――――少々出て来ます。すぐそこの廊下に居りますので何かあれば声をあげて下さい。ドアは開けておきます。……ルガルド殿、何が―――…」



出ていく背中を見つめる。



―――きっと、私に聞かれたくないことを話してるんだわ。


もしかしたら、マリーヌ講師のことかもしれない。


つんとしてて苦手なお方だったけれど、彼女もある意味被害者なんだもの。


実害はなかったのだから、寛大な処置をとお願いしてはあるけれど―――



何を話してるのかとても気になるけれど、大きな背中の向こうからぼそぼそと微かに届いてくるその声を、なんとか聞き流しながら問題に必死に取り組み続ける。


何しろこの問題数で9割取らないといけないんだもの。


少しでも多く正解しておかないと


“貴女様には失望致しました”とか何とか言って、アリのスパルタ講義が始まりそうで、想像するだけでもうんざりしてくる。


それに何より、城下見物がかかっているんだから。



「……了解しました。ではそのようにお願い致します」


ぱたん…と、静かにドアが閉められた後、スタスタと此方に近づいてくる気配がしたので顔を上げると、無表情ながらにも瞳が曇ってるように見えた。


…何だか嫌な予感がする。良くないお知らせなのかも…。



「どうかしたのですか?」


「貴女様には残念なお知らせです。それは、我々にとってもなのですが―――…」


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