表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
記憶の扉
72/118

5

――――バァン!!―――


「大丈夫なのかっ!!」


「ぴっっ!」


静かな中に、急に響いた大きな音と野太い声。


心臓が飛び出るくらいに跳ね上がり、声にならない息が漏れて体がびくんと飛び上がった。


脚までガクガク震え出して、さっきの出来事よりもよほど驚いたし、怖い。


白フクロウさんも同様みたいで、羽が逆立っていて、いつもよりもさらにほわほわまんまるに見える。


ガラス玉の瞳を大きく見開いて、鳴き声を上げながら忙しなく翼を動かしていた。


―――ジークったら、ノックもしないなんて―――


ドキドキする胸を押さえながら振り返ったら、そのジークが、重い鞄を抱えて、真っ直ぐに猛然と歩いてくるのが見えた。


その後ろから、あまり会いたくないお方と、見知らぬお方が、ジークとは反対に落ち着いた様子で静かに入ってくる。



見知らぬお方は、前者に比べるとかなり厳つい体つき。


ボブさんに向かって「ご苦労!」と、ビシッと背筋を伸ばして、手を頭の上にかざして挨拶してる。


会いたくないお方のほう…アリは、優雅に「失礼致します」と挨拶した後部屋の中をくるりと見廻した。


久しぶりに会うけれど、相変わらずの無表情。


床に散乱する紙を見て「うむ、これですか」と呟いて、片膝を立てて沈み込んだ。


大小様々に千切られた紙。そのうちの大きめの切れ端を、長い指先でツンツンとつつく。


そのあと、膝の上に腕を預けて思案を巡らせ始めた。



見知らぬお方も、きびきびとした動きで「失礼致します!」と、これまたビシッとした口調で挨拶をした後、アリの隣に沈み込んだ。


「アリ殿、どのような感じですか」


「あぁ……」


二人の声がどんどん小さくなっていく。


互いだけに聞こえる音量で話しているようで、口が動くのは見えるけれど、ちっとも声が届いてこない。


…私には聞かせたくないのかも。



ジークは、少し落ち着きを取り戻したようで、鞄をゴトンと置いて、窓際にいる私の傍まで静かに歩いて来た。


「平気か?歩けるか?見せてみろ」


触診を始めるジークの頬が青ざめて見える。


「大丈夫よ、何ともないわ。ジークこそ、具合が悪そうに見えるけど、大丈夫なの?」


「俺は平気だ。変な心配するな、自分のことだけ考えろ。お前は座っていた方がいい。動悸も酷いし顔色も悪い」


その原因は例の出来事ではなくて、血相変えて飛び込んで来た貴方なんだけど、というのは黙っておくことにした。


こんな、身内でもない人間の私を心底心配してくれてるんだもの。


感謝こそすれ、責めることなんてとても出来ない。



促されるままにソファに座ると、マリーヌ講師が部屋に辿り着いて「遅くなりました」と膝を折った。


息つく間もなくアリたちのところに近寄って、聞かれるまま身ぶり手振りを交えて説明を始めている。



―――誰も、私には何も聞かないのね?


あの現象はマリーヌ講師よりも、ずっと間近ではっきりと見たんだけど。


気を使ってるのかしら―――



そう考えて、直ぐ様思いなおした。


あのアリがそんな気を使う筈がない。


きっと、何も見てないと思ってるんだわ。


だから、補足することがあれば…と声をかけようと思ったけれど、あまりにも真剣な様子なので割って入ることが出来なくてやめた。


特に、見知らぬお方の眼力が凄まじくて、とても近寄りがたい。


初対面でオソロシイと感じたボブさんとは、全く比べ物にならない程の恐ろしさ。


全身から吹き出るような気配がまるで刃のようで、目が合っただけでスパッと切られてしまいそうに感じる。


あの方が警護に来てなくて良かった。


アリで良かったと、初めて思った瞬間だ。



それにしても、あの雰囲気は……。


「ね…ジーク、教えて―――あのお方は?」


「あぁ、彼か。お前は初対面だったな。ルガルド殿だ。知ってるとは思うが、この国にはバル様直属の近衛騎士団というのがある。そこで、長の任に就いておられる。ちょっと黙ってろ」


そう言って、ジークは手首に太目の指を乗せて脈を取り始めた。


男らしい眉の間に深い溝が刻まれる。


「うむ、まだ脈は早いが、まぁ良いだろう。気分は悪くないか?」


「はい」


「そうか、具合が悪くなったら、すぐに言え」



ジークはアリたちの方を振り返り見た。


成り行きを見守る視線の先には、天蓋を指差すマリーヌ講師と頷きながら真剣にやり取りをする二人。


向こうを見つめるジークから呟きが聞こえる。


「こりゃぁ、彼女も診察対象だな」



マリーヌ講師の顔は青ざめていて、憔悴してるように見える。


きっと、混乱してる頭の中を無理矢理宥めてるに違いない。




鋭い刃のような気を纏うお方。


―――騎士団長、ルガルド―――


アリより少し背が低くて、短くすっきりと整えられた黒髪。


鍛え上げられた逞しい体躯に乗せられた小さめの頭。


常に眉根を寄せた厳つい顔立ちは、話しかけただけで叱られそうな雰囲気を持っている。



そういえば。記憶の中で引っかかる。


ルガルドって、どこかで聞いたような気がする。


それに、この少し高めの声も。


確か―――――



“ルガルド”


怒りを含んだバルの声……黒づくめの服……血濡れた爪…引きずられてく男。


そう。


あの日に聞いた名前だ。


日々のことに取りまぎれ一度は薄れかけた、恐怖。


まるで、昨日起きたことのように鮮明に蘇ってくる。



鼻につく血の匂い。


歪んだ唇。


思い出したくないのに、嗅いだ匂いが、映像が、次々に浮かび上がる。


小刻みに手が震える。


額に汗が滲み出る。


呼吸が浅くなる。


徐々に、皆の声が遠くなる―――



―――怖い―――


あの事だけは、恐怖心も追い出せずに身の内に留まりつづける。


手を見やると、目に見えて指が震えているのが分かった。


ジークにバレないように、そっときつく握り締める。


心配掛けたくない……。



―――大丈夫、私は平気―――


目を閉じて深呼吸をして、心の中で何度も何度も繰り返した。



―――こんなんじゃ、いざという時皆を守れない。


前に出ていけない。もっと強くなるのよ、もっと―――



懸命に暗示をかけると、次第に落ち着きを取り戻して周りの音も戻ってきた。


マリーヌ講師の声が聞こえてくる……ゆっくりと、目を開けた。


まだ、少し怖いけれど、もう、平気だ。


握り締めてた手を見れば、血の気がなくなっていて、白を通り越して青く見えた。




「確かに貴女が書いたのですね?」


「はい。昨夜、夕食後に」


「妙な現象を起こし、消えた……ならば、使用したインク、もしくはペンが怪しいと思われます。心当たりは御座いませんか?」


ルガルドがマリーヌ講師に尋問するそばで、アリは椅子を天蓋の下に移動させていた。


「例えば、ペンを新しく購入されたとか?」


ルガルドの言葉遣いは丁寧だけれど、やっぱりどうにも怖ろしい。


青ざめながらも震えることなく対応してるマリーヌ講師を尊敬してしまう。



「わかりませんわ。いつも通りの物を使用致しましたので。インクも、ペンも―――えぇ、何も心当たりは御座いません」


「そうですか、成程―――……」


急にハッとしたように顔を上げて、ルガルドを見るマリーヌ講師。


ルガルドはそんな様子を目を逸らさずにじっと見ている。


普通に立ってるだけで威嚇出来そうな風貌。


何もかもを見通そうとする鋭い刃の瞳。


マリーヌ講師の眼鏡の奥が恐怖と焦りの色を浮かべ始める。


「ル、ルガルド様。信じて下さいませ。あのっ、私は変な術などは、決して……。それに、依頼したとかその様なことも、何もっ。私は、何も存じません」


「……落ち着いて下さい。それは我々も承知致しております」


一拍置いて、狼狽えながらも必死に無実を訴え始めるマリーヌ講師をじっと見据えながら、言葉をかけるルガルド。


心の中はどうだか見当もつかないけれど、傍目からはどう贔屓目に考えてもそう思ってなさそうに見えた。


その向こうではアリが椅子に上り、天蓋の上に残ってる紙の切れ端を回収していた。


下りることなく、暫くその場で考え込んでいる。


やがて床の紙も拾いあげながら二人の傍に戻ってきたアリは、冷淡な瞳でマリーヌ講師を見た。


「偶然とはいえ、結果的には“彼女のペットに救われた”ということです。これに何の術が施されていたのかは分かりませんが、未遂に終えることが出来ました。鳥に礼を申し上げるべきです。ルガルド殿、サナにこれを―――」


「―――承知した」


武骨ながらもしなやかな手から、剣ダコのある厳つい手に紙袋が渡る。


中身は、散らばっていた紙。


……サナって、誰かしら。



「使用されたインクとペンを回収致します。貴女自身にもよく確認して頂きます。寮は簡易警備のため侵入するのも簡単です。何者かがすり替えたのかもしれません。部屋までご案内願えますか」


「……はい。承知致しました」



ルガルドが先にドアを開け、大きな背中に向かって「ご苦労」と、ビシッと姿勢を正し頭の上に手をかざすと、すぐさま脇に避けたボブさんも直立不動の姿勢を取った。


先に出たルガルドの後を追って、マリーヌ講師が俯きがちにトボトボと出ていく。


そのしょんぼりした背中を見送った後、アリが近くに寄ってきた。


「恐らく、彼女は何も知らないでしょう。一応調べさせますが紙の切れ端からも何も出ません。あるとすれば、ただ一つ、インクです。ペンの可能性もなきにしもあらずですが……これにより、貴女様の警護を強めさせて頂きます。文句は、仰らぬように願います。ジーク殿、後でお寄り下さい」



文句を言ったとしても、貴方は聞く耳を持ってないのに。


そう思ったのを胸に閉じ込めて、むっすりとしつつ返事を返した。


「わかりました。貴方のお考え通りにして下さい」


「承知致しました」



改めてアリの容姿をじっくりと見る。


サラサラとした髪質。


涼しげな目元にすぅと通った鼻梁。


無造作に散らされた長めの前髪が、冷淡な瞳に影を落として妙に色っぽい。


それをさらりと揺らしながら優雅に退室の挨拶をする。


何も知らなければ、この方に胸がトキメクのかもしれない。


そんな風に思わせる物腰と有能さと、容姿。


侍女たちが憧れるのも分かる気がする。今さらだけれど。


そういえばリリィも言ってたっけ―――…




…―――あれは、ヘカテの夜の次の日―――


「―――でね、変な男の子に掴まりそうになったから逃げたの。みんなに挨拶せずに帰ったから、今日スゴく叱られちゃった。アレさえなければ楽しくて良かったんだけどなぁ。ね、ユリアさんはどうだったの?何もなかった?」


「私はね、室長がお休みして、代わりにアリというお方がずーっと警護についていたの。それも朝まで」


うんざりとした気持ちを込めて言った私に、予想もつかない反応が返ってきたのだ。


「えぇっ!?うそぉ!アリって。あの、バルさんの側近のアリ・スゥラルさん!?朝まで!?」


それまで、天蓋の上にいる白フクロウさんと向かい合っていたリリィの、くるんと振り返った瞳は、まんまるになってキラキラと光っていた。


「ね、それほんとなの?」


「えぇ、本当よ」



…正確には、起きたら部屋の中にいたんだけど。


リリィには、ラヴルに会ったことは言わない方がいいわよね。


ますます混乱しそうだもの。



「知らない間に寝てしまってて、朝起きたらいたの。だから、多分、彼は一晩中いたと思うわ」


「え~っ。アリさんって、みんなにスゴい人気なんだよ!一日に3度は名前聞くもん。どんなヒト?やっぱり無口でカッコイイの?」


リリィは手を胸の前で組んで、にこにこと満面の笑みを浮かべて食い入るように此方を見ている。


…これは、詳しい話を期待してるのよね?


リリィは一度会ってるはずだけれど、あの時彼は俯いてたし、暗かったし、姿を注視してたのはほんの少しだけだったから、覚えてないのも無理はないかも。



―――無口……。


そうじゃなくて、無礼なんだけども。


それを言ってはいけないわよね。



―――カッコイイ……。


これも難しいわ。


何て言ったらいいのかしら。



「ん~、そうねぇ……賢いお方だと思うわ。背が高くて、仕草も優美で、端正な顔立ちをしてる。そういうのを“カッコイイ”って言うのかしら?」


「そぉだよ。ユリアさん。そういうのがカッコイイの―――いいなぁ、私も会ってみたい」


「確か、バルが戻るまで、帰宅せずにこの城宮に留まるって聞いたわ。そのうち廊下でばったり会うかもよ?物腰が柔らかい方だからすぐに分かると思うわ」


「そぉなんだぁ……」



名前を出しただけで、リリィの顔がぱぁと明るくなって瞳がキラキラと輝いた。


噂を聞いてるだけのお方にこんな風な反応を示すなんて、想像力の逞しさに感心するとともに、若いなぁって思ってしまう。


私も、この年ごろには、こんな風に過ごしていたのかしら。


垣間見た記憶の映像から考えると、そんな自由があったとは思えないけれど。



こんな風に、友人と自由に男の方の話をして屈託なく笑いあう。


女の子には、そんな普通なことが一番幸せなのよね。


良かった、リリィにはここの生活が合ってるみたい。



そのあとも興奮気味な質問攻めにあい、ポツリポツリと言えることだけ話すと、きゃぁきゃぁと悶えながら聞いていた。


「ありがとう、ユリアさん。明日、みんなに話そうっと」


無邪気にエヘヘと笑う。


彼が灯りを点けなかったお方と同一人物だということは、黙っておこう。


夢を壊してはいけないもの。


今日のリリィは部屋に来てからずっとずっと沈みがちだったのに、一気に楽しげになった。


その落差にザキの渋い顔が思い浮かぶ。


「このことは、ザキには内緒なのよね?」と言うと「もぉユリアさんったら。今それを言わないでっ」って、ぷぅと膨れた―――……。



―――素直で、とても可愛いわ―――


あの時のことを思い出すと、自然に笑みがもれる。



「…さて。何事か思いに耽ってるようだが、そろそろいいか?――――さぁこっちを向け。主治医の俺の目は、誤魔化せんぞ―――」


「――――はい?」


咳払いのようなものが聞こえた後、たしなめるような口調でジークに話しかけられ、ハッと顔を上げる。


優しい中にも厳しさを持ったダークブラウンの瞳が「話せ」と語りかけていた。


「―――さっきは、どうしたんだ?」


その一言で、すとん…と肩の力が抜けた。


バレてないと思ったけれど、見透かされていた。


ほんと、ジークには負けてしまう。



「伊達に、毎日お前を診察してる訳じゃぁないぞ?」


「はい。ごめんなさい。…実は、ルガルドの名前を聞いて――――……」







城宮の最上階。


他の部屋の調度品に比べて、明らかに違うその豪華さ。


窓にかかるカーテンまでも違い、一目で妃候補の部屋だと分かる。


その中で、窓際に置かれたソファに向かい合って座る、医者ジークと妃候補のユリア。


ユリアが話すのを、太目の指で顎を撫でつつ聞くジーク。


頷き、時々相槌をしてるのも見てとれる。


時々俯いて、首を傾げたりしながら話すユリア。


仲のいい親子のような姿。


その二人の姿を、向かい側の碧い屋根からじっと見つめる鋭い瞳があった。


いつからそこにいるのかは不明だが、一連の出来事を見ていた様子。


茶系の美しい羽を持った体がぴくっと動いて、翼を少しだけ広げた。


部屋の窓に、白いものがふわりと舞い降りるのが見えたからだ。


遠くても分かる。


ガラス玉の瞳と間違いなく見つめ合っている。


互いに睨み合い暫く動かなかったが、その鋭い瞳に、ユリアが窓に駆け寄るのが映るとバサッと翼を広げて飛び立った。



雄々しい翼を広げ優雅に滑空する姿。


挑発するように城の上空を旋回した後、ロゥヴェルの方向、遠く彼方へと消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ