表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
記憶の扉
71/118

4

それから数日が経ち、明るく柔らかな日差しが降り注ぐ穏やかな日のこと。


しんと静まったユリアの部屋で、羽ペンの音が時々響く。


テーブルの上には簡易試験と題された一枚の紙。


時々薄紅色の唇から呟きとも唸り声とも言えない声を漏らし、細く長い指が自らの黒髪をくるくると絡めては解き、もてあそぶ。


―――はあぁ……難しい……。


ため息をつき、知らず知らずに寄せていた眉を元に戻して、最後の一問を残したところで問題を解く手を休めた。


気分転換代わりに、椅子に座って本をパラパラ捲るマリーヌ講師の姿をそっと盗み見て、様子を窺う。


―――今日も、綺麗だわ。



ヘカテの夜から数えて今日は4日目。


いつもシンプルな紺色のワンピースをぴしっと着て、いかにも出来る女性風だったマリーヌ講師。


飾り気もなくメイクもほとんどされてなくて、女性らしさが感じられなかったけど。


それがここ最近は明るい色のものを着て、薄いながらもメイクをしてくるようになった。


昨日はアイスブルーで、今日はミントグリーンのワンピース。


シンプルさは変わらなくて、デザインはみんなほぼ同じなんだけれど、与えられる印象が全く違う。


華やかになったというか、陰から陽へと大変身した。



綺麗目の色に合わせたアクセサリーも日替わりで着けてきていて、何だか日に日に美しくなっていくみたい。


女性って、恋をすると変わるものなんだわ、と改めて思う。


ちょっと、相手が、問題だけれど……。



あの時のことを思い出す。


ケルヴェスに操られていた、あの日の出来事。


“忘れなさい”


その言葉通り、マリーヌ講師はあの時のことは全く覚えてないみたいだった。


多分、アリを倒したことも覚えていない。



「あのあと、お部屋に帰れましたか?」


試しにそう尋ねた私を「あのあと、とは?」と言って怪訝そうに見つめてきた。


貴女は術に縛られてたのよ、なんてとても言えなくて。


「あ、ごめんなさい、何でもないの」


間違えた、ヒト違いだわ。


そう言って、手をぶんぶん横に振りながら笑って誤魔化しておいた。


マリーヌ講師は暫くの間訝しげに首を傾げてたけれど。


どう考えても、あのケルヴェスがお相手なのよね。


また術に掛けられたりしないといいけれど。


被害を受ける確率が高いのは、他の誰でもない、この私だもの。


気をつけていないと―――



再び手元の紙に視線を戻す。


残りの答えを書いて見直したあとマリーヌ講師に「出来ました」と声をかけたら、眼鏡をくぃっと上げて目を細めた。


「まぁ早いですわね。では……と、まだ時間が御座いますわね。それならば、これを―――」


マリーヌ講師は、ガサゴソと紙袋の中を探して、一枚の紙を取り出した。


「これは昨夜作ったものです。今までの講義の内容総てから出してございます。ま、実力試験ですわね」


そう言って、コツコツとヒールの音を立てて歩み寄り、テーブルの上にパサ…と1枚の紙を置いた。


「申し上げておきますが。後日、庶民の暮らしの見学をするよう計画致しております。ただし、この成績が悪ければ取りやめに致しますので、心してお解き下さいませ」


「城下に行けるのですか?」


思わぬことに嬉しくなって、胸の前で手を合わせてマリーヌ講師を見上げる。


自分の目が潤んできらきらと輝くのが分かる。



―――外出だなんて。


例えそれが馬車の中から見るだけにとどまったとしても、外の雰囲気が味わえる。


こんな楽しみなことはないわ―――



「えぇ、精々励んで下さいませ」


恋をしていても、眼鏡を上げる仕草とツンとした物言いは相変わらず。


普通はもっと柔らかくなると思うんだけど。



テーブルに置かれた紙を見れば、問題が細かくびっしり書かれている。


こくんと息を飲む。


…これ全部、出来るのかしら…。


「これを、ですか」


「はい。それを、で御座います。さ、始めてくださいませ」


くるんと背を向けて、椅子に戻って再び本を開くマリーヌ講師。


ため息を吐きつつ問題用紙に向かい、一問目の問題を読み始める。


と。突然、ふわりと舞い降りた白い何かに視界を覆われた。


一瞬何が起こったのか理解できず瞳を瞬かせていると、鳴き声が耳に届いた。


「え、白フクロウさん?急にどうしたの?」


問題用紙の上に鎮座して、ガラス玉の瞳をくるんと回して首を少し傾げて見つめてくる。


ふるふると、何とも言えない衝動が沸き起こる。


可愛いっと叫んで、抱き締めて頬ずりしたくなる。


……けれど、今は。



チラッとマリーヌ講師を窺う。


本を読んでて、まだこの状態に気付いていない。


白フクロウさんが邪魔してるって分かったら“出て行って下さいまし!”なんて言って、きっと部屋から追い出されてしまう。


それに何より、この出来如何でこれから楽しみが出来てワクワクするか、ずーんとへこむか、どちらかになるのだ。


早く退いて貰わないと。


内緒の声で囁きかける。


「駄目よ、退いて?問題ができないわ」


…触れたら嘴で攻撃されちゃうかしら。


そんなことを思いながら、恐る恐る手を近付ける。


じーっとしてて動かないので、思い切ってその小さな頭に、指先をそっと乗せてみた。


避ける風もなく、目を瞑って大人しくしている。


ソロソロと撫でてあげると、ゆらゆらと揺れ始めた。


疲れた頭がじわぁと癒される。


―――何て、可愛いのかしら。とても気持ちよさそうにしてるし、これなら抱っこできるかも―――


そぉっと両手で包み込もうとしていたら、突然目を開けて、一声鳴いて大きく翼を広げた。


「きゃぁっ」


羽ばたきながらくるんと廻るものだから羽が当たりそうになって、てのひらで顔を庇いながら斜めに避ける。


その隙に、白フクロウさんはバタバタと飛び立っていった。


天蓋の上に戻っていく足には、四角い紙がヒラヒラしながらもくっついている。


よく見ると、器用にも爪の先に引っ掛けていた。


……あれは、問題用紙、よね……


呆然としていると、マリーヌ講師の毅然とした声が部屋に響いた。


「何をするのです!それを返しなさい!」


つかつかと天蓋の下まで行って、思い切り手を伸ばしている。


背の高いマリーヌ講師でも、天蓋の桟にはどうにも届かない高さ。


白フクロウさんは足の下に紙を敷いたまま、手を伸ばしてぴょんぴょん跳ねるマリーヌ講師の姿をじっと見下ろしている。



やがて、天蓋の上から、何かがびりびりと裂ける音がし始めた。


白フクロウさんが、嘴と足を駆使して、紙を引き裂いている。


マリーヌ講師の顔色が青くなったり赤くなったりするのを見つつ、一緒になって愕然とする。


「白フクロウさん、何てことをするの??」


「な…な、何を!」


せっかく作ったものを!


そう叫びながら、マリーヌ講師が天蓋の支柱を持って、上を睨みながら揺さぶり始めた。



ガタガタと揺れる天蓋。


ばさばさと翼を動かしながらバランスを取る白フクロウさん。


その最中にも嘴と爪を使って、紙をビリビリと引き裂いている。


揺れる天蓋から、紙の切れ端が何枚もひらひらと舞って床に落ちた。


散らばるそれを拾い上げようと手を伸ばしたその瞬間に、ある現象が目に入り、すぐさま手を引っ込めた。



書かれてる文字が、ずずず…と動いて一つに纏まっていく。


散らばった紙、それぞれで一つにまとまった黒い塊。


それがプルプルと震えている。


「これは…何が、起こってる…の……?」



――――ポン!ポッ…ポ・ポン……


あちこちから響く小さな破裂音とともに、それらが全て霧となって掻き消えてしまった。


天蓋の上でも同じことが起こっていて、黒い煙のようなものが立ち昇ってるのが見える。


マリーヌ講師も下からその様子が見えたのか、固まったまま動かない。


白フクロウさんはといえば、その黒い霧を避けるようにして、天井近くを飛び回っていた。


「…今のは…一体、何ですの?」


天蓋の支柱を持ったまま、ずれた眼鏡を直しもせず、マリーヌ講師は呆然と呟いた。



―――嫌なことを思い出した。


ルミナの屋敷で差し入れられた手紙に入っていた、あの黒い影の塊。


あれは、床に吸い込まれるようにして消えていったっけ。


あの後に体験したおかしな現象。上も下も分からない暗闇の中を彷徨って……。


今思い出しても、背筋に冷たいものが走る。


もしかしたら、これも―――?


白フクロウさんは、それを知ってて破いたのかしら。


そう考えて、そのありえなさに苦笑した。


まさか、ね……。



「と…とにかく……で、存じますが」


マリーヌ講師は天蓋から手を離して、よろめきながらも眼鏡の弦を摘まんでいるところだった。


少し混乱してるみたいで、言葉遣いが少しおかしい。


「マリーヌ講師、大丈夫ですか?」


傍に駆け寄って背中を摩りながら、俯きがちな顔を覗き込む。


すると「け…けっこうですから…大丈夫です」と、てのひらを見せて制されたので体から離れた。


マリーヌ講師は、ふぅー…と、息を大きく吐いて、ワンピースをパタパタと叩いてあちこちの乱れを直したあと、髪の乱れも整えた。


少し、落ち着いてきたよう。


「もう、大丈夫です。ユリア様、随分落ち着かれてるのですね……私はもう、何が何だか―――」


「えぇ。こういうことに慣れてしまってるみたいです」


そう言って笑ったら、何か言いたげに口をパクパクさせて眼鏡の奥を瞬いた。



確かに、あの現象は訳が分からなくて怖いけれど。


おかしなことに遭遇することに関して言えば、マリーヌ講師よりは経験豊富だと自負できる。


おかげで、ちょっぴりだけど度胸がついて、少しのことでは慌てふためくことがなくなった。


恐怖心の対処法もなんとなく身についた気がする。


そんなこと、全く自慢にならないけれど。



「と、とりあえず、どなたかお呼び致しましょう。私には対処できかねます。ユリア様は、ソファにお座りになってお待ち下さいませ」


マリーヌ講師はそう言い残して、ドアを開いて大きな背中をバシバシと叩いた。


すると、扇子のような手に握った時計を見たボブさんは、まだ時間じゃない、とばかりに首を横に振り、軽く鼻を鳴らして無視をした。


「緊急事態なのです。お退きなさい」


マリーヌ講師が気色ばんでそう言えば「トイレなら中にある」とボソリと返ってきたものだから、顔を真っ赤にしながら「違うのです!」と叫んでぽかぽかと大きな背中を叩きはじめた。


握りこぶしで叩かれ早口で捲し立てられ、いい加減煩いと思ったのか、ボブさんはやっとこ少し動いてくれた。



初めて見る場面。


時々口を尖らせてるリリィの、“入れてもらうのに苦労しちゃった”は、嘘ではないんだと改めて思った。


「では、行ってきますわ。お待ち下さいませ」


振り返って膝を折るマリーヌ講師。


疲れ切った様子でよろめきながらも歩いていく。


あの分だと、いつものピシッとした姿に戻るのは、相当な時間がかかりそうだ。


部屋を見回して白フクロウさんを探せば、天蓋の上を避けてクローゼットの上にとまっていた。


悪戯で破いていたら急に爆ぜて黒い煙が出たんだもの、怯えるのもしょうがないわよね。


「白フクロウさん、気分転換に外に出てみる?」


一応話しかけながら鍵を回して窓を開けた。


爽やかな空気が入り込んで、思わず胸一杯に吸い込む。


気付かなかったけれど、黒い煙のせいで空気が汚れていたよう。


淀んだ気配が清浄なものと入れ替わっていく。


「白フクロウさん?」


もう一度呼んだら、ぴくんと頭を動かしてこちらを見たので手招きしてみる。


けれど、動く気配がなくて、逆に目を瞑ってゆらゆらと舟を漕ぎ始めてしまった。


外に出る気は、無いみたい


あんなことを体験しても平気そう。


結構、ずぶといのかもしれない。


音を立てないように、そぉっと窓を閉めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ