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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
記憶の扉
70/118

3

「――――ジーク殿、誓って申し上げる。私は、そんな行為はしていません」


食堂の中。


鼻息も荒く憤怒の表情で見下ろすジークに対し、冷静に対応するアリ。


今は食事の途中で、首元にナプキンを下げてナイフとフォークを手にしたまま、落ちついた表情で仁王立ちするジークを見上げている。


「しかしながら、アリ殿。手を出せたのは、どう考えても貴方しかおりませんぞ」


「それが違うのです。全く…ジーク殿、貴方ほどのお方がその様に取り乱されるとは。仕方がないですね。ここでは何ですので、移動致しましょう」


そう言ってアリは食堂の中を見廻し、一人一人の顔を瞬時に覚えた。



城宮の食堂で繰り広げられるちょっとした騒ぎ。


声の大きさはおさえてはいるが、その場に居合わせた者たちの大きな耳がピクピクと動いている。


聞こえてることは間違いない。


こういうことは、ヘカテの夜の翌日にはよくあることで、皆場慣れたもの。


遭遇すれば我関せず風を装いつつも、一度喧嘩が始まれば直ぐ様止めに入る体勢は整えているのだ。


そう、普段ならば。


しかし、今回は意外な取り合わせ、天才と名高い医者ジークと、鉄の心を持つと謂われるアリだ。


二人ともが大変な有名人で、仕事の腕や性格など、多くの尊敬を集める。


この二人を盗み見る皆の瞳が物語るのは純粋な好奇心で、“あの、アリ様が”“ジーク様の女を?”“まさか”奥のテーブルで密やかに囁かれてるのが、アリの耳にも届いてくる。


このままでは、あらぬ噂が広がっていくのは時間の問題だろう。


これに妃候補が関係してるなどと知れたら、大変なことになる。


慎重に対処せねばならない。


――全く、漆黒の翼も厄介なことをしてくれたものだ―――



アリはジークの背中を押しながらも部屋の中を振りかえり見た。


“他言はするな”の意を込め瞳に冷気を乗せて一人一人に睨みを利かせる。


サッと顔を逸らす者、何食わぬ顔で再び食事を始める者、それぞれ反応は様々だが脅しにはなっているだろう。


「…さぁ、行きましょうジーク殿。説明致します。皆さん、騒がせました」



ス…と優美に手を上げて、アリは食堂を出ていく。


舌打ちをして、その後を追うジーク。


食堂の中には、一度湧いた好奇心を処理できないじれったいような感情と、アリが一睨みで植え付けた何とも不気味な恐怖心が、皆の心にしっかりと残された。






***






そんな事態を感じ取ることも出来ない旅先の空の下。


小さな原に、こじんまりとした簡易テントが張られている。


立ち上がれば天井に頭がつくほどの、その狭い空間の中、男が二人向き合っていた。


若く猛々しい体と小さく骨ばった体。


艶めいて辺りによく響く声とちょっぴりしゃがれた声が、ぼそぼそと会話を交わす。


この聞きづらいしゃがれた声は、洞窟の中で叫びすぎたせいなんだが、まぁそれは置いといて―――



「――よし。では、サナ頼むぞ」


「はい、バル様。お任せ下さい」



全面的な信頼を置き、自らの留守を預けたアリとジーク。


その二人の間で、ユリアの状態をめぐって一悶着が起きてるなんて、針の穴ほども知らないバル。


狭間の洞窟を無事抜け、異国の地で少しの緊張感を保ちながらも一夜を明かしたあと、朝食前にサナのテントを訪れていた。


水晶玉を覗くサナをじっと見つめ、バルは腕を組んで待つ。


これからの動向を決めるため、サナの意見を聞こうとしているのだ。



骨ばったほそっこい手が、水晶玉の上を撫でるように何度も往復する。


ブツブツと呟かれる呪文が気となって、テントの中に渦を巻くように漂う。


やがてテント内いっぱいに広がったなったそれは玉の中に吸い込まれていき、次第に玉の中が光り始める。


やがて強い光となったそれは、サナの顔を青白く照らし出した。



何度も見たことがあるが、この瞬間ほど不気味さに背筋が疼くことは他にない。


占師の奴らは敵に回したくない種族だと思う。


ひとたびそうなれば、相対する者と手を組み、あらゆる手段を講じて潰しにかかられるだろう。


油断ならないのだ。



「バル様。出ました――――」


手招きをされるので、組んだ腕を解き、光りに吸い込まれるように近付いた。


促されるままに覗けば、水が流れる様が見えるだけ。


―――これは、川なのか―――?


「これは、よく分からんな。何だ?説明しろ。お前じゃないと分からんのだろう」


そう言えばクククッと笑いを漏らす。


馬鹿にしてるのだろうかとむっとするが、そこをぐっと我慢する。


「サナ、教えてくれ」


「はい。バル様、申し訳ありません。これは見ての通り川ですが―――…」


サナがゆっくりとした口調で占いの結果を話す。


そんな不気味な雰囲気漂うテントの外では、広場の中心で火が焚かれ朝食の準備が始まっていた。


鍋の中に、ぶつ切りにされた野菜が無造作に放り込まれる。


「おーい、捕って来たぞー」


ブラッドが木立の中から3匹の小動物を手に提げて戻ってきた。


それを受け取って、騎士団員が華麗な剣さばきで皮を剥いでいく。


ザキは馬たちに水をやり、飼葉の用意をしていた。



時が経ち、辺りに肉の焼ける香ばしい匂いが立ちこめる頃。


バルは、サナと一緒にテントから出た。


手には一枚の紙の切れ端を握っている。


どうぞ、と言われ、用意されていた席に腰を落ち着けると、椀が差し出された。


暫くの間、取り留めのない話をしながら腹の虫を宥める。


粗方食べた後、まだもぐもぐと口を動かす者もいるが、バルは紙を取り出し、皆の顔を順番に見た。


―――うむ、皆顔色は良好だ。



「食べながら聞いてくれ。今からの予定だ」


そう言えば、皆の顔つきががらりと変わって真剣なものになった。


手ぶりを交えながら、話し始める。


「ここから向こうの方角、二時の方向へ向かう。すると川があり――――……」



説明を聞き終えた一行は、テキパキと出発準備を整えて隊列を組む。


「―――出発!」


バルの旅は、順調に進んでいく―――






***





さて、ふたたびラッツィオの空の下。


アリとの話を終えてユリアの部屋に戻ったジークは、天蓋の上を眺めた。


真っ直ぐに見つめ返してくるガラス玉の瞳は無垢で、ちょいと見た限りではただの白フクロウだ。


―――しかし、こいつが、か――――


ついさっきまで話していたことを思い返す。



“証拠は、彼女のペットです。あ、一応申し上げておきます。彼女の前で彼に話しかけるのは、お勧めしません”



アリの口から出た言葉全部に驚いた。


憤然とした俺に冷静に淡々と話してくれることは信じがたく、どうにも訝しさが拭えずに顔を顰めていたらアリはそう言ったのだ。


一睡もせず、おまけに俺の薬を浴びて大変だったろうに、昨日起こった全てを順序良く、そりゃ丁寧に説明してくれた。



―――漆黒の翼、か―――


ロゥヴェルの吸血族、ラヴル・ヴェスタ・ロヴェルト。


時期魔王候補として名高く、持つ力は現魔王セラヴィに次ぐと言われている。


この国の、幼子でも知ってる超有名人だ。


その妖艶な容姿に密かに憧れてるって言う娘も多く、モテるだろうに、あまり浮いた噂を聞かない。


彼の元で暮らしていた彼女は、そういう関係にあるってことは容易に想像ついちゃいたが、実際痕跡を目にすると複雑な気持ちになるな―――――



バル様の顔がちらつく。申し訳なさ過ぎて身が縮む。


考えてみりゃ、俺も悪いんだ。


放ってフレアのところに行っちまったからな。


アリ殿ばかりを責められん。


それからなにより驚いたのは、俺の薬をマリーヌ講師が持ってたってことだ。


誰の仕業かは、考えるまでもない。


そんなことが出来るのは、一人しかおらん。


“ね、ジークさん。こんなにいっぱい要るの?”


純粋無垢な可愛らしい笑顔が浮かんで、自分の過保護さに苦笑する。


……あげすぎたんだな。


“兎に角、この先も王子様がおられない分、彼女の警護をさらに強めるべきだと判断致します。ルガルド騎士団長殿と相談を…”



ジ……ク……ーク……



「……ジーク!?」


「あぁ、すまん、何だ?」


「何だ?、じゃないわ。大丈夫なの?戻ってからずっと、ぼーっとしてるもの。体は…何ともないみたいだけど」


振り向けば、いつの間にか隣に立っていた黒い瞳が、心配げに覗き込んでいた。


何度も呼んだのよ、と言いたげに唇を尖らせている。


バツが悪くなって頭をぼりぼりと掻く。


「あぁ、何でもない。今、アリ殿と話してたことを、俺なりに噛み砕いていたところだ」


「そう…それならいいけど。アリに、精神的に追い詰められてしまったのかと、心配しちゃったわ」


ほんと、あの方はとんでもないんだから。


そう言って、ツンとそっぽを向いてしまうのを、軽く笑って受け流しておく。



―――アリ殿は随分嫌われてるようだ。


そういえば、アリ殿は、“彼女の私への評価は、最悪です”と、真面目な顔して断言してたな―――



「それは、ないぞ。彼は敵以外には紳士的だからな」


そう言うと「紳士的、あの方が」と、疑問符付きでぶつぶつと呟く声が聞こえてきて苦笑する。


…彼は、女性に絶大な人気を誇ってるんだが、お前には通用しねぇんだな。



「そんなことより。俺のことよりも、だ。お前……“彼”と離れて、ここに戻ってきて良かったのか?」


ソファへと促しながら、何気なくも慎重に問いかければ、心底驚いたのだろう、少し見開いた黒い瞳が切なげに揺れて、ふぃと俯いた。


薄紅色の唇が僅かに震えていたのも、見逃してない。


さっきまで無表情を相手にしてたおかげか、彼女の表情はとても豊かで考えも推察しやすい。



「いいんです。ラヴルにはきっともう……、そう。私を戻せない訳があるのだと思います。それに、あのまま一緒に行ってしまってたら、皆にお別れを言えないでしょう?」


それはダメでしょう、礼儀に反するわ。


そう言って笑った彼女の表情は、いつもの明るいものではなく、やはり寂しげに見える。


真意は、くみ取れる。


この話はあまりせん方がいいな。哀しみを増すだけだろう。



「そうだ、お前に一つ報告することがあるんだが――…、次回の方がいいか?」


時計を見れば既に昼近い、どの道今日の講義は中止か。


「え、ジーク。もしかしてそれって…」


「あぁ、そうだ。約束したとおり、例のこと調べてみたぞ。彼は過去のことはあまり話したがらないらしくてな。情報も少ないんだが。それでも聞くか?」


「是非教えて。何でもいいの。知りたいわ」



身を乗り出してくる彼女の勢いと真剣な瞳をしっかり受け止める。


バル様がおられん今、俺の口から言えることは少ないが許してくれよ。


「彼の名は、ティム。この国に来たのは3年前らしい。城に勤め始めて2年。前は、屋台のような店をしていたようだ。たまたま来た客に腕を見こまれて、城宮のコック勤めを薦められたらしい。彼曰く“祖国では城の台所に出入りしていた”そうだ」


「城に……。彼…ティムは、どうやってこの国に来たのでしょう?」


「そこまでは、聞き出せんかった。奴も知らんらしいからな」


「奴って?」


「王妃の城宮のコックだ。つまり、彼の同僚だな。それに、俺の友人とも言える男だ」


そう教えると瞳が少し輝いた。


何を考えてるのかは、大体分かる。


「バル様が帰ってからだぞ」


そう言えば、あからさまにしゅんとした。


可哀想だが仕方がない、勝手は出来ん。


せめてもの慰みに、小さな頭に手を乗せてぽんぽんと軽く叩く。許してくれよ。



「じゃぁ俺はこれで。また明日な。いいか?昼はしっかり食べろよ」



釘をさして部屋を後にする。


だが、相手は魔王と漆黒の翼とは。


焦りにも似た感情が沸く。


願わずにはいられない。



―――バル様、どうか早くお戻りを。


貴方様が戻るまで、我々は懸命に守り抜きますから。


どうか、お早く―――


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