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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
月の女神
65/118

12

ユリアの瞳に、月明かりに煌めく宝石のような碧い屋根が映る。


室長の言ってた通り、最高の景色が目の前に広がっていた。


ずっと空を眺めていると、向こうから何かが飛んでくるのが見える。


それはぱたぱたと飛び回ったあと、屋根の上に下りて小さな体を休めた。


「……綺麗な子」


―――また、鳥さんが来たわ。今度は、美しい紅色の子。


何ていう名前なのかしら。室長がいれば、教えてくれるけど―――



「あれは、ヒインコです」


「そう、ヒインコっていうの。綺麗ね」



自然に答えた後でドッキリした。


ガラス窓にアリの姿が大きく映っている。


驚いて振り返ると、既に壁際の定位置に戻っていた。


まるで神出鬼没で、全く油断出来ない。


この方と、ずっと夜を過ごすのかしらと思うと、不安でたまらない。



天蓋の上に目を向けると、開いたガラス玉の瞳がきらきらと光っていた。


いつもならばそろそろベッドに入る時間。


だけど、今日は―――



「―――あの。そろそろ、眠ろうと思うのですが」


「それは結構なことです。私がお守りしております。どうぞ、ご安心してお眠り下さい」


全く動く気配がない。


そこにいて着替えることも出来ないのに、安心なんて出来そうにない。


「あの、」



―――コンコン……


ぴくっと、アリの体と白フクロウの体が同時に反応した。


大きなものと小さな白いもの。


二つの頭がほぼ同時に動き、鋭く光った瞳がドアを見つめる。



ノック音がしただけで、後の反応がないドア。


こんな遅くに誰が来たのか。


それに、ボブさんは何故開けないのかしら。


前に、似たようなことがあったっけ。


あの時は、変な手紙が差し入れられてた。


今回は、番人がいるのに……。



「貴女様は、そこから動かないで下さい」


制されて、素直にこくりと頷く。


アリが壁づたいに移動して、ドアの横に張り付いた。


片手でノブをまわしてゆっくり開いていく。


すると、いつもそこにあるはずの背中がなく、ノックをしたはずの人影も見えない。


冷静だったアリの顔に緊張の色が表れる。


大きな耳をピクピク動かしてドアの向こうを凝視している。


「……見て参ります」


そう囁くように言って、部屋の外に滑らせたアリの体が突然大きく震えあがり、呻き声をあげてその場に崩れ落ちた。


…何故……貴女がそれを……と、苦しげに呟いてるのが聞こえてくる。



―――何が、起こったの?


ツンとした刺激臭が漂ってくる。


コレは、まさか―――



「戴いたのです」


倒れたアリの体を乗り越えて部屋に入り込んで来たその人物は、ゆっくりこちらを向いた。


「ユリア様、ここに居ては危険で御座います。この方は、アリ様ではなく、全くの偽者で御座います。さ、こちらへ」


「え?マリーヌ講師、どうして貴女がここに?偽者って、そんな―――」


「お静かに。後で、説明致します。取りあえず、ここから早く抜け出さねばなりません」



何か、様子がおかしい。


いつものマリーヌ講師と違う気がする。


どこが―――?



「―――パーティは、もう終わったのですか?」


「えぇ。さ、こちらへ」


手を取られて引張られる。


満月の影響なのか、それとも狼族の特徴なのか、女の方なのにとても力が強い。


「アリは、どうして倒れたの?しかも、偽物って…本当に?」


「えぇ。さ、こちらへ」


何を尋ねても同じような言葉を繰り返す。


アリの体を避けて通る時、微かに声が聞こえた。


「い…けない……逃げ…ろ……」


まるで、絞り出すような声。


振り返って見ると、動かない体を必死で起こそうとしてるようだった。



前を行くマリーヌ講師の背中を見つめる。


誰を信じればいいのか分からない。


このままついて行ってもいいものか。


たくさんの疑問符を頭の中に浮かべながらも、手を引かれるままに廊下を進み階段を下りていく。


不思議なことに、使用人にも、衛兵にも、誰にも会わない。


城宮の夜ってこんなに誰も居ないものなのだろうか。


やっぱりおかしい。


引かれる手を振り解こうと試みるけど、やっぱり無理で。



「あの、何処に行くのですか?」


マリーヌ講師は黙ってるけど、このまま行くと、多分外に出てしまう。


グイグイと手を引かれていき、案の定外に出る。


ずんずん歩いていくのについて行くのが精一杯で、息も切れて、思考も纏まらなくなってきた。


やがて辿り着いた建物の影。そこで、二人を待っていたのは―――



「御苦労様でした。マリーヌさん、このことは、忘れなさい。また、お会いしましょう。貴女は素敵な女性だ」


「は…い……ぜひ……」


マリーヌ講師の額に唇を落とした後にそっと手を翳したのを見て、ハッと気付いた。


―――眼鏡がずれたままなんだわ―――



紅く染まった瞳が青に変わっていく。


この方は、何処かで見たことがある。


金髪の方、確かラヴルが……。



「貴方は……ケルヴェス」


「よく、覚えておいでだ」


「どうして、貴方がここにいるのですか」


「セラヴィ様の使いです。一緒に来ていただきます」


ケルヴェスの体が沈み込み、膝裏に腕が差し込まれて、あっと思った時には抱き抱えられていた。



セラヴィ。その名前は、確かあの青年のもの。


とくん…と胸が脈打つ。


それがどうしてなのか分からない。


けど、このまま連れていかれるわけにはいかない。


記憶をたどる糸口がここにあるのに。


たくさんの恩を受けたバルやジーク、それに王妃さま。


何よりリリィを置いていけない。


このまま行ってしまったら、とんでもない恩知らずになってしまう。



「嫌!離して!」


大きな声を出して、手脚を思い切りバタつかせて抵抗してみる。


これで少しは怯むはず。


でもその考えは甘く、ケルヴェスの腕は緩むどころか却って強く締めてきた。


「大人しくして下さい。貴女に術は使いたくない」


「術?」


って、きっと、あのマリーヌ講師にしたようなものね。


あれは、瞳さえ見なければかからないような気がする。


「離して。離しなさい!」


「ぴぃぃっ」


バサバサと羽音が聞こえるのと同時に、ケルヴェスの顔面に白いものが突進してきた。


足の爪がケルヴェスの頬を引っ掻き、嘴が何度も頭をつつく。


「白フクロウさん…もしかして、助けてくれてるの?」


「ぐぅ、ぅ……貴様はっ」


呻き声を上げたケルヴェスの腕が一瞬緩んだ。


瞳を閉じてる今しか、逃げる時はない。


頑張って体を捩っていると、顔面を攻撃していた白フクロウさんの体が、むくむくどんどん大きくなっていくのが見えた。


呆然としてると、足で、わしっと肩のあたりを捕まえられた。


爪が食い込んで、とても痛い。


「イタタ、痛いわ。白フクロウさん、お願い、離して」


抗議も虚しく、大きくなった翼はばさばさと羽ばたき、ぐんぐん上昇していく。


ゆらゆら揺れる足。


下を見れば、どんどん地面が遠くなっていく。


ケルヴェスは、顔を抑えて悔しげにこちらを見上げていた。



―――こ、怖い。


何処にいくのかしら。


意思はあるの?


目的もなく飛んでるだけのような気もする。



暴れようにも、落ちてしまったら怪我どころでは済まないし、何より肩が痛い。


少しでも痛みを和らげるには、大人しくしてないと。


翼が上下するたびにぐん、と移動が早まり、どんどんお城が遠くなっていく。


「どこに、行くの?どこかで、下ろしてくれるのよね?」


言葉は通じないだろうけど、少しでも恐怖心をおさめたくて話しかける。



出来れば分かりやすいところに下ろして欲しい。


城に帰るのに、歩きやすいところがいいわ。


でも、どうしてこんな目に合うのかしら。


自分のおかしな運命を呪いたくなる。



ふ、と突然肩の圧迫感が無くなった。


と、同時に、自由になった体がどんどん下に下降していく。



それは速さを増していて、つまり、これは落ちてるのよね!?


白フクロウさん、こんなところで離すなんて、酷いわ!



「きゃぁぁぁっ」


「ユリア、そう騒ぐな」


「――――え?」



―――今、何て――――?


ふわり……落ちる感覚が止まって、満天の星と満月が瞳に映った。


それが、ゆっくりと遠くなっていく。


そして、すとん…と、ある場所に落ち着いた。


「ふむ、重くなった」



―――今、何て言ったの……重くなった―――?



「ご苦労だった。事後処理に向かえ」


「―――承知」


―――誰と、お話してるの?



ふわふわと空を漂うように下降して、腕の中にすっぽり嵌った瞬間瞳に映ったのは、貴方の妖艶な微笑みだった。


それは、ずっと、ずっと夢に見ていたもので。


もう見られないものと覚悟していたもの。


あまりの驚きで、声も出せずに茫然と見つめてしまう。



「……漸く、私の腕に戻ってきたな」



――この声、聞きたかった。


心地好く鼓膜を擽る、落ち着いた静かな声――



「…ラヴル、なの?本物、なの?」



――ウソじゃないわよね。このまま消えたりしないわよね……?


恐る恐る手を伸ばしてそっと頬に触れてみる。


滑らかな手触り。確かに、ここにいる。


幻でも何でもなく、私を腕に抱いてくれてる。


でも、どうしてここにいるの?


偶然、なの―――?



今起こってることが信じられなくて、戸惑ってしまう。


夢かもしれないと思うけれど、白フクロウさんに掴まれていた肩の痛みが現実であると教えてくれてる。



頬に触れていた手が、何かに引かれたように、急に離された。


意に反してすーっと動いていく手は、色素の薄い唇に柔らかく当たってそのまま固定される。


動かそうと頑張ってみても、例のごとくびくともしない。



手の甲がラヴルの唇に当たっては離れを幾度も繰り返す。


静かな夜の空気に、幾度もリップ音が響く。



久しぶりに見る妖艶な瞳。


それに加えて手に与えられる甘美な刺激。


血を吸われたときの感覚や、抱かれたときのことが、頭の中にありありと蘇ってしまう。


一気に頬が熱くなって、体までも火照ってきた。


このままだと、我を忘れてしまいそう。


何か話しかけないと。


「あの…ラヴル、手を」


堪らなくなって声をかけると、痕跡が残るほどの強い口づけのあとに漸く解放された。


「…ふむ、奴は意外にも紳士だったというわけか…」


そう呟いた後、ラヴルの漆黒の瞳が体を舐めるようにゆっくり動いていく。


胸のあたりから腰、そして脚へ―――



それが色香を放ってて、視線だけで体に触れられているようで、再び震えてしまう。


そんな私の反応が愉快なのか、ラヴルは満足げにクスクスと笑ってる。


「ユリア、あとで心地良い夢をたっぷり見させてやる、待ってろ」


耳に顔を近付けてそう囁くものだから、心臓が跳ね上がって焦ってしまう。


「そ…そんなこと、望んでませんっ」



色香たっぷりの声。


どうしてこの方は、男性なのにこんなに色気があるのか。


女性の引く手数多なのも分かる気がする。



懸命に顔を逸らして何とか視線から逃れてると、クスクスと笑う声がますます大きくなった。


「そのままでいろ」


そう囁かれた後、首筋にちくんとした痛みを感じた。


途端に蕩けるような感覚に襲われて、ラヴルの服をきゅっと掴む。


体の芯が熱を持って、手と足が何処にあるのか分からなくなる。


ふわふわとした夢見心地の中で、うわ言のように名前を呼んだ。


首から唇が離されて、滲み出た血を舐めとる感覚のあとチクチクとした痛みが消えた。


霞む意識の中で満足気な声を聞く。


「ふむ。それにしても、随分健康的になった。これは、バルリークに礼を言うべきだな」



―――バルリークって、もしかしてバルのこと?


それが正式な名前だとしたら、私、バルのこと何も知らないわ……。


それに、健康的ってどういう意味かしら。



ぼんやりとした頭を叱咤しつつ考えてると、さっきのカチンとくる言葉がふわっと浮かび上がる。


“重くなった”


そういえば、ラヴルはこんな性格だった。


確かに、お食事は残さず食べてるけれど、太るほどに戴いてる訳ではないわ。


女性を腕に抱いた第一声がアレだなんて、相変わらずほんとに失礼なんだから。


再会した感動も台無しなことに、むっすりとして睨むようにして見上げたら、漆黒の瞳は笑みを含んだままじっとこちらを見ていた。


―――どうして私、この方が好きなのかしら――――



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