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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
月の女神
64/118

11

煌びやかな雰囲気の漂う空気の中、ゆっくりワイングラスを傾ける、細く長い指。


これは、マリーヌ講師のものだ。



「外に、出ませんか」


「えぇ、そうね。行きましょう」



隣から、そんな会話が聞こえてくる。


仲良くなった男女のものだ。


自分には関係のないこと、再びグラスを傾ける。


こくん、心地よく喉を通るワイン。


ふと思う。


―――そういえば。友人は、どうしてるのか。


左右に視線を這わせ、色香たっぷりの薄紫のドレスを探す。


と。


―――見事に、迫ってるわね……。



会場の隅の方で、窓の外を見ながら男性にしな垂れかかっているのが見える。


男性は体の向きを変えて、両手で腰を抱き始めてる。


友人の耳元に男性の顔が寄せられていく。


あの様子だと、友人たちももうすぐ外に行くのだろう。


パーティーもそろそろ中盤。


周りでは結構な数のカップルが出来つつある。


みんな甘い熱を放ってて、立ち昇る気もハート型に見えてしまうほどだ。


さすが、ヘカテの月と言うべきか。



―――でも。私は、ここまでのようね。



先程まで傍にいた男性たちは、一人また一人と減っていき、今は金髪青目のキザじゃない方が残っているだけだ。


このお方も、もうすぐ他の女性の元に行くはず。


さっきからずっと無言だし、何を考えてるか分からないが、周りに視線を這わせ続けている。


きっと、次に話しかける女性でも探しているのだろう。


この方が、次に口を開いた時が最後だ。すぐに帰宅の意を告げよう。


「マリーヌさん。今日は楽しかった」



―――ほら、きたわ。いつもの展開。


この方が何か言うより先に、帰る旨を伝えなければ。


そのほうが、他の方のところに行きやすいでしょう。


経験からの行動だ。


ふぅ…と小さなため息をつく。


いつもの、こと―――



眼鏡をくぃと上げて相手を見る。


「えぇ、そうですわね。私も楽しく過ごさせていただきましたわ。ですから、もう―――」


「我々も、外に行きませんか」


「そろそろ帰宅し―――――…へ!?」



変な声が出てしまった。


耳が、おかしくなったのだろうか。


この方は、今、何て仰った?



眼鏡の蔓を持ったまま、青目をじっと見上げる。


「あぁ、すみません。変な意味ではありません」


青目が少し左右に揺れたあと、周りを見るようにすーと動いた。


「二人きりになりたいのです」


「―――――へ?…そ……それは、ど、どういう意味でしょうか」



―――予想外の台詞。


まさか、こんな私に欲情したというの?


まさか―――



体を寄せ合って会場を出ていくカップルが横目に映る。


こくりと息を飲んで、相手の言葉を待った。


「―――ゆっくり話をしたいのです。ここじゃ、音楽や人の声が煩いでしょう」


と、微笑む。あくまで冷静で紳士的な態度。


他の男性のように、あからさまな熱を出してこない。


「貴女を、もっと知りたいのです。私では、相手として不足ですか」


「い…い…いいえ、そんなことは御座いません。ですが、あのぉ…そのぉ……」



うろたえてしまう。何しろ初めての事態。


一気に血が上ってきて頭がふらつく。



――私こそ、貴方のことを知りたい。


こんな魅力のない私をもっと知りたいと仰るなどとは、何故だろう。


やっぱりこの方は、どこかおかしいのかもしれない。


こんな素敵な方が、本当に――?



見上げれば微笑みが降ってくる。


この状況を素直に喜べない自分がいる。


口から出かけた、私で良いのですか、という言葉は飲み込まれた。


男性の手がそっと背中にあてがわれたからだ。


「…ひっ…」


びくっと反応すると、ふ…と優しい笑顔が向けられた。


「想像以上のお方だ。良いですね、行きますよ」


「は…、はい」


戸惑いつつも、促されるままに、会場の外へ――――



人生初の、胸ときめく展開に陥ったマリーヌ講師。


そして、もう一つの会場。


リリィの方は――――



5対5だったお喋りの輪がいつの間にかばらけて、1対1へと変化していた。


それぞれがお気に入りの相手となり、いろんな場所に散っていき二人で会話の花を咲かせ始めている。


リリィは、会場の真ん中で男の子とダンスを楽しんでいた。



「どう?外…散歩しようか」


息を整えながらにこっと笑う男の子は、ディーンと名乗った。


さっきまでダンスをしていたせいで息が上がってるリリィ。


熱いのもあって、風に当たりたいと思い、気軽に承諾する。


「いいよ、あ。飲み物持っていこうよ、喉渇いちゃった」


「散歩に飲み物は、ちょっと……。ここで飲んで行こう」



ディーンは2つ年上だと言っていた。


ザキと同じ年の18歳。


単純にも、それだけで親近感と安心感を持っていた。


皆の傍から離れちゃいけないと思うのに、この子だったらいいか、なんて根拠のないことを感じていた。



「こっちだ。噴水が綺麗なんだよ」


ディーンに手を引かれ、会場に隣接されてる公園へと足を運ぶ。


満月が煌々と光り、灯りなどなくても難なく歩けて気分がいい。


「あ、あのベンチに座ろうよ」


リリィが指差したのは、噴水の前にある二人掛けのもの。


ディーンがハンカチを敷いてくれて、その上に遠慮がちに座る。


初のレディ扱いに、ちょっぴり大人の香りを感じてときめく。


ザキ以外の男性と二人きりで過ごすのは初めて。


少し警戒心を持ちながらも、屈託のない笑顔を零し、ディーンとの二人きりのお喋りが、始まった―――





***






―――さて、こちらは旅の一行。


リリィが他の男性と一緒にいるなんて、そんなこと思いもしないザキは……。



今はバル達と一緒に火を囲んで座っていた。


洞窟の中でバルが口上を述べ終わったあの時、光に包まれて体が傾いたと感じたのと同時に、視界は闇の中に落ちた。


ひゅーんと何処までも落ちる感覚に、綱だけは離すまいと必死だった。


気付けば地面に脚が付いていたが、クラクラとした感覚がなかなか消えない中、うめき声を上げるサナの声が聞こえてくる。


ぼんやりと霞がかかったような頭を叱咤して、興奮していななく馬を懸命に宥めた。


「よし、ここで野営だ」


顔を顰めて額に手を当てたバルが、呻くように皆に命じて、今に至る。



馬は木に繋ぎ水と飼葉を与えてある。


テントをはり火を炊き、ほっと一息吐いた皆が手に持ってるのは簡易な食事。


騎士団が野営の際に作るお鍋一つでの簡単料理だ。


適度に切った材料を放りこんでスープで煮るだけのもの。


これと、火にかざして焼いた肉を頬張る。


もちろん、肉は現地調達。


先程ブラッドが仕留めた小動物のもの。


有り難く残さず全部戴く。



ザキは隣に座って肉を頬張るバルを見た。


事あるごとにチェックするようジークに言われている。


少し疲労の色が見えるが、まぁとりあえず異常なく、大体元気そうだ。



「―――ここが、例の場所っすか」


自分も肉を頬張りながら尋ねる。


辺りを見回せば、ラッツィオと変わらない景色。


背の高い木々。


遠くで獣の遠吠えが響き、名も分からぬ草花が咲き乱れ空気も美味しく、空には月が輝いている。


違うのは、満月じゃないということだけ。



「初めて来たからな。目的地と思うが、そうでないかもしれん。口上に失敗がなければ、ここが、そうだ」


「ふーん…そうっすか。ここが」



想像していたのと随分違う。


危険だとばかり聞いていたから、もっと暗くて妖魔がウヨウヨと蠢く世界だとばかり考えていたのだ。



―――これなら、リリィも連れてこれるじゃねぇか。


アイツに違う世界を見せてやりてぇ。


しまったぜ、ポケットに入れてくりゃ良かったな。



そう残念に思いながら、もしゃもしゃと肉を噛み砕き、骨を炎の中に放り込む。


「すまんな、ザキ。リリィが気にかかるだろう?あっちはヘカテの夜だ」


「あぁ、そのことっすか」


ぼりぼりと頭を掻いて照れと動揺を隠す。


もう否定できないほどに、自分の気持ちには気付いていた。


「リリィは可愛いから心配だろう」


「あー、大丈夫っすよ。多分今頃は部屋で寝てるだろうし」


「そうか?案外、パーティーに誘われて、出掛けてるかも知れんぞ?」


「あぁぁっ…そうかもしれねぇっすね」



――有り得る。


俺がいねぇと分かったあいつらが誘うのは、自然の流れだ。


で、リリィも行きたがるだろう。


アイツ、楽しいの好きだからなぁ……。



「…でも、大丈夫っす。ジークの薬もあるし、それに、アイツには、とっておきがあるんで。それに、信じてますから。……それより、バル様の方が気が気じゃねぇでしょ」


もや~んと沸き起こる不安を振り払い、自分自身から話題を遠ざける。


それにはコレが一番なのだ。


「あぁ、まぁな。彼女は大切な預かり者だからな―――――アリを、つけておいた。彼なら安心だろう」



―――預かり者?まだそんなこと言うんすか、この方は。


妃候補にまでして、他から手が届かねぇようにしてるくせに。


いらいらして揺さぶりたくなる。いい加減正直になれよ、と思う。



「鉄の心っすか。魅力に負けてないといいっすね」


「っ、そう言うな。不安になるだろう」



てきめんに動揺して、ガバッとこっちを向いた。


その素直な反応、そのまんま、彼女に向けろってぇの。



「いや、冗談っすよ。彼女もジークの薬持ってっから大丈夫っす」


「アレか……」



肩を落としつつ呟いたその顔が歪んで苦々しい笑みを作る。


その様子を見て一緒に苦笑する。


薬を吹きつけられた男の状態を思い出したからだ。


――あんな目には、合いたくねぇ――



「ところで、ザキ。気になったんだが。リリィのとっておきとは、何だ?」


「あぁ、それっすか。実は口止めされてて、内緒なんすが。知られんの、恥ずかしがるんすよ。でも、バル様なら仕方ないっすね―――」



誰にも言わねぇで下さい、と耳打ちされるバルの瞳が見開いていく。



「そうなのか。それは、ジークも知らんことだな?」


「あぁっと……それ自体は、多分知らねぇっす。俺だけ――――」






***






―――場は戻り。


旅先のザキとバルがそんな会話をしてるとは、露程も知らないリリィは今、噴水のベンチでディーンと過ごしてるところだが……。


時が経つにつれ、だんだん彼の雰囲気が変わってきていた。



最初、優しいお兄さん風だったのに、見つめてくる瞳が熱を放つようになってきていた。


膝の上あたりにあった腕は、いつの間にかベンチの背もたれの上に乗っている。


体は完全にリリィの方を向き、指先がそっと赤毛に触れる。


「綺麗な赤毛だね。この国じゃ珍しい色だよ」



ディーンはうっとりと髪を見てる。


そんなに、この赤毛が気に入ったのかな。


「褒めてくれてありがとう。実は私、ラッツィオの子じゃないんだ。出身はロゥヴェルなの。お妃候補になってるお方について来たの」


「ロゥヴェルから来たのかい?王子様にお妃候補が出来たって噂、本当だったんだ」


「そうだよぉ。すごく素敵なお方なんだよ。綺麗で優しくて、私のこと可愛がってくれるの。大好きなんだ」


「へぇ、そうなんだ。そんな素敵なお方なら、お妃にぴったりだね。じゃぁ、あの国にはリリィみたいな赤毛の方がたくさんいるのかい?」


「んー、そうでもないよ。少ない方だと思う。あんまり外出したことないから、よくわかんないんだけど。小さい頃、お爺さまによく言われたよ。“お前の赤毛は母様譲りだ”って。艶艶の綺麗な髪は皆のあこがれの的だったんだって。実は一度も会ったことないんだけど、誇りに思ってるの。だから人に誉められるとすごく嬉しい。ディーンは、この赤毛を気に入ってくれたんでしょ?ありがとう」


「いや、赤毛っていうか、それもだけど。リリィ自身が、気に入ったんだけど?」



背もたれにあった腕がするんと下りて、細い肩を包んだ。


もう片方の手は、膝に置いてる手の上に重ねられた。



「へ…?」


「彼氏、いる?今日がどんな夜か、知ってるよね」



―――どんな夜かって。


ロゥヴェルでは、魔の血が騒ぐ夜で、いろんなとこで小さな諍いが起こるけど。


ここでは――――



「返事がないけど、いないって考えてもいいんだよね。まぁ、彼氏がいたら、こんなとこには来ないか」


ディーンは一人でぶつぶつ言ってクスッと笑って、自己完結してる。



言わなくちゃ。


彼氏って言うほどのことはしてくれないけど。


手しか握ってくれないけど。


私には、ザキがいるもん。


初めては全部ザキにあげるって決めてるんだもん。



「います!彼氏なら、いるわ」


膝の上の手は一つにまとめられて、ぎゅっと握られて、肩を掴んでる手はますます強くなってぐっと引き寄せられていく。


「その彼氏は、今ここに居ないだろ?どこにいるんだ―――ウソ吐くなよ」


まるっきり信じてくれない。


このままだと変なことされてしまう。



―――っ、そうだ、薬!ジークさんの小瓶使わなくちゃ!



急いで手を引き抜いてポケットの中を探る。



初の緊急事態。


緊張して手に汗が滲んで来た。


焦る手は震えてしまって、全く小瓶を掴んでくれない。


こうしてるうちにもディーンの顔が迫ってきてて、もう逃げられそうにない。



―――もぉっ。こうなったら。


服とか貸してくれたみんな、ごめんねっ。


後で絶対に取りに戻るからっ―――



“バル様、アイツは、ロゥヴェルでも珍しい、吸血族との混血なんすよ。いざとなったら、空へ逃げりゃいいんすけど。俺は、あんまりそうして欲しくないんす。大きいままならいいんすけど、小さくなると、アイツ、まだ魔力が弱いから素っ裸で――――”




噴水の水音に混じって、美しい囀ずりと小さな羽音がぱたぱたと響く。


真っ赤なヒインコが月に向かって飛んでいく。


ベンチの上には黄緑色の服と一本の赤い羽根、服の上と地面に散らばるアクセサリー。


それと、呆然としたディーンの姿だけが残った。


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