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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
月の女神
58/118

5

リリィが部屋を出ていったのとほぼ同時くらいに、静かな羽音が聞こえてきた。


目を向けると、窓の外に白フクロウが戻ってきているのが見えた。


すでに定位置となった場所にふわりとおさまる。


近寄ると、ぴくんと頭をあげた。ガラス玉の瞳がキラリと光る。


また暴れるかもしれないと思って身構えてたけれど、意外にもじーっとしてて大人しい。


言葉は分からないだろうけど、ガラス越しに話しかけてみた。


独りごとになってしまうけど、返事はなくても気が紛れる。



「ねぇ、白フクロウさん。あなたも、家をなくしたの?だから、ここにいるの?」


風に煽られて純白の羽がふるふると揺れる。


揺らぐことなく見つめてくるガラス玉の瞳は、不思議な雰囲気を纏ってて、まるで全てを見透かされてるような気分になる。


―――カツン、カツン―――


嘴が窓ガラスに当てられる。


気のせいか、瞳がうるっと水を含んでるように見える。



「もしかして泣いてるの?でも駄目よ、入れられないの」


カツン……カツン…


何度もガラスに嘴を当てる白フクロウ。


うるるんとしたガラス玉の瞳に見つめられ、胸がきゅぅとなって手が勝手に動いてネジ式の鍵をまわし始めた。


――――少しだけなら、大丈夫よね?――――


カチャカチャという音に反応し、何が起こるのか分かったのか、白フクロウは嘴を当てる行為をぴたとやめた。


大人しく、窓が開けられるのを待っている。



「いけません!」


急に発せられたテノールの響き。


言葉と共に鍵をまわしている手がすっぽりと覆われた。


「きゃぁっ」


「驚かせて申し訳御座いません。ですが、あの白フクロウは入れてはなりません。正体が知れませんので」


窓の外を睨むブラウンの瞳。


白フクロウは男に向かってしきりに鳴き声をあげている。


急な出来事に驚きながらも包み込んでいる手を見る。



男らしい武骨な大きな手。


騎士の方かしら。


でも―――この方が部屋に入ったこと、全く気が付かなかった。


ドアを開ける音も、足音も、しなかった。


あの山のような体から延びる手が開けるドアは、いつもキィというぎこちない音がするのに。


一体いつの間に、ここに―――?



それに、いつもすぐに来てくれる室長がいない。


「あの、貴方は誰なの?室長はどこですか?」


「急に現れまして申し訳御座いません。私は王子様の側近を務めさせていただいております、アリと申します。室長侍女は、本日午後より休みをとっております」


手をぐっと握られたまま、背中を押されて窓から離れるよう誘導される。


離して貰おうと振ってみるけど、当たり前のようにびくともしない。



「それは本当なの?私は何も聞いてないわ。手を離して下さい」


室長は業務に忠実な方だもの。


一言の断りもなく休暇をとるなんて信じられない。


それに、昨日『一緒に月を眺めましょう』と約束したもの。


この方は、嘘を言っている。


信用出来ない。



体全体を使って離して貰えるように暴れてみる。


けれど、やすやすと動きを封じられてしまう。


全力で手を引き抜こうと暴れてるのに、アリというこの男は、微動だにせず涼しい顔をしている。



「駄目です。貴女様は私を信用していない。今離せばジーク殿の小瓶を使うつもりでしょう」


「っ、使わないわ。だから離して。離しなさい」



この男に、見透かされている。


それに、何でジークに薬を貰ったことを知ってるの?


何の紹介もなく急に現れたこの方を、信用できるわけはないわ。



「正体の知れないのは、白フクロウだけじゃないわ。貴方もよ」



同じことなら、ふんわりとした純白の羽の、あの鳥の方を部屋に入れた方がましだわ。


がっしりと掴まれた手と背に当てられた掌は動くことがなく、いくら睨んでもちっとも離してくれそうにない。


男の方の力がこんなに強いなんて知らなかった。


考えてみれば、力いっぱい抵抗するなんてこれが初めてかもしれない。


ラヴルには不思議な力で抵抗力を奪われた。


セラヴィというあの青年の時は、抵抗するべき力がない時だった。


バルの腕は優しいから何故か抵抗できなくなる。


でも、この方は――――



最後の手段と、アリの腕に噛みつこうとしていたら、ふぅ…とため息が吐かれた。


余裕たっぷりのその態度に、余計むかっとしてしまう。



「随分話と違うな。結構気の強いお方だ。仕方ないですね……」



背中に当てられていた手にぐいっと力が入り、すーと引き寄せられてぎゅっと抱き締められた。


厚い胸板に顔が押し付けられて、噛みつく目論見が泡と消える。


「お願い致します。大人しくして下さい。でないと私は、王子様に叱られる事をしてしまうことになります」


「―――っ、な、何を言ってるの?やめなさい」


変わらずに暴れようとしていると、全く、仕方ないですね、と呟きが聞こえてきた。


背中に当てられていた掌が、ゆっくりと下におりていく。


脇から差し入れられてるもう片方の腕は、背中から頭までをすっぽりと覆っていて掌は後頭部をしっかりと固定していた。


抵抗しようにも、身動ぎも出来なくなったこの状態ではどうすることも出来ない。


ヒタヒタと腰のあたりをアリの掌が動きまわる。


嫌な感覚がゾワゾワと背筋を這いあがっていく。



“気をつけろ”


今朝、ジークに言われたことが頭の中を掠める。


ラヴル以外の男性に触れられたくない。


こんな失礼なことをされるなんて、信じられない。


叫びたくても、ショックのあまり声を出すことが出来ない。


腰をサワサワと触ってる手から逃れようとなんとかして身を捩っても、力強いアリの腕に難なく引き戻されてしまう。


「大人しくして下さいと、先程からお願いしてるではありませんか」



―――っ、これはお願いではないわ。


無理矢理、というものよ。


大人しくなんて、出来るわけないでしょう―――



頭の上から、うむ、この辺りか…と呟いてるのが聞こえてくる。


何を探しているのか、嫌な予感しかしなくてゾッとする。


このまま思う通りにされたくない。


なんとか、なんとかして逃げないと。


誰かを、呼ばなければ――――



ドアの向こうにいる大きな背中が頭の中にちらつく。


大きな声を出せば、きっと、気付いてくれるはずだわ。


腰のあたりを探るのに気を取られたのか、拘束が少しずつ弱まり始めた。


それを機会に、厚い胸板で塞がれていた口を引き剥がして息を吸い込み、喉のあたりに詰まっていた声を懸命に絞り出した。


「ゃっ、やめなさい。無礼でしょう!…誰か、このっ―――」


叫んだ声が、途中からモガモガとくぐもったものに変わる。


頭を支えていた掌に力が入って、ますますアリの胸に押し付けられてしまった。


口と鼻が塞がれて、息が苦しい。


「静かに。大丈夫です。大人しくして下されば痛くしません」



一体何がどう大丈夫だと言ってるのか。


痛くしないってどういうことなの。



力いっぱい抵抗し続けてるというのに、拘束している目の前の体は悔しいくらいに微動だにしなくて、息も乱れていない。


声も、感情がないのではないかと思うくらいに抑揚がなく、冷静そのもの。


とても女性を襲ってる男性とは思えない。



ドレスのスカートをかき分けるようにしていた手は、やがて布の切れ目を探し当てて中にぐぃと入り込んできた。



――――っ、そこは。そこにあるのは――――


微動だにしなくてもいい。くぐもった声でもいい。


とにかく諦めないで抵抗しないと。


体を動かしていれば、アリの目的は果たしにくいはずだわ。


最後の力を振り絞って、もがもがと声を出しながら手足をばたつかせてると、すっと腕の力が弱まった。


「やめなさいと、言ってるで―――」


後頭部に当てられていた掌がするりと前に廻り込んできて、顎に指先が掛けられた。


ぐいっと上を向かされ、感情の読めない表情が目に映る。


腹が立つほど無表情で冷静な顔。



「貴女様は、どうすれば黙って頂けるのでしょうか。全く強情な方ですね。これでは、人が来てしまいます。騒がないで頂けますか。でないと、今度は貴女様の口を塞がなければなりません。……ここは、王子様にしか許していないのでしょう」



顎に掛けられていた指がのびて、唇をツーと撫でる。


その行為に、ぞわぞわとした嫌悪感が湧きあがる。


出来れば、私も王子様に叱られたくありませんので、と言って見下ろしてくる瞳には少しだけ怒りの感情が見える。


「―――バルは、そんなことしないわ」


バルは、こんな風に無理に触れて来ない。


私が身を任せることができる男性は、一人だけだもの。


他の誰でもない。


なのに、この方は―――――



唇を噛みしめて冷淡に見える顔を睨みつける。


悔しくて、涙が滲みでてきた。



――このまま、されるがままになるしかないの?


助けて、ラヴル…お願い、助けて……。



「っ。まだ手を出されておられないのですか。それはそれは―――……」


心底驚いているのか、怒りを含んでいた瞳がすぅと見開かれ、口角が吊りあがる。


「それでは、ますます私などに奪われたくないでしょう。分かりますね?言うことを聞くべきなのです」



滲んだ涙が溢れて頬を伝う。


スカートの中を探るようにして動きまわる手は、とうとう目的のものに辿り着きピタリと止まった。


それを、ぐっと掴む。


「やめなさい。それを取ることは許しません」


「この口はまだ動きますか。このまま無理矢理奪うのもいいですが」


顎に掛けられた指に力が入って、ぐぃっと固定された。


「生憎そんな趣味はありません」


「決して、許可はしません。離しなさい」


「そのように、許可しない、離しなさいと言われても、出来ません。申し訳ありませんが――――この、柔らかな肢体を守るのは、コレではありません。この、私です」



スカートの中から手を引き抜いたアリは、それから――――と、口元をぐっと耳に寄せてきて脅すような低い声で囁いてきた。


「言っておきますが、私は王子様の側近として、皆に大変信用されています。今したことを貴女様が誰に話したとしても、全く信用されないでしょう。生憎ですが、貴女様の評判を変えることはあっても、私の立場は変わることがありません」



アリは思考の先回りをする。


自称バルの側近、と言うだけあって頭が良い。


考えていたことを当てられて、開きかけていた唇をきゅっと閉じた。


その様子を確認したように頷くと、アリは拘束していた腕をゆっくりと離した。


「賢い選択です」


アリの手の中には、ジークにもらった小瓶が収められている。


唯一の、身を守る物、攻撃する術を奪われてしまった。


これで、もしもこの男が狼になって襲ってきたとしても、何もできない。



アリは上着のポケットに小瓶を仕舞うと、そのまま、すぅと跪いた。


さっきまでとは全く違う雰囲気を纏う。


従順な従者の姿。




「小瓶を手に入れるためとはいえ、数々の非礼、誠に申し訳ありません。改めましてご挨拶申し上げます。私は王子様の側近、アリ・スゥラルと申します。ご存知の通り今日は、満月です。王子様の命に従い、貴女様をお守りするべく参じました」



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