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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
月の女神
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4

「ユリア様、昨日は大変で御座いました。本日のご気分はいかがでしょうか?」


部屋に入り開口一番にそう言うと、マリーヌ講師は眼鏡をくいっと上げた。


「御気分が優れないようでしたら、本日も、取りやめますが?」



相変わらずのツンとした物言いと澄ました顔。


だけど、いつも上向き加減の頭が、俯き加減になってて瞳が様子を窺うように動き回ってる。


そんなところをみると、少しは気遣ってくれてるのかと感じる。


それだけのことで、優しいところもあるんだわ、と見直してしまう。


普段つんけんしてる分だけ、そう感じる落差が大きい。


マリーヌ講師のつんつんマジックだ。



「ありがとうございます。今日はもう大丈夫ですから、講義を始めて下さい」


「そうですか、では――――本日は、こちらの勉強で御座います」


サササと近くまで寄ってくると、テーブルの上にどさりと紙の束を置いた。


途端に、甘い花の香りが鼻をくすぐる。


それは、マリーヌ講師からふんわりと漂ってきていて……。



――――珍しいわ、香水をつけてるのかしら。


それに、なんだか様子がいつもと違うような――――



ぎすぎすとした雰囲気がとても柔らかに感じる。


こっそり見上げると、いつものキツイながらもノーブルな顔にほんのりと紅が乗せられていて、うっすらとお化粧をしているよう。


いつも下がり気味な口角も、今日は上がっている。


普段通りのシンプルな服には、小さなアクセサリーが襟元に遠慮がちにつけられていて、年相応の、派手ではない慎ましい女性の印象を受ける。


くるりと背中を向けた髪にも襟元にあるのと同じ髪飾りがあって。



――もしかしたら、今日は満月だからお洒落してるのかしら。


男性側だけじゃなくて、女性の方も少なからず影響を受けるのね。


ジークの話を聞いた限りでは、今夜の月は怖いばかりに感じたけれど、マリーヌ講師を見ていると「そうでもないのかも」と思えてくる。


慣れないことで気になるのか、マリーヌ講師は、何度も髪飾りに手をやってる。


今夜、どなたかと会う約束してるのかもしれない。


恋人がいるのかしら。


月夜の晩の逢瀬、素敵だわ―――



「―――マリーヌ講師、今日はとても綺麗だわ。この後、どこかにお出かけするのですか?」


失礼します、と言って、何度も手をやるせいで斜めになってしまった髪飾りを、そっと外してつけなおしてあげる。


「っ、えぇ、出掛けます。夕暮れからパーティがあるのです。友人に誘われまして。無理矢理で、仕方なく。あぁ直していただいて、ありがとうございます」


予想外に伸ばされてきた手と、尋ねられたことに驚いて振り返るマリーヌ講師。


眉間に皺を寄せて見せるその瞳は、言葉とは裏腹にどこか嬉しそうに見えて、イヤイヤ参加するようには感じられない。



「髪飾り、あまり触らない方がいいわ。そのうち髪も崩れてしまうもの。パーティですか。いいですね……私も、行ってみたいわ」


思えば、外出したことなんて数えるほどしかない。


指折り数えても5本の指は半分以上が立ったまま。


どこかの深窓の姫君みたいに、建物の中から出たことがないのだ。


出入り口を壁のような背中に塞がれた今の状況は、言葉は悪いけれど、幽閉に近い。


それでもあまり苦痛に感じられないのは、過去もそれに近い生活だったからかも。



―――パーティ―――


楽しげなおしゃべりと笑い声。


軽い音楽でダンスを楽しむ笑顔。


一度だけ連れてってもらったヤナジの夜会を思い出す。


あの時は、雰囲気を楽しむ間もなく帰ってしまったんだっけ。


何だか嫌なことばかり思い出すわ。


あれは、全部ラヴルがいけないのよ。


待ってるって言ったのに、他の方と会っていたんだもの。


私が変な男の方に掴まったのも。


二度も髪を乱してしまったのも。


全部、全部が、ラヴルのせいなんだから。



部屋の中で見つめ合っていた二人の姿。


あの時のことを考えると、途端にモヤモヤとした気持ちになる。


どよーんとした重いものが胸の中に詰まっているように。


とても背が高くて大人っぽくて美しい方だった。


見栄えのする身体つき。


ラヴルと並ぶと、私よりもずっとお似合いなんだもの―――



“ユリアだけだ”


伸ばされる大きな手。


思い出すと胸が締め付けられる。


私には、貴方の心を縛る権利はないけれど、私だけの貴方でいて欲しい。


そう思うのは我儘だって、贅沢だって分かってる。


貴方にとって“必要”でしかない私だけど。


私には貴方だけなのだから。


貴方だけを想っているのだから。


いつか、ここを離れて


貴方の元に、帰ることが出来るのかしら―――



「今夜のは、私のような独身男女が集まる、ていの良いお見合いパーティです。ユリア様が参加されるようなモノでは御座いません。さぁ、この話はおしまいです。講義を始めます」



生真面目に受け答えてくれる今日のマリーヌ講師は、ツンツンがツンだけになってて、やっぱりとても女っぽい。


眼鏡を上げる癖も頻度が低くて、仕草も柔らかい。


本人は全く気付いていないみたいだけど。


お堅いこの方がこうなのだから、他の女性はもっと艶めいてて心はソワソワしてるのかもしれない。


男性はジークしか見てないけれど、いつもよりも熱っぽい雰囲気だったっけ。


ここにフレアさんがいたら、瞳も熱っぽくなるんだろうな。


きっと、会いたいはずだわ。


ということは、一旦森に帰るのかしら?



いろいろ考えながら手に持ったペンをぷらぷらと振る。


それを見咎めた眼鏡の奥の瞳が、きりっと釣り上がった。


「ユリア様!さっきからずっと、心ここにあらず、のようですが?きちんと集中して下さい!王子様が帰城されるまでに、最低でもカンダルの章まで覚えて頂きますから!」


「はい、すみません」


細い指が法律書の目次をびしっと指し示す。


浮ついた気持ちがぴりりと引き締まった。


改めて座りなおして、マリーヌ講師のキラリと光る眼鏡の奥をじっと見つめた。


今は、講義に集中しなくちゃ――――






明るい日の光がさんさんと降り注ぐラッツィオの城。


衛兵は規律正しく動き、侍女や使用人は与えられた仕事をテキパキとこなす。


今のところは、普段通りに見える城の光景。


違うのは、バルの城宮の最上階の窓際に白フクロウがいることだけ。


それは朝からずっと動かずに、そこにいる。


たまにうとうとと眠りかけるが、ガラス玉の瞳は、基本的には部屋の中に向けられている。


それは、朝食を食べている時も。


ジークが来てる時も。


今も、ずっと――――――







***






「ユリアさん、聞いてっ」


「リリィ。どうしたの?ランチは?それに、今日は一人でいちゃいけないんでしょう?」


ランチを前に部屋に駈け込んで来たリリィは余程急いで来たのか、息を切らしていた。


上下するその小さな肩の向こうをちらっと見やると、お馴染みの見習い侍女たち二人がいて、ニコリと微笑んで丁寧に膝を折った。


その姿を、すっかりなじんでしまった大きな背中がゆっくりと隠していく。


窓の外の白フクロウが一声鳴いて、バサバサバサと飛び立つ音が聞こえてくる。


リリィの瞳にその姿が映り、追いかけるようにすーと動く。


その瞳をユリアに戻しながらスカートのポケットに手を入れた。



「ぁ…あのね、ユリアさん。コレ貰った?」


ポケットから取り出したのは、ジーク特製の狼撃退液。


その大きさを見て苦笑してしまった。


小さなてのひらの中に収まらないほど大きくて、今朝貰った小瓶の2倍はある。


持ち歩くには不便そう。


―――ジークったら、余程心配なのね?


ジークの心が伝わってきて心がほわんと温かくなる。


本当に、お父さんのようだ。



「あのね、今夜っていうか、今日一日はすごく危ないんだって。ジークさんが真剣な顔で、妙な男が近づいてきたら、コレを拭きつけろって言ったの。狼がどうとかって言ってて、実はよく分かんないんだけど。とにかく持ち歩けって。たくさんあるからあの子たちに分けてあげようとしたら、要らないって断られちゃった。ユリアさんが持ってなかったら、あげようと思って」



―――やっぱり狼の意味、よく分かってないのよね。


疲れきったジークの姿が容易に想像できる。


でも、ジーク。


貴方の頑張りのお陰で、危険ということだけは、きっちりと伝わってるみたいよ?



「大丈夫、持ってるわ。ほら、ね?」


ポケットの中から取り出して見せると、リリィはほっとした笑顔を見せた。


「そっかぁ、良かった。さすがジークさん、分かってる。あ、でね。ユリアさんに、いっこ相談があるの……」


言いづらいのか、声が尻つぼみに小さくなっていく。


話しやすくするために、なるべく優しい笑顔を向けた。


「私に相談?なぁに?」


「……私ね、あの子たちに今夜のパーティに誘われちゃったの…。ユリアさんを一人にしちゃうんだけど、同じ年くらいの子たちが集まるんだって。一人でいると危ないけど、パーティならたくさん人がいるから危なくないよ。新しい友達も出来るし、行こうよ、って言われたの。なんか楽しいらしくて、行ってみたいんだけど……。どうかな?ね、ダメだと思う?」


「う~ん、そうねぇ」



気遣いながら遠慮がちに話すリリィの表情は、それでもキラキラとしてて眩しい。


この年頃の女の子の、普通の感情が表れる。


恋と友情と仕事。


辛いこともあるだろうけど、きっと毎日が楽しいのだろう。


その自由さが、ちょっぴり羨ましいと思う。



―――パーティ、か。ジークに聞くと、きっとダメだって言うわよね。


マリーヌ講師のような、お見合いパーティみたいなものかしら?


でも、リリィたちは若いし、男女の出会いとか、繁殖がどうのこうのな目的じゃないとは、思うけど。


そんなのは、リリィには必要ないし―――



ちらりと表情を窺う。


目がきらきらしてて頬が少し上気してて、楽しみでワクワクしてる感じが伝わってくる。


リリィも魔者の内の一人だもの。


月の影響が多少あるだろうけど、この様子は、要するに、行きたいのよね。


狼さんたちに狙われる危険性は高まるけれど、だからと言って閉じ込めるのもどうかと思う。



不機嫌そうなザキと、父親のように心配するジークの顔が、どーんと思い浮かぶ。


二人の瞳が『絶対許可するな』と圧力をかけてくる。


苦笑しつつもそれをなんとか頭の中から追い出して、リリィの顔を見つめる。



不安げに言葉を待ってる、とても可愛くて大好きなリリィ。


貴女も少しは楽しみたいものね?


危険を自分の力で退けるのも大切なことだわ。


頼りになる友人たちもいることだし……。



「…行ってもいいわ。ただし、絶対にあの子たちと離れちゃだめよ?それと、その液を持ってることを忘れないこと。変な男の人が近寄って来たら、すぐに逃げること。それを守れるなら、今夜、楽しんでくるといいわ」


「本当!?ありがとう!ユリアさんっ。絶対約束するわ。あ…でも、ごめんなさい。ユリアさんは……」


あからさまに喜んでしまったことに罪悪感を覚えたのか、また声が小さくなっていく。


そんなに気遣わなくてもいいのに。


「私のことは気にしないでいいのよ。いいから、そんな顔しないで。思い切り楽しんできて、私にお話を聞かせて。リリィとのおしゃべりが私の楽しみなの。ね?」


「分かった。じゃぁ、ユリアさんの分まで楽しんでくるね。パーティ、行ってくるわ」


ぱぁと花が咲いたような笑顔になる。


赤毛がふんわりと揺れて、ドアに向かう足取りも軽く、何を着ていこうかなぁ、と嬉しげにぶつぶつ言っている。


出ていく小さな背中に手を振りながら声をかけた。


「―――いってらっしゃい、リリィ」


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