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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
月の女神
56/118

3

「お前に、これを渡しておく。まぁ、この部屋にいる限り、使うことはないと思うが。万が一ということも、なくは、ない。一応持っててくれ」


診察のあと、ジークに小さな瓶を渡された。


透明な飴色の液体が入ってるそれは、スプレー式になっていてまるで香水のよう。


「これは?」


「ああぁぁっ、ダメだ!今は使っちゃいかん」


試しに吹きつけてみようとしたら、慌てたジークの手にしっかりと押さえられた。


余程使われたくなかったのか、ふぅ…と息を吐いて肩を落としている。



「これには、狼の撃退溶液が入ってるんだ。吹きつければイチコロだ」


「撃退、ですか?イチコロってまさか……」


「ん?違う、違うぞ。死にはしない、安心しろ。相手の動きを封じるだけだ。同じ物を、さっきリリィにも渡しておいた」


あいつはしっかりしてるようで結構無防備だからな、心配でならん…てぶつぶつ言っている。


あちこちに瞳を這わせている様子は、何だかそわそわしてるようにも見える。


そういえば、前にフレアさんが言ってたっけ。


“ジークって、お父さんみたいでしょ?”って。



―――お父さん……か。娘を心配するお父さんって、こんな感じなのかもしれないわね―――



「ところで、お前――――“狼”の意味は分かるよな?」


言っとくが、俺たち一族のことじゃないぞ?と、視線を定めたダークブラウンの瞳がふと笑みを含む。


―――意味って、何かしら。


“狼”というと…。


大きな耳に、ゆらゆら揺れる、ふわふわでもふもふな愛らしいしっぽ。


金色の瞳に、艶々とした綺麗な毛並み。


すくっと立った、立派な姿が思い浮かぶ。


これはあの時、オークション会場で一度見ただけの、バルの姿。


この他に、どんな意味があるというの?―――



「あ?その様子だと、やはりお前も分からんのか。全く、揃いも揃って……これではザキと同じく、バル様も苦労するはずだ」


ジークは項垂れて頭をガシガシと掻いた。


「ジーク?それが分からないと、どうしてザキやバルが苦労するの?」


「あー、すまん。そこはアレだ。その、言葉のアヤだ。深く考えなくていい」



ジークの大きな手がビシッと目の前に差し出された。


いきなり出てきたそれをじっと見つめる。


ジークの手の甲はふわふわと産毛のような短い毛が生えている。


さっきまでは気付かなかったけど、いつもよりもふわふわが多く見える。


ちょっとだけ毛深くなってるみたい。


もしかしたら、月の影響を受けてるのかも。


やっぱりジークも、狼に変身するのよね。狼族だもの。


けど。えっと…待って?そういえば―――



瑠璃の森にいた日々を思い出す。


確か、あそこでは、一度も狼の姿を見たことがない。


一度は満月の夜を迎えてたはずなのに。


普通は、変身しないものなのかしら?


変身するのは、もしかして、バルだけ?



頭の中に疑問符を沢山浮かべてると、向かい側のブラウンの頭の中にも、同じ物が浮かんでるようだった。


俯いて、うーんと唸って何かを悩んでいる。



「ねぇジーク?“狼の意味”のことはもういいわ」


そう言えば、ジークがパッと顔を上げる。


少し、困ってるようで、また頭を掻いている。



「あぁ、待て。そうはいかん。これでもリリィにも説明出来たんだ。全部分かってくれてるかは、不安だが」


渡す時に一緒にいた、周りにいた女の子たちに助けられながらも、意味を説明できたそう。


それと、同じことを言ってくれればいいんだけど。


“狼”の意味を説明するのは、余程難しいみたい?



「んー、それよりもだ。……話を戻すぞ。その小瓶の話だ。今夜は満月だということは、知ってるな?」



“月がまんまるになります”



「はい、室長から聞いてます。今夜は、まんまるになるんですよね。綺麗な夜になると聞いてます」


「うん、確かに夜景は綺麗になる。が―――その他には?何か聞いてるか?」


ジークは腕を組んだ姿勢でじーっとこちらを見ている。


その雰囲気が、いつもと違って見える。


周りの空気が揺らいでるというか。


そう、バルが金の瞳になった時のような。


あそこまで熱くはないけど、そんな感じを受ける。



「聞いてません。けど……」


「けど、何だ?」


「質問があるんです」


「……何でも言ってみろ」


少し身を乗り出していたジークの体が、背もたれにズシンと預けられた。


まるで、こうなったら何でも来い、とでも言ってるように。


私とリリィがあまりにも無知だから、呆れられてるのかもしれないけど。


以前からずっと疑問に思ってたことを聞いてみるのは、話題の出てる今しかない。



「今夜は、城中のみんなが、狼になってしまうんですか?」


ジークは少し目を見開いた後、あぁ、そのことか、と呟きながらゆったりともたれさせていた体を起こした。


膝の上に肘を乗せて身を乗り出すような恰好になって、そういやぁお前は何も知らんのだったな、と言葉を継いだ。


「例え満月の夜であっても、俺たちはむやみやたらと変身することはないんだ。だから、今夜も狼になる奴はいない。別の意味の狼にはなるがな。お前もリリィも、俺たちが狼になったところは一度も見たことないはずだ。だが、血が騒ぐために瞳の色が変わることは、ある。……お前、バル様の金の瞳を何度か見たことがあるだろう?」


「えぇ、あるわ。それに私、前に一度、バルの狼の姿を見たことがあるの」


「そうか、見たか。バル様の狼の姿は雄々しいだろう?国中の者の憧れだ。お前幸運だったな。金の瞳も合わせて、滅多に見れるもんじゃないんだぞ」


「―――そう、なんですか?」



―――バルの金の瞳。


キラキラとしてて魅入ってしまう程綺麗だった。


憧れるのも分かる気がする。


私は、そんなに貴重な物を見てたのね。


そういえば。金の瞳を見たと言った時の、室長のおかしな様子。


あれは、単に羨ましかっただけなのかも―――



「俺たちは普段、狼姿は愛する者にしか見せん。緊急時には躊躇せんが。他の種族はどうだか知らんが、真の姿はなるべく隠すもんだ。俺たちは、ガキの頃から必要以外に変身しないよう教育―――――……ん、何だ?お前、何か残念そうだな」


「っ、そんなことはないわ」


てのひらをぶんぶんと横に振って慌てて否定すると、ジークはにんまりと笑った。


「あぁ。もしかして見たかったのか?そりゃぁ、すまんな。見せてやりたいのはやまやまだが、こればかりはそうもいかんのでな」


バル様が帰られたらお願いして見せてもらえ、と言ってハハハと楽しげに声を立てた。



ジークはフレアさんにしか見せない、それは分かる。


だけど、そうしたらバルだってお妃様の前でしか変身しないことになる。


だったら、見せて貰えるわけはないわ。


それに、バルが帰る頃には、満月は過ぎてしまうじゃない。


そんなこと、ジークだって知ってるのに。



「見たいだなんて。そんな風には思ってません。ただ、ジークの手がいつもより毛深いように見えたから、夜になったら狼に―――?って、そう思っただけです」



―――そう、決して。


ふわふわもふもふの揺れるしっぽと、ぴくぴく動く大きな耳が見たかった、だとか。


ジークや王妃様が狼になったら、なんて想像してもいないし、考えてもいない。


月に向かって遠吠えなんて野性的で素敵、とか、出来ればしっぽを触ってみたいだなんて、全然思ってないんだから。


決して―――



「―――違いますから」


否定の念を込めてジークの手を見つめていると、手の甲を隠すようにして両手を擦り合わせ始めた。


にんまりとしていたのが、少しバツの悪そうな表情になる。


「あぁ、この手か…。普段は満月でもこんなにならんのだが。今宵の月は魔力が強くてな。朝っぱらからこうだ。すまんな、毛深いのは嫌か?」


「無駄に毛深いのは好きではないけれど。ジークのそれは嫌いじゃないわ。だって、狼なんだもの。それに、先に謝らないでください。まるで、私が嫌ってるのが当然のように聞こえてしまうわ。決してそんなんじゃありませんから。それよりも、普段はってどういうことですか?今夜の月は、何かが違うの?」


「あぁ、そうだった。それを言っておかにゃならんな。狼の意味にも通じることだ。今夜の月暦は、ヘカテだ。ヘカテは月の女神のひとりで、魔の力と繁殖を司る。またの名を復讐の女神とも言われていて……。あぁいかん、この話を始めると長くなるな。まぁ要するに、月の力が強いというわけだ。今夜は影響で魔者たちの血が騒ぐことになる。魔力を利用するにも、繁殖するにも、最適の夜なんだ」


「魔の力と、繁殖の女神様……」



―――繁殖するっていうのは、あの、子孫を残す行為のことよね。


魔の力も今夜は強くなる……狼の意味が何となく分かったわ。


確かに、説明しづらいかも。


私たち女性にとって、とても危険な夜―――――



「血気盛んな若い者たちは、こぞって相手を探しに出る。今日男たちは、前から目を付けていた娘に求愛しにいく。中には月の力に負けて平常心がなくなり、暴走する奴もいるんだ。狼の娘たちなら強い爪で引っ掻いて拒否したりできるが……」


「…私には、爪はないものね」



自分のひ弱な手をじっと見つめる。


自分自身さえも守れそうにない指。


思い切り叩いたとしても相手を倒すどころか、この手の方がダメージを受けてしまう。


何か、武器がないと……。



「それでも毎回、一人や二人、襲われて泣く娘がでる。衛兵たちも警戒を強めて見廻ってはいるが、限界はある。だから、お前にはコレが要るんだ。それとリリィには特に、な―――コレで、身を守らんといかん」



見廻る立場の衛兵自身も危ういからな、とテーブルの上にある例の薬瓶を指差すジークの瞳は、真剣そのものだ。


その視線が、ドアの方にふと向けられた。


何を思っているのか、じーっとドアを見つめている。



「ジーク、分かったわ。有難うございます。今日一日は、気をつけます」


「頼むぞ。いいか?必ず、それを肌身離さず持っててくれ」



念を押すように、必ず、のところを強めて言うと、ジークは鞄を持ってすくっと立った。


去っていく背中を見送って、小瓶を手に取り、ドレスのポケットにしっかりと仕舞った。


使わないことを、願いながら。


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