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「ユーリーアさんっ、起きて。ねぇ、朝だよ。起きて」
…何処からか、リリィの声が聞こえてくる。
そう…これは、随分近いわ……多分、すぐ隣……
朝だよっ、と何度も体を叩かれてる気もする。
けど、瞼が重くて開けることが出来ない。
どうしてかしら、ものすごく眠い……。
…そういえば。
“寝る前にコレを飲め”
ぼんやりと、ジークの薬を飲んだことを思い出す。
昨夜はベッドに入る間際に、一人でいることがどうにも怖くなってしまって、誘眠作用があると言ってたあの薬を飲んだんだった。
だけど、こんなに効き目があるなんて。
おかげで久々にぐっすりと眠ることが出来たけど。
まだ、眠い。
出来ればもう少し眠っていたい……。
けれど、さっきからしきりに聞こえてくる声は、これ以上眠ることを許してくれそうにない。
「ねぇっ。ユリアさんっ、ユリアさんっ?」
ひたすら名前を呼びながら体を叩くリリィに辟易しながらもなんとか瞼をこじ開けると、少しむっすりとした顔が映った。
「…リリィ、おはよう」
「あ~もう、やっと起きたぁ。あんまり起きないから、具合が悪いのかと思っちゃった。もう少しでジークさん呼びに行くとこだったよ?」
「ごめんなさい。その、ジークの薬を飲んだせいなの」
「そうなんだぁ、良かった。あ、カーテン、開けてくるねっ。今日も、いい天気なんだよ」
この国は、全く雨が降らないね、と言いながらてきぱきとカーテンを開けては見映えよく纏めていく。
リリィの朝の仕事は、ユリアを起こすことと、部屋のすべてのカーテンを開けること。
まだ見習いの身分なので、それ以外のことはさせてもらえない。
バル本人が連れてきた侍女とはいえ、教育がすむまではコレ以外の世話は禁止なのだ。
こういうところはしっかりと線引きがされていて、流石城中だと感心する。
外は今日も快晴のようで、窓の外は眩しいほどの光が洩れている。
「聞いて、ユリアさん。私、昨日ね。会う人会う人、み~んなに注意されたの。『明日は一人きりでいちゃ駄目よ』って。なんか、今日一日は、絶対に誰かと一緒にいなくちゃいけないらしいの」
窓際を歩きながら時々振り返り、こちらを見るリリィ。
あまりにも眠そうにしてるので、再び寝てしまわないか気に掛けてるようだ。
「どういうことなのかさっぱり分からないんだけど、ジークさんにも言われちゃった。『お前は一人になるなよ』って。なんか、月と関係があるらしいんだけどね。どうして?って聞いても、にんまりと笑うだけで、誰も詳しく教えてくれなくて―――――変でしょ。おかしいでしょ?ね、ユリアさんは、何だとおも……っ!」
動き回るリリィのカーテンを開ける手とお喋りが、急にピタリと止まった。
背中の動きから、言葉と息を飲んでる様子が伝わってくる。
「リリィ、どうかしたの?外に、何かあるの?」
ベッドから降りてリリィを見ると、口をパクパクと開け閉めして外を凝視していた。
「ぁ…あ……」と言葉にならない声も漏らしている。
何か余程驚くものが外にあるみたいで、カーテンを握り締めたまま固まって動かない。
「―――何か、怖いものでもあるの?」
―――こんな所に何が?
ここは、城宮の最上階。
窓から侵入、なんて、鍛えられたこの国の騎士でも無理なことに思える。
ここには誰も忍び込めない筈。
だけど、ここは魔の者たちが住む世界で。
何が起きても不思議ではない―――
そう考えると背中に冷たいものが走り、眠気が一気に冷めていく。
リリィの傍に寄って、恐る恐る向けられてる視線を辿ると、白いものが目に入った。
それは、鋭い瞳でリリィを見据えていて、湾曲した嘴を大きく開き頭も動かして、体全体を使って鳴き声を出していた。
「ぴぃっ、ぴーっ」
精一杯な感じで発せられているそれは、傍に寄ると窓越しでもはっきりと聞こえてきて、威嚇してるように思える。
それとリリィは、見つめ合ったままの状態で動かない。
フゥ…と安堵の息が漏れる。
取り合えず、想像してたような怖いものではない。
でもリリィにとっては、この鳥が怖いみたい。
「白フクロウだわ。リリィ、怖がらなくてもいいわ。この子は、悪いものではないと思うの」
月夜でも綺麗に見えたけれど、太陽の光の中で見るとその羽は一層白く見えて、とても美しい。
固まってる体をほぐすようにリリィの背中を撫でてあげると、少しずつ体の力が抜けていってカーテンからゆっくりと手を離した。
「…でも、どうしてまたここに来たのかしら」
そんな疑問を呟きながら見ていると、白フクロウはリリィからこちらに視線を移した。
真っ直ぐに向けられるガラス玉のような澄んだ瞳。
目が合った途端、バサバサと羽ばたいて窓に近寄ったり離れたりし始めた。
その激しい動きに、ちょっぴり恐いと感じてしまう。
「ぁ、ユリアさん、あの…これ……。白フクロウのこと、知ってるの?」
「えぇ、知ってるって言うか。昨夜ココに来たの。散歩してたみたいで、暫く飛び回ってから帰っていったわ。でも、また来たということは、この城が余程気に入ったのかもしれないわね?」
上空から見えた、綺麗な碧い屋根に惹かれたのかもしれない。
もしかしたら、家を作る場所を探してるのかも?
「ううん…城じゃなくて。ユリアさんを気にしてる…ぁ、っと……みたいだよ?」
白フクロウは、窓の向こうでしきりに鳴き声を上げて翼を動かしながらこちらを見ている。
どうやら、この部屋に入りたい様子。
「この部屋に入りたいみたい。ね、入れちゃ、ダメだよね?」
リリィもそう言うけれど。
“ユリア様、正体の知れないものには気をつけて下さい”
昨夜、室長にそう言われたばかり。
例の事件の影響で、身の周りがピリピリとした緊張感に包まれているのは、嫌でも感じている。
こんな時に、新たな騒ぎの種になりそうなことを自分の手で招き入れるわけにはいかない。
この白フクロウからは、何の邪気も感じないけど。
「ごめんなさい、中には入れられないの」
そう言葉がけしても、やっぱり伝わらないのか、キョトンとした感じで頭を傾げる。
そのあと翼で窓を叩くようにして、時々嘴を窓に当てたりして、ひょこひょこと桟の上を動き回っている。
リリィが何か言いたげに口を開いては閉じてを繰り返して、白フクロウを見つめてる。
翼がピシピシと窓に当たって白い羽が数枚ひらひらと舞う。
このままでは翼が傷ついてしまいそうで、なんとか分かって貰おうと身ぶりを交えていると、何を言ってるのか漸く分かってくれたのか、バタバタと動き回るのをやめて大人しくなった。
すぐそこの、窓枠が出っ張ってる部分に静かにとまってる。
「やっと、大人しくなったね」
リリィは安心した様子でこちらに向き直るとニッコリ笑って、私もう行くね、と言って部屋を出ていった。
入れ替わりに身支度専門の侍女たちが入ってくる。
開いたドアの向こうに、髭の侍従長と見知らぬ侍女が二人立ってるのが見える。
見知らぬその子たちは、目が合うとニコリと微笑んで丁寧に膝を折った。
じきに大きな背中がヌゥッと現れて、二人の笑顔を塞いでしまったけれど。
―――あの子たちは……。
「おはようございます。ユリア様」
流れるような優美な所作で挨拶をするいつもの二人。
昨日と変わらない元気な姿。けれど、表情は曇っている。
二人並んで居住まいを正して正面に立つと、互いに顔を見合わせ息を合わせて同時に頭を下げた。
「ユリア様、申し訳ありませんでした。昨日は、お助けすることが出来ずに。ご無事で、本当に、何よりでございます」
「昨日は大変で御座いました。何を置いてもここに駆け付けるべきでしたのに、震えていて何もできなかった私共をお許し下さい」
二人は口々にそう言うと、もう一度深深と頭を下げた。
上げた顔は青ざめていて、今にも泣きそうで、唇がふるふると震えている。
昨日のことで、こってりと髭の侍従長に叱られたことが容易に推測できる。
二人の瞳は、不安に揺れながらも一つの覚悟を持っていた。
それは、任を解かれる覚悟。
一言「貴女達はもう来なくてよろしいです」と言えば、この子たちはあっさりと侍女の職を追われて故郷に帰らなくてはならなくなる。
さっき見た笑顔の子たちが、今後身支度の係りとなる。
主従関係といえばそんなもの。
ましてやここは規律の厳しい城中。
少しのミスで職を負われてしまうことが当たり前の世界。
『命の危機に面した主の元に駆け付けなかった』
遠くにいたのならばともかく、二人は、すぐ先の侍女部屋にいたのだから。
それは、従にとっては重大なミス。
恐怖に震えていたというのは、ただの言い訳になってしまう。
バルの留守な今、侍従長は妃候補であり彼女たちの主である私に決済を委ねたのだ。
「この者たちをこの先も信用し、身を委ねられますか?」と。
―――こんなことを教えられずに分かってしまうのは、やっぱり私が『姫』だから――――?
私は、心の底から、この子たちが犯人に襲われなくて良かったと思っている。
狙われていたのは、この私だもの。
私一人が命を投げ出せば、皆は怪我をしないで済むし、大切な命をなくさないで済む。
“お前は、俺の後ろにいればいい”
バルみたいに強い爪もないし、皆を守れる力も、何の取り柄もないけれど。
心だけでも強くありたいと、思う。
守られるだけではなく、従を守ることも主のすべきことだと、思う。
次にあんなことがあったなら、今度こそ、前に出ようと決めたのだ。
大切なものをなくさないために。
震えて動けないかもしれないけれど。
情けなく泣き叫んでしまうかもしれないけれど。
この子たちには、何の罪もないもの。
切ることなんて、私には出来ない―――
言葉を待つ二人の顔を交互に見つめる。
唇を引き結んで見つめてくる瞳は緊張の色が浮かんでいる。
許すのは、とても簡単なこと。
けれどここで安易にそうしてしまうと、二人の成長を止めてしまうことになる。
それでいいのだと思ってしまう。
これは心情とは切り放して結論を出さなければいけない。
この子たちは、いつか、本物のお妃さまに仕えることになるのだから。
「―――私の元に来なかったことは、とても残念に思います。貴女たちにとって、私はその程度の存在なのだと、哀しく思ってもいます」
「そんなことは御座いません!」
「決してそのようなことは。ユリア様のことは尊敬しています!」
必死の体で即座に否定の言葉を投げかけてくる二人。
本心なのか、クビになりたくなくて上辺だけを取り繕ってるのか、まだ計りかねる。
けれど―――
「そうですね。貴女たちは鍛えられた騎士ではないのだから、震えて動けなくなるのは当たり前なのです。でもそこをおして、駆け付けて欲しかった」
そうしてくれていたら、無事な姿をすぐに確認できていた。
構わずに逃げなさいと、命じることだってできた。
でも、私も主としてはまだまだ未熟だと痛感してる。
何を置いても守りたいと思う主にならなければ。
いつまでここに居られるのかは、分からないけど。
ここを離れるその日までは、私が、この子たちの主なのだから。
「―――今回は、貴女たちを許します。ですが、次はないと思って下さい」
二人は、無言のまま目を見開いている。
「これから―――」
一旦言葉を切って、向けるべき言葉を探す。
けど、気の利いた言葉が何も思いつかなくて、息を飲んで続きを待つ二人にありきたりのことしか言えない。
私ももっと勉強して成長しないと……。
「私は、しっかり貴女たちを見ていきます。身支度係りとはいえ、主に忠誠心を持つことは大切なことですから。それがあるのかどうか、見極めたいと考えます」
この子たちにとって私は、王子様の妃候補としか映っていない。
その目を、私自身に向けたいと思った。
目の前に立ちはだかった二つの小さな背中が脳裏に浮かぶ。
記憶の中のエリスと室長のもの。
互いに尊敬しあい、しっかりとした信頼関係を結びたいと思う。
「さ、遅くなりました。急がないといけないわ。いつもの通り、身支度を始めて下さい」
最後に精一杯の笑顔を向けると、緊張していた二人の顔がみるみるうちに崩れていった。
瞳からはぼろぼろと涙が溢れていて、申し訳ありません、と何度も言いながら指先で雫を拭っている。
「ほら、泣かないで。これから頑張って挽回すればいいことです。これから私は、二人の仕事ぶりを見ていくのですから、しっかりと覚悟をもってください」
私も、主として二人に見られることになるのだと肝に銘じる。
二人は、涙声ながらも大きく返事をして涙を拭き、顔をぴりりと引き締めた。
あれから、二人は真剣な顔つきで支度を整えてくれた。
可愛い顔した二人には悪いけれど、それは怖いくらいに思えて、いつもに増して緊張してしまった。
毎日思ってることだけど、二人にはもう少し柔らかく接して欲しい。
禁じられてるだろうけど、たまには楽しく雑談したいと思う。
信頼を得るために仲良くなりたいというのもあるけど、城の中の情報を手に入れたいというのが本音。
リリィが結構話してはくれるけど、どうしても範囲が限られてしまう。
それに、今知りたいことは、見習い侍女の周りにはないことなのだから。
少し遅くなった朝食を食べながら、ふと窓の外が気になった。
―――そういえば。
あの姿を探してみる。窓の外にあるはずの白い塊。
懸命に部屋に入ろうとアピールしてた姿を思い出す。
けれど姿はどこにも見えず、あんなに執着してたのにいつの間にか居なくなっていた。
もう諦めたのかもしれない。
でもどうして、あんなに部屋の中に入りたがったのかしら?
不思議に思っていると、バサバサ…と羽ばたきのような、小さな音が耳に届いた。
外に目を向けると、白フクロウが戻ってきて例の場所にふわりととまったのが見えた。
くるくると頭と体が動いて、部屋の中を覗き込む。
「あれは、昨夜の…」
気付いた室長が窓際に寄ってきて、白フクロウを観察するようにしげしげと見た。
そんな室長の視線に構うことなく、それは眠ることに決めたのか、目を閉じてじーとしている。
小さな頭が胴に埋まってまんまるく見えて、何だかとても可愛い。
あまりに大人しそうなので、ふわふわに見えるその白い羽に触れてみたくなる。
腕の中に入れたら、きっとあたたかい。
それに、ほんわりとした気持ちになれそうだ。
急にムクムクと芽生えてきた愛玩心と闘っていると、室長が窓の鍵を開け始めた。
ネジ式の鍵がカチャカチャと音を立てる。
それに気付いたのか、小さな頭がぴくんと動いた。
「特に悪さをするようには見えませんが、一応追い払っておきますわ」
室長が爪を伸ばした手を、脅し加減でヒュンと振ると、「ピィッ」と一声鋭く鳴いて、白い翼を広げて飛び上がった。
そのまますぃーと上空をひと廻りしたあとテラスの小さな柵の上にとまった。
ガラス玉の瞳は、室長の動向を探るようにじぃーと見ている。
これといって攻撃を仕掛けてくるわけでもなく、ただそこにいるだけなので室長も追い払うのをやめたよう。
「この窓の何が気に入ったのかわかりませんが、そのうち飽きて離れていくでしょう」
ため息交じりにそう言って、室長は、ぱたん…と窓を閉めた。
すると、白フクロウは、すぃーと飛んで元の場所に戻り、再び頭を胴の中に埋めた。




