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青い空の下。
先頭に立つは、王子のバル。隣には、荷を乗せた馬を引くザキ。
その後ろに占師サナを乗せた馬と、馬を引く騎士団員と騎馬隊長のブラッドが続く。
改めて隊列を組み直したバルの一行が、衛兵たちに見送られる中城の敷地を歩いていく。
五人と三頭の馬。
それを追う三種類の瞳があった。
鋭い光を放つ黄土色と、憂いを含んだ黒色、あとひとつは感情の読めない青色。
それぞれの思いを乗せ、歩きゆく姿を見つめている。
黄土色の瞳は高い空にある。
翼を伸びやかに広げゆっくりと旋回しながら眺めているそれは、ゾルグの従者、鷹のホーク。
一行が城の敷地を出るのを見届けると、優雅に羽ばたいて彼方向こうに消えていった。
黒色の瞳は城宮の中。
歩き行くバルの姿を見て潤むユリアの瞳。
心には複雑な想いを抱えていた。
一行の姿が視界から消えてもなお窓際から離れることなくそこに佇んでいる。
そしてもうひとつは、城外にある青色の瞳。
それを有する体は、息を潜めて隠れるようにして城壁に凭れていた。
いつも表情がなく冷静に見えるそれは、セラヴィの命を受けているケルヴェスのもの。
薄い唇が動き、何事かを呟いている。
僅かばかりの感情を瞳に滲ませ、遠くに霞んでいく一行を見届けていた。
目を細めて小さく頷くと、姿を霧のように消してしまった。
狼の王子バルリークのいなくなったラッツィオの城。
青い空に白い雲が浮かび、爽やかな風が吹き渡る。
日の光を受けて宝石のように輝く碧い屋根。
魔を弾くと謂われるそれの上には、風にはためく三角旗。
その中心にある揺れる狼の絵が、何処と無く不安げに見えた。
その真下にある、城宮の部屋の中で、ユリアは未だに動けず窓際に佇んでいた。
バルの残した言葉、さっき起こったこと、小さな胸の中は一言では言い表せないほどにいろんな感情が渦を巻いていた。
「ユリア様、さぁこちらにお座りになって。王子様はお強い方ですから、旅などはへでも御座いません。先ずは、体力をおつけになりませんと。お食事を召し上がって下さいませ」
テーブルの上に、温かい湯気を出すスープとパンが乗せられている。
焼きたてのパンの芳ばしい香り、いつもなら、お腹の虫が欲しいって主張してくる大好きな匂い。
だけど今は――――
「ごめんなさい。今はとても食べられないわ」
「そうですか。無理もありませんわね……」
食事を指し示していた室長の手が力なく下ろされた。
この食事はさっき、剣を腰に携えた立派な体格の男の方が運んできてくれた物。
―――…オソロシイ…―――
一目見た時、そう思った。
その山のようにデカイ体と、扇子のような大きな手で運ばれてくるいつものワゴンは、小さな子が使う玩具のように見えた。
腰にさしてある剣は体格に合わせて作られたのか、とても長くて大きい。
起きたことが事だけに、城宮全体が警戒してるのだろうけど、とても物々しく感じられた。
さっきのことを、ありありと思い出してしまう。
余りにも厳つい体つきでジロリと睨む怖い瞳が無言のままワゴンを置く。
何か言えばいいのに、じっと立ったまま怖い顔で見下ろしている。
凄い威圧感。
「……あの方は?」
堪らずに室長に体を寄せつつ小声で聞いたら
「あの方は、王子様配下の近衛騎士団員の方です。王子様がお留守の間は彼がドアの向こうに常駐するようですわ。今後部屋に運ばれる物は、全て彼がお持ちするでしょう」
と苦笑しながら教えてくれた。
二人でこそこそと話していると、咳払いを一つした上に再びこちらをひと睨みして無言で出ていった。
「ご覧の通り、彼ならば暴漢も誰も無断では通れませんもの、最適な人選ですわ」
さすが王子様ですわね、と言って室長は置かれたままのワゴンの上にある丸い蓋をどけた。
ふんわりといい香りが漂ってくる。
「あぁ、きっとそろそろですわね」
呟きつつ、テーブルに皿を移し終えた室長が窓の外を指示した。
「あ、ユリア様。今、王子様の一行がお出になりますわ―――……」
・……―――――――
あの体の大きさ……。
体を縮めるようにしてドアを潜ってワゴンを押してきた姿。
確かに、あの方がそこに立つだけでドアがぴったりと塞がれてしまいそう。
部屋に入ろうと思ったら、許可をもらって退いてもらうか倒すしかない。
ううん、きっと倒してもドアは塞がれちゃうわ。
今日は、いつものあのヒトは来なかった。
ということは、やっぱり、あの爪の犠牲になったのかもしれない。
くしゃぁと笑う顔が、ぐにゃぐにゃに歪む。
無事だと、いいけれど―――
「ユリアさんっ、大丈夫!?平気?」
ノックの音もさせずに開けられたドア。
少しだけ開かれたその狭~い隙間に小さな体を捻じり込むようにして入ってきたリリィが、こちらに駆けて来る。
赤毛を揺らして腕の中に飛び込んできて、ギュゥッと細い腕がからめられた。
「もぉ…よかったぁ……」
顔が埋められた肩から小さなため息と呟きが聞こえる。
その背中に腕をまわしてギュッと抱き締め返した。
―――良かった……ホントに良かった。
リリィも、どこも怪我してなくて、元気そうで―――
「リリィ、無事で良かった。あの―――――他の子たちは?」
恐る恐る問いかけると、リリィはぐいっと体を離してにこっと笑った。
「うん、見習い侍女の子も、この部屋の係りの侍女も、みんな無事だよ。私、さっきまでジークさんのお手伝いしてたの。怪我して運び込まれてたのは全部男の人だった。衛兵の人も使用人の人も怪我はしてるけど、すぐに治るって、ジークさん言ってたよ―――それから、あの朝のワゴンのヒトも来てた。腕を怪我してたけど、元気そうだったよ」
「そう、良かった」
ホッと安堵の息が漏れる。
室長がそっと動き、音もなくドアを開けるのが見える。
ドアのすぐ向こうに、ドン、と立ちはだかるようにして大きな背中がある。
まるで壁みたいなそれを、室長の小さな手が懸命に押していた。
「ユリアさん、今ここ、すごい厳重な警備になってるよ。ここまで来るのに何回も止められちゃった。“待て。お前は何者で、ここに何用だ。答えなくば排除する”って……。腰の剣に手をやって、こ~んな怖い顔して聞くの」
指で眉と目を吊り上げて鼻に皺を寄せて、衛兵の怖い顔を真似して見せるリリィ。
可愛らしい顔だから、いくら真似てもちっとも怖く見えない。
けど……。
「まぁ、そんなに怖い顔なの?」
「そうだよぉ。私みたいな見習い侍女にも、だよ?止められるたびに同じこと聞かれて、そのたびに同じこと説明してたら、もう疲れちゃった。でもこれなら、どんな怖ろしい人が来ても心配ないね。――――それにね、一番オソロシイのは、そこに立ってる人だもん」
後半の言葉は声を潜めて言うと、リリィはドアの方を指し示した。
その表情は口を尖らせていて、ぷりぷりと怒ってるように見える。
あの無言のオソロシイ方と、一体どんな会話を交わして部屋に入ったのかしら。
厳つい体に対峙する、小さくて可愛いリリィ。
いろいろ想像していると、ぷんすかしていたリリィの顔がふにゃぁと崩れた。
「あぁ、もうダメだぁ。ユリアさんの無事な姿見たら、安心してお腹が空いてきちゃったぁ……だって、これ、すごくいい匂いなんだもの……」
ペロと舌を出して恥ずかしげに笑う。
ずっと黙りこんでいたお腹の虫がやっとこ主張を始めたようで、ぐぅ~と鳴ってるのがここまで聞こえてくる。
そのリリィらしさが可愛くて心が和んで自然と笑みが零れる。
細い背中を押して、テーブルの椅子に誘導して座らせた。
「これは、リリィに食べてもらった方がいいみたいね?」
***
“ユリア様。本日は妃教育はお休みするように、と王妃様からの御伝言で御座います。マリーヌ講師より、書類をお預かりしております。どうぞ……”
リリィが侍従長に呼ばれて退室した後、バル付き執事のパッドがそう伝えてきた。
書類を受け取って中身を確認すると、几帳面な文字で書かれた手紙と、数枚の紙が入っていた。
手紙には事件に対するお見舞いの言葉と、出来れば予習を、と書かれていた。
同封されてる紙を見ると、問題がびっしりと書かれていた。
「―――出来れば、でいいのよね……」
こんな日だから、妃教育はもちろんのこと、今日は、リリィたちの見習いの勉強もお休みになったそう。
で、時間のある見習い侍女と使用人たちが総出で午前中いっぱいをかけて城宮の中の清掃を済ませたらしくて。
「ユリアさんには見せること出来ないけど、完璧に綺麗になったんだよ!」
ランチを前に部屋に訪れたリリィが鼻を鳴らしてそう言った。
ザキに自慢することが一つ増えちゃった、と楽しげに笑って、待たせていた他の見習いの子たちと一緒に食堂に行った。
リリィは逞しい。
どんな状況でも受け入れてそれを楽しむことが出来る。
ジークの家でもそうだったっけ。
そういうところがとても尊敬できて、大好きで、羨ましいと、思う。
きっと、同じ見習いのあの子たちもそんなリリィが大好きなんだろうな。
私も、あんなふうになれたら、と思う。
頑張る気持が湧いてくる。
午後は、マリーヌ講師の宿題をしてみよう―――




