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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
記憶の鍵
49/118

5

まだまだ不安な表情のままのユリアに微笑みを見せ、バルは、すっと立ち上がった。


そのままドアに向かい声をかける。



「―――室長侍女はいるか」


「はい、王子様。ここに御座います」


呼び声に応じて開かれたドアの横で、室長が畏まっている。


頭を下げるその前を通り過ぎる際、極力小さな声で素早く命じた。


「留守の間彼女を任せる。心して守れ」


「畏まりました。命に代えましてもご命令のままに」


小声である意を汲み取り、微動だにせず室長も声を絞る。


そのまま止まらず行こうとする背中に、小さな声が投げられた。


「待って、バル」


耳にはっきりと届く柔らかな声。


直後に衣擦れと、羽が生えてるのではないかと思う程に軽い足音が聞こえてくる。


背のすぐそこに、彼女の息吹きを感じる―――


「―――何だ?」


「ぁ…気をつけて行ってらっしゃいませ。ご無事を、祈っています」



―――瞑目して想像する。


お前は今、どんな表情をしているのだろう。


少しばかりは寂しいと思ってくれるのだろうか。


今の言葉。


―――帰りを待っています―――


少なくとも、俺にはそう聞こえた。


単純にも、心が沸き立つ。


何がなんでも旅を成功させ早く帰り、お前の顔を、見たくなる。


その顔を、笑顔に変えたくなる―――



目を開き前を見据える。



「―――うむ。行ってくる」


そのまま振り返らず部屋を出た。


正直、まだ不安はある。


できれば傍にいてこの手で守りたい。


こんなときに旅に出るのもどうかと思う。


が、これは守ると決めたときから覚悟していたこと。


やらねばならないことならば、早い方がいい。


それに、今が一番の好機なのだ。



「王子様」


不意に前方から声が聞こえてきた。


進む先の廊下に一人の男がスッと跪くのが見える。


肩には王直属部隊の印、柊の葉。


王の手配か。


いつもながら、対応の素早さに感心する。



“先見”とは王の旗印。


まさにその意の通りのことをなさる。


跪いて礼をとる逞しい体躯。


確か、この者は――――



「騎馬隊長ブラッド、王命により参じました。近衛騎士団長ルガルド殿に代わりまして、我が御供仕りますことを許可願います」


「―――お前が隼のブラッドか。噂には聞いている」


「醜聞恐れ入ります」


「うむ、同行を許す。仕度を整え合流しろ」


「は、速やかに仰せのままに」



目の前にある跪いていた体が瞬時に消えた。


音もなく、か。



王直属部隊でも暗部に属する者がいる。


彼らは、特化した能力を最大限に磨いている。


ブラッドはその中の一人。


彼らには、俺も、敵わんかもしれんな。


城宮の螺旋階段を急ぎ駆け降りる。


所々にある血だまりを眼の端に捕らえる。


踞り横たわる衛兵と使用人たちの姿を見たときは、体中の血が一気に引いた。


奴が向かった先を覚ったときは、心臓が一瞬止まったかのように感じた。


油断していた。


俺の城宮でこんなことが起こるなど。


しかも、奴は身内だ―――


「平和に慣れてしまったか」


負傷者はすべて近衛騎士団員が御殿医の元に運んだはずだ。



城宮の中を駆け抜け中庭を抜け大きな温室の脇を過ぎると、城の中でも一際小さい宮が見えてくる。


常駐御殿医のいる医療宮だ。


細い斜め格子がはめられた洒落たデザインのドア。


それを開くと、中は騒然とした空気に満ちていた。


数名の御殿医が横たわる負傷者の間を飛び回っている。





「あぁ、ちょっと落ち着け。大丈夫だから」


呻き声と激励の声が交差するその最中、一人落ち着いて対処するジークの野太い声がした。


ジークの診ている患者がしきりに声を出し、痛みを訴えている。


大きな体の向こうに、ちょこまかと動く赤毛が見え隠れする。


あれは、リリィだな。



「おい、痛むのは分かる。だが、男だろう。大人しくしろ。リリィ、ちょっとこれを持っててくれ」


差し出されたピンセットのような医療道具を、小さな手が受け取った。


「はい。こうでいいの?」


「あぁ、上手いぞ。そのまま頼む―――お前、少しばかりの間我慢しろ。ここで可愛い子が見てるぞ―――」



ジークの手が動くたびに、蒼白な頬した使用人の体がピクピクと動く。


歯を食いしばり痛みに耐えてるようだ。


すると、それを見ていた衛兵がもぞもぞと動き出した。


さっきジークに予診されていた者だ。


背中はじっとりと濡れているが、痛みがないために、多分治療が終わったと思ったのだろう、ヨイショ…と声を出し立ち上がりかけている。


それを目の端にとらえたジークは、手を止めることもせず顔を向けることもせずに、言った。



「あぁ…そこの衛兵。…そうだ、お前だ。お前は動くな。さっきのは緊急処置しただけだからな、キズがすぐ開くぞ。次に治療するからそこで大人しく待っとけ」


全く、さっき待ってろと言っただろう、と言いつつ目の前の患者の傷口の治療をしている。


言われた衛兵は自身を指差しながら、俺のことか?と聞いて大きく頷かれ、苦笑しながらも大人しくジークの言葉に従い、首を傾げながらも再び座った。



相変わらずの落ち着きと見事な治療手腕。


さすが、国一番の名医だ。


「ジーク、苦労をかけるな。リリィも、手伝わせてすまんな」


声を掛けると見上げてきたリリィの瞳が不安げに揺れた。


言いたいことは、分かる。



「バルさん…あの……」


「リリィ、顔色が悪いが、大丈夫か?」


「私は平気です。それよりも…バルさん。あの…あの……ユリアさんは?…ユリアさんは、無事なの?」


「あぁ、心配するな。大丈夫だ、キズひとつない。だが、少しばかり動揺してる―――ジーク…」


「はい、バル様。承知いたしております。ここは大したことありません。見た目は酷いですが、皆割と軽傷なんですよ。そりゃぁ中には重傷なのもいますが……命を取られることは、ありません」



話をしながらもジークの手は休みなく動く。


手際良く傷を確認し、縫合していく。



「しかし、よくお戻りになりましたな。でなければ、どうなっていたか。恐ろしくて想像もしたくありません。もしや、勘が働いたのですか?」


愛の力ですな、素晴らしいことです、と呟きながら包帯をくるくると手際よく巻きパチンと端を切る。


あざやかに動き回るジークの腕。


その隙間を掻い潜るようにリリィの小さな手が隣から差し出され、包帯を出したり汚れたガーゼを受け取って捨てたりしている。



「いや、そんないいものじゃない。ジーク、俺の勘が悪いのは知ってるだろう?」


これは、あいつのおかげだ―――――


“バル兄しゃま”


よちよちと歩き、舌足らずに名を呼び慕ってきたのが、つい昨日のことのように思える。


いつまでも子供だと思っていたが……。


いつの間にか心も体も強く成長し、俺に臆することなく意見を述べ、しかも説教までするようになっていた―――――



「貴方様は何やってんすか!?」



不機嫌な声が耳にキンと響いた。


王子であるこの俺に、耳の痛い言葉を向ける事が出来るのは、城中でも数えるほどしかいない。


側近のアリでさえ、滅多に意見してこない。


旅の人員にあいつを入れたのも、俺を抑することが出来るからだ。



あいつがあの時に“戻る”と言って強引に隊を止めていなければ、あのまま彼女に会うこともなく進んでいた。


俺はもう少しで、一つどころか、二重の後悔をするところだった。


しかも、悔やんでも悔やみきれない深い苦しみを、味わうところだった。



「あいつの―――ザキのおかげだ。後で礼を言わねばならん」


「そうでしたか。ザキの奴、お手柄だな。勲章でもあげたらいかがです」


よし、もう動いても良いぞ、と言ってジークは背中を怪我していた衛兵の肩をポンと叩いた。


衛兵は、ありがとうございましたと立ち上がって、少しよろめきながらも歩いて行く。



「やっぱり、隣に可愛い子がいると男どもの治療がはかどるな。俺も、貸してくれたザキに礼を言わなきゃならんな……」


大きな手が、御苦労さん、とふわふわした赤毛をクシャリと撫でた。


リリィははにかんだように笑んでいる。


さっきから冗談ぽいことばかりを言っているようだが、ジークの表情はずっと真剣なままだ。


「よし、あらかた治療は出来たな。リリィ、もういいぞ。良い助手だった、ありがとうな。先に彼女のところに行ってろ。俺はもう少ししたら行くから」


「はい、ジークさん、お疲れさまでした」


ペコリと頭を下げ、赤毛を揺らして小走りに宮を出ていく。


元気そうに振る舞っているが、その顔色は気の毒なくらいに蒼白だった。


その小さな背中を見送ったあと、ジークが重々しい声を出した。



「バル様……おかしいと、思いませんか?こんなことが朝っぱらから起こるとは。満月が近いとはいえ、不自然です」


「やはりお前もそう思うか。俺もそう考えているところだ」



あれは一体どういうことなのか。


“奴は月の力と彼女の甘い香りに負けた”


これが月の輝く夜に起こったことならば、誰もが単純にそう考える。


だが今は、太陽が輝く朝だ。


それに加えて、奴のあの様子。


思い返すと、どう考えても腑に落ちん。



あのとき対峙した際に見た瞳は、光もなく虚ろだった。


あんな事をしでかすような気が昂った状態ならば、普通瞳は狂喜に輝く。


牙を失い、自我を失った様子でもない。


あれは、何者かに術をかけられたような、そんな感じを受けた。



それならば、一体どこの誰が……。


一人、思い浮かぶ顔があるが、彼女に危険が及ぶような真似はしないだろう。



何れにしても、ルガルドの尋問結果次第。


全ては、旅から戻ったあとだ――――



「ジーク、留守の間は宮に騎士団を常駐させる。それに、明日にはアリも隣国から戻ってくる。ルガルドとともに彼女を守っていてくれ。満月が来る、しっかり頼んだぞ」


「承知致しました。どうぞご心配なきよう。貴方様は、しっかりと旅の目的を果たして下さい」


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