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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
記憶の鍵
47/118

3

夜更けの謁見の間。バルは、父である王に会っていた。


バルの言葉を聞いた王の眉間に、深いしわが刻まれる。


「どうしても行かねばならんのか」


「はい。この目で確かめたいのです」


「うむ―――そなたの強い気持ちはよく分かる。だが、知っておるだろう。かの道は非常に危険が伴う。いつものようにそなた独りで、というわけにはいかない」


「それは、心配には及びません。同行者の人選は既に済んでおります。本人たちの承諾も得ております。占師サナから一名と近衛騎士団長一名それにザキを同行させたく、許可を願います」


「……近衛騎士団員一名追加だ。先の大会で優勝したあの者だ」


「はい。有難う御座います」





***





「準備はいいか?」


「はい、整いまして御座います」


翌朝。バルの城宮の玄関脇に集まる5人。


近衛騎士団長、騎士団員、占師サナ、ザキ、それにバル。


早朝の召集にもかかわらず、いつでも出発できるよう皆しっかりと旅支度を整えていた。


数日分の食糧、少しばかりの医薬品。それぞれの鞄の中に少しずつ詰め込まれて鞄は、パンパンに膨らんでいる。


占師サナに至っては、丸くて大きな水晶玉を布鞄に入れ込んで肩から提げているので、小さな体ではそれだけで重くて通常の鞄が持てず、皆にヘコヘコと頭を下げながらテントと一緒に馬の背に乗せていた。


だが、サナの体は水晶玉だけでもよろよろして足元がおぼつかない。



「サナ、お前は馬に乗った方がいいな」


見かねたバルがそう提案した。


サナの者は皆占術に特化した才能を持つためか、同じ狼の種族でも体が小さく見るからに弱々しい。


ザキがめんどくさげに動き、戸惑っているサナの体を馬の上に押し上げた。


「よし、行くぞ」


バルが一声かけると、皆が馬と一緒に歩き出す。


荷物を乗せた馬2頭と1頭にサナを乗せ、あとの4人は徒歩。


隊列を組み、ぞろぞろと歩きだした。


危険な旅の、始まりだ――――





そんな危険な種は旅だけでなく、バルの城宮にも潜んでいた。


バル達が旅に出る姿を、木の陰に隠れるようにして見つめる黒い影が一つ。


その影の唇の端がクイとあがり、にたりと不気味に笑う。


そして、嬉しそうに呟いた。


「よぉし……行ったなぁ?」


この時を待っていたかのように、そのままうきうきとステップを踏むようにして城宮の敷地の中に入り込んでいく。



城の中では珍しい黒づくめの姿が、無邪気に鼻歌を歌いながら進む。


しかし見るからに怪しいそれは、当然のように玄関脇の衛兵に見咎められた。


衛兵は剣をかざしながら威嚇してくる。



「そこの黒いお前、待て!……ん?お前この城宮の者―――」



衛兵の言葉は、大きな掌で阻まれる。


その後、ゴッ!…と鈍い音がした。


衛兵の頭が壁に打ち付けられたのだ。


ぐったりと項垂れた頭からぽたぽたと血が滴り落ちている。



掌を衛兵の顔から離しながら、影はねっとりとした口調で呟いた。


「あれぇ?やっちゃったぁ?……あぁ、残念だなぁ……お前が、素直に通さないからさぁ」


座った姿勢のまま意識をなくしてぐったりとする衛兵の体を見下ろし、不気味な笑みを浮かべる。



「さぁて、どこにいるかなぁ~?」


鼻をひくつかせながら、宮の中へと足を踏み入れる影。


まだ、目的の匂いはしない。



「う~ん、先ずはそうだぁ。よ~し、1階からだぁ」


鼻と耳をピクピク動かし、きょろきょろしながら歩く姿は見るからに怪しく、その先々で衛兵やら使用人に「待て!」と見咎められる。


その度に太い腕を一振り。


鋭い爪から滴り落ちる血を、うっとおしげに振り払う。


「あ~ぁ、もう、邪魔するからさぁ……」





***






城宮の一階がにわかに騒ぎ始めたその頃、その最上階では、朝日の差し込む窓際で、ユリアは大きな姿見に向かって立っていた。


てきぱきと動き回る二人の侍女に挟まれ、微動だに出来ずじっと固まっている。


これがいつもの身支度光景。


いつもどおりの朝。


部屋の中は、衣擦れの音とメイク道具のぶつかり合う音だけがしていて、3人ものレディがいるのに誰も口を利かない。


もし一言でも発しようものなら「動かないで下さいませ」とピシリと言われて睨まれてしまうのだ。


ユリアよりも年下に見えるのに、侍女たちはみんなとても迫力がある。


ここにそういう者があてがわれただけかもしれないが。



一人は背が高い侍女で、右手に櫛を持ち口元にはピン。


左手は綺麗なストレートの髪の束を持ちあげ、櫛とピンを駆使してさささと結いあげていく。


もう一人は背の低めの侍女。


メイクセット入りの手籠を腕に通し持ち、真剣な顔つきでユリアの唇に筆を走らせている。



暫くの後、目の前の真剣な表情が和らぎ満足げにふぅ…と息を漏らし、筆を箱に収めて柔らかく微笑んだ。


「……ユリア様、もう動いてもよろしいですわ。今日も大変お綺麗ですわよ。王子様も御満足されるでしょう」


侍女が手鏡をユリアに渡す。


合わせ鏡にして髪を具合をチェックする。


今日はダンスのレッスンがあるからか、固めにセットされている。


髪飾りも少なめだ。


「素敵だわ。気に入りました。どうもありがとう」


毎朝ほぼ決まってるセリフを言ってユリアがニコリと笑むと、侍女達は体の周りからすーと引いて行く。



手早く道具を片付けた侍女たちが出ていくと、今度はワゴンが部屋の中に運ばれてくる。


白衣を着た使用人が「おはようございます!」とにこやかに挨拶をして持ってくるのは、ユリア専用の朝食。


狼族とはメニューが違うらしく、いつも朝食だけは別にされている。


使用人の手がテキパキと動き、テーブルの上に焼きたてのパンにサラダ、それにスープが並べられ、ユリアはすべて美味しくいただくのだ。



―――と。


これが決まって繰り返される毎朝の光景。


けれど、それが、今日は少し様子が違っていた―――――





「―――おかしいですわね……」


ドアの傍らに立っている室長がぽつりとつぶやいた。


身支度専門の侍女たちが下がっても、今朝はいつもの使用人が来ない。


くしゃぁと笑って目がなくなる、愛嬌のあるあのヒト。



「もしかしたら、また料理を落としたのかもしれませんね」


室長がため息混じりに言う。


室長の顔は真面目そのもので、だけど声は笑みを含んでいて冗談なのか本気なのかわからない。


けれど。


「そうかもしれないわね」


ユリアも否定せずに応えてしまう。



――あのヒトならあり得そう。


だって、少しそそっかしいところがあるもの。


スープを零して火傷してしまったり、下げてるお皿を落としそうになったり。


どうしてこの部屋の係りになったのか分からない。


って、本人も申し訳なさそうにそう言ってたっけ。


何だか憎めないヒトなのだ―――



コロコロ変わる表情とか慌てた仕草とかいろいろ思い出してしまい、堪え切れずに笑っていると、廊下の方が少し騒がしいことに気が付いた。


『ガタン』


『ガタガタッ』


何かが床に落ちたような、どこかに固いものが当たった様な、そんな大きな音が聞こえてくる。


室長を見るとすでに警戒しているのか、大きめの耳をピクピクと動かしていた。


表情も強張っていて、切れ長の目は閉められたドアの向こうを探るかのように睨んでいる。



「室長、外が騒がしいみたいですね。何か、分かりますか?」


明らかにいつもと違う雰囲気。


この静かなバルの城宮の中で、しかも廊下で、あんな音がする要因は何も思い当たらない。


不安になるユリア。


「いえ、分かりません……。様子を見て参ります。念のため、ユリア様はなるべくドアから離れた場所にいて下さいませ」


「ドアから離れて、だなんて―――やっぱり、危ないのでしょう?駄目です。貴女も行ってはダメです。ここに居て下さい」


「ですが……、分かりました。では、ドアの隙間から窺う程度に留めます。ユリア様、大丈夫ですわ。この王子様の城宮は安全ですから。きっとそそっかしい者が大きな物を落としてしまったのでしょう。さぁ、ソファに掛けて下さいませ」


室長は、念のためですからご心配なさらないで、と言いながらユリアの背中に手を当ててソファへと促す。



室長は平気そうに微笑んでいる。いつもと変わらない風を装っている。


けれど、さっきと変わらずに耳はピクピクと動き続けているし、薄ブラウンの瞳はまったく緊張の色が取れていない。


鋭い光を持ったままだ。



室長の腕の力は思いのほか強く、促されるままに窓際のソファに移動させられ、ユリアは仕方なく座ったその瞬間、室長の体はドア近くまで移動していた。


ユリアがドレスのすそを気にしていた、ほんの少しの間に。


そんな驚くべき速さで移動した室長は、ドアノブに手をかけ、少し開いた隙間から慎重に廊下の先を見やっていた。



―――ガタタッ!ガタン―――


再び大きな音がしたと同時に、複数の男性の声が聞こえてきた。


混じり合うそれはとても大きくて荒くて、言い争ってるように聞こえる。


それはやっぱりどう考えても喧嘩をしてるようで。


ユリアがここに来てから、初めて聞く男性の怒声。



―――怖い―――


狼族は穏やかな種族のイメージだけど、もしかしたら、満月が近いと気が昂るのかもしれない――



覗いていた室長の体がピクリと震え、手が口のあたりに添えられた。


ドアが素早く静かに閉められ、振り返った室長の頬が少し青ざめている。



「どうかしたの?何かあったの?」


「―――あの、ユリア様。何があっても、私から離れないようにお願い致します」


「え……?何があったの?」



月も見ていないのに、室長の瞳の色が変わっていく。


体の周りの空気が揺らいでいるように見える。


あんなに騒がしかった廊下が、いつの間にかしんと静まっている。


不気味なほどの静寂―――



―――……前に、似たようなことがあった気がする。


こんな風に、ドアを睨みつけて目の前に立ちはだかる侍女の姿―――



お腹の辺りが冷たくなる。


体が震え、心臓がドクンと波打つ。


ある光景が目の前のものに重なる。



室長の背中が、闇に消えたり浮かびあがったり



見覚えのない部屋。


周りは闇に包まれてて。


月明かりだけが部屋の中を照らしてる。


“命に代えましても、貴女様は私がお守りいたします!!”


止める声を無視して、震えながらも前に進み出る細い背中。


……これは――――――




「ユリア様!」


記憶の波に沈み込む細い糸。


それをなんとか摘み上げて辿ろうとしていると、室長の声に引き戻された。


「ユリア様!お気を付け下さい」


切羽詰まったような声の響き。


室長の視線の先はドアに定まったまま。


あのドアの向こうに何かがある。


―――誰か、来る――――



『ここに、いるのかなぁ~?』



粘着質な声がドアの向こうから聞こえてくる。


一体何が起こってるのかは分からない。


けれど、これだけは分かる。


目的はきっと、この部屋―――



かちゃ…とノブがまわされてゆっくりと開かれていく。


男の太い腕が見え、次に肩。


やがて黒のフードを被った青白い頬が見えた。


目深にかぶったフードの影に隠れて目は見えない。


ニタァといった感じに薄い唇が歪められる。



「……みぃ~つけた」


ゆっくりと動いて開かれていくドア。


男の全身が現れ身構えている室長の方に体を向けた。


むせかえるような匂いが漂ってくる。


黒い袖がじっとりと濡れている。


色は良く分からないけど、あれは多分、血。


そこから覗く鋭い爪先には血がべっとりと付いている。



聞こえていた大きな音は、多分、この男が暴れていたもの。


よく見れば、服全部も所々がじっとりと濡れている。


あれが全部血だとしたら―――



――――怖い。


ソファに体が張り付いてしまったように動くことが出来ない。


恐怖に怯えながらも、不気味な笑みを漏らす顔をじっと見つめる。



――知らない顔……。だけど、きっと、狙いは私の命―――



真っ赤な爪をちらつかせ、男がねっとりとした口調で言う。


「さぁて。まずは、邪魔なお前からだなぁ」


「―――っ!ユリア様、宜しいですか。私が指示致します。その通り動いて下さいませ!」



低く響く声で言うが早いか、室長の体が撥ねた。


「まずはそこから動かぬよう!」


男に向かって行く室長の爪が鋭く尖っているのが見える。


男の唇がますます歪んだ。


「俺に、敵うと思うのかなぁ~?」


室長が迫っているのに全く男は動かない。


余裕たっぷりに唇を歪め、嫌な笑みを浮かべている。



――嫌な予感がする。この男はきっと、強い。



「待って!パメラ!」


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