11
ラッツィオから場所は変わりまして。
ここは、ロウヴェルの都ケルン。
城の近くにあるのは、いつも人で賑わう商店街。
人々の笑顔が溢れ活気ある街――――のはずが
ここ数日間は、なんだか少し様子が違っているようで……。
「止まないねぇ……」
国一番の繁華街の真ん中で喫茶を営む店主は、グラスを拭く手を止め、表情を曇らせて大窓の外を見やった。
一番の賑わいをみせる時刻にもかかわらず、外の人通りは少なく喫茶の客足もさっぱり。
向かいの洋装店も実に暇そうだ。
手持無沙汰なのか、ウィンドウにある人形の服を、今朝から何度も着せ替えている。
数えるに、これで3回目くらいか。
こんなチェックを出来るほど、喫茶の店主も暇だった。
客はと言えば、カウンター席の肉体労働的な風貌の男二人。
この二人はよく来てくれる顔なじみの常連さん。
テーブル席のほうは、12席あるうちの2席にカップル風の男女が座ってるのみ。
いつもの賑わいは皆無と言っていいほどに静まっている。
「ここ最近、天気が悪い日が多いねぇ。嫁が洗濯物が乾かないってこぼしてましてねぇ。そろそろ天気になってくれないと困るんですがねぇ」
空はどんよりとした黒い雲が広がり、しとしとと静かな雨を落としている。
この雨は、もうかれこれ3日以上続いていた。
激しくないため日常生活にそれほど支障はないが、妻の機嫌が悪いことには辟易している。
店主の愚痴のような呟きに、カウンターで珈琲を啜る男達がそれに答えた。
「そうだなぁ。こんなに降り続くなんざ、滅多にねぇ。こりゃきっと、王様の具合が悪いんじゃねぇか?最近国作りもなさっておられねぇようだしなぁ。こりゃぁ、いよいよ代替わりじゃねぇか?」
「あぁ、そしたら次はゾルグ様か?」
「何言ってんだ。違うだろう、ここは、ラヴル様だろ?」
「お前こそ何言ってんだ。次はゾルグ様だ、あの方はなぁ…」
「…ああ、違う違う―――」
カウンター席の男二人は、無遠慮にも議論を始めていた。
自分がぽつりと言った愚痴がこんな議論に発展しようとは思わず、ポカンとしつつもコレはまずいと思った店主が口を挟もうとしていると、その二人の会話を聞き付けたテーブル席のカップルが慌てて声をかけて来た。
「しぃっ、そこの貴方達声が大きい。それに、滅多なことを言うもんじゃない。何処に『耳』があるかわかったもんじゃないぞ」
「そうよ。無用心だわ。そういう話は家でして下さいな……。貴方達、帰り道に気をつけたほうがいいわよ」
「お、脅かすなよ…」
声を出したのは上等な衣服を身に纏い、紳士淑女といった感じの風貌のお二人。
きっと貴族の方なのだろう、珈琲を嗜む姿も窘めるような語調も品がいい。
この方たちが『耳』でなければいいが―――
カウンター席の男達は、怯えたような瞳で周りをキョロキョロと見廻している。
「大丈夫ですよ。今は誰もおりませんから。これから気をつければいいことですよ」
せめて安心させようと思い、店主がにこりと笑むと二人の男はバツが悪そうに顔を顰めて黙り込んだ。
そのまま二人は無言のまま珈琲を啜る。
店主は再び窓の外を見やった。
雨に煙る山の方に王が住む城が微かに見える。
あの中に、歴代最強と謳われるセラヴィ王がおられる。
病に侵され引退されるという噂はやはり本当なのだろうか。
確か先代の御崩御のときも、こんな風に天候が不安定だった。
現王も妃を迎えられないまま、したいことも出来ずに引退などとは、さぞかし無念なことだろうに。
口塞がない者たちは「不運の王」と言ってるが。
本当に気の毒なことだ―――
「ごちそうさん。店主、ここに代金置いとくよぉ」
その声にハッとして視線を戻すと、カウンター席の二人がチャリンとお金を置いて、連れ立って外に出ていくところだった。
「ありがとうございました。お気をつけて」
心なしか縮まってるように見える背中に声を投げると、二人のうち一人は大丈夫なことをアピールするように、肩越しに手をひらひらと振った。
カウンターのカップを片付けテーブルを拭き、カップを水に浸した。
―――まぁ何にしろ、私たちにはどうにも出来ないことだな。
ゾルグ様かラヴル様か、このままセラヴィ様の世が続くのか。
私などがいくら憂いていても、成るようにしかならないことだ―――
店主は自嘲気味に笑った。
チリリーン…
来客を告げるドアベルの音が鳴る。
愁いた顔を振り払い、すぐさまいつもの営業スマイルを作って客に向かった。
傘を閉じ、コートについた雨を払う客をテーブルまで案内する。
「いらっしゃい。雨の中ようこそ。さぁこちらへ―――」
***
そんな風に、皆の関心を集めている渦中の人。
セラヴィ王は、城の中ほどにある謁見の間で玉座に座っていた。
ひじ掛けに肘を預け、頬杖をついて、見た目はとても退屈そうに見える。
眼前には跪く大臣が二人。
手元の床には、えんじ色の布で包まれた平たい箱が置かれている。
時候の話から始まり王の体調伺いまでする挨拶は常に長く、いい加減うんざりしたセラヴィ王は、手をひらひらさせて大臣の話を途中で遮った。
二人の用事は何なのか、大抵察しはついていた。
「挨拶はもういい。雨が続いてるのも分かっている。明日には止ませるから安心しろ。で、本題はそれではないだろう。用件を早く言え」
「はい、本日は、セラヴィ様好みのレディの絵姿を持参いたしまして御座います」
「ふむ―――絵姿、か」
やはりな、と心の中で呟く。
皆自分の息のかかった者を妃にと薦めてくる。
自分の身内が妃になれば、執政を牛耳ることも可能だからだ。
私腹を肥やし、我が物顔で権力を振るう。
恐らくこの大臣もその口だろう。
それを避けるため、代々王は国外から妃を迎えてきたのだ。
私とて――――
「はい、左様で御座います。お好みを調べて持参しました故、今度こそお気に召されるかと存じます」
「…それを私が見ると思うのか?何度も言うが、私は貴様らの欲にまみれた縁故になど縋るつもりはない」
「また、その様なことを―――兎に角、どうか絵姿だけでも。ご覧いただければ、我らはそれで満足で御座います故」
二人の大臣が互いに目線を交わし笑顔で頷き合う。
大臣の一人がえんじ色の布を取り払い、セラヴィ王の前に進み出て「どうぞお改めを」と恭しく差し出した。
余程自信のあるレディのものなのか、不機嫌そうな顔をしたセラヴィ王の前でも、大臣達は笑みを絶やしていない。
それは、にこにこと言うよりも、にやにやといった方がぴったりくる笑いだ。
「…痴れ者が」
漆黒の瞳が真紅に染まり、平たい箱の中身を睨んだ。
途端に…ぽぅ…と炎が上がり、絵姿のみを塵も残さずに一瞬で焼き尽くした。
箱には、絵姿が乗っていた部分にもどこにも焼け焦げた跡はない。
そっくり絵姿だけをセラヴィは燃してしまったのだ。
そんな芸当は魔力が強くないと出来ないことだと、大臣たちは知っていた。
見上げれば真紅の瞳に見据えられている。
滅多なことを言えば、今度は自身が炎に燃されるかもしれない。
「ぁ…あぁ…」
大臣は驚愕に震え、その場にぺたりと腰を落とした。
「いいか。今後私に絵姿を献上する者は、それ相応の覚悟をすることだ。他の者にもそう伝えておけ」
すくっと椅子から立ち上がり、あわあわと震える大臣たちを残しセラヴィは足早に謁見の間を後にした。
自室に戻り、椅子に座り溜まっている書類に目を通す。
サインをし、重要な決済物には王の刻印を押していく。
一通り執務をし終えたあと、震える掌を見つめ、握ったり開いたりを繰り返した。
まるでリハビリのようなこの仕草。
数日前に力を使って以来、手が動かしづらくなっていた。
『崩壊への序章』
そんな言葉が頭を過る。
―――っ、まだだ。頼む、まだ、待っていてくれ―――
数日前、人型を通して僅かに感じた娘の息吹と肌の感触。
あの時、この者がクリスティナでなくてもいいと思えた。
愛しいと、この腕に抱きたいと、ますます焦がれ強く想った。
『我が元に来い』
考えるまでもなく、自然に言葉が出ていた。
娘は記憶をなくしたと言っていたが、それは却って好都合のように思える。
そのままで良い、私がそなたの記憶を作ろう、そう思えた。
邪魔に入った狼の強い結束。
悔しいが、あの狼の王子は強い。
あの時、最大限に気を送っていたのに、いとも容易く引き裂かれた。
アレさえいなければ、あのまま手に入ったものを。
今、何処にいるかも分かっている。
娘はもう、森の中にはいない。
堅固な守りの城の中……。ある意味瑠璃の森より厄介だ。
狼の王子よ、よくも隠してくれた。
いくら魔王と言えど、簡単には踏み込めん。
さてどうするか……。
漆黒の翼。
ラヴルよ、貴様はどう出る――――